幼馴染はキスがしたい!

小絲 さなこ

※※※

美紅みく? 寝てるのか……」


 颯汰そうたは、自分のベッドの上で無防備な姿を晒す幼馴染の顔を覗き込んだ。


「……んぅ」

 唇をもごもご動かす美紅だが、起きる気配はなさそうに見える。

「…………はぁ」

 ため息をついた颯汰は、毛布をそっと彼女にかけた。ベッドを背にして床に座り、参考書を開く。


 

「む、むう……」

 

 数分後、聞こえてきた声に颯汰が振り返ると、不機嫌そうに頰を膨らませている美紅が睨んでいた。

 

「お、起きたか」 

「なんで、なんでぇ……」

 冷蔵庫に入れておいたプリンを食べられてしまったような、悔しさと恨みが滲み出ている目で颯汰を見ている美紅。


「眠気を我慢するより、適度な昼寝をした方が効率上がるからな。十五分経ったら起こそうと思ってたんだが」

「そうじゃない!」

「え?」

「もういい!」


 美紅はベッドから降り、床を踏み鳴らしてローテーブルの前に座った。

  

「なんだよ。嫌な夢でも見たのか」

「もういいから! 勉強しよ。教えて!」

「ん。どこがわからないんだ?」

「えーと……」


 

 教科書の解説を聞きながら、美紅は唇を尖らせつつ颯汰を見ている。

 一方、美紅の視線に全く気が付いていない颯汰。どう教えたら美紅が理解出来るか、そのことに集中しているのだ。



 美紅は、そっと唇の下の窪みを右手の中指でなぞった。


 せっかく可愛い色付きグロスまでつけたのに。こうもスルーされると、やっぱり私って色気ないのかな、って思っちゃうよ……


 

 自然な血色感で、ぷるんとした艶の濡れた唇になれるというリップグロス。

『カレにキスされちゃう魅惑のリップグロス』とSNSで多くのインフルエンサーに取り上げられている商品だ。

 アルバイトをしているとはいえ、高校生のお財布から出すにはちょっとお高いそれを、勇気を出して買ったというのに!

 


 颯汰は、私とそういうこと、したくないの?


 

「美紅、聞いてるか?」

「えっ、あ。うん」

「じゃあ、この問題解いてみてくれ。今の俺の話を理解していれば解けるはずだ」

「うん」

 

 真面目に聞いていなかったので理解もなにもないのだが、それを言うと面倒なことになる。美紅は勉強モードに表情と頭を切り替えた。


 

  

「…………」

 問題を解く美紅を見つめる颯汰は、内心動揺している。



 今日の美紅、いつもと違うよな……

 

 ぷるぷるの濡れた唇……

 なんというか、美味しそうだな……


 颯汰は首を振った。

 

 いやいやいやいや、今日の俺はどうかしている。

 さっきだって、ベッドに寝転んでいた美紅に対してあらぬ妄想を……うわあああ!



 颯汰は無表情で美紅を眺めているが、心の中では頭を抱えてゴロゴロ転がっていた。


 

 幼馴染の颯汰と美紅が付き合いはじめて半年と四日。 

 ふたりは、まだキスをしていない。

  



「お、終わったぁ……」

「おー、お疲れ……」

 

 どうにか本日の予定分を終わらせ、同時に大きく息を吐くふたり。 

 序盤は雑念が多く進みが悪かったため、予定より少し時間がかかってしまった。もう夕方だ。



「颯汰、ありがとう。私ひとりだったら解けなかったよー。試験もいけそうな気がしてきた!」

「それは良かった」


 目が合うふたり。

 数秒間の沈黙。

 美紅の唇が何かを言いたそうに動き、きゅっと結ばれる。

  

「……えーと、じゃあ、帰るね……あっ!」

 気まずさに耐えられなくなった美紅は、立ち上がったものの、バランスを崩してしまった。


「美紅!」

「……!」




 至近距離で目を丸くして見つめ合うこと数十秒。


 

「な、な、な……」

「うお……マジで……?」


 

 颯汰が美紅を支えようとしたものの、支えきれず、そのまま床に倒れ込んでしまった。

 そしてその際、お互いの唇が半分ほど触れ合ってしまったのだ。

 

 

「………………」

「ご、ごめん、美紅! 本当にごめん、ごめんなさい」


 顔を真っ赤にして唇を震わせる美紅に、平謝りする颯汰。


「……な、なんでぇ……」


 美紅が涙をぽろぽろと流し始めた。

 それを見て、切腹を決意した武士のような顔になり、土下座をする颯汰。


「なんで、なんで謝るの……」

「いや、だって、事故とはいえ、あんな……嫌だっただろ? だから……」

「ソータは、ソータは、わたしとキスするの、いやだったのっ……?」

 

 幼い頃のような発音で名を呼ばれた颯汰は、思わず顔を上げ、美紅の手を握りしめる。

 

「そんなわけない! あ、いや、キス自体は、したいかしたくないかで言えば、したかったけど、その、こんな事故みたいな形になって、申し訳ない気持ちでいっぱいというか」

「……したかった?」

「あー、うん……」

「なによそれぇ……」

「なによそれって何……」


 

 美紅はこれまで悩んでいたことを、ぽつりぽつりと話した。

 

 周りの彼氏持ちの子たちに聞いたんだけど、みんな付き合ってすぐとか、遅くとも四ヶ月後にはキスしてるんだって。

 でも、私たち、クリスマスも何もなかったし、付き合って半年経っても、一度もそういう雰囲気になったことがないし。私に色気がないからだと思ってた。


 

「あー、いや、その……したいと思ってるよ。マジで」

「じゃあなんで……」

「こういうのは、自然な流れに任せたかったというか……」

「顔を近づけてみたり、上目遣いで覗き込んだり、うたた寝してみたけど、颯汰そんな素振り、まったく、これっぽっちも、見せてくれなかったじゃん!」

「さっきの、狸寝入りだったのかよ……」

「突っ込むところ、そこじゃない!」

「付き合って何ヶ月とか、何かのイベントだからじゃなくて、俺と美紅のタイミングでしたかったんだよ」

 

 わめく美紅をなだめる颯汰。

 頭をそっと撫でられた美紅は、頰を膨らませつつも満更でもない表情をしている。

  

「そんなの……」

「もっといいタイミングがあるかもって、ためらってばかりだったことは認めるし、謝る」

「なにそれ、ひどい……ためらった結果がこれだよ。初めてのキス、こんな事故みたいなのじゃなくて……ちゃんとしたのが良かったのに」

「……初めて……あー、えーと……うん。ごめん」

「謝らないでよ!」

「……ど、どうしたら……」


 颯汰は狼狽え、美紅は視線を逸らしている。


「今、して」

 颯汰の方を見ないまま言う美紅。頰は膨らみ、赤く染まっている。

 

「へっ?」 

「だから、今して!」

 今度は颯汰の目をまっすぐに見つめながら言う美紅。

 

「いや、流石にそれは……」

「じゃあ、いつなの? 何年何月何日何時何分何十何秒?」 

「地球が何回まわった時、って小学生みたいなこと言うな」


 颯汰のツッコミに、美紅は笑い出した。


「な、なんだよ」 


 彼の肩に手を置く美紅の顔は真っ赤だ。

 そして、それを見る颯汰の頰も染まっていく。


  

「今度、したいと思った時に、して」

「じゃあ、今だな」

「え、ちょっと……」



 


 

 颯汰に背を向け、色付きリップグロスを塗り直す美紅。

 彼女を横目で見ながら、颯汰は息を吐く。

  

「四歳の時のキスは覚えてないか……」

 

 その呟きは彼女の耳に届くことはなく、防災行政無線のチャイムの音にかき消されていった。

 



 

 


 

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