マスカレイド 3

            2115年12月24日(火)「軌道エレベーター」直下

                             特設バトルアリーナ


 マスカレイド決勝戦を前にして、俺はわくわくしていた。


 幼い日に、トンボと遊ぶために家を飛び出したときのような、楽しいことが待っているという確信がある。


 心が躍る。


 じっとしていられない。


 顔がニヤけるのを止められなかった。


「想い人に久方ぶりに会いに行くような顔をしているでござるなあ」


「心情的にはそんな感じだよ」


「エリザベス・ベイカーになら昨日も会ったでござろう」


「でもあいつと踊るのは半年ぶりだ。早く時間にならないかな?」


「まだドレスの最終調整の途中でござるよ」


 卯月が呆れたように言う。

 その頭におやっさんの手が置かれた。|


 整備士メカニックの手というと油とかで汚れていそうなイメージがあるが、現代の整備士メカニックの仕事はパーツの調整が主で、それも端末で操作する。

 おやっさんの手も綺麗なものだ。

 トイレの後にちゃんと手を洗っていたらの話ではあるが。


「最終調整は終わりだ。完璧に仕上げたぜ。賭けてもいい。こいつがいま世界で最高のドレスだ」


「おやっさん、最後まで無理言ったけど、ありがとう」


「馬鹿野郎。そういうのは勝ってから言え」


「いや、なんかいま言っておかなくちゃいけない気がして。周防さん、卯月、若葉、他のサポートスタッフの皆もありがとう。皆のお陰でここまで来れた。皆のお陰で世界を穫れる」


 周防さんが眦を釣り上げる。


「もう勝った気か、三津崎。相手はエリザベス・ベイカーだ。その強さは自分でも分かっているだろう? 去年に比べ彼女は非常に攻撃的になった。油断しているとあっという間に食われるぞ」


「こっちが食っちまいますよ。大丈夫です。勝ちます。今のあいつとなら最高に楽しいダンスになる」


「やれやれ、お前はテンションがそのまま集中力になるタイプだ。これ以上の小言は言わん。エリザベス・ベイカーについてもよく知っているだろうしな。私から言うことはひとつだけだ。楽しんでこい。お前の場合はそれが勝利に繋がる」


「言われなくとも! 楽しむために俺はここにいるんだ!」


 バトルダンスは本当にキツくて、辛くて、しんどくて、そしてそれ以上に楽しい。


 きっかけはゲームだった。

 それから親友に再会するためだった。


 でもその後もバトルダンスを続けてこられたのは、純粋に楽しかったからだ。


 きっとこれが本当の俺の適性というやつなのだろう。

 どこまでもバトルダンスを楽しめる適性。

 これがある限り、俺はどこまでも高みを目指していける。


「時間だ、青っち。もうあーしらにできることはお前の勝利を祈ることくらいだ」


「祈る必要は無いぜ。卯月。俺は実力でトロフィーを奪ってくる」


「そうだな。信じて待つよ。勝ってこい!」


 時間を迎え、固定台が動き出す。

 レールに乗って俺は運ばれていく。

 通路を抜けるとそこは超満員のアリーナだ。


 一斉にフラッシュが焚かれ、大歓声が俺たちを迎える。


 飽和する音、音、音。


 これが俺たちのダンスステージだ。


 アリーナの反対側からバトルフィールドに運ばれてくる白銀色のバトルドレスホワイトナイト

 それを身にまとうのは世界一位エリザベス・ベイカー

 癖のある金髪が揺れる。

 碧眼が俺を真っ直ぐに見つめる。


 ああ、もう彼女しか見えない。


 今夜のステージは俺とお前の独占だ。


 さあ、最高に楽しいショーにしよう!


 10:00

 30:00


 いつも通りのカウントダウンが始まる。

 これがマスカレイドの決勝戦でも、ルールが変わるわけじゃない。

 流れるように数字が減っていく。


 00:00

 30:00


 イグニッション!


 スイッチを強く押し込む。

 イグニッション成功。

 おそらくこれまでで1番完璧なタイミングだったはずだ。

 一万分の一秒の誤差に収めた感触があった。


 ありえないと思うか?

 でも俺は確かに感じたんだ。


 俺たちは前に向けて走り出す。

 あの日の再現。


 俺はエリーに近寄りたい。

 エリーはバトルフィールドの中央に立ちたい。


 両者の思惑は疾走となって現れる。

 どちらもこの半年で訓練を積んできた。

 今回は武装制限解除と同時に最接近する!


 02:00


 そう思った瞬間、エリーの姿がすっ飛んでいった。

 アクセルブーストで俺から距離を取った。

 バトルフィールド中央という利点を彼女は捨てて、俺から距離を取ることを選んだ。


 それしかないよな。

 でもそれはひとみがお見通しだぜ。


 千分の一秒遅れてのアクセルブースト。

 追いすがる。

 彼我の距離は二十メートル弱。

 このまま速度に乗った状態で交戦に入る!


 00:01


 カウントダウンが止まる。


 インターフェイスが全て赤色に変わり、EMERGENCY!と表示される。


 俺たちは同時にトリガーを引く。

 弾丸は出ない。


 空を映し出していた天井のモニターに重ねて表示されていたEMERGENCYがぶつりと消える。

 空も消えた。


 次の瞬間、轟音とともにアリーナの天井が崩れ落ちた。


 瓦礫が人々の上に降り注ぐ。

 悲鳴が上がる。

 怒号が響く。


 真横で起きた。

 俺からは見えた。

 エリザベス・ベイカーにも見えたはずだ。


 俺たちは同時に同じ方向にアクセルブーストした。

 シールドに邪魔されて俺たちは止まる。

 バトルドレスの拳をシールドを叩きつける。


「シールドを切れ! 救助する!」


「右ッ! アクセル!」


 ひとみの声に体は勝手に反応した。


 アクセルブースト。


 次の瞬間、もうもうと上がる煙の向こうから何かがシールドを突き抜けてバトルフィールドに降り立った。

 ホワイトナイトが吹っ飛んでいって、シールドに叩きつけられて止まった。


「バトルドレス?」


 それは漆黒のバトルドレスだった。

 ダンサーは真っ黒いスーツを来て、仮面を付けている。

 どこか人間味が欠けていた。


 そのバトルドレスが俺に左手に持った大口径の銃を向けた。

 体は勝手に反応する。

 銃口を向けられることを拒絶する。

 メインブースターでドレスを振って射線から逃れる。


 だがそのバトルドレスは俺を完全に捉えることなく引き金を引いた。


 何かが飛んでくる。


 銃弾では無かった。

 もっと大きな球形の何か。


 背筋を冷たいものが這い上がってくる。


 あれは駄目だ。

 近寄ることさえマズい!


 ひとみの指示を待たずにアクセルブーストでソレから距離を取る。

 その球体はバトルフィールド端のシールドに当たって跳ね返った・・・・・


 瞬間、俺は理解する。


 シールドは衝突した物体の慣性を打ち消してゼロにする。

 銃弾でも、バトルドレスでも、シールドに当たると止まるのが正しい反応だ。


 跳ね返るなんてことはありえない。

 あれはシールドを打ち消している!


「何が起きている! ひとみ! 誰でもいい! 答えろ! 答えてくれ!」


 シールドが打ち消されるということは、単純に防御力が下がるという問題ではない。

 ダンサーはシールドに付随する慣性無効フィールドに包まれているから、瞬間的な超音速への加速や、超音速からの停止に肉体的な負荷がかからないのだ。


 シールドが消えるということは、バトルドレスの機動力が奪われるのと同じことだ。


 眼表モニターに表示されるシールドの状態は正常だ。

 さっき咄嗟に行ったアクセルブーストで俺は肉塊にならなかった。

 慣性無効フィールドは生きている。

 球体に触れると駄目なのか。

 それとも近寄るだけで駄目なのか。

 どっちだ!?


「緊急事態発生により決勝戦は中止です!」


「んなこた分かってる! 武装制限を解除してくれ! このままじゃ何もできない!」


「私にはその権限が無いんですッ!」


 黒いバトルドレスを迂回して、ホワイトナイトに接近する。

 ホワイトナイトが損傷しているのが見て取れる。

 電子回路が火花を上げていた。


 シールドを張っているバトルドレスは決して損傷しない。

 彼女はシールドを貫通する何らかの攻撃を受けたのだ。


「エリー! 生きてるか! エリー!」


 エリーの白い肌を真っ赤な血が伝っているのが見えて背筋が凍る。

 ホワイトナイトに取り付くと、慣性が消え、シールドが生きているのが分かった。


 黒いバトルドレスのシールド貫通攻撃は、シールド機能を完全に破壊するようなものではない。


 俺はホワイトナイトを引っ掴んで、横にブースト。

 球体が脇を掠める。

 全身がドレスのシートに押し付けられる。

 みしみしと体中の骨が鳴る。

 シールドの表示が揺れた。

 レーザー吸収膜に影響はない。

 慣性無効フィールドの表示だけが点滅する。


 次の瞬間、数発の銃弾が蓄熱装甲に当たって乾いた音を立てて弾かれた。


 慣性無効フィールドが消えているから実弾が通るってわけかよ、ちくしょう!


 慣性無効フィールドが回復したのを確認して、熱量の上昇を無視したフルブーストを使い黒いバトルドレスから距離を取る。


「エリー! エリー! エリー! 生きてたら返事しろ!」


「……みんな、うるさい……」


 かすかな声が耳に届く。

 生きている。

 エリーは生きている!


「ちょっと我慢しろ。シールドが消えたらすぐに待機室まで逃げろ」


 エリーが出てきた側の通路の前にホワイトナイトを放り出す。


 アクセルブーストでホワイトナイトから距離を取る。

 バトルフィールドの中央辺りで接近してきた黒いバトルドレスの射程に入る。


 奴は左手に持った銃をこちらに向ける。

 あの球体を撃ってくる。

 さっき回避したときの感触からすると、球体からアンチ慣性無効フィールド電波みたいなものが出てるんだろう。

 範囲は十メートルほどと予測。

 間違ってたら銃弾の直撃を食らって死ぬことになる。


 弾速は遅い。

 球体が大きいこともあるし、射出によって装置が破壊されない程度の威力に抑えているためだろう。


 避けることは容易い。

 だが十メートル以上離れろと言われると、アクセルブーストを使うしかない。


 黒いバトルドレスが右手に持った突撃銃から連射された弾丸がシールドに当たって止まる。

 目の前で止まった弾丸が、一メートルずれていたら致死性のものだということを理解しないわけにはいかない。


「まだ状況は分かんねぇのか! 運営! 聞こえてるんだろうがッ!」


 必死に回避、回避、回避、回避!

 ホワイトナイトから注意を逸らし続けるために大きく逃げることは許されない。

 一方、至近距離まで接近することもまたできない。

 奴自身がアクセルブーストを使わないからだ。

 黒いバトルドレス自体がアンチ慣性無効フィールドを展開している可能性がある。


 そもそも武装制限が解除されてない状態では、接近したところでできることは……ある!


 シールドが無いってなら、ぶん殴れるってことだろうがよッ!


 メインブースターで黒いバトルドレスに肉薄する。

 固めたドレスの拳で殴りつけた。

 止まる。

 威力が完全に打ち消される。

 こいつ自身はアンチ慣性無効フィールドの範囲外だ。


 黒いバトルドレスが左手に持った銃を真下に向ける。

 放たれた球体は地面に当たって弾き返されて、俺と黒いダンサーの間に跳ね上がった。


 自分をシールド無効空間に置くことも躊躇わないってか!


 アクセルブーストは使えない。

 メインブースターの加速でさえ押しつぶされてしまいそうだ。

 歯を食いしばってドレスを振りながら距離を取る。

 数発の銃弾が蓄熱装甲に当たる。

 数センチずれていたら生身の足を撃ち抜かれていた。


「武装を使わせろッ! こいつを止めなきゃ大勢死ぬぞ!」


 すでに犠牲は出ている。

 瓦礫の下敷きになった人の中には助からなかった人もいるだろう。

 そしてこいつがシールドを無効化できる以上、バトルアリーナに詰めかけている観客が危険だ。

 観客はここから逃げ出そうと出口に殺到しているが、出口の容量が圧倒的に足りない。

 詰まっている。


「国際バトルダンス協会、副会長のディーン・バートンだ。武装制限解除は許可できない」


「なんだって!?」


 ステップを踏みながら答える。

 聞き間違えをしたのだと思った。


「試合以外での武装の使用は許可できない。現状では観客の安全が確保できないと判断した。バトルダンスを行うバトルドレスの攻撃によって一般市民に犠牲が出ることがあってはならない」


「てめぇ、目ん玉ついてんのか! 状況を見ろ! 一般市民の安全が! いま! 脅かされてるだろうが!」


「現在、バベルは多数の所属不明バトルドレスによる襲撃を受け、PMCが対処に当たっている。彼らに任せるんだ。武装制限は解除できない」


「そいつらはどこにいるんだ? メシか? トイレか? ここで、いま、こいつを、食い止めてるのは、俺だろうがッ!」


「戦闘行動は認められない。ただちにバトルドレスを脱ぐんだ」


「脳みそ腐ってんじゃねぇか? 脱げって!? この状況で、バトルドレスを!?」


「プロボクサーはリングの外で拳を振るうことは許されない。ダンサーもまたステージ以外で武装を使うことは許されない。これは協会規定に書かれているぞ」


「クソくらえッ!」

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