第1章 学内決闘戦

学内決闘戦 1

           2115年4月7日(日)東京湾浮遊人工島「秋津島学園」

                                   居住区


 俺は何度か手を握ったり開いたりした後、ベッドから起き上がり、洗面所で顔を洗った。

 少し目が赤いが、涙の跡はそれくらいだ。


 中学を卒業した俺は以前から入学を希望していたこの秋津島学園に通うことになった。


 通う、とは言っても秋津島学園は全寮制だ。

 生徒には全員に個室が割り当てられている。


 これまで何度か引っ越しを経験したため、俺は私物をあまり持っていない。


 そのせいか部屋は殺風景で、まだ生活感に乏しかった。


 あらかじめ用意されていたベッド、簡素なデスク、似たような私服ばかりが入ったクローゼット。


 あるのはそれくらいで、部屋は広くはないが、狭くもない。

 ただ学園島の地下にあるため、窓がなかった。


 代わりに奥の壁がかなり大きなモニターになっている。


 意識が落ちる前はなんともなしにつけていたテレビ番組だったが、今はバラエティニュース番組を流している。


「――グリーンアースと名乗る環境テロリストによる破壊活動は中東から南米にも飛び火し……」


 特に興味のあるような内容ではない。


 俺はベッドに腰掛けて、PAを取り出す。


「アシスタント、現在地の地図を」


 なぜ幼い日の夢を見たのかは分かっていた。


 PAに学園島居住区の地図が表示され、今まさに俺がいる部屋にピンが刺さっている。


「アシスタント、地図のタイムスタンプを十年前に」


 表示が切り替わり、市街地の地図に変わる。


 住宅街の中にピンが刺さっている。


 見覚えのある地図だ。

 当たり前だ。


 十年前に俺が住んでいた町の地図だ。


 そう、この10年の間に俺の故郷は上昇した海面に没し、現在はその真上に学園島が存在するわけだ。


 地図の中にはかつての自分の住んでいた家や、遊んでいた公園も表示されている。


「帰ってきたぞ。トンボ……」


 10年ほど遅れたが、帰ってきたことに違いはなかった。


 だが喜べるはずもない。


 かつて遊んだ公園は海の底だし、そうでなかったとしてもまたそこでトンボと会えようはずもない。


 いまだにトンボがあの公園の様子を見にやってくるかも知れないだなんて思えるほどロマンチストじゃない。


 秋津島学園に入学することは俺の希望だったが、それが故郷の真上にあるだなんて知っていたわけではない。


 ただマスカレイドに出場するため、バトル戦闘用ドレスの操縦免許を得るには最短のルートだったからこの学園を選んだだけだ。


 マスカレイドの出場資格を得るにはまず規定の国内大会で優秀な成績を出し選抜されることが必要で、年齢制限は無いものの、日本国内におけるバトルドレスの操縦免許が必要だ。


 そして本来なら十八歳からしか取得できないバトルドレス操縦免許を十八歳未満でも特例的に得られるのが、この秋津島学園なのである。


 そして実力さえあれば、たとえ十五歳、一年生であろうとマスカレイドに出場ということは起こりうる。


 実際、去年の大会には秋津島学園の一年生が国内大会で選抜され、マスカレイドの舞台に立った。


 その彼女の名前は秋津瑞穂あきつみずほ


 世事に疎い俺ですらさらっと名前が出てくるのだから、その宣伝効果は抜群だ。

 おそらく日本国内で彼女の顔と名前を知らない者はいないだろう。


 もちろん彼女の容貌が優れているからという側面もある。

 モデルのようなすらりとした体に、小さな頭がちょんと乗っており、そこには整った顔があるのだから、芸能事務所がこぞって押しかけたという噂も信じられる。

 今や彼女は国民的な人気を誇る操縦手ダンサーだ。


 まあ、彼女は特別だとしても、マスカレイドに出場すればメディアで顔と名前が売れる。


 大抵の人の目には触れるし、名前を言えば顔が思い浮かぶくらいにはなる。


 だから必ずあいつの目にも触れるはずだ。

 なんだったらメディアの前で言ってもいい。


 トンボ、俺はここにいるぞって。


 そして再会できたらあの日のことを謝るんだ。


 言えなくてごめん。待たせてすまなかったって。


 そのためにはまずバトルドレスの免許を取得して、国内大会を総ナメするくらいのことはしなくてはいけない。


 不可能ではない。

 秋津瑞穂がそれを証明した。


 マスカレイドは毎年十二月に行われる。

 国内選考が終わるのは九月だ。


 四月の入学からわずか半年で並み居る強豪を下して出場権を勝ち取らなければならない。

 つまづいている暇はない。


 今年度に操縦手ダンサー候補生として秋津島学園に入学するのはわずか十八名。


 これだけ少ないのは適性検査によって一定の数値を出さなければ、操縦手ダンサー候補生として入学試験を受けることもできないからだ。


 必要な値は一千。


 これを突破できるのはおよそ一万人に一人と言われている。


 もちろん適性があれば強いということにはならない。

 適性値は強さではない。


 だが才能を測る目安にはなる。


 現実としてマスカレイドに出てくるダンサーは三千を超えているのが当たり前だと言われている。


 では俺の適性値は?


 正直に言えば自信は無かった。


 適性値を測るシミュレーターに乗り込んだ時は心臓がうるさいほどに高鳴っていた。


 手も膝も震えていた。


 でも面白いもので、画面中央に30:00と表示された瞬間、すっと心が落ち着いた。


 あ、ゲームと一緒なんだなって思った。


 もちろんこいつはゲームアプリじゃない。


 カウントダウンという文字がエフェクトとともに左右から流れてくることもなかった。


 カウントダウンの開始を教えるカウントダウンが始まって、そいつが00:00になった瞬間、イグニッションスイッチを押す。


 一万人の内、九九九九人が落とされる適性検査が始まったことすら意識からぶっ飛んだ。


 ゲームのチュートリアルのようなステージを指示に従って次々と攻略していく。


 次へ! 次へ! 次へ!


 検査が終わった時はしまったと思った。


 全力で楽しんでいただけで、適性検査攻略サイトに書かれているような適性値を上げるための小技なんかを実践するのを完全に忘れていた。


 これはゲームではない。

 適性検査なのだ。

 場合によってはお行儀の良い行動が求められる。と、攻略サイトには書いてあった。


 嘘だったね。


 間違いなくそう断言できる。


 何故なら画面に表示された俺の適性値は10384だったからだ。


 慌てたのは俺ではなく、適性検査場のスタッフの方だった。


 俺は五桁とかあるんだな。


 ちゃんと表示されるようになってるんだ。

 なんて感心していた。


 再検査が行われるべきか大人たちが話し合い、なんか偉い人のところまで話が行って、結局再検査は行われなかった。


 適性値がギリギリ届かなかった場合に再検査を求められても受け入れないのだから、逆の場合も同じであるべき、ということのようだった。


 もちろんシミュレーターの故障じゃないかどうかは徹底的にチェックされた上での判断だ。


 俺は特待生の扱いで秋津島学園への入学が決まった。


 入学試験は免除、学費も免除だ。


 家族は泣いて喜んだ。

 貧乏だからね。


 だが特別な扱いを受けるということは、結果を出さなければならないということでもある。


 俺がマスカレイドへの出場にこだわるもうひとつの理由がこれだ。


 秋津瑞穂という前例があるため、俺への期待値は上がっている。


 彼女ですら適性値は五千に届かないという噂だ。


 一万を超える俺はマスカレイドで好成績を残すことが求められている。


 そしてそのためには優秀なチームメイトを集める必要があった。


 当然のことながらバトルダンスは一人で戦えるわけではない。


 操縦するのは自分一人でも、それを支えるスタッフが必要だ。


 秋津島学園では操縦手ダンサー一人に対し、同学年のサポーターを三人までつけられる。


 そうやって組んだチームで学内戦を戦い順位を争うことになる。


 基本は操縦手ダンサー通信士オペレーター整備士メカニック開発者エンジニアの構成だ。


 新入生が学内戦に参加できるようになるのは五月からだから、入学後一ヶ月足らずでチームを組む必要がある。


 だから悠長なことは言っていられない。


 すでに学内SNSではチームメイトを求めるやり取りが活発に行われている。


 チームメンバーはいつでも自由に変更できる。


 学内戦の順位はあくまで操縦手ダンサーの順位であり、チームメンバーが入れ替わっても、それを理由に順位が変動することはない。


 だからとりあえずのお試しでチームを組もうとする新入生が多い。


 だが俺にお試しの時間はない。


 どんなに遅くとも八月の国内選抜戦には出場しなくてはならない。


 学外戦に参加するには学内戦で十二位以内アンダーティーンに入っている必要があり、七月になると夏休みに入ることを考えると、実質二ヶ月しかない。


 最初から最高のメンバーを集めて、スタードダッシュを決めるしか、今年のマスカレイドに出場する方法はないのだ。


 だがその最高のメンバーを見極める方法が分からない。


 カリキュラムが始まり、成績が付けば、誰が優秀なのはハッキリする。


 しかし入学式前の段階で分かることは、それぞれが学内SNSで発信している自己紹介だけだ。


 もちろん中学時の成績を書いている人は少なくない。


 だが中学までの学業成績がサポーターとしての能力を表しているかと言えば、そうではないだろう。


 俺が欲しいのはお勉強のできる仲間ではない。

 戦う時に背中を預けられる仲間なのだ。


「やっぱり本人を見てみる必要があるよな」


 とりあえずで人を集める方法はある。


 SNSの自己紹介欄に自分の適性値を書けばいいのだ。


 信じるか信じないかはあるだろうが、有象無象が集まってくるだろう。


 その中から取捨選択する方法もある。


 だがあんまり賢いやり方だとは思えず、結局は止めておいた。


 例えば一度断った相手が優秀だと知れたらどうする?

 やっぱり仲間に入ってくれって勧誘したところで心証は最悪だろう。


 それよりも自分の目を信じたかった。

 その本人を見て判断したかった。


 こいつなら! と思える誰かがきっといるはずだ。


「うん。部屋に閉じこもっていても仕方ない」


 入学式を翌日に控えた日曜日ということもあり、校舎は新入生に開放されている。


 あらかじめ学内を散策しておくのは意味がありそうだったし、同じように考えた新入生は他にもいるに違いない。


 俺は制服に着替えて部屋を後にした。




 秋津島学園は東京湾に浮かぶ浮遊人工島だ。


 その広大な敷地のほぼすべてを学園の施設が占めている。


 一番場所を取っているのがいくつもあるバトルアリーナだろう。


 音速を超えた速度で戦闘を行うバトルドレス用のアリーナは、一面ですら野球場より遙かに広い。


 それが十二面、校舎を取り囲むように整備されている。


 学内戦は基本的には自分よりひとつ順位が高い相手に挑戦状を叩きつけることで成立する。


 別にもっと上位者に挑んでもいいのだが、その場合は上位者に拒否権がある。


 逆に言えばひとつ下の順位からの挑戦からは逃げられない。


 挑戦は週に一度だけと決まっていて、勝つと相手の順位に割り込める。


 十二面ものバトルアリーナがあるのは、いつ学内戦が行われても対応できるようにだ。


 PAでアリーナの予約状況を確認すると、もうすぐ学内戦が行われることが分かった。

 それも学内順位二位が一位に挑戦する頂上決定戦だ。


 こんな面白そうなものを見過ごすところだったなんて!


 俺は学内を運行する路面電車トラムに飛び乗る。


 学園島はめちゃくちゃに広い上、中央に向けて盛り上がった形状をしているので、トラムを乗りこなすのは必須技能だ。


 トラムを乗り継いで、学内戦が行われる四番アリーナへと到着する。


 開始時間直前だというのに人はまばらだ。


 理由はおおよそ察しがつく。

 だって勝ち負けの決まっている勝負なんて見ても面白くないだろ?


 チームメイトを探すという使命も忘れ、俺はPAと相談しながら一番いい席を押さえるためにアリーナ内を歩く。


 狙いは学内一位の開始位置の背後の席にした。


 戦いの全容を掴むより、一位がどんな風に動くのか近くから見たかったのだ。


 PAに席への道案内を頼み、地図に目を落としながら足早に歩いていた。

 のが災いした。


 正面から歩いてくる誰かに気付くのが遅れたのだ。

 ほとんどぶつかりかけて、慌てて足を止める。


「おっと、ごめん……なさい?」


 語尾がおかしくなったのは許していただきたい。


 誰だって俺と同じ立場に立たされたらそうなるはずだ。


 目の前、まさにぶつかる寸前のそこにあったのは、今まさに頭の中を占めていた学内一位、マスカレイドへの出場経験もある――、


「秋津瑞穂――」


 そう呟いた途端ギロリと睨まれる。


 綺麗な顔をしているものだから迫力が凄い。


 機嫌はすこぶる悪いようだった。


 それもそうかも知れない。

 学内一位の彼女にしてみれば学内戦というのはリスクでしかない。


 一万回に一回の負けも無いとしても、いやそれならばなおさら、彼女にとってもう学内で学ぶことが無いのだとすれば、学内戦は彼女にとって全く無為な時間でしかないのだろう。


「先輩、だろ。新入生」


「入学式は明日なので」


 悪い癖で反射的に答えてしまう。

 秋津瑞穂を逆撫でしたのではないかと恐る恐るその表情を確認すると、何故か彼女は毒気を抜かれたような顔をしていた。


「なるほど、一理ある」


 それだけではなく彼女はわずかに微笑みさえ浮かべて見せた。


「それはそれとして、きみだけ私の名前を知っているというのは不公平だな?」


三津崎青羽みつみさきあおばです」


「みつみさきあおば? 漢字は?」


「数字の三に、津波の津、みさきの崎に、青い羽で青羽です」


「へぇ、綺麗な名前だ。青い羽、ね。ご両親のどちらかが昆虫が好きだとか?」


「いえ、父が漁師で、水難救助のための募金を青い羽募金というのですが、そこからだと思います」


「なるほど、知らなかったよ。勉強になった。それで青羽くん、きみはいつまで私の進路を妨害し続けるのかな?」


 咄嗟に飛び退いて謝ろうかと思った。彼女にはそれだけの凄みがあった。


 そうさせるだけの背景を彼女は持っている。


 だが俺はそれを飲み込んだ。


 俺を見つめるその瞳を真正面から見つめ返す。


 マスカレイドに出場すると決めている以上、彼女は先輩である前にライバルだ。

 いずれ倒さなくてはならない相手だ。

 今ここで頭を垂れれば、そこで序列が決まってしまう。


「そちらこそ、俺の進路を妨害していやしませんか?」


 学内戦は順位を超えて挑戦ができるが、上位者が受けなければ成立しない。

 基本的に上位者にはメリットが無いバトルだ。

 成立するにはそれ相応の理由が必要になる。


 例えば上位者が下位者を完膚なきまでに叩き潰したいというような。


「――?」


 美しい瞳が細められる。

 整った眉根が寄った。


 怒っているというよりは、困惑したような表情。


 こいつは何を言っているんだ? と、心の声が聞こえた気がした。


「すぐに学内一位から引きずり下ろしてやる。黙って道を譲るのはそっちのほうだ」


 ハッキリと口にする。引き返せなくなるその言葉を。


 問題ない。

 始めから引き返すつもりなんて無いからな。

 マスカレイドへと続く道で、俺は一度でも躓くわけにはいかない。


 さあ、怒れよ。秋津瑞穂。

 俺の挑戦を受け入れろ。


 あんたを倒すのが最短の近道だ。


 秋津瑞穂はしばらく呆けたような顔で俺を見つめていたが、やがてくつくつと笑い出した。


「今年の新入生は生きが良いな。よかろう。五月一日、一年生に学内戦が解禁されるその日だ。私を退屈させてくれるなよ」


 肩を叩かれ、そのままぐいと押し退けられる。


 女性の細腕とは思えない力強さだった。


 為す術もなく俺は道を譲らされる。


「学内一位で待っている」


 そう言い残して彼女は真っ直ぐに去っていった。


 試合がどうなったかって?


 そんなの語るまでも無いだろう。

 彼女は言ったことを守った。

 それが結果だ。

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