プロローグ 2

                    2105年8月21日(金)東京都港区

                                  児童公園



「ああっ、ちくしょう、やられた」


 俺はYOU LOSEと表示されたパーソナルアシスタントPAを空に向かって掲げた。強く足を踏みならすと、ばちゃんと海水が撥ねた。


「最後のはちょっとヒヤリとしたよ」


 同じベンチの隣に座った少年が前歯の抜けた歯を見せて笑う。


 俺たちは本当のバトルダンスで戦っていたわけではない。


 それをモチーフにした対戦型のゲームアプリで遊んでいただけだ。


 とは言え、このゲームは遠隔操作の遅延まで織り込まれた本格的なものだ。


 当然操作はPA用に簡略化されているが、本物の操縦手ダンサーがシミュレーターを使えないときに勘が鈍らないようにこのゲームを利用するという噂もある。


 トンボは自分のPAをベンチに置くと、立ち上がり両手を挙げて伸びをした。

 その足首までが海水に浸かっている。


 いつの間にか潮が満ち始めていた。

 満潮時にはベンチの座面より少し上まで海面が上がってくるので、座ってのんびりというわけにはいかない。


 俺もトンボの隣に立って背中を伸ばした。


「よく避けられたよな。タイミングは完璧だったのに」


「あそこから一発逆転を狙うならマテリアルブレードしかないだろ。そしてブルーは左手の武装を内側から外側に振る癖があるからね」


「あの一瞬でそこまで判断できるのかよ……」


 気持ちいいまでの完敗だった。


 トンボは夏休みに入ってからこの公園で出会った友達で、俺が教えるまでこのゲームのことを知らなかった。


 だから経験で言えば俺のほうがよほどある。

 にも関わらず、俺が操作を教えてやらないといけなかったのは最初の数日のことで、すぐに俺と対等に戦えるようになり、今ではこの様だ。


 実を言えば俺はトンボの本名も、年齢も、通っている学校も知らない。


 だけど会話の中からなんとなく小学生なのだろうなとは思っていた。


 俺はまだ小学校にも行っていない幼稚園児だったが、トンボの話にはそれとなく合わせていたから、トンボは俺も小学生だと思っているかもしれない。


 俺がブルーで、彼がトンボなのは、最初にここで出会ったとき名前を聞かれて、自分の名前の英語読みがブルーウイングなのだと知ったばっかりだった俺が得意げにブルーだと答えたからだ。


 彼はすぐに機転を利かせてトンボと名乗った。まあ、もしかしたら本名なのかも知れないけれども。


「ブルー、上」


 トンボに言われて太陽の燦々と輝く空を見上げると、飛行機雲が空を横切っていくところだった。


 この距離でははっきりとは見えないが、飛行機雲と言いながらそれはどうやら飛行機ではなかった。


「バトルドレスだ」


 それはおそらくは四機で編成された自衛隊のバトルドレス小隊だった。


 日本でもバトルダンスは行われているので、日本にあるバトルドレスが自衛隊のものと限ってはいないのだが、実際に日本の空を飛んでいるとなると、それはほぼ間違いなく自衛隊のものだ。


「いいなあ。乗ってみたいなあ」


 思わず俺の口からそんな言葉が零れ落ちる。


 トンボが肩を竦めた。


「自衛隊を目指すのかい?」


「プロ操縦手ダンサーかな」


 自衛隊の操縦手ダンサーと、実業団に所属、あるいはスポンサーを自ら集めてなるプロ操縦手ダンサーでは、後者のほうが圧倒的に数が少ない。


 だがこの時代の少年の夢と言えば、世界大会マスカレイドで華麗に活躍するプロ操縦手ダンサーだ。


「夢があっていいね」


「そういうトンボは? 目指さないのか? こんなに才能あるのに」


「ブルーがなるなら、なってもいいかなあ」


 そう言ってトンボは相好を崩す。


「ブルーよりは上に立てそうだし?」


「言ったな。もう一勝負だ!」


 それは何気ない夏休みの一幕。


 水没し、遷都が決まってもまだ東京が首都だった頃の話。


 満潮時刻が近づくまで俺たちはゲームの対戦で盛り上がった。


 やがてトンボのPAがアラームを鳴らす。それは彼の門限を示す合図だった。


「おう、もうこんな時間か。じゃあ、また明日な、ブルー」


「ああ、また明日」


 俺たちは手を振って別れる。


 また明日。


 だが俺はその約束が果たされることはないと知っていた。


 上がり続ける海面から逃げるために俺の家族は明日引っ越すことが決まっていた。


 前から決まっていた。


 ずっと伝えようと思っていた。


 だが勇気が出なかったのだ。


 どうしても言い出せなかった。


 PAで連絡先を交換すれば、それだけで繋がっていられるはずだった。

 だけどトンボは自分からは連絡先を交換しようとは言ってこなかったし、俺もそうだった。


 公園だけの友達。

 そんな関係がなんだか気に入っていたのだ。


 だからそれを壊すことがどうしてもできなかった。


 ああ、言い訳だ。


 俺は終わりを認められなかったのだ。

 告げるのが怖かっただけだ。

 ごめんと言い出せなかっただけなのだ。


 結局俺はあいつを傷つけたに違いない。

 親友はあの沈みかけた公園で俺が来るのをずっと待っていたに違いないのだ。


 待てよ、俺。

 振り返れよ。

 今ならまだ間に合う。


 走っていってあいつを捕まえて、言うんだ。


 俺は引っ越すけど、この公園にはもう来られないけど、俺たちはずっと友だちだって。PA出して、お互いを登録して、たったそれだけのことだろう!


 手を伸ばして――、


 そして目が覚めた。


 伸ばした手は白い天井に向けられている。


 握りしめても、何も掴み取ることはできなかった。

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