第5話 骨肉相色(コツニクソウショク)

カイガ・ソウ組対シエン組の勝負が決まって数時間後、全ての授業が終わり生徒たちはいつもなら寮に帰る者、研究室や部活動に行く者と散り散りになっていくのだが、今日は皆模擬戦が行われる闘技場へと向かう。

本来、定期試験や学校の大きな行事でしか使われない一〇〇〇人収容できる闘技場にどんどんと人が集まり始める。

その様子を見て慌てて控室に戻るソウは息を切らせながらカイガに迫る。


「どどどどどうすんの! どうすんの! どうすんの!?」

「ふむ……この絵に欲しい色が足りないな。どうしたものか」


はあはあと息を切らせているソウが見えないかのようにカイガは絵を描いていた。

のんびりと絵を描いているのがソウにとっては腹立たしい。

目の前の戦闘に頭を悩ませているどころか、絵の色遣いで悩んでいるのだ。


「ど、う、し、て! カイガは今、絵を描いてるのかなあ!?」

「時間が勿体ないからな」

「こんな隙間時間で描いた作品なのにうまいなあ!」


カイガの描いた絵をみながらソウは憎々し気に呟く。相変わらずの素晴らしい絵にソウは諦めたように溜息を吐き、控室の椅子に深く座る。


「……カイガ。なんでそこまでボクにこだわるのさ」

「君が欲しいからだ」


カイガはキャンバスに筆を走らせながら答える。その答えを聞いて、ソウは顔を真っ赤にさせ眉間に皺を寄せたまま立ち上がる。


「ほしっ……あああああのねえ、ボクは!」

「深い青。悲しみだな。そして、怒り、ほの暗い殺意」


カイガの言葉がソウに聞こえた瞬間、ふわりとソウの額に筆が触れる感触がした。

呆然としながらソウは自らの額に触れる。微かな筆の跡を感じるソウ。


「……!」

「その色が欲しい」


自分の芯が冷えていくのをソウは感じた。いや、急激に冷やされていく。

カイガの言葉でひやりと自分の心臓に刃が当たった気がした。


「……そんな色はないよ」


ソウが絞り出すようにそれだけを言うと、カイガはじいっと、ソウの瞳を覗き込む。

目を逸らすことができず、その真っ黒な瞳に自分が吸い込まれていく錯覚に襲われる。

ぱちりとカイガが瞬きをした瞬間、はっとソウは我に返り、ぶんぶんと空色の髪を振り回す。

その様を見てカイガはまたキャンバスに筆を滑らせていく。


「まあ、人にはイロイロあるのだろう」

「まあ、あまりプライベートに踏み込むのはよくありませんよ」

「……なんで、カグヤ様が普通にこちらの控室にいらっしゃるんですか!?」


 控室の隅に勝手に作られたカフェのような一角。

 魔法か誰もが見惚れどこでも注目を浴びる絶世の美女であるにも関わらず全く気配を感じなかった。普段であれば、その魔法の技術に感嘆するソウだったが、あまりにも豪勢なカフェコーナーに思わず叫んでしまう。その大声に顔を顰める事もなくカップから口を放し、口周りを一拭きすると、カグヤは笑う。


「まあ、忠告しに伺ったというのに」

「忠告?」

「シエン側は、自身の従者である元傭兵に参加させるつもりの様です。金と権力で無理やり転校生ということにしてしまいました★」

「はぁあああああああああああ!?」


 再びソウの叫びが控室から溢れ廊下を歩く人々を驚かせる。まるでそれを心地よい音楽のように微笑みカップに口をつけるカグヤと絵を描き続けるカイガ。


「過去の実績で言えば、七傑レベルと言えるでしょう。歴戦の猛者ということですから経験を踏まえればそれ以上かもしれません」

「そんな……」

「加えて、シエンさんは性格的には獣そのものですが、実力は七傑に入れずとも、それなりの実力はありますよ」


 カグヤの淡々とした口調が情報により具体的な輪郭を与え、ソウはきゅっと唇を噛む。

 そして、何度かちらちらとカイガを見て天を仰ぐ。


「ボクは……棄権すべきだと思う」

「ほう、何故?」


 カイガは決して絵から目を放すことなくソウに問いかける。


「何故って……戦うべきじゃない! 相手は、元傭兵と学園内でも上位なんだよ!」

「勝てないとは言わないのだな?」

「……!」

「いや、言えないか。言えばそこで途絶えるから」


 まっくろな瞳にソウがうつる。

 黒の中に閉じ込められたソウはじっと見ていた。自分自身を、じっと。


「君は、どこまで……?」

「まあ、イロイロだ。それより、君にいいハナシがある」


 カイガは絵筆を置きかりと古傷を掻いて笑った。


「い、いい話?」

「もし、君が力を貸してくれたなら、力を貸そう」

「……は?」


 ソウがきょとんとした表情を浮かべると、カイガは呆れたようにため息を吐き、再びキャンバスに筆を走らせる。薄い灰色が青の上に浮かび輪郭をぼやかしていく。


「なに、5,6枚も絵を売れば大金が手に入るぞ」


 ちらと絵に目をやったソウはくらりと頭が揺れるのを感じ、ぶんぶんと首を振る。

 カイガの絵の評判は知っている。5,6枚も貰えたら2,30年は働かずにすむ。家を買い、奴隷を雇えば、何もしなくてすむ。


「私も買いたいです!」


 カフェコーナーでびしっと手を挙げるカグヤ。確かにカグヤであれば、確実に金も手に入る上に、力やつながりも手に入る。ソウは喉を鳴らし、再びカイガの絵を見る。赤が奔る。深い深い赤でまるで血のような赤が洪水のように自分の血管に流れ込んでくる気がした。どくんどくんと自分の身体が真っ赤な血を抑えようと暴れる。

 自分ではおさえきれないほどの衝動を塗りつぶしたのは、黒だった。

 真っ黒な点が赤に落とされた。


 それだけで、絵が変わる。


 そして、ソウ自身さえも。


 目の前の黒は、ソウを塗りつぶそうとしているのかじっと見ている。じっとじっと見ている。


「君の望みが叶うかもしれない」

「……それを叶えて君に何の得がある?」


 黒。


 揺るぎのない。深みも濃さも何もない。ただの黒。

 だからこそ、黒。

 黒の口には赤があった。それは真実か嘘か。だが、確実にソウをかき乱す言葉を吐く口と舌の色。


「まあ、イロイロさ」


 ソウは空色髪を乱暴に掻き、カイガに指を突き付ける。


「……分かった! 分かったよ! ただし」


 ソウは見つめる。ただ、見つめる。


「嘘を吐いたら、ボクを裏切ったら、許さないからな」


カイガはソウの頬を筆でなぞる。ソウは微動だにせずじっとカイガを見つめる。


「良い黒だ。約束しよう。君の願いをかなえる」


 絵の中では赤から落ちた黒が青と互いに喰らいあい混じり、濁った海を作り出した。

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