第3話 一色即発(イッショクソクハツ)
「おい! 聞いているのか!? ソウ!!」
魔法研究棟の渡り廊下ということで人通りも少なくない場所で遠慮なく声を荒げる男にソウは苦笑いを、カイガは虚ろな目を向ける。
「ご、ごめん、シエン」
「シエン様、だろうが! 雑魚がよお!」
シエンと呼ばれた生徒は、パンを持ったまま慌てて駆け寄るソウからパンを一つ乱暴にひったくるとソウを蹴り飛ばした。ソウは抱えたパンのせいで手が付けず床に尻もちをつき痛みに顔をゆがめる。
「痛……!」
「ったくよお! 序列200位の雑魚でも出来るような簡単な仕事にしてやったのに、テメエはよお……!」
腹の上にパンを乗せ床に寝ころぶソウを見て満足したのかシエンの苛立ちの声に嘲笑が混じり始める。後ろにいた生徒たちもシエンと同じような小馬鹿にした笑みを浮かべながらソウの腹の上に置かれたパンをとっていく。
「あの、このパンは……?」
ソウがこぼれて床に落ちたパンたちを指さすと、シエンは髪をかき上げ吐き捨てる。
「床に転がってるもんなんて食えるかよ。テメエが食え」
「あ、あはは。分かったよ。ありがとう。あの、それで、パンのお金は……?」
「時間切れだ。こっちが待ちくたびれてわざわざ来てやったんだ。しかも、魔法研究棟なんて通りやがって、探すのに手間取った。本来なら俺たちの心の健康を害した慰謝料もお前に払ってもらいたいくらいだぜ」
恐らく探すのに手間取ったのは、後ろで息を切らし、頬を腫らしている取り巻きの一人だろうとソウは思ったが、口に出せば最後自分も同じ顔になってしまうと口をつぐみ俯く。
「では、パンの金は代わりに払おう。いくらだ、ソウ=ハヤカワ」
しゃがれた声が、ソウの真上から落ちてくる。見上げるとそこには影が差すことでより土気色が増した顔があった。
「おい、絵描き。テメエはすっこんでろ」
視界にカイガを捉えたシエンは先程までの上機嫌を霧散させ、眉間に深い皺を刻んでいる。
カイガはそんなシエンをじろりと見ると、口を開いた。
「神はもっと人間の耳を大きく描くべきだったな。うすぼやけた紫、今の質問はソウ=ハヤカワに言ったものだ。無駄な問答を省くために金を出そうと言っているのに、混じってくるな」
うすぼやけた紫こと、シエンはカイガの言葉に青筋を震わせながら自身の右手から紫の炎を作り出した。
「ま、待ってよ! シエン! 攻撃魔法を学園内で使う気か!? 校則違反……」
「やかましい! どこの家の出かも分からねえ、絵で媚びる事しか出来ない絵描きに、ペリデュール家が馬鹿にされたんだぞ! 黙ってられるか!!」
必死で止めようとするソウの声を遮り、シエンが紫の長髪を振り乱し叫ぶ。
が、カイガは白けた顔でシエンを見ていた。
「おい、神は君の脳をしっかり描きこまなかったのか? 家についてなど一言も言っていない。ソウ=ハヤカワに比べ、考えも色も浅い男だ」
火に油。
正しくその言葉通りにシエンの手の中の紫の炎が燃え盛っていく。シエンの顔にはいくつもの青筋が浮かびぶるぶると震えている。
「おいぃ、絵描きぃ……何故、ソウに比べて浅いと断言できる……?」
「まあ……イロイロだ」
ぶちり。
そんな音がシエンから、ソウには聞こえた気がした。
「適当なこと言ってんじゃねぇぞお! 絵描きぃいいい!」
真っ赤な顔のシエンが叫ぶと、炎とそれに伴った熱風が吹き始め、場は騒然となる。
「シエン! 落ち着いて! 校則違反だ! いくら君でも、シエン!」
「様をつけろ! 雑魚ソウがよぉお! 俺を誰だと思ってる。国内でも有数の上級貴族ペリデュール家だぞ!」
シエンが水色の制服に付けていたマントを翻し、描かれた家の紋章を見せつけるとカイガは鼻で笑う。
「過去の栄光に縋る色あせた紋章だな」
ソウは脂汗を垂らしながら慌ててカイガの腕を掴む。
「カイガ! 煽らないで!」
「ふむ、ソウ。何故こんな深みのない男に付き従っている?」
シエンはそのやり取りを聞きながら拳をわなわなと震わせ、手のひらの上に浮かんだ火球はどんどん膨れ上がる。取り巻きの生徒たちは悲鳴を上げながら廊下の端へと逃げていく。
「ソウが俺に従う理由はたった一つ! そいつが雑魚だからに決まっているだろうが! 序列200位、下から数えた方が早い雑魚だ。この学園は魔法の強さで決められる序列が全て。俺は序列20位なんだよ! 覚えておけ! 馬鹿絵描き!」
「……君には聞いていないんだが? だが、いや、そうか。順位が重要というなら、君もソウもこちらに従わねばならないな。では、紫の君、ソウを手離し、こちらに寄越せ」
「はあ!? カイガ! 君も何言ってるの!」
カイガの言葉に慌ててソウが喰ってかかる。その様子にカイガはそのぎょろりとした目の間に皺を寄せ、首をかしげた。
「ん? 君もうすぼやけた紫も脳のかきこみが足りないな。それがこの学園のルールなのだろう? であれば、20位のアレより【七傑】のこちらが上だ。黙って従え」
目を白黒させるソウとは別にその後ろで顔も眼も真っ赤に染まったシエンが怒りを通り越して笑っていた。
「もう、殺す」
シエンの手から火球が離れようとし、ソウとカイガがぴくりと動いたその瞬間。
ぱあん!
水風船が割れるように火球が弾け、光の粒子となってふわりと空気に混じり消えていく。
「ごきげんよう」
甘い蜜を耳に流し込まれるような蠱惑的な声がソウ達の脳を揺らした。
ソウとシエンがぼうっとした様子で振り向くと、そこには金髪の美しい少女が立っていた。
「この騒動はなんでしょうか。この生徒会長であるカグヤ=ツキノミヤに教えて下さいませんか?」
ニコリと笑うカグヤ生徒会長だったが、その背中に怒り狂う金の獅子がソウにいは見えた気がした。
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