不覚

銅座 陽助

第1話


 「俺、妖怪を見たんです」

 まじめ腐った顔でそう言ってのけたのは、同僚の林だった。取り敢えずで頼んだビールの一杯目を、乾杯の音頭を済ますと同時に飲み干してしまって、急に何を言い出すのかと思えばそんな内容である。


「このご時世に妖怪たぁ、大したものじゃないですか? え?」

 バカにした態度を隠す様子もなく、向かいの席の宇津保は言った。飲みの席で出た荒唐無稽な体験談を、頭からまるっと信じ込むような人間なんてまず居ないのだから、彼がそういった感想を持つのも致し方ないことだった。


 そんな彼の言い方が頭に来たのか、林もやや不満げにした様子で言い返す。

 「いや、でも、見たものは見たんですよ」

 仮にもそういうので食ってる身なんだから、言い方ってもんがあるでしょう。と付け加えつつも、とにかく林は妖怪を見たという。


 妙に頑ななものだから、宇津保も少し興味が湧いたらしい。口に運んでいた串焼きを皿の上に戻して、林のほうに身を乗り出す。

 「そんなに見たって言うんなら聞かせてもらおうじゃないですか。何を見たんだい。のっぺらぼう? 一反木綿? それとも猫又?」

 アルコールでほんのり赤らんだ顔に笑みを浮かべながらそう尋ねる宇津保に対して、林は遭遇した時の様子を思い出したのか、顔を青白くして答える。

 「サトリですよ」


 さとり。心を読む妖怪。山に出て人を惑わすという、色黒長毛の獣。そんな名前を聞いて、宇津保はすこしきょとんとした後、わははと声を上げて笑う。

 「サトリってあんた、ありゃあ野猿かなにかじゃないの。山にでも行ったのかい」

 宇津保がそう聞けば、林は町で見たという。どうにも仕事が終わって、帰りにコンビニでも寄って帰ろうかと歩いているときに、向かいから歩いてきたらしい。


 「それでそのサトリが言うんですよ。『あんた今逃げようとしたね』って」

 声までおどろおどろしく演じて言うので、宇津保は思わず噴き出した。どうもこの宇津保は酒が入ると笑い上戸の気があるようで、さっきからしきりにぐるぐると面白がっている様子である。


 「林さんねぇ、あんた、そりゃあ町中で毛むくじゃらの化け物を見かけりゃ、そう思うのは当然でしょうよ。占い師の『コールド・リーディング』ってやつさね」

 宇津保がそう言うと、林は

 「毛むくじゃらの化け物? いやあ、宇津保さん、そりゃあ違いますよ。姿はほとんど人間でしたよ。そんな様子のが心を言い当てて来たんです」

 「毛むくじゃらじゃないってんなら、どうしてそれがサトリだってわかったんだい。まさか適当なこと言う占い師の事をサトリだって言ってるんじゃないだろうね」


 宇津保が止めていた手を再び動かし始めて、皿上の串焼きがみるみる減っていく。店名からして焼き鳥を押し出していた居酒屋だが、自信に違わぬ味であったらしく、取り合う暇もなくあっという間に空っぽになってしまう。


 林はそれを見てすこし残念そうな顔をして、追加の串を何本か頼んだ。残っていた枝豆を口に放り込んで、まだ冷たいビールで流し込んだあと再び話し始めた。

 「そりゃあ、急に言い当ててきたくらいじゃあサトリだなんだって言いませんよ。針小棒大はこの仕事の常ですが、原稿書くでもないのにそこまで言いません」

 「それじゃあなんでだい。その相手をサトリだって断じた理由は」

 林はそう聞かれて、よくぞ聞いてくださいましたと言わんばかりに、顔を輝かせながら言った。

 「そりゃあもちろん、本人が名乗ったんですよ」


 そう答える林に、宇津保は心底不可解そうな顔をして、その心中はほとんど見下したまである様子だった。

 話を聞く限りではどうも正体が掴めない。宇津保は林が変な幻覚を見たか、それとも胡散臭い人間に騙されているかのどっちかに違いないと見ていた。


 「あんたね、それだけじゃただの不審者だろう。どうしてそれを信じ込むんだい」

 サトリ証明書でも見せてもらったのかい、と茶化したように宇津保は思う。一方でそろそろ怪しくなってきたと思い始めても居た。

 妖怪だの幽霊だのを扱う雑誌の記者をやっているものだから、むしろそういう存在は居ないという確信を深めていくのが大抵である。正体見たり枯れ尾花とはよく言うが、その通り多くの怪談だの目撃情報だのは、友人間の小さいウソや承認欲求からの妄言、人づてに聞いて尾ひれがついたものというのがよくあるところで、つまり良く調べるほどに作りものだとわかってしまうのである。

 しかし人間というのは恐ろしいもので、心底そういうものを信じ込んでいる輩というのも、取材の中で時々に出会うものだった。そういうのは大抵が精神をやられてしまっている様子で、何かご神体のようなものを一辺倒に信じ込んでいたり、ありもしない化け物を見たと近所一帯に言いふらすような、言葉を選ばず言ってしまえば狂人の類である。

 妄言だと断じて切り捨てることは容易でも、彼らはだいたいが自分の世界というか、現代人のよくある程度よりも余程強靭な世界観を持っているものだから、面白そうだからと何の気なしに交流していたりすると、逆にこちらが呑み込まれてしまいそうになるのである。その上、彼らからすればこちらは珍しく親身に話を聞いてくれる理解者のようなものだから、ある程度距離を取っておかないと向こうからずいずいと依存しに来るのである。

 林はどうも人脈作りが苦手な様子で、新しいネタが無いときに取り敢えずで知古のそういう人らに連絡を取っていたようだったから、林が遂に呑まれてしまったに違いないと、宇津保は思った。


 どうして自己申告を信じるんだ、という宇津保の問いに対して、林は半ば自慢げに、もう半分は恐ろしげに答える。

 「俺だってね、一度や二度言い当てられたくらいじゃ信じませんよ。そのサトリさんとは良く会うんです。夜道を歩いているとふらふら~って。それでその度にいくらか言い当てられるんですよ」


 宇津保は天を仰ぎたい気分だった。妙な輩というよりも、これは林のストーカーか、そうでなければ彼の精神が異常をきたしているかのどちらかに違いなかった。

取り敢えず、警告だけはしておこう。そう思って口を開きかけて、一音目を出そうとした瞬間に、また林が話し始めてしまう。宇津保は口を噤まざるを得なかった。

 「いやあね、正直僕も怖いんですよ。そんなぽこぽこ言い当てられるなんて」

 「何回か僕も追いかけようとしたんですよ? その矢先に姿をくらますんです」

 「捕まえようとした途端に察して逃げるだなんて、益々サトリ的じゃないですか」

 「こういう仕事をしている身ですし、ネタになりそうだなと思っていないと言えば嘘になりますけどね」

 「町に現れる神出鬼没の怪人、サトリ! その正体に迫る!」

 「ね? 一本書けそうでしょ? なんならこの後取材に行きません?」


 林にそうまで言われれば、宇津保も首を縦に振らざるを得ない。サトリなる相手の素性がどうであれ、林だけでは何かあった時に使い物になりそうもない。ストーカーやらの怪しい人間が正体なら警察に引き渡して、そうでなくても林の目を覚まさせるには自分が関わったほうが良いに違いなかった。

 追加注文分の焼き鳥をまとめて頬張って、もう温くなってしまったビールで流し込む。何かあった時のために、あんまり酔っぱらっていない方が都合がいい。まだ飲み食いするつもりだったらしい林を尻目に、宇津保は素早く席を立った。


 「サ、トリあえず行きましょうや、サトリだけにね」

 上手いこと言ったと自画自賛の宇津保に対して、スベってるよとも言い出せない林は渋々酒を飲み干して、席を立つ。


 「はいはい。大将、お勘定お願いします。三人分ね」

 林と宇津保と私は、連れ立って店を出る。

 

 当然というべきか、林の言う「サトリ」は姿を現さなかった。

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不覚 銅座 陽助 @suishitai_D

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