第20話 魔法の国の事件と結末
「退屈! ですわー!」
ベッド上で半身を起こし憤慨するアニエス。
ここに王国史上最大の事件は終わった。
王族の暗殺。王位の簒奪。貴族の大量殺人。
これらは全て未遂で終わり。
あの夜から二週間経った。
アニエスは衛生省が運営している王立治療院の王族専用個室に入院している。ナイフで刺された腹の傷はフロノスの力で治っているが、それ以外にも裏ダルクから受けた傷もあり、絶対安静を王から言い渡されていた。
しかしどれもこれもアニエスからすれば軽症であり、元気が有り余ってすぐにでも病室から抜け出そうとするが、そこはそれ、すぐにフロノスに捕獲されるので今日もベッドで不満を叫んでいるのだった。
あの後の話だが。
ダルクから黒い妖精が生み出されなくなった次の朝には黒い妖精は霧散しており、意識不明であった王族、貴族は次々と目を覚ました。連綿と血統をつなぎ、存在力を高め続けてきた王族、貴族は流石にその回復力も平民とは桁違いであり、黒い妖精さえいなくなり、意識を取り戻すとすぐに動けるようになっていた。
だが、その段階ではまだ事件の犯人がアニエスという事になっていた。しかし目を覚ました貴族の中にはダルク派の人間たちも多数いて、裏切られ、自分達の命まで奪われかけた事実と、それを救ってくれたフロノスに司法取引という名の脅迫を受け、今回の事件の犯行はダルク・フォン・ローレライが主導で行われたと多くの人間が証言した。
薬をアニエスに渡したと証言したエイド・サードも事件の結果を聞き、潮目の変化を敏感に感じ取ったのか、薬を引き渡したのはアニエスではなく、ダルクであるとあっという間に証言を覆した。
これが偽証罪となり、さらに罪が増すという事実はあえてエイド本人には秘された。
フロノスの手によってあっという間にアニエスは容疑者から被害者へと変化した。
しかしこの段階ではまだ被害者だ。
ここからさらに一段アニエスの立場は上がる。
フロノスは入院中でアニエスが不在なのを良い事に、今回の事件解決の功労を全てアニエスのモノとした。まあ実際にアニエスの功績で事件は解決したのだが、フロノスが盛りに盛った結果、なんだか救国の聖女みたいな話になっていた。
この話は国民にまで広く喧伝され、事件の一週間後には、妖精探偵社、ひいてはアニエス・フォン・ローレライの人気は鰻登りの天井知らずの状態となっていた。
そこからさらに一週間経過した現在はアニエスの冒険譚として書籍化する話まで進んでいるらしい。
しかし。
そんな事は病床のアニエスは知らない。あえてフロノスが情報をカットしているからで、それは王や王太子からの指示でもあった。
何も知らないアニエスはそばにひかえているフロノスへ不満をたれる。
「ねえ、フロー! そろそろ私もみんなに会いに行きたい! ですわ!」
ぷうと可愛らしい頬が片方だけ綺麗に膨らんでいる。
フロノスがその頬を押すとこれまた可愛らしい音を伴って口から空気が漏れる。
そしてアニエスの質問には答えず無言を貫くのであった。
「にゃあ! 無表情、無言で遊ぶのはやめるですわ!」
シャー、と金色の毛が膨らむ。
その姿を見て、仕方ない無言で誤魔化す事を諦めたフロノスが渋々と口を開いた。
「と言ってもしょうがないじゃないか、お嬢」
「何もしょうがなくないですわ! さっさと退院させるですわ!」
「王の命令だから無理だぞ。流石の俺でも王命には逆らえないだろう?」
フロノスは嘘をついている。
アニエスのためなら王命など軽く無視してなかった事にするまでやるのがこの男なのだが。
流石にアニエスもそこまでとは思っていないから返す言葉に困る。
「むう! 父上も過保護ですわ! 私はもう元気いっぱいではちきれんばかりなのに! ですわ!」
憤慨しながら布団を両手でパンパンと叩く。
「ま、こっから抜け出したかったら王になって王命を覆すしかないんだから諦めろ」
そう言って軽くアニエスの柔らかな金色に触れた。大体これでおさまる。
しかし今日は違ったらしい。その頭がぐいっと動いてフロノスを見つめてからニンマリと笑う。
「うぃ! じゃあ私は王になるですわー! ここから抜け出せるなら王にだってなるですわー」
「お、そうか。じゃあ王とサムにそう伝えとくわ」
「フローがバカな事言ってるですわー。そんな簡単に王になるならダルクは……」
冗談から駒。自分で言っておいてあれだが。王になりたいと言って王になれる。そんな事があるワケない。だがそんな話を本気で画策した弟。ダルクの存在を思い出し、アニエスの金色ふわふわの髪は一瞬で萎んだ。この国の価値観に振り回され、その価値観を変えるべくもがき、やり方を間違ってしまった。
弟。
アニエスのお姉ちゃんパワーが泣いていた。
「ダルクだって王になれた、ですわ」
「なれねえよ。普通のルートでダルクがこの国の王になるのはどうやっても無理だった。だから、やり方を間違えたのさ。お嬢とは違ったんだよ」
「……もっと話をしてあげればよかった、ですわ」
「お嬢がそう思うなら、退院したら見舞いに行って、いっぱい話しかけてやったら良いだろ?」
「そう、ですわ。そうすればダルクも起きるかもしれないですわ!」
今回の事件の全ての元凶。
ローレライ魔法王国第四王子、ダルク・フォン・ローレライは意識不明の状態で憲兵管轄である保安局治療院に入院していた。初めはアニエスと同じく王立治療院のベッドで寝かされていたのだが、事件の解明が進む内にこの事件の首謀者である事が白日の元に晒され、扱いが王族から犯罪者へと変化する過程で、転院して行ったのだった。
「ああ、いっぱい話かけてやるといい。お嬢の声ならきっとすぐに目覚めるだろうさ。俺ならすぐに目覚める」
「えー? フローは私が起こす前に起きててくれないとダメですわー!」
「なんでだよ。お嬢は俺は起こしてくれないのか?」
「起こさないですわー。フローは私を起こす役割ですわー。フローが起こしてくれないと私は起きないですわー。永遠にお布団とぎゅうっとしてるですわー」
「嘘つけよ。ほっとくと勝手に起きてそこらへんに一人で出かけてるくせによ。それを見つけるのにどれだけ俺が苦労している事か……」
苦労している。と言いながら嬉しそうなフロノス。
「そんな事しないですわー。フローのチュウでないと起きないですわー。ほれほれー」
ふざけてほっぺを差し出すアニエス。
フロノスは呆れたように小さく息を吐いた後、何かを思いついたように小さく口角を上げた。
「あーフローがおはようのチュウをしてくれないからお布団に囚われてしまうですわー。助けて、ですわー」
なおもふざけているアニエスはアホな事を言いながら、布団を手繰り寄せ、大げさに体へと巻きつけている。
「あーわかったわかった。わかったから一回止まれ、お嬢。ほれ、ほっぺ出せ」
「うぃ」
金毛の可愛い生き物は素直にピタリと動きを止めた。
そのままフロノスの言葉に従い、可愛らしい桜色のほっぺを差し出している。
いつもならそのまま頬へと優しい口づけが落とされるのだが、今日はそうならない。フロノスはその頬を両手でぐいっと挟み、むにゅっとつぶれたその顔を正面から軽く上向ける。
虹色の瞳と灰色の瞳が合わさり、虹には戸惑いが、灰には覚悟が、浮かぶ。
なにしてるですわ!
そう言うためにほころびかけたアニエスのくちびる。
しかしその花は開く事はない。
フロノスが開かせる事はない。
くちびるに。
くちびるを。
捧げる。
ふたりのくちびるが触れ合い。
おたがいがその柔らかさを否応なく実感し堪能する。
時間にして一秒程度でフロノスは覆いかぶさるようになっていた体を起こす。
くちびるも当然離れるが、その離れ際もお互いが離れる事を拒むように、くちびる同士で引き合いながら二人の距離により無理やり分かたれた。
くちびるは素直であるが。
本体は違う。
「にゃ! は? にゃ! は、は?」
アニエスの息は一気に浅く荒くなる。
あまりの衝撃に認識が追いついていなかった。
ほっぺやおでこへのキスは今まで幾度となく受けてきた。
優しい気持ちになるその感触。暖かで。緩やかで。朗らかで。あった。
だけど今は違った。
熱くて。柔らかくて。溶けるようで。乱暴なようで。
それでも離れられなくなった。
あまりの多幸感に脳の理解が追いついてこない。
なんならくちびる本体の方がその幸せを確実に理解しているまであった。
そんなアニエスを見てフロノスは微笑む。
「お嬢」
「ふろ、フロー、これは、なん、なん?」
言語不全を起こしている。
「キスだ」
「キス!? いいい、いつもと違う、ですわ」
「ああ、そりゃそうだ。これは恋人のキスだ」
「恋人!」
「おう、今まで俺はお嬢の保護者を気取ってきた。お嬢の魔法を使えなくしたっていう負い目もあるし、ずっとそばで守り続けていこうと思ってた。それだけでいいと思っていた」
「う、うぃ。嬉しいですわ」
「だけどな、今回の件でそれはやめた。お嬢が死にかけているのを見てやめる事にした。お嬢を失うかもしれないって事がどれだけ俺にとって辛いか痛感した。俺はお嬢に恋して物質界にやってきたんだよ。お嬢を俺のものにするために受肉したんだよ。お嬢の恋人に、お嬢の夫になるために来たんだ。それを思い出してな。これからはそうする事にした。俺はもっと自分の欲に忠実に生きる」
「い、いきなり、ですわ。やめないでほしいですわ。退職はもう少し早く告知してほしいですわ」
あまりの混乱にワケのわからない事を言い出すアニエス。
「ああ、大丈夫だ。やめたって言ってもお嬢のそばにはずっといるさ。やる事は変わらん。これは俺の覚悟の問題だ。ん? いややる事は変わるかな? やる事はやっていくからな」
「やる事? 覚悟、の話? わからん、ですわぁ……はぁ……もう、よくわからん、ですわー」
大事なので二回言ってみました。
未経験だった恋人のキスから始まった情報の嵐にすでにアニエスの脳はパンクしている。情報の処理でパンクするとは探偵の癖に情けないと思わないでもないが。しかし無理もないかもしれない。アニエスにとって初めての恋人のキスであった。
「よくわからなくても大丈夫だ。これから俺がきちんとわからせてやるから」
そう言って微笑む顔は妖艶。
黒と灰と白で構成されているフロノスのはずだが、なぜか色めいて見えるほどの魅力であった。
そんなフロノスの顔がなぜか再び徐々に近づいてくる。
「にゃ! やめるですわ! その顔! なんだか息が荒くなって胸がドキドキして落ち着かないですわ!」
近づいてくるフロノスの顔を止めるように伸ばした両方の手は、とてもスムーズにフロノスの手に絡められて、両手とも恋人繋ぎで囚われた。そしてそのままその手を押されるようにして体はベッドへと押し倒された。
ベッドに倒れたアニエスの顔は真っ赤に染まり、鼻からは息がふうふうと荒く漏れている。
「大丈夫。ドキドキしていいんだよ。それが正しい」
優しく見つめるフロノスの声が柔らかく耳に降り注ぐ。
「正しい、と言われても、よくわからん、ですわ。そして、ふろ、フロー! 顔が近い、ですわー」
その心地よさはむず痒く思わず拒否して逃げたくなる。
しかし妖精からは逃げられない。
「近くてもいいんだよ、近づいてるんだから。お嬢も覚悟してくれ。お嬢は俺から逃げられないし、逃がさない」
「そうは言っても! 逃げたい、ですわ! にゃあ! 近い! 近いですわ!」
「絶対に……逃がさない。お嬢、目を閉じて……」
「んにゃぁ……」
二人の瞼が閉じて。
二人の顔が重なり。
二人のくちびるが惹きあう。
金色の少女にも見える女性は純白の寝台に横たわり、その上に黒と灰と白の艶かしい男が護るように奪うように重なっている。その姿はまるで絵画のように美しかった。
アニエスは見事わからされた。
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