第21話 魔法の国の責任と退位

「父上、お久しぶりですわー!」


 ここは王宮、謁見室。


 父と母と弟と義妹がアニエスとフロノスを微笑ましく見ている。


 事件から一月後。

 フロノスの献身的?な介護のお陰で、アニエスのうれしはずかしな成長痛を伴う精神的な成長以外はなんの問題もなく退院の日取りとなった。

 そもそも入院段階で治っていた腹の怪我以外は特に大きな怪我などなかったのだから一月入院する必要もなかったし、そもそも入院する必要もなかった。

 しかし王と王妃の命によりアニエスは入院させられており、その間外に出ないようにするためにフロノスが付けられていたのだった。


 そして今は謁見の間にアニエスとフロノスは並び立っている。


 王座にはアニエスの両親である王と王妃が座っており、アニエスを見てニコニコと笑っている。王太子とその妃であるサラムとハリエットは玉座の脇には控えておらず、アニエスたちが立っている場所の横あたりに二人で立っており、こちらもまたニコニコと笑っていた。

 普段はもっと多くの王侯貴族や警備の憲兵が並んでいるはずの謁見の間にはこの六人しかいない。


 しかも皆無言でニコニコと微笑んでいる。

 そんな一種異様な状態にアニエスは不安を覚え、小声でフロノスに問いかけた。


「フロー、なんかみんなが変ですわ」


「ん? そうか? いつも通りだと思うぞ」


「えー。絶対違うですわー。なんだかみんなニコニコしてるですわ!」


「お嬢が可愛くて仕方ないんだろ?」


「そんなでニコニコするのはフローだけですわ! 怪しいですわ。何かフローは隠しているですわ?」


「いや、何も知らねえよ。俺がお嬢に隠し事なんてするワケないんだよなー」


「にゃ! これは嘘ついてる時のフローですわ! 嘘ついて私にチュウする時は大体その顔ですわ!」


「それはお嬢だって嬉しいだから別に良くね?」


「むう、それはそうなん……って違うですわ! 父上と母上の話ですわ!」


「それに関してはまあ待ってれば話があるんじゃねえか? 素直に待ってろよ。ほれ、王が喋り出そうとタイミングを見てるぞ。てか俺らの話が続いてるから口を開けないんだよ。お嬢、何ならそのお口、いまこの場所で俺が直々に閉じてやろうか?」


 ニヤリと艶めいた怪しい笑顔でアニエスに視線を流す。その視線を受けたアニエスは電撃に打たれたようにピッと背筋を伸ばして前を向き、その口を瞬時に閉じた。


 同時に謁見の間には王の咳払いがわざとらしく響く。


「さて、儂が話しても良いかね?」


「もちろんですわー!」


 姿勢正しくにっこりと笑って答えるアニエス。

 親の前で恋人のチュウされるのに比べればどんな事も些事である。


「あー、二人の仲は儂らも公認であるが、結婚までは節度を持つように頼むぞ?」


 その言葉と鋭い王の視線は真っ直ぐとフロノスに向かっている。ここにいる人間は国家の転覆を未然に防いだのがフロノスだという事も理解している。可愛いアニエスと結婚する事も了承している。しかし眼前で可愛い娘がイチャイチャしている姿を見せられては流石に親として釘を刺さざるを得ない。


「ええ、重々承知しております。大事なアニエス殿下の心も体も全て私が守ります故、どうぞご安心を」


「そういうおぬしが一番安心できないんだがな……」


 ふう、とため息をつく王。その姿は王であれども親であった。


「そんな事より、陛下。今回の本題をお願いいたします。お嬢が待ちくたびれておりますので」


「ぬう、まあそうじゃな。アニーよ。今回ここに呼んだのは他でもない。今回の事件の後始末の話だ」


「うぃ! 事件解決ですわー!」


 張り切って参りましょう! とばかりに諸手を挙げている。


「うむ、そうじゃな。アニーとそこの男のお陰で我らの命は助かり、奇跡的に誰の命も失われる事はなかった」


「フローのおかげですわー」


「謙遜のできるアニーは本当に可愛いのう。そんな可愛いアニーのお陰でこれで事件は解決した。だがな、国家としてはまだ終わっていないのだよ」


「えー未解決事件、ですわ?」


 フロノスに水をさされた時と同様にしょんぼりとする。


「そうだな。まだ未解決だ。国家としては今回の件で誰も責任を取らなければ解決という扱いにはならないんだよ。誰かがこの責任をとらなければならない」


「責任、ですわ?」


 知らない子ですわ?といった顔である。アニエスの中で事件とは被害者と加害者と依頼と結果と罪と罰でできている。事件に責任などは聞いた事がない。

 そして今回の事件に関してはダルクは既に罰を受けたと思っている。


「ああ、責任とはいうが……まあ、簡単に言って仕舞えば誰が原因だったかという話だな。実際に加害者となったのはダルクだが、ダルクがそれを起こすに至った原因を作った人間もいて、その人間も責任を取らねばならないのだよ。今回の事件は誰が悪くて起こった物かわかるか? アニー」


 王は優しく問いかける。

 アニエスはその問いに一瞬考えるように首を傾げてからすぐに答えた。


「んー? 誰も悪くない、ですわ。ボタンのかけ違いで起きたですわ。事件は大体いつもボタンのかけ違いですわ。だから仕方ないですわ」


「そうだな。問題や事件はいつもボタンのかけ違いだ。少しのズレを、少しの違いを、見ないふりして放っておくうちに、そのズレは傷に変わって、その違いは分断を生み出す」


「うぃ、そこから大体事件が生まれてるですわー」


「そうだな。今回は国家的規模でそれが起きた。そして、国家におけるズレや違いを産まないようにするのは、王の役割だ」


「そう、ですわ?」


「ああ、そうだ。だがそれが儂にはできていなかった。その結果が今回の事件だ。危うく儂は国だけでなく家族までも不幸にする所だった。今回の件、本当はアニーが生まれた時に対処しておくべきズレだったのだ。それを儂は見てみないフリをした。アニーが生き残ったという事だけで満足してしまったのだ。すまん」


 王は静かに頭を下げた。


「にゃ! 父上が謝る事ではないのですわ! それに父上が悪いわけじゃないですわー。人には限界がある事を私は知ってるですわ! 私にはできない事がいっぱいあるけれど、助けてくれる人がいっぱいいるから何とかなってるですわ!」


「そうだな。儂にとってそれを期待するのがサラムだったワケだが、サラムもサラムで今回に限ってはそれができていなかった」


 王の視線がチラリとサラムへ移る。

 その先にいるサラムも己を恥じるように眉をしかめ手を強く握る。その手には隣にいるハリエットの柔らかい手が添えられている。


「むう! 父上! サラムは意地悪はするけど立派な弟ですわ!」


 お姉ちゃんは弟の悪口には我慢できません。声に怒気がこもる。

 そんな姉にサラムの顰められた眉は少しだけ緩んだ。


「もちろんもちろん、サラムは立派な王太子で、自慢の息子だ。だがな、儂もサラムも今回は失敗した。それはわかるな?」


 王ももちろんサラムを批判しているわけではなく。

 ただ今回の事実を羅列しているだけ、という認識であった。


「うぃー、怒ってごめんですわ。確かに今回は父上も、サラムも失敗したですわー。でもでも! 人はみんな間違えるし、失敗もするですわ。私もこの間フローにやりすぎて失敗したですわ。でも反省して次からは少しだけ優しくしようと思ってるですわ。間違えたら直せばいいんですわ」


「アニーは偉いな。そう、間違えたら修正すればいいのだよ」


「うぃ」


 褒められて満足げな顔である。


「だから今回の事件で儂とサラムの間違いを直そうと思う。そのためにはアニーの協力が必要不可欠なんだよ。手伝ってくれるかい、アニー?」


「もっちろん! ですわ! なんだって協力するですわ!」


 一瞬の逡巡もなく即答するアニエス。

 薄い胸を叩いた。

 その言葉と態度に、アニエス以外のこの場所にいる人間の全てがしてやったりと笑った。


「そうかそうか。アニーはなんだって協力してくれるか……聞いたなサラム?」


「ええ、しっかりと言質をとって魔道具におさえました」


 そう言ったサラムの手にはシルフィお手製の録音魔道具がつままれていた。それを指先で軽く潰す。するとカチッと音がして、さっきのアニエスの言葉が再生された。


「にゃ!? どういう事、ですわ?」


「さて、アニー。本題じゃがな、今回の事件の責任をとって儂は王位から退こうと思っておる。もちろん王妃も一緒にな」


 そう言って横にいる王妃に向けた視線は退位の話をしているとは思えないほど穏やかな視線であった。


「なん、なんなん? ですわ! てことはサラムが王になるですわ? だからここにいるですわ!?」


「いや、違うな。サラムも王太子として事件を未然に防げなかった責任をとって廃太子となる」


「にゃ! ほんとにどういう事ですわ?! サラム、ハリーちゃん! それでいいのですわ?」


 横に控えていたサラムとハリエットは微笑みながら無言でうなずいた。

 その表情にはなんの翳りもない。


「もちろんサラムやハリエット嬢とはこの一ヶ月何度も話し合ったさ。その上での結論、その上での責任の取り方だ。儂も王妃も、サラムもハリエット嬢も全員がそれがいいだろうという判断だ。もちろんシルフィやノーマンも賛成している」


「知らぬは私だけ! ですわ!?」


「そうだな。聞けば断るだろうからな。して、ここからがアニーに協力してもらう事なんだが聞いてくれるか?」


「う、うぃ。聞くだけ、ですわ」


「いやいや、何でも協力してくれるとアニーは言ったからな。絶対に協力してもらう」


「ち、父上ぇ? 何だか私は怖い、ですわ」


「ははは、なんにも怖がる事はないぞ、アニー。隣にいるフロノスも了承済みだからな」


「フロー!?」


 お前も裏切り者か! と隣にいる色の少ない男を睨みつけるが、フロノスは無言で前を向いてアニエスに視線を向ける事はない。

 ああ、これはいつものヤツである。

 そう、アニエスは理解した。シルフィの抱擁なんかと同じヤツである。アニエスが嫌がるのはわかっているが、それ自体はアニエスにとって良い事を、確固たる信念でアニエスに押し付ける、いつものアレである。


 アニエスは諦めたように金毛を萎ませた。


「……聞く、ですわ」


「さすがアニー、覚悟の切り替えが上手だな」


「うぃ、フローがこうなってるって事はきっと必要な事、ですわ……そして逃げたらダメな所ですわ」


「信頼しているんだな」


「うぃ……」


「アニー、それなら、きっと大丈夫だ、何があっても大丈夫だよ」


「もう、そういうのいいから、早く言ってほしいですわー」


 不貞腐れ気味ではあるが、渋々受け入れる気になったアニエスの姿を見て。

 王は音もなく玉座から立ち上がった。

 それと同時に王妃も立ち上がり、二人は一段高くなった玉座のある位置から階段を降り、そのままアニエスの前まで歩いてきた。そこまで終始無言であり、その異様さは先ほどまでとは段違いであった。

 アニエスもすっかりその空気感にのまれ、フロノスに状況を確認する余裕もなかった。

 言うなればこれも王族の威厳なのだろう。王と王妃は王族の役目を果たすために、いまアニエスの目の前に立っている。

 ひと月ぶりに間近で見た両親は思いのほか年をとっている。

 などとぼんやり考えながらも、覚悟を決めたアニエスはイマイチ何が起こっているかわかっていないが、全てを受け入れる覚悟でその場から微動だにしなかった。


 王は無言でアニエスを見つめている。

 いつもの父の顔ではなく。ローレライ魔法王国の高潔な王の顔をしている。

 ただアニエスの目を見つめ、一言も発する事ない。

 そうした少しの時間の後、王は自らの頭頂に輝く冠に手をかけた。

 サイズがやけに緩くなっており、すんなりと王冠は王の頭から外れた。


 そしてそれをそのままアニエスの金色の髪の上に乗せる。それは魔法の力でアニエスの頭の形に即座にフィットした。これすなわち王の器である証左であった。王冠にはこのローレライ魔法王国の王として足るだけの精神的高潔さが備わっているかを測る魔法がかかっているのであった。


 それを見た王は確信を以って頷き。

 威厳ある声で高らかに宣言する。


「第一王女アニエス! 今日から其方がローレライ魔法王国の女王になる! 横にいる王配、フロノス・ディアスティ改め、フロノス・フォン・ローレライと共に! 国家に繁栄を! 国民に安寧を! その高潔なる意志でもたらすのだ!」


 声がとまり、ふうと息がもれ。

 それと同時に謁見の間の空気も緩んだ。


 アニエスは正気に戻った。


「は、無理」


 ですわを語尾につけ忘れている。


「アニー、無理が無理なのだ。その王冠を被った段階で既にアニーが王なのだよ」


 にっこりと笑う前王。


「無理無理無理無理! 絶対に無理、ですわ!」


 あまりの混乱に金毛を逆立て変な踊りを踊り出すアニエス。

 それでも王冠は頭にフィットして外れる事はない。


「お嬢、無理無理踊りを踊っても頭のそれは外れないし、お嬢が女王になった事実は変わらんぞ」


 横からフロノスが残酷な事実を突きつけてくる。


「フロー! 何で!?」


 自分を王にするなどという暴挙をフロノスが受け入れたのか。

 そう問うていた。


「お嬢が王にふさわしいと思ったからだな」


 目線が逸れる。


「あ、うそついてるですわ」


 その動作にも見覚えがある。


「アニー、そこの男はアニーとの結婚を許したらあっさりと王の実務を引き受けたぞ」


「やっぱりですわ!」


 あっさりと暴露された王とフロノスの密約。


「ま、いいじゃねえか。長い人生だ、一回くらい王になってもいけるいける」


「いやですわ! 無理ですわ! フローも! 父上も! 嫌いになるですわ!」


 完全に駄々っ子状態の女王アニエス。

 前王もフロノスも予想はしていたが、思いのほか激しい抵抗に、さてどうしたものかと思案していると。

 そこへ。

 無言を貫いていた前王妃がアニエスの前にススっと進み出た。


 ハードになっていく無理無理踊り中のアニエスの肩に手を置いた。

 そして無言で諭すように娘を見つめる。

 そんな柔らかく暖かい母の優しい視線に少しアニエスは落ち着いた。


「母上ぇ……王なんて嫌ですわ……」


「アニー、なにがそんなに嫌なの? 母上に教えてくれるかしら? 素直な貴女が、覚悟を決めた貴女が、そこまで嫌がるには何か大きな理由があるでしょう?」


 そう言ってアニエスの肩に置いてあった手を背中に回して優しく抱きしめる。

 久しぶりの母の抱擁は記憶の中よりも暖かかった。子供の頃、貴族に蔑まれて泣いた夜には公務で多忙にも関わらず泣き疲れて寝付くまでこうやって抱きしめてくれていた。


 感触と匂いと熱で。


 思い出が蘇る。


 気づくとアニエスの目からは涙が溢れていた。


 涙と一緒に気持ちが溢れ出る。


「王なんて、私が王なんて……ダルク、ダルクに……」


「ダルクがどうしたの?」


「ダルクに申し訳ないですわー」


 涙に塗れたアニエスのたどたどしい言葉を要約するとこうであった。


 アニエスは王になる気などなかった。そんな覚悟もなかった。国の事なんてなにも考えた事がなかった。ただ目の前にきた困った人たちを助ける事だけに注力していた。それだけに一生懸命だった。

 でもダルクは違った。

 王族として。この国の問題に向き合っていた。きっと真正面から向かい合いすぎたのだろう。何度自分の無力に心を折りかけたのだろうか。何度この国の闇に打ちひしがれたのだろうか。

 それの繰り返しで、やり方を間違えて犯罪者となってしまったが、それもこの国の事を心から考えた結果だったとアニエスは考えている。反面、自分はなにも考えていない。考えた事もなかった。


 ただの無能王女だ。


「そんな私が王になんてなったらダルクに申し訳ないですわー!」


「アニー、それは違うわ」


 アニエスの耳元で母の優しい声が響く。


「違う、ですわ? 違わない、ですわ。ダルクはずっと国を憂えていたですわ!」


「ええ、ダルはそうね。違わないわ。でもアニー、貴女に関しては違うわ」


「私、ですわ?」


「そう、貴女が国の事を考えていなかったって言うのは間違い。貴女はずっと国の事を考えていたわ。特に妖精探偵社を開いてからは」


「……依頼を受けてただけ、ですわ」


「ええ、そうね。みんな、の依頼を受けていたわ」


「うぃ」


「貴女は貴族平民の区別なく平等に依頼を受けていたわ。それは案外難しい事なのよ。平民がやっていたら貴族はそこに行かないし、貴族がやっていたらそこに平民は行かないわ。でも無能と言われた貴女は幼い頃から街に出て国民の様子を見ていたでしょう? 平民に疎まれても、貴族に蔑まれても、それは変わらなかった。結果、みんなから感謝されて、みんなから愛された」


「うぃ、私は国のみんなが好きなんですわ」


「それが大事よ。貴女は国民を愛している。無条件に国民を愛しているの。国家というのはつまり国民なのよ。王はなくても国はあるけど、民なくして国はないの。つまり、貴女はずっと国を愛して国の事を考え続けてきたのよ。この国の誰よりもね。それが王の器よ」


「そう、ですわ?」


「そうよ。国民はアニーが大好きだし、アニーは国民が大好きでしょう? さっきアニーは言ったわね、アニーを助けてくれる人間がいっぱいいるから探偵をやっていけているって」


「うぃ」


「貴女が王になれば国家レベルでそれが起こるの」


「ほんと、ですわー?」


「ええ、貴女はみんなに愛されているもの。国からも、家族からも、隣にいる男からも、ね」


 そう言って前王妃は笑った。


「うぃ! じゃあやったらんですわー!」


 王妃の抱擁に元気を取り戻したアニエスの金色の髪は過去一の大きさに膨らみ、王冠を覆い隠すほどであった。


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