第18話 魔法の国の光と闇

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    表

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 黒い妖精は夜に増す。


 なぜか。


 あれらは光から生まれる。

 正確には。

 ダルクが闇の中で光り輝くと、そこには深い闇ができる。

 その深い闇。

 そこから黒い妖精は生まれる。

 普通の闇からは生まれない。

 ダルクが光り輝いた分だけその闇は深くなり。そしてその深くなった闇は一種のブラックホールと化していて、そこに吸い込まれた妖精が全て黒い妖精となって生まれかわる。

 この王都には妖精が溢れかえっている。


 いまだに死なない王族に苛立ったダルクは毒から目覚めてまだ調子がでないという理由で、日が落ちた段階で早々部屋に篭り黒い妖精を生み出し続けていた。

 不自然に発光している事に関しては光魔法で家族の復帰を祈っているという事にしている。一人だけ意識が戻ったのも光魔法が理由だと憲兵たちには説明してある。


 実際は正反対の祈り。

 王族の死を願う祈りなのだが、外見からは誰にもその差はわからない。


 敬虔な祈りを今も捧げている。

 国内でも特定の二人以外は誰にもそう見える。

 その二人のうち片方は牢の中。片方は行方不明だが所詮流れ者の平民だ。

 王侯貴族の死を願う祈りなどとは誰にもわからないだろう。


 祈る。


 そのある種、敬虔な祈りは無事に天に届き、今も部屋を埋め尽くすように黒い妖精が生み出され、溢れたそれは甘い蜜のような匂いのする王族の元へと嬉々として飛んでいく。


 順調だった。


 しかし。


 その祈りを邪魔するように扉が静かに開いた。


 バレないように開けたのだろうが。


 わかる。しっかりと音がしてるから。


 誰にも部屋に近づかないようにと。


 誰にも邪魔をしないようにと。


 命令してあったはずなのに。


 この城の支配者、ダルク・フォン・ローレライ。


 その王にも比肩する人間の命令を無視するのが誰か。


 わかっている。


 この真摯な祈りを見られてはいけない人間の内の一人。


 そいつは。


「バレてんだよ! 馬鹿女アアアアァァ!!!」


 扉をそろそろと開けるつもりが普通にガチャリと音を立てて開けた挙句に、まだバレてない可能性にワンチャンをかけて恐る恐ると中を覗きこんでいる金色の髪の女。ドアの隙間から虹色の瞳がダルクを見ている。

 無能の癖になぜか家族にはとても愛される女。

 最近は貴族たちにも見直されてきている馬鹿女。

 この祈りが黒い妖精を生んでいる事を理解できる間抜け女。


「にゃ! びっくりするですわ! バレたですわ!」


 驚きながらもまだ部屋の外から顔の半分だけ覗かせている。

 そんなふざけた態度にダルクの怒りは増す。


「ふざけんな! 最終決戦だろうがよ! 僕とお前の! 王の座をかけた! ガッと入ってこいよ! ガッと!」


「だって……ダルクもお年頃ですわ……いきなり入って発光しながらイヤラシイ事でもしてたら、お姉ちゃん困るですわ。だからはじめに少しだけ覗いて、確認しようと思ったですわー。なんでバレたですわー」


「馬鹿! 馬鹿女! 発光しながらイヤラシイ事って!!! バッカ! バレんだよ、音がしてんだよ! お前みたいな無能は姉じゃねえよ! ふざけんな!」


「えー? イヤラシイ事、してない、ですわ?」


「してるわけねえだろうが! 状況! 状況をわかってんのかよ!? 王族が全員死にかけてんだよ! そんな状況でどうやって光りながらイヤラシイ事すんだよ! 祈ってんだよ! 見てわかんだろうが!」


「えー光っててよくわかんないですわー」


「僕が光ってようがなんだろうが、お前には妖精が見えんだろうが! じゃあこれ見て全部理解できるだろうが! そこまで無能か!」


「無能だけど、わかる、ですわー」


「じゃあ! サクッと入ってこいよ! こいつらでサクッとヤってやるから! 己の罪を悔いて自殺したって事にしてやっから!」


「えーいやですわー。まだフローが来てないですわー。フローが来たら入るですわー。ここで待ち合わせしたんだけど、見てないですわ?」


「見てねえよ! なんだよ! じゃあ馬鹿女のフライングかよ! クソが! もういいや! 先にお前だけ死ね!」


 ダルクの光の手がアニエスへと振り払われた。

 それに従うように生まれたばかりの黒い妖精が大挙してアニエスへと向かう。


 それに飲まれれば常に存在力の薄い状態で存在しているアニエスはひとたまりもない。

 あっという間に吸い尽くされて人間としての死にいたる。

 そうなればこのクーデターは完全にダルクの勝利で終了となる。


 しかしそうはならない。

 黒い妖精はアニエスの目前に現れた光の壁に阻まれた。

 突如現れた光の壁はダルクの光と違って虹色に光り輝く。


 虹色は妖精の色。


 黒い妖精を阻んだそれは段々と人の形へ変わり長身の男となる。人の形となった男は手についた黒い妖精を振り払いながら言う。


「フライングは感心しないね、第四王子殿下」


「フロー、来たですわー。久しぶりですわー」


 久しぶりのフロノスの実体にアニエスの金毛は喜びに膨らむ。それから恐る恐るその体に触れて、実際触れる事を確認してから腰に抱きついた。フロノスもまたその金色の髪の柔らかさを味わうように優しく撫でながら。


 二人はダルクの部屋に入った。


 その後ろで部屋の扉が重い音をたてて閉まる。

 同時にカチリと軽い音がした事には誰も気づかない。


 これでこの部屋は三人だけで完結する世界。


 ダルクの望んだ最終決戦の始まり。


「お待たせしました、ダルク殿下。さ、時間もないし、さっさと決着をつけましょうか」


「助手風情が偉そうに! てかフライングしたのはお前の主人だろうが!」


「そこが可愛いんじゃないですか、お嬢は。わかってないですね。というか、なるほど、そうやって黒い妖精を生んでいたんですね。どんなに待っても減らないわけだ」


「わかってんなら大人しく二人で死ねよ」


 そう言ってダルクは光を増した。人の形がわからない程に。光の塊と化し。それと同時に生まれた影の闇は深まる。さらにブラックホールの数は増し、そこから多くの黒い妖精が生み出される。


「ふむ。光が増せば、闇が深まり。そこに妖精を引き込んで、黒い妖精が生まれ、勢いを増す。ある意味、好循環ですね。では俺は助手らしく、それをお手伝いしましょうか」


 フロノスはそう言ってツカツカとダルクに近づき、自分の虹色の光をダルクの光に混ぜ込んだ。

 途端、ダルクの光は輝度を段違いに増し、それに比例して当然黒い妖精は部屋を埋め尽くさんばかりに増えていく。


 敵の思わぬ援護射撃に戸惑いながらもダルクはそれを嘲笑う。


「お前は馬鹿だなぁ! 俺の手助けをしてどうすんだ!? これで確実に王や王妃を殺せる! 罪を馬鹿女になすりつけて俺が王だ!」


 部屋の中で倍増した黒い妖精は当然外へ向かおうとする。


 が。

 外へは出られない。

 黒い潮流は壁にぶつかっては弾けて室内に戻りまた形を作っては外へ出ようとするがかなわない。物質に影響されないはずの妖精が物質の壁に当たっているように見える。

 しかもその現象は壁だけじゃない。

 壁が無理ならと、外の景色が見えている開いた窓から出ようとする黒い妖精にも同様の現象が起こっている。


 ありえないモノを見たように光の塊と化したダルクが蠢き、それを見てフロノスがニヤリと笑う。

 アニエス以外に向ける珍しい笑顔は悪魔の微笑みと言われても違和感のない笑顔だった。


「あれ? 外へと行かせないんですか?」


 フロノスの、黒々しい笑顔と、白々しい言葉。

 もちろん何かしている。


「は? なにしやがった! なんで開いた窓からも外に出れない!」


 そう言って、疑問を確かめるように窓の外の景色に手を伸ばした。

 しかしその手が外の景色に触れる事はない。

 まるでよくできたパントマイムのように見えない壁に触れている。


「この部屋に入ったタイミングでここの空間を外の空間から断絶した。んで、空間が違うから、誰もこの部屋の外には出られない。残念だが、いくらお前が黒い妖精を生み出そうと外へは出られないから、これ以上は外界の黒い妖精は増えない。種明かししてしまえばなんて事ない事だ」


 おどけるように肩をすくめるフロノス。


「なんて事ない!? ふっふ! ふざけんな! そんな意味のわからん力があるか! ならこの黒い妖精で馬鹿女とお前を殺してからゆっくりとやるわ! まずは死ねっ」


 まあダルクの次の一手は当然そうなる。

 ダルクの指示で殺意と化した黒い妖精がアニエスとフロノスに向かった。


 しかし。


「それも無理だな」


 またカチリと音がする。

 その瞬間、部屋中の黒い妖精は、一瞬で透明な妖精になり、アニエス、フロノスに向かっていたうねりもまた霧散した。


「は? 何をした……」


「何って? 黒い妖精の時間をすすめて元の妖精に戻しただけだよ。王都全てに散らばってる黒い妖精の時間をすすめるには難しかったが、空間を隔離された上にまとまってるこの状態だ。余裕だよ」


「時間……空間もだろ? そんな馬鹿な話があるか?」


 虎の子の黒い妖精を一瞬で消されたダルクはいつの間にか光る事をやめていた。


「あるな。お察しかもしれないがね。俺は人間じゃない。俺は時間と空間を司どる妖精だ。向こうでは妖精王だった事もある。お嬢に一目惚れしてこっちに来たからもうやめたけどな。ちなみに元に戻った妖精は全部俺の力になるからな。もうほぼ永久機関だ。こっちの負けはねえよ」


 と、フロノスは余裕な顔をしているが実際には物質界で時間と空間を操るのはとてもリスクが高い。空間は物理的にも断絶する事が可能であり、断絶できるという概念がこの物質界に存在しており、魔法での実現もそこまでリスクは高くない。だが時間は違う。この物質界では時間は進める事も戻す事もできない。物質世界のルールの中でも概念的であり根幹のルールである。そこを操るのはとてもエネルギーが必要となる。

 アニエスがそばにいてその存在力を分け与えてくれるから何とか実現可能だが。

 もうそう何度も使えない。

 しかしその事実をダルクは知り得ない。もちろんアニエスも。


 フロノスはそれを隠し。

 余裕な顔で立つ。


「……なんだよ、それ。……なんで馬鹿女なんかについてんだよ。そんな力、僕のもんであるはずだろうが! 僕の胸の中にいる妖精みたいによう!」


 すがるように自分の胸の辺りを握りしめる。王族らしいフリルのついた服の胸元がぐしゃりと歪む。


「胸の中の妖精?」


「ああそうだよ! 馬鹿女にお前がいるように! 僕には胸の中になんでもヤってくれる妖精がいるんだよ! 闇から光に目覚めた時に来てくれたんだ!」


 ダルクは自分の中に棲む妖精について語る。


 元々のダルクにクーデターなどできない。

 暗い闇の中で他人を恨み嫉み憎み羨み。

 そこから見上げている事しかできなかった。だから何も出来ないのに。誰にも愛されていないのに。誰からも蔑まれているのに。明るさを失わなず。フロノスを従えている。アニエスが嫌いだった。誰よりも憎んでいる。


 それでも闇の底から羨み嫉むしか出来なかった。

 でもそんなある日に生まれた自分だけの妖精。心の中の妖精。

 彼は闇魔法から光魔法を生み出す方法を教えてくれた。気に入らない人間を消す方法を教えてくれた。他人を駒のように操る方法を教えてくれた。

 教えてくれるだけじゃなく。

 実際、それを全て行ってくれた。


 平民を神隠しに見せかけて拉致して労働力にする。

 違法薬物の利権を奪い取って資金を稼いでくれる。

 金と薬を使って貴族の派閥を形成してくれる。

 新薬開発室を裏から操って未知の毒を入手してくれる。

 邪魔な王侯貴族をそれで殺してくれる。


 自分は光り輝いて。

 祈るだけでいい。


 そうすれば道は開ける。


 そんな心の中に棲む。


 自分だけの妖精。


「全部ぼくがボクの体を使ってヤってくれたんだ! だからボクは何もヤってない! でもお前らだけはボクが直接やりたかったんだ! ちょうど良かったよ」


 ここまで一息に言い切って、息を切らしたダルク・フォン・ローレライ。


 その金色だった髪。

 妖精の事を楽しそうに語っている間。

 段々と毛先から黒く染まっていき。

 今はもうすっかりと生まれた時の黒色の髪に変わっていた。


「あー」


 言葉を聞き、それを見て、お察ししました感のフロノス。


「ぼくはボクと同じだ! ボクを全部をわかってくれる。しかも強いぞ! ボクが弱気になった時には励ましてくれるし! ボクが誰よりも王にふさわしいと言ってくれる。ボクが王になるためになんでもやってくれる! あの薬だってボクのために用意してくれた! 今回の下準備も全部ぼくがヤってくれたんだぞ!」


 ワハワハと歪んだ笑顔で嘲笑う。ダルク。

 年相応の子供のようで。

 しかし歪んでひび割れたような。

 笑顔。


 それを見て、ここまでずっと無言を貫いているアニエスは、悲しそうな顔でダルクを見た。

 フロノスはそんなアニエスの気配を察して軽く頭を撫でて、口を開く。


「楽しそうな所、すまんが。言っていいか?」


 そんなダルクに大変申し訳ございませんが感のフロノス。


「なんだ! ビビったのか? もう遅いぞ! お前らは死ぬんだ! もうすぐにぼくがくるぞ」


 フロノスの態度を弱気と判断したのか。

 居丈高に。叫ぶように。笑うように。

 宣言するダルク。


 しかし実態はそうではない。


「お前の胸の中に妖精はいない」


「は?」


 自分の胸の裡を確認するように。

 視線が落ちる。

 そこにあるのは、ボタンがはずれ、歪んだフリルの胸元。


「だから、そこに妖精はいません」


「は? 嘘をつくな! いる! いるもん! なあ! 答えろ! ぼく! 答えろよ!」


 返事は返ってこない。


「な、いないだろ?」


 それを見透かしたように。


「なあ。イマジナリーフレンドって知ってるか?」


「……なんだよそれ!? 今は関係ないだろう! お前黙ってろよ! ぼくの声が聞こえないだろ!」


「関係はあるな。お前の言ってる心の中の妖精がそれだ」


「は」


「お前のいうぼくはお前が心の中で作り出した虚像だよ。だから……存在しない。イマジナリーフレンドは妖精じゃない。妖精は心の中に住まない。そうだな……妖精はお前の生み出した黒い妖精みたいな感じだよ。愛した人間のそばにある存在だ。愛した人の意思で動くが、愛した人の体を動かす事は、ない」


 元妖精王たるフロノス・ディアスティが宣言する。

 これほどの説得力はない。


「ぼくが存在しない? 光魔法を教えてくれたのは彼だ」


「ああ、光と闇の魔法が使えたのは、たまたまだろうな。元々適性があったんだろ? 二属性の妖精に愛されるってのも稀によくあるだろ? きっと闇に目覚めて、迫害されて、自己防衛でイマジナリーフレンドを作ったタイミングで心が前向きになってそれで光の妖精にも愛されたんだろ?」


 それだけの話だ。と肩をすくめて言葉をしめた。


「じゃ、じゃあ……平民を神隠しに見せかけて拉致して労働力にしたのは!?」


「お前がヤったことだ」


「違法薬物の利権を奪い取って資金を稼いでくれたのは!?」


「だから、お前がヤったことだよ」


「金と薬を使って貴族の派閥を形成してくれたのは? 新薬開発室を裏から操って未知の毒を入手してくれたのは?」


「全部、お前がヤった事だよ。大したもんだよな。さすがローレライ王国の王族だ。方向性は違えども優秀だよ」


 ふう、とため息をつく。

 ダルクとフロノス。どちらの息かはわからない。


「じゃあ……邪魔な王侯貴族を……殺してくれた……のは?」


「それも、お前の……ヤった事だよ。お嬢が防いだから、実際に殺しちゃいないがな」


「ボクは何もヤってないわけじゃ……」


 誰に問うているのか。言葉はそこで止まる。


「ねえな……逆だ。全部お前がヤってんだ」


 フロノスの優しさがそれを言葉にする。

 事実が言葉になって刺さる。


 ダルクは。


「あ……ああ……」


 うめき。

 崩れ落ちた。


 光は消え。

 そこにはただ何も生むことのない闇が残った。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

    裏

 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 言葉を失い。

 存在意義を失い。

 罪だけが残ったダルク。


 動かなくなった少年を前にアニエスとフロノスは言葉を失っていた。


 ふと。

 アニエスが外の様子に気づく。

 空間は断絶されているが、景色としては見える窓の外。

 まだ黒い妖精がいる。


 黒い妖精が生み出される事は無くなったが。

 元々いた黒い妖精は消えていない。


 まずい。


「フロー! 外、ですわ! まだ黒い妖精が! いる! ですわ! 早く消さないと! みんなの周りにいる黒い妖精を消さないと! フローの護りがなくなった今は急がないとみんな死んでしまうですわ!」


 アニエスの言葉に。

 外を見て、フロノスも我に返った。


「おう! やっばいな! お嬢にしては珍しく冴えてる! 俺が行かないとやばそうだ! じゃあお嬢、ここは任せるぞ。頼む!」


 フロノスは空間の断絶を解除し、外へと駆け出した。


 部屋にはアニエスとダルクが残された。


 ダルクは小さくうめくだけでうずくまったまま動く事はない。

 アニエスはそれを見ている。お姉ちゃんは弟を心配している。


 むくむくと心の中のお姉ちゃんが鎌首をもたげる。

 でもアニエスはダルクに嫌われている事を知っている。

 姉と呼ばれた事はない。馬鹿女だとかアホ女だとか無能だとかしか言われた事がない。

 それ自体は気にした事はないが。

 そんな自分がお姉ちゃん力を発揮してもいいだろうかという考えから言葉をかけるか迷う。


 少し待って、それでも動く事のないダルクに、アニエスは決心し、お姉ちゃんパワーフル装填のゆっくりとした優しい声をかける。


「……ダルク」


 もちろんダルクは応えない。しかし普段な罵倒が返ってくるはずで。アニエスにとって無視は好感触であった。


 今度は音をたてないようにゆっくりと静かにダルクへと歩みよる。


 うずくまる弟に手を伸ばし。

 触れるべきか、放っておくべきか。

 何度か逡巡した後、意を決したようにその背中に手を置いた。


 優しく背中に触れる。


 その体は小さく震えているがその手を振り払われることはなかった。

 そこでアニエスはお姉ちゃんの勝利を確信した。


「ダルク。大丈夫ですわ。少し間違っただけですわ。だから大丈夫ですわ」


 手の平から伝わる感触が一瞬固くなってすぐに和らぐ。

 うめくように少し背中が震えて声になる。


「……大丈夫じゃないよ。僕は人を殺した。……家族を、殺した」


「まだ殺してないですわ。きっとフローが全部救ってくれるですわ」


 能天気で優しい言葉。


「なんで? ねえ、なんで……あ、姉上はそんな風に生きていられるの?」


「どんな風、ですわ?」


 どんな風かと聞かれたら困る。しかしダルクは正直に答える事にした。


「どんな……って、なんて言うか、馬鹿みたいな感じかな?」


「馬鹿ってなんですわ!?」


 唐突な批判に思わずアニエスの声がひっくり返った。


「だってそうじゃないか。僕の数倍は辛い目にあってるはずなのに、姉上は誰も恨まない。馬鹿にならないと無理だよ」


「そう、ですわ?」


 褒められているのか。

 貶されているのか。

 判断に困る言葉にアニエスは首を傾げた。


「うん。ボクは姉上みたいにできなかった。ねえ。ボクの言い訳、聞いてくれる?」


「いいですわー」


 憎まれ蔑まれ見下される幼少期。王族だから。闇属性だから。性格が暗いから。いろんな理由で貴族の同年代から遠巻きにされた。聞こえてくる声の断片はどれも自分を蔑んでいる言葉に聞こえた。


 それらの言葉や向けられる敵意。


 ボクにはどうにも出来なかった。

 ただ周りを憎むしかなかった。どうしたら良かったんだ。


 貴女はどうしていたんだ。


 とやっと顔を上げたダルクはアニエスの目を見て問う。


 アニエスはいつも通りに、気にしないで生きてきたですわー。と答えた。


 いや、それは知っている。姉上はいつもそう言ってた。

 気にしなければいいですわー。無視が一番ですわー。家族がいるですわー。


 でも無理だよ。ボクは貴女ほど馬鹿じゃない。それが出来たら悩んでないんだ。気にしない事を気にしてしまう。無視する事を意識してそれが態度に出てまた馬鹿にされる。家族だってそうだ。みんな優しい。でもその分、自分の闇が際立つ。いつからかボクはみんなを恨んでいた。


 ごめん。


 そう言ってダルクは上げた顔をまた伏せた。


「なんか馬鹿にされた気がするですわー。けど、でもまあ確かに私とダルクは違うですわ」


「そうだよ。姉上には何よりフロノスがいる」


「確かにそうですわ。フローはいつもそばにいてくれているですわ。一蓮! 托生! ですわ。そう、ですわ。ダルクにもそういう人がいればきっと良かったですわ。いや、今からだって遅くないですわ!」


「今からでもボクにそういう人ができるかな?」


「できるですわ」


「……姉上は探偵、だよね?」


「そうですわ!」


「じゃあ見てくれる? ボクにそういう人ができるかどうか?」


 そう言って上げたダルクの顔には希望がうっすらと見える。


「見る、ですわー」


 普段とは違う。ゆったりとした動作。


 姉モード。お姉ちゃん力全開で。優しい微笑み。目の前にいる末の弟はもちろん悪い事をした。色々な人に迷惑をかけて、命を奪った相手もいる。それは確かに罪。しかし罪は罪。償えばその先には救いはある。きっとダルクの人生はずっと暗いトンネルの中にいるような人生だったのだろう。暗中模索してる最中に穴に堕ちただけなのだ。きっと救われる。お姉ちゃん探偵が救いを見るのだ。


 そんな慈愛を胸に。


 小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。


 左目を閉じて。


 右目を開いて。


 覗いた先には依頼人のダルクがいる。


 それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。

 そこに映るのは依頼人ではない。

 そこに映るのは依頼の結果である。


 アニエスはただその見えた結果を告げる。


「にゃ! 私が血まみれで倒れてるですわー! なんで、ですわー!?」


 自分の観た結果に驚き、依頼結果を見る短筒を右目から離し、左目を開けた。


 同時に。


 自分の腹部が焼けるように熱い事に気づき。


 開けた左目は見る。


 腹部に刺さったナイフと。


 そこからじわりと滲む。


 朱色。


 そこでアニエスの意識は途絶えた。


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