第15話 魔法の国のドレスと招待状

「どれが似合うですわー?」


 王都で一番人気のデザイナー、カークボー・カンタンのショップであるブロードラン本店でアニエスはとても楽しそうにフロノスに問いかける。


 今日は二人でドレスを選びに来ていた。

 普段ドレスを着る事などないアニエスがなぜドレスショップにいるかといえば理由は簡単、パーティに出席するからである。普段、アニエスは滅多な事ではパーティに出席しない。幼い頃は王族の務めとして仕方なしに出席していたが、結局貴族に陰で馬鹿にされたい放題、その挙句の果てにはマナーがどうのこうのと言われ、ろくに料理もケーキも食べる事が出来ず、もうひたすら苦痛になり、ある時を境にパッタリと出席する事をやめた。


 しかし今回は出席しないという選択肢はない。


 何せ愛する弟であるサラム・フォン・ローレライが結婚を発表するパーティだ。


 それだけでも出席を断る理由がないというのに、王太子、サラムが手ずから招待状を妖精探偵社まで持ってきたのだ。妖精探偵社の探偵机の前に立ち、気恥ずかしそうに懐から封筒を取り出し、スッと差し出したサラム。


「これ。姉貴はずっと社交やパーティに参加してなかったからな、絶対出てもらいたいと思ってよ。直接持ってきた」


 こんな事を言われて断れるアニエスお姉ちゃんではない。

 しかも宛先はアニエスとフロノスの連名になっていた。つまりは二人で出て良いという事だ。

 これもアニエスには嬉しい事だった。

 はしゃいだアニエスはサラムに抱きつき、存分にお姉ちゃん力を発揮した。

 後。


 ここでアニエスは気づいた。


 着ていくドレスがない。


 しかしそこは有能な助手フロノスがいる。


 もちろん。フロノスは即座に王都で最も予約の取りにくいと言われるこのドレスショップの予約を最短で申し込んだ。

 王族、貴族であれば普通はデザイナーを呼び出して採寸やデザインをさせて完成品を持って来させる流れでドレスを作成する。

 しかしアニエスはそれをしなかった。

 デザイナーを呼びつけるという行為が通るのは、それだけ彼らに利益を与えてきたからの待遇であるし、長年ドレスなど作った事がなく、平民が着るような服を好んで着ているアニエスはトップブランド、ハイブランドへの寄与などしてきていない。


 ならばこちらが出向くべきだろうと考えた。


 予約の連絡を入れた際にはかなり驚かれたが、理由を告げるとなるほど妖精王女らしいお考えですと納得された。そして今日アニエスとフロノスはドレスデザイナーに直接面会している。


 今はモノは試しとドレスショップに並んでいるドレスから何着か試着し、どんなデザインの方向性が似合うか、色調はどのようなものがいいかを見終わったような状況であった。

 今のアニエスは普段着ている服の色味に近いが、それでいて随所にレースや刺繍がほどこされているドレスに身を包んでいた。それを見ているフロノスの視線はとても優しい。


 そんな二人に、おかっぱ頭、黒いレザージャケット、黒いレザーパンツに身を包んだこざっぱりとした女性が声をかける。


「アニエス王女殿下はお美しいからどのようなドレスでもお似合いですが、やはり普段着られている青と白を基調にされた色味が一番お似合いですね」


 この女性がアニエスのドレスをデザインしてくれるデザイナー、カークボー・カンタンである。

 彼女は王都でも一二を争う人気のデザイナーであり、王侯貴族のドレスから平民の作業着まで幅広く扱う総合アパレルメーカー、ブロードランの社長でもある。


 今回のドレス作成依頼はあまりにも急であったため、てっきり社長のカークボーではなく、弟子の誰かにお願いする形になると考えていたフロノスは彼女の登場に驚いた。


 一番初めにその理由を問うとカークボーはにこやかに笑いながら頷くだけだった。


 何か理由があるという事である。

 そう、フロノスは理解した。だからこの段階では深く聞く事はせずに流れに任せる事にした。


 そこからドレスの試着で小一時間経っている。

 超多忙なカークボーと言われる彼女がここまで付き合ってくれるのはやはり何かあちら側にも用があると言う事でいいだろう。


「で、カークボーさん。そろそろ、そちらの本題も伺いたい所なんだが?」


 対するカークボー。


「あら」


 とだけ言って、拳で口元を隠しながら目だけが曖昧に笑っている。

 話すかどうかまだ決めかねているといった風であろうか。

 ならばとフロノスは決断の後押しを図る。


「お嬢は王族だが、同時に探偵だ。そして俺はその絶対的な助手だ。秘密は必ず守るし、不敬だのなんだの言う事は一切ない。むしろ今回ドレスのデザインを引き受けてくれて感謝している。ドレス作成の間に世間話をされたらその困り事は多分解決できると思うぞ」


 そんなフロノスの言葉に、カークボーの目が笑う事をやめた。

 口から拳を下ろし、ふうと一息つくと、その息に混ざるように言葉が漏れた。


「アニエス王女殿下、それに従者のフロノス殿には全てお見通しなのですね」


「言いたい事が、頼みたい事があるって事くらいしかわからねえよ。ちなみにお嬢は何もわかってないぞ。見てみろご機嫌にお茶請け食べてるだけだ」


 アニエス以外に興味のないフロノスは世辞は不要とばかりに無表情で答える。

 そんなフロノスと対照的にアニエスはニコニコしながらカークボーのデザインロゴが焼印されたお菓子をもぐもぐと嬉しそうに食べていた。

 そんなアニエスを見てカークボーは微笑んでひとつ頷くと口を開いた。


「確かに……今回のデザインをお受けしたのは理由があります。しかし王女殿下は王族ですのでデザインのついでに依頼などしたら不敬となるのではないかと思案しておりました。ですが、フロノス殿の言葉通りお優しい方のようですので、不敬を承知でお願いがあります。よろしいでしょうか?」


 お菓子をはむはむしている王女に、カークボーが覚悟をこめて問いかける。


「うぃ、いいでふわー!」


 返ってくるのはお気楽探偵の返事であった。

 問われたアニエスは一言だけ答えると、焼き菓子を手に取り口に運び、それをもぐもぐと咀嚼し始めた。

 口に入れているのはブロードランオリジナルの焼き菓子だろうが、その味はルールー洋菓子店にも負けるとも劣らないもので、アニエスは実にご満悦であった。


 そんな探偵をよそめに。

 では……とカークボーは依頼を語り出した。


 カークボーには二人の優れた弟子がいるという。

 そしてその二人は同時にブロードランというブランドの後継者候補でもある。


 一人は娘のアルバン。

 一人は一番弟子のバール。


 できれば二人で手を取り合ってブランドを盛り上げていってほしいと考えていた。

 しかし同時にそれはとても叶うものではないだろうとも考えていた。


 二人は仲が悪い。


 常に喧嘩をしている。


 カークボーの仲裁がなければ会社は瓦解しているだろうと社内の誰しもが思っている。

 個性的なデザイナー二人をカークボーがまとめる事でこのブランドは成り立っている。

 それは天高い綱渡りのような経営であった。


 そんなカークボーは若い頃にアルバンを授かっている。

 当時のカークボーはブロードランの前身となる王都の洋品店を夫と細々と営む、ごく一般的な女性であった。ドレスのデザインなどをするのが好きではあったが、営んでいる洋品店は平民向けの洋服をメインに扱っており、貴族向けのドレスなどの商いには手を出す気はなかった。それはただの趣味だった。

 夫と一緒に服をデザインし、パターンにおこし、二人の弱い風魔法を裁断や縫製に役立てながら、服を作り、売る。そしてそのお金で家族三人静かに生活する。


 それだけで幸せだった。


 しかしそんな幸せは長くは続かなかった。


 ある日。

 夫が死んだ。


 病気だった。


 病気が発覚して数ヶ月で夫は他界した。

 嵐のような。夢のような。

 そんな数ヶ月。

 それが去り、現実に戻った時。

 カークボーは生まれたばかりのアルバンを抱えてただ途方に暮れた。

 夫と二人三脚で服を作っていた生活。平民向けの衣服は単価が安い。朝から晩まで夫婦二人で服を作り、それを売って、お金を得る生活設計だった。三人ならばそれでも贅沢しなければ問題なく生活できるだけの稼ぎを得られた。

 しかし。

 今はその片翼を亡った。


 生活できるほどの服は作れないし、作っている間に服を売る人間もいない。

 人を雇えるほどの余裕もない。


 ジリ貧で。

 これでは親子で路頭に迷う。


 そんな絶望の淵に立った時。


 気づけばカークボーの目の前には幼いアルバンがいた。

 スケッチブックに何やら絵を描いている愛する娘。

 与えた覚えのないスケッチブックなぞをどこから出したのだろうと不思議に思いながらも、一心不乱に書き殴っているその手元を覗いてみると、それは自分が趣味でドレスデザインを書いているスケッチブックだった。

 自分の描いたドレスを模倣してアルバンが空きスペースに新しいドレスのデザインを描いている。


 それは三歳の子供が描いたとは思えないほど上手く、また独創的だった。


 ほっと驚くやら感心するやらで、なんとはなしに目線を上げると、幼子の力で少し口を開いたクローゼットからは同じようなスケッチブックが何冊も溢れ出してきた。

 それはカークボーが趣味で長年書き溜めていたそのデザインだった。それは大量のスケッチブックとなり、それはクローゼットの中から溢れ出さんばかりの量になっていた。

 よく見れば、それのどれにもアルバンがデザインを描き足したり、新たなデザインを創造したりしている。夫の闘病生活中のあまり娘にかまえなかった時間。その時間に描いていたのだろう。


 それらは。


 まるで作られる事をまるで望んでいるように光っていた。


 カークボーはこれを天啓だと考えた。


 親子二人でやっていくためには単価と付加価値の高い貴族向けのドレスを作ればいいのだと。


 天からそう言われたのだと考えた。


 そう考えた途端に親子には追い風が吹いた。

 試しにと親子でデザインした服を数着作成し、店舗のウィンドウに飾った。

 それはその日に馬車で店の前を通りがかった貴族が全てを買っていった。

 受け取った対価は親子で一年生活できるほどの金額だった。


 この調子で行けば親子二人で暮らすくらい訳はない。

 むしろ贅沢だってできる。


 しかしカークボーはそこで驕って貴族優先にはしなかった。

 夫と二人で営んできた商売も捨てられなかったのだ。貴族向けのドレスが売れた事によって、平民向けの衣服を変わらずに供給できる余裕が生まれた。端的に人を雇う余裕ができたのだった。

 これが更なるブロードランの発展を生む事になった。


 その原因となったのが、一番弟子のバールだった。

 初めは店番だけをさせるつもりで雇った王都平民街の貧しい家の子供だった。

 夫がデザインしていた分の作業を娘のアルバンが担当し、夫婦で手の空いた方が担当していた店番をバールが担当する事になった。


 バールが店番をしている。

 その横でアルバンがスケッチブックにドレスのデザインして。

 奥の部屋でカークボーがドレスや服を製作する。


 それが新しく生まれた日常だった。


 それは数年で当たり前の日々になった。

 そんなある日。


 バールとアルバンが大喧嘩をした。

 理由はアルバンのデザインにバールが口を出した事が原因だった。

 アルバンはこだわりが強く自分のデザイン世界に母以外の人間が入ってくる事を極端に嫌った。最近では母のカークボーの意見ですら気に入らない場合は却下したりもする。

 そんなアルバンの性格を知っているカークボーはそれは喧嘩になるわねと笑い、その原因となったデザイン画をアルバンの手から取り上げた。


 カークボーの視界の端をそれは捉えた。

 掴んで離さず。

 強く引きつけた。

 それに意識が吸いつけられた。


 バールの加えたデザイン。


 それは自分とアルバンの意識の外側にあるデザインだった。

 アルバンのデザインは奇抜であるが、あくまで貴族向けの範囲におさまっている。言うなればカークボーの進化形。しかしバールの加えたデザインは違った。アンダーグラウンドの匂いがするのだ。それでいて下品ではない。そこはアルバンの貴族向けの優雅な全体のデザインが効いている。その中に荒々しいバールのデザインが入り込む事で、ドレスを優雅さを超えた領域まで運んでいた。


 これは絶対に作らねばならない。

 しかしそのままにしたらアルバンがヒステリーを起こしてビリビリに破りかねない。


 カークボーはそのデザイン画を二人から取り上げた。


 そのデザイン画を持ってカークボーは奥の部屋へ転がりこんだ。そしてその日の内にパターンに起こされドレスへと作り上げられた。


 まるで何かに導かれるようだった、と。


 息を吐くようにそうカークボーは言った。


 次の朝。


 三人でそのドレスを見た。


 カークボーは徹夜の疲れも吹っ飛ぶような気分だった。


 アルバンは自分のデザインが変えられてムカついた気分だった。


 バールは自分の頭の中が世界に現れた事が夢のような気分だった。 


 そんな三人にひとつだけ共通している認識があった。


 このドレスヤバい。


 以来。

 このドレスはブロードランのアイコンとなっている。

 二十年経った今もなお、形を変えずに毎年売れ続けている。それは新しいもの好きな貴族たちには珍しい行動だった。購入者に聞けば、理由はわからないが、一年に一、二度は必ずこのドレスをきてお茶会を開きたくなるのだという。


 きっと生まれた時からクラシックだったのだろう。


 残念ながら、三人がビッタンハマったのはこれが最後だった。


 これ以降、数えきれない程に服を作ったが、ここまで三人の要素が等分で入り、かつ引き立てあっているデザインはこれ以外には生まれなかった。

 アルバンはバールに口を出されるのを嫌うし、バールはバールで自分だけの世界を作り出す事に夢中になった。


 だがカークボーはそれでも良いと思った。


 結局このドレスがブロードランのアイコンになり、貴族用はアルバン、平民のおしゃれ着はバール、カークボーはそれらを両方見ながら自分のデザインをし続け、今や王都で一番のアパレルメーカーになった。

 デザイナー、パタンナー、お針子さん。数多くの雇用を生み出し、貴族の社交に華を添え、平民にファッションという概念を植え付けた。


 しかし。

 それはカークボーという人間がいるから成り立っている。

 カークボーがいなくなればぶつかり合う二人にモノを言える人間はいなくなる。

 その結果はきっと喧嘩別れだろう。

 昔ながらの小さな洋品店のままだったらそれでよかっただろうが、今は違う。王都の雇用が消し飛ぶ。雇用されている人間の生活が消し飛ぶ。この国の服飾文化が消し飛ぶ。


 影響が大きすぎる。


 そこでカークボーは頭を下げた。


「今から弟子二人を連れてきますので、どちらが後継に相応しいか見ていただきたいのです」


「うぃ、いいですわー!」


 気の抜けた安請け合いにも似た返答。

 きっと焼き菓子が美味しかったから、何を言われてもアニエスは了承していただろうな、とフロノスは横目で主人である探偵を見やった。

 手の中にあった焼き菓子を口に含み、もきゅもきゅと咀嚼する。ポロポロとした焼き菓子の食べかすがドレスの胸元を汚している。あーあーといった顔で、試着中のドレスの買取をフロノスが検討していると、どうやら食べかけを全て食べ終えたらしく、すっくと立ち上がった。


「見るのですわー!」


 掛けていたソファから立ち上がった。流石によそのお宅でテーブルの上に仁王立ちする程にお行儀の悪いアニエスではなかったらしく、床にしっかりと仁王立ちし、そそと準備を始めるアニエス。

 そこへフロノスが優しく声をかける。


「お嬢。見る対象がまだいないぞ。ステイな、ステイ」


「うぃ!?」


 ステイと言われピシッと動きが止まったアニエス。それを確認したフロノスはカークボーに声をかけた。


「よし、じゃあカークボーさん、二人をここに連れてきていただけますか?」


「ああ……はい、承知しました。今呼びますわ」


 アニエスの愛らしい動作に夢中になっていたカークボーはフロノスの呼びかけに我に帰ると扉の外に控えていた店員に声をかけて後継者候補の二人を呼びに行かせた。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 遣いが二人を呼びに行ってから、ほどなくして扉を叩く音が響いた。

 カークボーが返事をして室内に入る事を促すと、二人の男女が入室してきた。


 一人はカークボーによく似た女性。髪型も服装もそっくりである。ただしカークボーよりも性格がきつそうな目をしており、眉間には皺がよっていて、なんともピリピリとした雰囲気をまとっている。

 これが娘のアルバンです。とカークボーがアニエスに紹介する。


 もう一人は浅黒い肌で身長が高く体格のいい男性だった。一見するとデザイナーには見えない。ギャングの用心棒ですと言われた方がしっくりとくる。強面な容貌に反して、雰囲気は大型犬のようなまったりとした雰囲気がある。

 これが一番弟子のバールです。とカークボーがアニエスに紹介する。


 二人は同タイミングで頭を下げた。

 それに気づいたアルバンが隣のバールに対していかにも気に入らないとばかりに険のある視線を投げかけた。バールはそれに気づいているのかいないのか、視線を合わせる事なく、半歩ほどアルバンから距離を取った。

 普段であれば軽く殴られている場面なのかもしれない。


 それを見てまたアルバンが気に入らなさそうに軽く舌を鳴らす。

 そしてまた同時に下げた頭を上げた。


「ママ、来たわよ。なに?」


「社長、お呼びですか?」


 二人はカークボーに問いかける。

 しかし二人の視線はカークボーには向かず、部屋の中にいる小さな可愛い金髪の生き物に完全に奪われている。

 なにせ妖精と見紛わんばかりの少女が仁王立ちしているのだから。


 瞬時に二人の思考が駆け巡り、アルバンの視線はアニエスとバールを行き来する。バールの視線はその逆だ。

 二人は視線で会話を始めた。


 どの色がいい。どのラインがいい。胸元はなにを添えるべきか。スカートの裾は。靴は。あのもふもふした髪をどう活かすか。甘いのがいいのはわかるが。辛いのはどうだ、ギャップが出るぞ。は? 甘いの一択だろうよ!? いや一択ではないあれは中身に獰猛さを持っている、ストリートの魂を感じる。んなもんあったとて出す必要ねえよ、だからお前のデザインは平民向けで終わんだよ。ふん、逆に姉御のデザインは貴族向けから抜けられてないけどな。おう、店番小僧、よくも言ったな? 吐いた唾飲むんじゃねえぞ。言ったよ、飲むわけねえだろ。ストリートなめんな!


 おう。

 ならば。


「「戦争だ!」」


 二人は同時に叫んで胸ぐらを掴み合った。

 視線での会話が全くわからないアニエスは仁王立ちのまま、ひどく驚き、金色の髪の毛がブワッと膨らんだ。


「アルバン! バール! おやめなさい!」


 そんな二人の様子を見てこうなるであろう事を予測していたカークボーだけは落ち着き払って叱りつけながら、二人の頭を順番に叩いた。しなったいい音が部屋に響く。


「ごめん、ママ」


「すんません、社長」


「今日はね、そちらにいらっしゃるアニエス第一王女殿下に、どちらがブロードランの後継者に相応しいか見てもらうために呼んだのよ。失礼のないように!」


 後継者の言葉にアルバン、バールの両名は言葉を失った。

 そんな考えがなかったのだろう。

 アルバンはアワアワして母の顔を見るが、カークボーは視線を返す事はない。

 一方、バールは地面を見つめてただ黙っている。


 室内を沈黙が支配する。


 そしてその沈黙は破られるためにある。


「見るのですわ〜」


 もちろんアニエスだ。

 しかし心なしか声に力がない。多分疲れている。最初に立ったきり仁王立ちで立ちっぱなしだったのだ。無理もない。ステイと言われたからステイしていたのだ。お利口アニエスではあるのだが、疲れるものは疲れる。途中チラッとフロノスを見たが視線を合わせてくれなかった。しかし口の端が小さく歪んでいるのはしっかり確認していた。きっと困っているアニエスを見て楽しんでいるのだ。この間のかくれんぼの仕返しではないかと思いあたり、再度チラッと顔を見たらアニエスにわかる程度にだけ微笑みを返してきた。

 間違いない。


 ムウと思ったが、そんな事で探偵業をおろそかにするわけにはいかないとアニエスは気を取り直した。


 そして。


 小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。


 左目を閉じて。


 右目を開いて。


 覗いた先には依頼人のカークボーがいる。


 それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。

 そこに映るのは依頼人ではない。

 そこに映るのは依頼の結果である。


 アニエスはただその見えた結果を告げる。


「カークボーさんのお葬式! ですわー!」


 ナムナムポクポクチーン。そんな顔をしている。

 後継者にどちらが相応しいかという依頼で依頼人を見たら依頼人が亡くなっていた。


「お嬢、流石にそれはダメだろ」


「でもですわ! カークボーさんが亡くなって二人は泣いているですわ! 泣きながら殴り合ってるですわ!」


「どんな状況だよ」


「うーん。どんな状況かと言われても困るですわー。殴り合った後に抱き合ってちゅうしてるですわ。いやんですわ!」


「いや、本当にどんな状況だよ」


 あまりの訳のわからなさにフロノスが心底から呆れていると横からアルバンが口を挟んだ。


「おい! 待てよ! なんであたしがこの店番小僧と抱き合った上に、ちゅちゅちゅちゅ……ああ! うっざい! なんでそんな状況になってんだよ! 嘘ついてんじゃねえ!」


「嘘じゃないですわー」


 そう言いながら手筒で覗く先をアルバンに向ける。


「な! なんだよ! こっち見るなよ! おい! 店番小僧! お前もなんとか言え!」


 急に水を向けられたバールはゆったりと口を開く。


「なあ、社長はなんで死んだんだ? それはいつ頃なんだ?」


「うぃ? ちょっと待つですわー。えっとーここに書いてあるですわー。今年があれで書いてあるのがあれだからーえーっとぉ……ああ今から五年後ですわー! なんでかはわからんですわー。事故とかではなさそうですわー」


「そっか。となると病気かなんかか? まあ。それは気をつけてれば避けられるか。で、その時には俺と姉御は抱き合って口づけしてるのか?」


「してるですわー。あーこれ多分初めてのチュウですわー。初々しいですわー。いやん! ですわー!」


「わかった」


 それだけ言うとバールは納得したように頷いて口を閉じた。

 隣にはもちろん納得していない女性が一人。

 アルバンであった。


「おい! 店番小僧! なにをひと、ひと、一人で納得してんだよ! 違うだろ!? 嘘つかれてんだから怒れよ。そしてさっさと追い出せよ! あたしに変な事してくるクソみたいな客を追い出すみたいに追い出せよ!」


 言いながらバールの肩にパンチをしているがアルバンの細腕では撫でているに等しい。

 何発か素直に殴られた後、殴られている腕とは逆の手でアルバンの手を優しく包み、それを下に下ろす。


「姉御」


 バールはその手を掴んだまま、至って静かにアルバンに向き直る。

 そしてアルバンの握られた拳を優しく解き、それを自分の両手で優しく包み込む。


「ん、んだよ?」


 アルバンは急に手を握られてドギマギしてしまって怒る感情へと至る事すらできない。


「二人でこの王女殿下のドレスを作らないか?」


「は? やだよ。またお前があたしのデザインをいじるんだろ? やなんだよ。お前とあたしが混ざんのは。なんかいやらしいんだよ!」


 頬を赤く染めたアルバンの言葉は早口で、視線は下に横にと忙しく動くが、決してバールの顔へと向く事はない。この訳のわからない状況に混乱の一手であった。

 そんなアルバンの顔を覗き込むバールの表情は優しい。


「姉御」


「だからなんだよ!」


「俺は好きなんだ」


「は!? は、はは!? はあ!?」


「店番してる間に見てた姉御のデザインが好きだった」


「あ、ああ。デザイン。ああ、ああ! デ! ザ! イ! ン! な! そうだよな! そうだよなぁ……」


「俺はそこに混ざりたくてお嬢の一部になりたくてあの時手を出した」


「あーあの時かー。あれなーマジでムカついたわ。完全なあたしの世界をぶち壊しにきやがって。まあ結果できたドレスはママの力のお陰でヤバかったけどさ。でもムカついたわ。二度とやらせねえと思ったわ」


「俺はあの時からずっと姉御が好きなんだよ」


「だからデザインだろ? それは知ってるよ。あたしのデザインに口出すようなクソ客へのお前の応対クソやべえからな」


「デザインも好きだけどさ。姉御本人が好きなんだよ」


「は」


「店番してる時にさ。夢中でデザイン画を書いてる姉御がさ。綺麗だったんだよ」


「は」


「だからさ。一緒にドレスを作ろう。そして一緒になろう」


「ははははは」


 無感情なアルバンの笑い声。

 それはスッと消えて今度は真顔に変わり、バールの顔を睨み付けると、その胸板を子供のようにポカポカと殴り始めた。貧民街に育ったバールの逞しい肉体には痛みにならない。

 少しの間、アルバンのするがままにさせていたが、アルバンも疲れたのか殴る手が止まった。

 そのタイミングでバールはアルバンの肩に手を置いた。


 ピクリとアルバンの肩が緊張するのが傍目にもわかる。


 肩に置いた手を背中に回し、そのまま抱きしめた。

 アルバンの緊張は解けず、野良猫を抱きしめた時のように硬直している。

 それを包み込むバールの抱擁はとても優しく柔らかい。


「姉御、好きだ」


 バールはそんなアルバンの耳元で囁いた。


 同時にアルバンの体からスッと力が抜けるのがわかった。

 声にならない喉の震え。

 それが数度聞こえて、アルバンの口から言葉がもれる。


「……あ、あたしもぉ。あたしもお前が好きぃ。ずっと好きだったぁ。お前のデザインかっこいいぃ。くやしいぃ。ストリートやばいぃ」


 喋り方や雰囲気、声音までガラッと変わって、何だかとても甘えん坊な感じになっている。


「うん、ありがとう。俺、知ってたよ。姉御が本当は俺のデザイン好きだって。認めてくれてるって。知ってた。姉御、あのドレスを作ってからストリート感を出すようになったもんな。言葉遣いも急に変わったからびっくりしたよ」


「お前に合わせたのよぅ。本当はこんななのに。お前はストリートのボンキュボンの女どもと仲良くしてるから……でもあたしはそういうのにはなれないから。せめて言葉遣いと雰囲気だけは強い感じにしようと思ってたのよぅ。ばかぁ……」


 アルバンの手がバールの背中に回り、精一杯強く抱きしめる。


「あーあいつらは違うよ。ストリートのモデルだ。娼館の女に俺の服を着てもらってんだよ。そういう広告」


「なんだよぉ……そういうのは早く言ってよぉ」


「ごめんよ。俺はさ、まだこのままで良いかと思ってたんだ。仕事は上手くいってるし、たまに姉御にかまってもらえるし。無理に姉御と距離を詰めて関係がダメになるのも怖かったし。でも社長が五年後に死ぬなんて聞いたらさ。このままじゃダメだと思ったんだ。社長に安心してもらわなきゃいけないって」


「そう! ママが死ぬ!? なんで? ママ病気なの? 調べよ? ね、すぐに病院行こう」


 母親が死ぬという探偵の観測結果を思い出したアルバンはバールの胸からガバッと飛び退き、母親の方に向き直った。母のカークボーといえば、二人の後継者が愛し合っていた事。それが実を結んだ事。それを心の底から喜んで微笑んでいた。

 死亡宣告をされたが、今はそれ以上に嬉しくてたまらず、どうしてもニコニコとしてしまう。

 アルバンは実子だが、バールも子供の頃からカークボーが育てたようなもので既に息子のような心持ちでいた。


「なにを笑ってんのよ! 病院行こうって!」


「そうです! 社長! 病気を治して五年後を変えましょう」


 アルバンとバールはそんな風に呑気に笑っている母親を見て言葉を荒げる。


「わかったわ。私は病院に行きます。でもあなた達は違う。あなた達には私より優先する事があります。今は王女殿下のドレスの話が先です。王女殿下は私の無礼な依頼を受けてくれました。それがキッカケであなた達がこんなにも仲良くなっています。だったら。今度はこちらがしっかりと応える番です。話がまとまったなら二人はまず二人の仕事をなさい!」


 それは母の言葉ではなく。

 実に威厳のある社長の言葉だった。


「「はい」」


 入ってきた時の挨拶と同じように二人の返事は同じタイミングだった。

 ただその時とは違って半歩逃げたアルバンの立ち位置が逃げる事はなかった。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 後日、ドレスが出来上がった。

 アルバンとバールが二人で妖精探偵社までそれを持ってきてくれた。


 それは見事な出来でブロードランのアイコンとなっているドレスを超える出来栄えだった。


「お嬢、かわいい」


 普段ストレートにアニエスを褒める事のないフロノスですら無意識に言葉が口から漏れ出てしまった。


「うぃ。我ながらそう思うですわー。ドレスがすごいですわー」


「お褒めいただきありがとうございます。アニエス殿下」


「お腹を締め付けないのがとても嬉しいですわー。ご飯いっぱい食べられるですわー」


「そこらへんはバールのデザインですね。うちのダーはそういうとこが強いんですよぅ」


 バールの腕にべったりとくっついた状態でアルバンがデザインを説明する。

 もはや初めて会った時のピリピリした雰囲気はカケラもなかった。

 ただひたすら。

 甘い。


「いや、姉御のデザインが主軸にあるから腹を締め付けなくても貴族のトレンドから外れないんだよ。俺のデザインそのままだったらやっぱり下品になっちまう」


「ダー!? あたしは姉御じゃないって言ったじゃない?」


「あ、ああ。でもよ。王女殿下もいるしさ……」


 モニャモニャと見た目に似合わぬ言い訳をするバールを無言で睨むアルバン。


「ああ、わかったよ。可愛い俺だけのあーりん」


「よくできました」


 可愛いあーりん、ことアルバンはにんまりと笑って、バールの頬に音をたてて唇を落とした。


「いやん! ですわ!」


「なんというか、まあ。随分と仲良くなったもんだな」


 アニエスは驚いて目を覆い、フロノスはあきれた様に二人を見た。


「これも全てアニエス王女殿下のおかげよぉ」


「俺からも感謝を。あね……いやあーりんとこんな関係になれるなんて思ってませんでした。それに社長も病院に行ったら早期の癌が見つかりました。医者の言う事には現段階だったらほぼ確実に完治するだろうってお墨付きをもらえました。重ね重ねありがとうございます」


「気にする事ないですわー。私は私の仕事をしただけですわー。二人がこの素敵なドレスを作ってくれたの同じ事ですわー。ほんとにこのドレス最高ですわー。着心地が良いのに上品でかわいくて、そのくせちょっと悪い感じがあるですわー。何だか二面性があるですわー」


 アニエスがドレスの裾を掴んでくるりと回ってみせる。


「お、わかってくれますか。そのドレスのコンセプトは『二つの世界の架け橋』なんですよ。アニエス殿下を見てるとそのコンセプトが溢れてきました。王族と平民。妖精と人間。別の世界にどちらにも存在しているような。そんなイメージが湧いてきたんです。そこは俺も、あーりんも同じでした。だから今回はそれを形にしました」


「そんな風に感じるのか……デザイナーってのはすごいな」


 バールの言葉に、フロノスの口から無意識に感嘆が漏れた。

 それほどにバールの言葉には驚かされたという事だろう。


「これでサラムのパーティに出席できるですわー。二人ともありがとうですわー」


「いえ、こちらこそ。アニエス殿下はブロードランの恩人です。今後も何かございましたらブロードランにお声がけください。最優先で対応させていただきます」


 そう言って頭を下げたふたりの表情はべったり甘々だった雰囲気からガラッと変わり、実に真剣な面持ちだった。

 こうやってアニエスはローレライ魔法王国最大のアパレルブランド、ブロードランからの無条件のバックアップを得たのだった。



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