第13話 魔法の国の事故と隠蔽
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表
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そんな妖精探偵社。
今日も依頼人が訪れている。
「依頼人はローレライ魔法王国南貴族街にお住まいのナガラ・ケーン様、男性、二十二歳。ローレライ王国薬事食品管理局内の魔法新薬開発室にてお勤めです。ケーン様はその中でも一際優秀であり、開発室に室員として登用されて以来、様々な新薬の開発に携わり、数々の特許をお持ちでいらっしゃいます。ローレライ王国薬事食品管理局の局長であり、アニエス殿下の弟気味であります、ユーディン・フォン・ローレライ殿下のおぼえも目出たく、魔法新薬開発室の室長候補でございます。では本日の依頼をどうぞ!」
助手が滔々と依頼人の情報を誦じる。
その言葉からもいかに依頼人が優秀な人間であるかがわかる。王国薬事食品管理局とは王国内で流通する口に入るもの全てを管理する局であり、衛生省の管轄となっている。その中でも薬事食品管理局は重要な部署であり、アニエスの弟である第二王子、ユーディン・フォン・ローレライが衛生省の長官と局長を兼任している事からもそれが察せられる。
そんな重要部署の中で魔法新薬開発室は花形部署であり、薬品開発において特許を取得した室員にはきちんとロイヤリティが支払われ、特に功績が大きい場合は国家から勲章を授与される事も珍しくない。
所属する室員には水魔法使いが多い。薬品を扱う関係上、液体の状態を変化させたり、液体から特定の成分を抽出する作業で重宝するというのが大きな理由であった。第二王子、ユーディン・フォン・ローレライも強力な水魔法の使い手である。
そんな紹介を受けた男。
ほめられたにも関わらず表情はかたい。額の中央でわけられた少し長めの黒髪はしっとりと湿っており、不潔感はないが、身なりには気を遣っているようには見えない。ソファに浅く腰掛け、若干俯き気味な彼の服装は、シンプルなパンツに薄手のニットをあわせ、その上には白衣を羽織っており、いかにも研究者といった風情であった。
ナガラ・ケーンは俯いたままに口を開いた。
「私のような若輩が諸先輩方を差し置いて室長などとてもじゃありません。……それに、この依頼の結果によっては私には職を辞す必要があり、またその覚悟もあります」
悲痛な声。
しかし例によってアニエスにはそんな事関係ない。
「ナガラさん、初めましてですわー。よろしくですわー」
依頼人、ナガラの声に反応して、探偵机からぴょこんと飛び出た金色のふわふわ髪から呑気な声が響く。重い空気が一気にとぼけたものに変わった。依頼人のナガラもほっと息を吐き出した。
「アニエス第一王女殿下、この度は依頼の受領、ありがとうございました」
「うぃ、それが探偵社の仕事、ですわ! 詳しくはフローに言うといいですわー! きっと良きようになるですわー!」
ナガラはその言葉に無言で頭を下げた。そこでアニエスとの挨拶は終わり、会話はそのまま助手のフロノスに引きとられた。
「ふむ、ナガラさんの言葉が謙遜なのを俺は知っている。優秀である事は書類からだけじゃなく、評判にも聞こえてくる。最近の新薬を成功に導いたのはあんたの実績だろう? その薬で助かった平民の命は百や二百じゃきかないよ」
「それは、そうですね。そこに関しては謙遜しません。それが私の夢、でしたから。私は元平民です。王都の生まれではなく、ケーン子爵領の代官の息子でした。あの辺りは妖精の加護も弱く、病気や飢饉で死んでいく人間を多く見てきました。それを救うために私はケーン子爵家の養子となり、この王都で人間用の薬や農業用の薬品や栄養剤などを開発してきました。それは否定しません。が……次期室長というのは、やはり違いますね」
暗に自分は研究者であって、政治的な部分は苦手であるという主張だろうとフロノスはこの言葉を理解した。
「そうかそうか。それはすまなかった。勘違いしていたよ」
「いえ……お気になさらず」
「で、そんな優秀なあんたが職を辞す覚悟で訪れた。どんな依頼だ?」
「はい……」
と答えたナガラはまるで身体中が痛むかのように顔をしかめ。
ご存知かもしれませんが。と開発者らしい語り口で話を始めた。
魔法新薬が開発されて世に出るまでには様々な実験を経るという。そうやって安全性を担保してから販売へ至るのだ。それは実績のあるナガラのチームでも同様で、ここ数年ほど、とある魔法新薬を開発しており、やっとここ一年で臨床試験へとフェーズが移行し、人間への新薬テストを行っていたという。臨床試験には三段階あり、ごく少数の人間を対象とした第一段階、少数の人間を対象とした第二段階、多数の人間を対象とした第三段階となっていて、現状では第三段階の臨床試験まで進んでいたという。
しかし。
そこで今回の問題が起きた。
第三臨床試験対象は百人いた。
その百人に新薬を投与した。
次の日。
そのうちの半数が死んだ。
つまりは五十人が一夜で死んだのだという。
当然、ナガラは上司にこの結果を報告し、新薬の開発を凍結した上で、原因を追求しようとした。しかしそれに待ったがかかった。上司は新薬開発を凍結する事なく、事実を隠蔽して開発を継続しろというのだ。
もちろんナガラはこれに反発して上司に食ってかかったが、上司の意見を覆す力はナガラ一人にはなかった。
ナガラのチームは開発室の室長直属チームで、上司とはつまり魔法新薬開発室の室長となる。今回の新薬は室長が考案し、その全てを統括しているという。
その室長とはサード伯爵家の次男で、名をエイド・サードという。サード伯爵家は魔法薬学の名門で代々魔法新薬開発室の室長を歴任している名門貴族である。そんな人間が開発を続けろというのだ。
しかしだからと言って五十人の死を目の前にして、その原因となったであろう薬品の開発を無条件に続けるわけにはいかない。せめて原因の解明と対策を行った上でないと同じ事の繰り返しになる。
そう言った主張をチーム総出でする事で、なんとか臨床試験を一旦停止する事だけは了承させたが、五十人の死は臨床試験との関連性はないものとして、検死を待たずに報告書が作成された。
室長はこの報告書をそのまま提出するといった。
そんなわけがあるわけないだろう。
無関係なハズがあるか。
と誰しもが思った。
だからチーム内で徹底的に検死をした。
報告書が衛生省に提出される前に原因だけでも確認して報告書に正しく記載せねばと考えて、チーム総出で急いで検死をした。だがそれでも死亡した五十人からは新薬の影響は見当たらなかった。何の毒性も検出されず、何の病気も検出されず、静かに心臓が止まっていた。死因としては正しく心不全であった。
報告書はそのまま衛生省に提出された。
全員が眠るように死んでいて。
全員の死に顔は安らかであった。
それだけが救いです。
そう言ってナガラは口を閉じた。
「五十人か……そりゃあ何とも痛ましい話だな」
「ええ」
話し終えたナガラは再び深く俯いていた。
「だけどな、ここに来てあんたは何を求めてるんだ?」
「何、とは?」
俯いていた頭がもたげられた。その視線は険をはらんでいた。
事件の解決に決まっているだろう。そんな視線に対してフロノスは肩をすくめながら答える。
「何ってのはさ。ここは探偵事務所だぜ、検死のプロが五十の死体を並べ調べてわからなかった死亡の原因はお嬢の力でもわからんと思うが?」
フロノスの言葉にナガラは「ああ」と納得したように息をこぼしてから言う。
「……ここは、妖精、探偵社ですよね? ただの探偵社ではなく」
「おう。ここはお嬢の妖精眼を使って事件を解決する。妖精、探偵社だな」
「なら、ここへの相談で間違いありません」
確信を持ってうなずいた。
しかしフロノスには意味がわからない。
「というと?」
「言っていませんでしたが……問題の薬が『妖精に愛される薬』だから、です。これは間違いなく妖精が死因となっている事件です。だから妖精探偵社を頼っているのです」
妖精という単語にフロノスの意識が変わった。
「詳しく、いいか?」
これで真剣に依頼を聞いてもらえるようになったという確信に、ナガラは今回の薬について語り出した。
『妖精に愛される薬』
とは、文字通り妖精を惹きつける薬である。服用した人間はその薬の効果で妖精から魅力的に見えるようになる。要は惚れ薬ではあるのだが、人間相手の惚れ薬とは用途が違う。妖精に愛されるという事はイコール魔法を使えるようになるという事だ。このローレライ魔法王国で魔法を使えるのは妖精が人間を愛してその意志の手伝いをしてくれるからというのは広く知れ渡っている。だから強力な魔法を使える状態というのは、多数の妖精、もしくは強力な妖精からモテているという状態という風にも言い換えられる。
そしてそれを薬品で引き起こそうというのが今回の薬であると語った。
「それは……すごい薬だな。魔法に頼っているこの国からすると革命的じゃないか?」
「ええ、そうですね。これを考え出した、エイド室長には尊敬の念しかありません。これがあれば僕の生まれ故郷であるケーン子爵領のような妖精の加護が薄い地域でも強い魔法が使えるようになるんですよ。これさえあれば……あの苦労がなくなると思うとこの失敗は実に悔しくはあります」
「ああ、そうか国境付近だと『魔法格差』の問題があるのか」
『魔法格差』
この言葉にナガラは無言でうなずいた。
このローレライ魔法王国は妖精界と位相が重なり、物理的に妖精界と接触しているという現象により、妖精が物質界に来る事ができる。それによって妖精の協力のもと魔法が使えるようになっている。しかし実際位相が重なっているその範囲は王都の範囲くらいのもので、そこから外で魔法が使えるのは妖精が遊びに出掛けているからだ。
ここで問題が発生する。
妖精は基本的に妖精界から遠く離れる事を好まないのだ。
妖精がかろうじて出掛けてくれる範囲。これがローレライ魔法国の国土の広さとなっている。
王都から遠く離れれば離れるほどに妖精の数は減る。なぜなら王都から遠くへ行く妖精の数はそう多くないからで、そうなると当然使える魔法の力も弱まる。
この現象をローレライ魔法王国民は、妖精の加護という言葉で認識している。
弱い魔法しか使えない地方は何をするにも人間の力や動物の力に頼らざるを得ないが、ローレライ魔法王国では全てが魔法基準になっているため道具や機械などの発展が他国に比べて遅れている。
他国から輸入しようにも中央ではその重要性が理解しにくいため商人はそういった物を取り扱わない。かといって個人で他国から輸入しようとすると、今度は足元を見られてぼったくられるため庶民には行き渡らない。
しかも地方の領主などの貴族は基本的に王都で暮らしており、強い魔法が行使できる人間が多く、道具を見下しているため代官からの購入要請なども却下されてしまう。
悪循環である。
となると。
魔法も弱く、技術ももてない地方の国民にはとても生きづらいという状況が生まれる。
これがフロノスの言った『魔法格差』という問題である。
この国の問題として、これは確かに存在し、今代の王や王妃もある程度認識しているが、各領地の問題であるため口を挟むのも難しい状況であった。
しかしこの『妖精に愛される薬』があればそれが全て解決するだろう。
「ええ全てが解決します。地方の人間には夢のような薬です。開発者のエイド室長が問題を隠蔽しようとする気持ちも理解はできるのですが、これはこれ、それはそれ。やはり五十人の犠牲があったのですから何らかの責任は負うべきです」
「いいのか? 五十人の死と薬の関係性が確認されたら間違いなくこの薬の開発は凍結されるぜ。もしこの薬が開発されれば魔法格差は無くなって、あんたの出身地でも苦労は無くなるかもしれないんだろ?」
「誰かの死の上に成り立つ幸福など不要ですよ。発案者のエイド室長には申し訳ないがこの薬は開発されるべきではないと思います」
「ご立派だな……」
「我々はすでに五十人の命を奪っているんです。立派などという言葉には程遠い」
「……そうか。じゃああんたの依頼は五十人の人間が死んだ時に薬の影響で妖精が関係していたかを確認してほしいって事だな?」
「はい。お願いします」
静かに。だが深く。
ナガラは頭を下げた。
「わかった。お嬢、出番だ」
フロノスのいつもの言葉に反応し、もそもそと探偵机で人が動く音がする。もちろんその音の主は探偵、アニエス・フォン・ローレライ。どうやら今日は真面目な話の最中にも寝ていなかったらしく。ちゃんと出番になった事を認識しているらしい。
いつものように。椅子の上によじよじと上り、椅子の上に立ち、そしてそこから飛び跳ね、探偵机の上にドンっと仁王立ちした。
ここからいつものように「見るのですわー」と叫ぶかと思われたが、それがない。
見ると、何やら無言でもきゅもきゅと口を動かしており、頬の横にはたっぷりと生クリームをつけている。
どうやらナガラのお土産のケーキを急いで口に押し込めたらしい。
無言の原因はそれか。とフロノスは呆れたように探偵を眺める。しかし両頬を膨らませたアニエスはそれでもなお愛らしい。桜色の頬が普段よりも紅潮しているのは口いっぱいにケーキがあって若干酸欠状態になっているからであろう。むふむふと鼻から一生懸命息を吸いながら口内のケーキを咀嚼し嚥下している。
一分弱待ってやっと食べ終わったのかアニエスは目を見開いた。
「見るのですわー!」
ここでやっといつもの流れに入るのだが、頬にはいまだに生クリームがたっぷりとついており、どうにも締まらない探偵だった。フロノスは無言でその頬の生クリームを親指で拭うと自分の舌の上にのせてそのまま口内におさめた。それを見たアニエスはむがっと表情を変えたが言葉は出ない。それは生クリームを奪われた怒りなのか、生クリーム以上に甘い行為に対する照れなのかはわからない。
アニエスは頬を染めながらフロノスを睨んだが気を取り直して正面に向き直る。
そして。
小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。
左目を閉じて。
右目を開いて。
覗いた先には依頼人のナガラがいる。
それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。
そこに映るのは依頼人ではない。
そこに映るのは依頼の結果である。
アニエスはただその見えた結果を告げる。
「妖精でまっくろけっけー! ですわー!」
ウゲーと汚い物を見た顔をしている。
それでも見るのを即座にやめないのはフロノスのお説教の賜物だろう。
「お嬢、そりゃ黒い妖精か?」
「そうですわー!」
「そこには百人いるだろ? 全員まっくろけか?」
「違うですわー。うーん、黒いのは半分くらい? ですわ。他の人はー普通の妖精が群がってるですわ」
「なるほど、黒い妖精が死因ってのはほぼ確定だな」
「確定、というと?」
黒い妖精の存在自体を知覚していないナガラからすると黒い妖精が死因で確定と言われても理解が及ばない。実際は黒い妖精に群がられた人間が極限まで存在力を吸い取られ、生命維持すら困難になった結果。その人間に死が訪れているのだが、それをフロノスは説明する気もないし、国家機密に近い話であるため説明できない。
「まあ待ちなよ。お嬢からちゃんと聞かないと断定はできねえ。お嬢、黒い妖精が群がっている人間の名前とかわからんか?」
「うぃ、見てみるですわー」
「ナガラさん、死んだ人間の名前がわかる名簿とかあるか?」
「は、はい。あります。あと被験者にはベッドに番号がついてありますのでそれでわかるかと思います」
「だってよ、お嬢。ベッドの番号、わかるか?」
「わかるですわー!」
「よし、じゃあ読み上げてってくれ、こっちでメモする」
アニエスが黒い妖精が群がっているベッドの番号を読み上げ、それをフロノスがメモするという作業を繰り返し、リストアップされたのはピッタリ五十名だった。
「亡くなった人数と、同じですね」
「ああ、そうだな。これで死因が妖精にあるのはまあ確定と言っていいんじゃないか?」
「確かに人数は合いましたが、死因などはわからないのでしょうか?」
「あー、これは国家機密に近いからあんま公にできないんだがな。簡単にいうと魔法の使いすぎで死んだってのが近いな。ほれ、限界まで魔法を使うとどっと疲れたりするだろ? あれが極限までいくと死ぬんだよ。普通はそこまで行く前に魔法が使えなくなるんだがな……」
「魔法の使いすぎ? それで死ぬ? 聞いたことありませんが……それに今回の被験者は治験中に魔法は使用していませんよ」
「そこが今回の薬の問題だな。妖精に愛されすぎてちっと悪い妖精が寄ってきちまうんだ。そいつらに強制的に魔法を使っている状態にされた結果、死ぬまで行っちまったんだろう。これ以上は詳しく言えないんだ。ま、信じる信じないはあんたに任せるよ」
「そう、ですか。わかりました。まずは職場に戻って、先ほどのベッドの番号と死亡者名簿と照らし合わせてもよろしいですか?」
「構わねえよ。それがぴったり一致すれば、今回の死亡者の死因は妖精に愛されすぎた結果ってのが妖精探偵社の調査結果になる」
「わかりました。では私は開発室に戻り、今回のリストと死亡者を照らし合わせ、合致していたらそれを論拠にしてエイド室長に開発の凍結を進言いたします」
「おう、がんばれ」
「頑張れですわー!」
ナガラはフロノスから受け取った名簿を胸に抱えながら、何度も頭を下げて帰って行った。
「さて、お嬢。俺らは俺らでやるべき事をやらんとな」
観測をやめ、おっかなびっくり机から何とかして降りようとするアニエスの背中に語りかける。
「うぃ」
やるべき事。それが何かわかっているのかいないのか。
アニエスはそれに背中で答えるのだった。
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裏
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妖精探偵社へ相談に行った翌日。
ナガラは手土産の酒を持って魔法新薬開発室室長室を訪れていた。
室長は酒が好きで少しでも機嫌がとれれば話もスムーズにいくかと考えての行動だった。
しかしそれは全く意味をなさなかった。
「バッカやろうが! そんな話が通るか!! あの薬の開発は止めねえ!」
怒号と共に室長の手から放たれたフラスコがナガラの耳元を掠め、その後ろで水っぽくも硬質な音をたててはじけた。手土産に持ってきた酒がまだ少し残っていたようだ。
エイド室長は研究者ぶってフラスコで酒を飲む。白衣とその癖だけがエイド室長を開発者らしくみせている。逆に言えばそれ以外はただの金満貴族にしか見えないのだが。
本題に至るほんのさっき前までは差し入れられた酒の入ったフラスコを上機嫌に傾けていたが、今回の本題、ナガラの進言を聞いた途端に激怒してこのザマだ。
自分に都合の悪い事は全て家の力を背景にした怒号で何とかなると思っている男だった。
だが今日はそうはいかない。
「しかし! この事故は今回の薬が原因であるとの調査結果が出ています!」
背後の惨状を見る事なく、まっすぐと目を見開いたナガラは、室長であるエイド・サードに食ってかかる。
普段であればナガラがここまで食い下がってくる事はない。室長であるエイドの怒号で話は終わる。しかし今日は違った。そんな意外なナガラの行動にエイド室長の顔色は赤を通り越した色に変わっていく。こめかみには筋が浮いていて今にも血管が破裂しそうな程に怒りを内包している。
「調査! あれが? 調査結果!? あんなもん調査って言わねえよ! 所詮無能王女のたわ言だろうが! 妖精さんに愛されすぎたから死にましたって!? どこの誰に妖精が見えるってんだよ!? お前は妖精なんて見た事あるか? 魔法を使う時にわざわざ妖精さん妖精さんお願いしますって言ってるか? 妖精なんてのはあくまで便宜的な定義だろうが! 開発者がアホな事ぬかすな!」
ふうふうと怒り狂っているが、言っている事は開発者としては常識的であった。一般層は魔法に関して全て妖精のおかげと考え、妖精に感謝し、愛を返すという行為が当たり前だが、一部の開発者界隈ではその認識が違っていた。
妖精とはあくまで魔法の行使に必要なリソースとして認識されており、観測もできない定量化もできないそれは生物的な扱いではなく未確認の元素、ダークマターとして扱われている。
したがって今回の『妖精に愛される薬』もあくまで便宜的な名称で開発者間ではダークマターを引き寄せる薬という認識になっている。
「ですが、王女殿下が観測した人間のリストと、所内で保持している死亡者リストの全てが一致しています。王女殿下は誰が死亡したかなど知り得ませんから、この一致は偶然ではありませんし、死亡の原因は開発中の薬である事は明らかです! 妖精の在り方は別問題としてもこの薬の開発は続けるべきではありません!」
「あ!? だから馬鹿な事を言ってんじゃねえ! 人が死んだから開発を続けるべきじゃありませーんって? ばーか! 進歩に犠牲は付き物だろうがよ! 今までだってそうだったろうが! お前だって薬で人を殺したのなんて初めてじゃねえだろうが!」
図星をさされてナガラは喉を鳴らした。
実際に薬品開発で何度か被験者に重篤な健康被害を出した事もある。その結果亡くなった人間もいる。だが今回はそれで引き下がるわけにはいかない。
「それは。それはそうですが! 今回は規模が、規模が違うでしょう! 五十人ですよ? 五十人!」
「知らねえよ! 五十人死のうが何だろうが、この薬ができりゃあ全部帳消しだろうが!」
「……それは」
全部帳消し。
それは事実だった。この薬が出来上がった場合の結果を考えるとその百倍の人間に利益をもたらす。
「わかってんだろうが! この薬ができりゃあ地方だろうが何だろうが魔法が使いたい放題! お前の故郷だって救われる。国はさらに栄える。開発者の俺はロイヤリティで濡れ手に粟! 名誉もついてくる! 衛生省のトップだって夢じゃねえ! ほら見ろ! いい事しかねえだろうが! 利益も公共性も段違いなんだよ! それを止めろ? バカ言ってんじゃねえ!!!」
トドメとばかりに机上に置かれた予備のビーカーがエイド室長の手から放たれ、風を切って宙を走り身を砕いた。その音はいかにもこの交渉の破談を告げていた。
もう無理だ。
それはわかっているが。
ナガラはうつむきなおも食い下がる。
「ですが……これが市場で出た場合の被害は五十人では済みませんよ」
「お前は頭は良いのにバカだな!! 何のための人体実験だよ! 死ぬ奴と死なねえ奴の差を調べて薬効を調整すりゃ良いだけだろうが。それがお前の仕事で、それが薬品開発だろうがよ! どんな薬だって人によっちゃ毒になんだろうが」
「……その間にまた被験者が死にます」
「良いんだよ。どうせここの被験者は犯罪者だ。刑期の短縮を餌に釣られてきてんだよ。良いじゃねえか。死んだら刑期も全部短縮、ウィンウィンだろうが。わかったろ? わかったならもう戻って仕事しろや」
エイド室長はナガラを追い出さんと、しっしと言わんばかりに手を振った。
「……はい」
雇われている身であるナガラではこれ以上室長の説得は無理であった。これ以上逆らえばチームから外され、開発室から追い出されかねない。それはナガラにとっては受け入れ難い話だった。
それこそ五十人の死者のために、これから救うはずの五千人の生者を見捨てる行為になるからだ。
ナガラは後ろに向き直り、部屋を出ようと。
後ろ向きな一歩踏み出そうとした。
そのタイミング。
コンコン。
扉がノックされた。
ガチャ。
扉は部屋の主人であるエイドの返事を待たずに開かれた。
もちろん主人であるエイドは怒る。落ち着きかけていた顔色がその無礼を受けてまた朱に染まった。
「まだ話し中だ! 許可もなく勝手に開けて……ん……じゃぁ……」
入ってきた人間を見た途端。
エイドの怒号は一気に尻すぼまり、最後まで放たれる事はなかった。
「ああ、話し中なのはわかっているよ。だが緊急なんでね、失礼するよ」
そう言って部屋へ入ってきたのは一人の男。
水色の髪で銀縁メガネをかけた理知的な男。
「ユ、ユーディン殿下……」
エイドは驚き開いたまま固まった口で器用にその男の名を呼んだ。
「ああ、君にもそれくらいはわかるんだね。よかったよ」
嫌味な言葉を放ちながら、銀縁メガネの位置を神経質に直す。
この男はユーディン・フォン・ローレライ。この国の第二王子で衛生省の長官をしている。この魔法新薬開発室は衛生省の管轄組織であり、つまりはナガラやエイド室長のトップの人間となる。
「ユーディン長官……なぜこちらへ?」
ナガラもユーディンの登場に驚いていた。
開発室員程度では絶対に会う事はない人間。伯爵家に属するエイド室長ですら数回遠くから見た事がある程度だろう人物。もちろんナガラも顔と存在は知っているが、子爵程度の身分では実際に見る事などない人物。
そんな人間が目の前に立っている。
なぜこんな所へ。そんな疑問が無意識に口にのぼった。そしてその呟きにも満たない息のような言葉を拾って銀縁メガネ越しの視線がナガラに向き、上から下まで視線が一瞬で走った。
「ああ、あなたがナガラ君か?」
「は」
まさか個人として認識されているとは思わなかったナガラには二文字の肯定の言葉すら喉から口の外まで届ける事ができない。
「ああ、そんなに緊張しなくていい。楽にしてくれ。私は君に何かするためにここにいるわけじゃないからね。ダメな姉に頼まれたのと、エイド室長に用があったからなんだ」
そう言って今度は銀縁メガネ越しの視線をエイドに向ける。
「わ! 私に用ですか!? さ、さては昇進でしょうかね!?」
雲上人に自分が認識されているという事実がエイドの表情を一気に喜色で華やがせる。
この状況でこの状況をポジティブに認識できるのは才能であろう。
思っていてもとても口には出せない。
「いや、昇進ではない」
「……ではぁ、昇給で?」
「いや、昇給でも昇進でもない」
ユーディンは呆れたように首を横に振った。
それを見てエイド室長は首を傾げる。衛生省のトップが自分を訪ねてくる理由がわからない。
「ではなんで?」
「その逆だ」
「逆?」
「ああ、エイド室長には違法薬物の製造流通に関わった容疑がかかっている」
「違法薬物」
「ああ、パラダイスパラダイムを知っているな」
「いえ、パラダイスパラダイムなんて薬物は知りませんよ。あんなバカみたいな薬知りませんって。パラパラなら知ってますが」
「略称に至るまでよく知っているじゃないか」
「……ってあれ? 何で? いえ、いえいえ。薬学に関わるものの一般常識ですからね。知っている事は知ってますよ」
自分の口からでた言葉がまるで自分の言葉ではないといった風にエイド室長は戸惑ったように見える。しかしそれでも王太子ユーディンの言葉に答えない訳にはいかないと考えているのかごまかすように言葉を重ねた。
「まあいい。薬は知っていると。ならば、ファイス子爵家を知っているかな?」
パラダイスパラダイムの製造を一手に請け負った結果、利権争いに敗れ、全てを失い、最後にはコンブを頭に乗せて叫んだ男の家である。
「ええ、間抜けな子爵家ですね」
「間抜け?」
「はい。派閥にハメられて親殺しの罪を背負って全部の利権をパアにした家ですよ。でもまあそのお陰でこっちに利権が回ってきたんですがね」
エイド室長のポケッとした口から辛辣な言葉がこぼれる。
その内容には明らかに犯罪の匂いが含まれている。
全てを知っている人間からすればパラダイスパラダイムの製造利権を一手にエイド・サードが受け継いだように聞こえる言葉。
「君はさっきから自分に不利な事ばかり言っている事に気づいているか?」
「はい。そうですね。あれ? 何で私はこんな事をペラペラと?」
ユーディンの言葉に一瞬我に返ったエイド室長はまるで他人のような自分の行動に不思議そうに首を傾げる。そこから否定の言葉を重ねるため口を開こうとするがどうにも口が開かない。
「ああ。まあ、こちらとしては都合がいいから良しとしよう。そのファイス子爵家が元々保有していたパラダイスパラダイムの製造ライン管理、及び流通、それによる利益の享受、諸々の容疑が君にはかかっている。罪を認めるか?」
「ええ、認めます。っていや……認めますん。っていや違う。認め、認めな、なななあああす。はあ? 何でだ何で言葉が? おかしいな」
あっさりと罪を認めた後。何度もそれを否定しようと口を開くが、出てくる言葉は肯定のみである。
どうにもおかしい。
しかしそれはユーディンには関係ない。
証拠が揃って自供も取れた。
後はユーディンの仕事ではない。
「ああ、わかったわかった。おかしいのはわかった。確かに様子がおかしいのは事実だが、容疑者からの自供を得た。後は扉の外に控えている憲兵に任せよう。おい、いいぞ」
ユーディンの一声で室長室に一気に憲兵がなだれ込んできた。
十人以上いるだろうか。これだけの人数がさっきまで物音ひとつ立てずに扉の前に立っていたのかと不思議になるほどの人数だった。中でも偉そうな二人がエイド室長の両脇を拘束して連行していった。
残りの憲兵も入ってきたのと同じように速やかに出ていった。
そうやって室内にはユーディン・フォン・ローレライとナガラ・ケーンの二人が取り残されていた。
静かだ。
ユーディンは何かを待つように扉を見ている。
ナガラは帰っていいのかどうなのかの判断がつかずに目の前にいる雲上人の言葉を待った。
そんな気まずい沈黙がしばし流れた後、扉の外が騒がしくなる。
二人ともに聞き覚えのある声。
「やっと来たか」
ユーディンの呟きと同時に室長室の扉がドンっと勢いよく開く。
「見に来た! ですわー!」
そんな入り口で叫ぶのはもちろん。
アニエス・フォン・ローレライ。妖精王女探偵だった。
「お嬢、それはうるさいから広い外と家だけにしなさいって言ってるだろう」
有能助手のフロノス・ディアスティも立っていた。
ナガラは状況がわからず、自分以外の三人にキョロキョロと順番に視線を送る事しかできなかった。
そんな挙動不審なナガラに探偵がふわふわと歩いて寄ってきて。
問いかける。
「事件は解決したですわ?」
と言われても、常識的に考えたらナガラが聞きたい状況だろう。
「解決……した、のでしょうか? 自分には何とも……」
解決したといえばしたのだろうと思えるがナガラには断言できない。
そんな様子のナガラに横から助け舟が出る。
「おう、すまねえな。ナガラさん、お嬢はいつも言葉が足りねえんだ」
いつもの有能助手、フロノスであった。
「いえ」
「なんていうか。ここまでが妖精探偵社の仕掛けだったんだよ」
そう言ってフロノスはここまでの流れの説明を始めた。
ナガラが去った後。
アニエスとフロノスは王城へと先触れを出した。宛先はユーディン・フォン・ローレライ。今回の事件の総合的な責任者だ。それに面会を申し込んでいた。普通であれば今日の今日で面会などできるはずがない。
しかしそこは妖精探偵社。王女探偵の権力と有能助手の根回しでそれは成る。
もちろん多数の誰かへの貸しを食い潰してそれは実現するのだがそれでも実現する。
フロノスは今回の事件はナガラの進言だけで止まるものではないと判断していた。
何せ黒い妖精が絡んでいる。
子爵家の末席の養子の研究者程度の力で止められるものではない。
そこで誰になら止められるかといえば、手っ取り早くその組織のトップだろうと考えてユーディンへと面会を申し込んだ。幸いにも王城内で執務中であった第二王子はすぐに面会をしてくれる事となった。
アニエスとフロノスからの頼みはエイド・サード室長から提出された事故報告書は不正に作成されたものだからその罪で謹慎なり降格なりさせてくれるようなものだった。
エイド・サード。
ユーディンはその名前に眉を顰めた。
理由を聞けば。
衛生省側でも別件でエイドの不法行為に対して内定を進めていたらしく。現在ではその証拠なども全て揃い、後は本日中に逮捕勾留して本人から事情を聴取し自供を促す所だったという。
罪状はパラダイスパラダイムの製造罪との事だった。
今度はアニエス、フロノスの驚く番だった。
自分達の関わった事件の後始末にユーディンが駆り出され、さらには別の依頼と関係していた。
だがこうなれば話は早い。
エイド・サードが逮捕されれば間違いなくナガラの事件も解決するだろうと考え、今回の事件に関してもユーディンに報告をした。これに関してもエイドの余罪として調査してくれると確約を得た。
そして本日、事はここに至った。
「そう、ですか」
ナガラは力が抜けたようにつぶやいた。
ナガラの依頼した事件は計画通り解決した。
五十人の被害者はでた。室長のエイド・サードは犯罪を犯し連行された。原因の新薬の開発は凍結した。
傷だけが残った結果だ。
ナガラは室内の人間を見回してから深く息を吐いた。
「ナガラ君」
そんなナガラにユーディンが声をかける。
「はい」
「今回の件は君の勇気ある内部告発から動いたとそこの二人から聞いた。素晴らしいと思う。それに、君は優秀だという報告は何件も聞いている。新薬開発の実績も申し分ないと私は思う」
そこで言葉はいったん切られ、ユーディンの右手がナガラの肩に置かれた。
銀縁メガネ越しの視線がナガラの目を見つめる。
「何の、話でしょうか」
「単刀直入に言おう。君にこの新薬開発室の室長になってもらおうと考えている」
「は? 私が?」
「ああ、君以外はいないだろう」
「私はまだ若輩で……」
と、言いかけたナガラの声をアニエスとフロノスが遮る。
「いいと思うですわー」
「俺もいいと思うぞ」
ナガラはそんな二人の表情を少し呆れたように交互に見て笑った。
「どうだ? 受けてくれるか?」
ユーディンの確認。
「はい、謹んでお受けいたします」
こうやって魔法新薬臨床試験における大規模事故の隠蔽は未然に防がれ、すべてが明るみに出す事によって依頼は解決した。
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