第11話 魔法の国の兄と弟

「ふんまーい! でふわー!」


 貴族街でも有名な洋菓子店に併設されている喫茶室でアニエスは感動の声をあげていた。この店は王太子サラムが頻繁に訪れる事でも有名であり、王家のパーティなどへもケーキを納めている事で有名なケーキ店。

 名前をルールー洋菓子店という。

 今日はフルート侯爵家の問題を解決し、結構な謝礼金を受け取ったため、ちょっとした贅沢という事でアニエスとフロノスの二人でケーキを食べにきていた。アニエスは一つ目のケーキとしてこの店の名物であるダブルミルフィーユケーキを注文し、そのケーキの一口目の感想がこれだった。


 ダブルというだけあって、上段はミルクレープ、下段はサクフワなミルフィーユケーキという二重構造になっているこのケーキ。上下段共にふんだんに季節のフルーツが挟み込まれていて、口に入れるとあらゆる食感、甘み、酸味が混然となるのに、それでもなお統一感が損なわれる事は決してない逸品。


 『王族も喜ぶ』というこのケーキについたキャッチフレーズは伊達ではなかった。


 同じケーキを口に含んでいるフロノスもその美味しさに言葉を失っていた。まあまあな音量で感激しているアニエスを止める事はしないのがその証拠である。もちろん客が自分達以外にいないという事もあるが、このケーキはそれほどに美味い。


「口の中の後味を紅茶で流してしまうのも勿体無く感じるですわー! 後味だけでも頬袋に保存できたら良いのにですわー」


「人間に頬袋はないんだけどな……だがまあ、そうだな。そんな気持ちもわかる。さすがサムのおすすめだ」


 アニエスのアホな発言に呆れ顔を浮かべながらも、フロノスの頬も緩んでいる。甘味は全てを許すのである。


「というか、この味を隠していたサラムは罪人ですわ!」


「罪人か……なら探偵の出番じゃねえか?」


「うぃ! 今度あったら捕まえるですわ!」


「ククク。美味いもん紹介して捕まえられたら面食らうだろうな、サムのやつ」


 そんな馬鹿な話をしていると隣のテーブルに一人の男性客が着席した。

 アニエス、フロノスは朝一番で訪れており、最初は貸切状態だったが、そろそろ客が入り始める時間らしい。隣の客をきっかけに辺りを見回してみるとそこここに客が着席していた。そしてそのまま視線を隣の客に戻すと、それはどうにも見覚えのある顔であった。


 向かい合ったテーブル越しのフロノスに小声でコソコソとアニエスが話しかける。


「知ってる顔ですわ?」


「そうだな」


「誰ですわ?」


「フルート侯爵家の次男だな。というか次期侯爵か?」


「フルート?」


「ああ、カーンさんの主人だ。この間あったばかりだろ?」


「うぃ、もちろん覚えてるですわ?」


「お嬢、絶対覚えてないだろ?」


「なんの事ですわー? ひゅひゅー」


 鳴らない口笛で嘯くアニエス。普段は桜の花弁のような唇が今は数字の3のようになっている。そしてそれを呆れながらも楽しんでみているフロノス。幸せな時間である。


 しかしそんな時間は凛と背筋の伸びた声にかき消された。


「第一王女殿下! 飲食店で口笛を吹くのははしたのうございます!」


「にゃ! これは! カーンさんの声ですわ!?」


「流石にカーンさんの事は覚えてんだな。トラウマか?」


 声に驚いて振り向いた先にいたのは、フルート侯爵家の家宰であるカーン・ピッコロであった。

 選民主義派閥に所属し、無能王女アニエスとは幼い頃から敵対関係にあったこの男の長ったらしく嫌味な説教を聞き続けた結果、この声には嫌な思い出が多く、聞いていると居眠りをしてしまう特性をアニエスに植え付けた人物。しかし先日の事件への感謝からか、敵対は反転し、今度は第一王女殿下としてなぜかしっかりと崇敬を受ける事となり、それはそれで説教が増えているため、この声の持ち主の事は完全にアニエスの脳に刷り込まれてしまっていた。


 3の口になったまま苦い顔をしているアニエスに向かってカーンは静かに頭を下げる。


「おはようございます。アニエス王女殿下、フロノス殿」


 美しい所作で流れるようになされる朝の挨拶に思わず二人で見惚れてしまう。老紳士の美しい所作が朝の喫茶室にはよく似合っていた。その段ですでにアニエスの頭から怒られた事は消えており、普段通りに朝の挨拶を返す。


「おはようですわー」


「おはよう、カーンさん。今日は随分と珍しい所で会うな」


「実は御社でマカロンをいただいて以来、スイーツにハマってしまいまして。どうにもお恥ずかしい」


「いやいや、何も恥ずかしがる事はない。スイーツは心を和らげて、脳を動かす源だ。なあ、お嬢?」


「うぃ! そうですわー! 私なんて常に頬袋にマカロンをしまってあるですわー!」


「王女殿下、それははしたないですよ。おやめください?」


「うぃ……モノの例えですわ……」


 そう言いながらもこっそりと頬に隠してあったフルーツを口内に戻し、少しだけ舌の上で味わってから嚥下した。モノの例えとは?

 そんなアニエスの行動は見なかった事にしてカーンはすでに席に着席している自分の新しい主人とチラリと視線を合わせてからかしこまってアニエスへと言葉をかける。


「それはそれとして、今日は今回の件でお疲れのリアン坊ちゃんを労わるためにこの王都随一と聞くルールー洋菓子店に来たのです。このように非公式の場で申し訳ありませんが、改めてご紹介させていただいても?」


「もちろん」

「ですわー」


「では、失礼いたします。こちらが我が主人、リアン・フルート侯爵でございます」


 紹介を受けたリアン・フルートはスッと椅子から腰を上げた。

 そうやって立ち上がったその男は長身で、亡くなったキーライ侯爵や長男のターロには全く似ておらず、全体的に線が細い。同じ風の妖精に愛された家系でも、その風の性質によってここまで容姿が変わってくるという良い見本であった。

 さらに言えば、フルート侯爵邸で見た時よりもさらに線が細くなった印象を受ける。それも当然だろうか。父親が殺害され、その犯人が兄であり、急に侯爵の任に着いたのである。その心労たるや、想像を絶するものだろう。


 それでも男は凛と立つ。むしろ張り詰めていると言った方が正しいだろうか。


「リアン・フルートと申します。まずは第一王女殿下に多大な感謝と心からの崇敬を申し上げます」


 決して言わされているのではない。

 その言葉には真摯な気持ちが詰まっていた。


「止めるですわー! そんなかしこまられたらスイーツが美味しくなくなるですわー! 一緒に美味しいスイーツを食べるですわー」


 リアンの折目正しい、実に貴族的な礼を受けて、アニエスはあたふたとしてしまった。


 生まれた時から無能というレッテルを貼られて生きてきた。家族だけは味方になってくれたが、この国の貴族は基本的にみなアニエスを見下している。王家といえども貴族がいなければ領地経営も国家運営も立ち行かなくなる。全く貴族を無視するというわけにもいかない上に、魔法が使えない娘を産んでしまったという事を恥じてはいないが、少なからず負い目となっている側面もあり、王と王妃もアニエスに対する不敬に対してそこまで強くも出られず、アニエスもそれを受け入れ、二十一年の間にすっかり慣れきっていた。

 そんな状況で、生まれて初めてこんなに畏まられてはあたふたするのも当然だ。そしてさらにあたふたするアニエスへとカーンが追い討ちをかける。


「第一王女殿下、そんな事で慌てるべきではありません。王族たるもの、家臣から崇敬を受けるのは当然。スッと手をあげるだけで良いのです」


「せやかて、ですわー」


 アニエスとしてはそんな事言ったってしょーがないじゃないか状態である。

 スッと手をあげるだけ、どころか。

 お手上げ。

 降参。

 白旗であった。

 そこへ横からフロノスが助け舟を出す。


「ま、敬ってもらえるって事は王族としては良い事だぞ、お嬢。そこは素直にありがとうで良いだろ? それと、フルート侯爵もカーンさんもここはケーキ屋だ、堅苦しいのはなしで行こうや」


「む、場所はどうあれ。王族としてふさわしい行動と貴族としてふさわしい礼儀というものが……」


 なおも食い下がるカーンだが、それを主人であるリアン・フルート侯爵が諌める。


「カーン。フロノス殿の意見に第一王女殿下も激しく同意してくれているようだし良いだろう? 何より、周りを見てみろ、異分子なのは我々のようだぞ?」


 その言葉にカーンが店内を見回すと貴族の子女らしき客で埋め尽くされた店内の目と耳は全てカーンに向かっていた。第一王女殿下と選民主義派閥主流のフルート侯爵家が揉めているのである。当然耳目を集める。


「あぁ……これは……失礼いたしました。小言はこれ位にさせていただきます。では、お言葉に甘えてご一緒させていただけますか?」


「もちろんですわー」


 アニエスとしては小言さえ終われば後は楽しいだけである。


 フロノスが店員に頼み、お互いのテーブルを寄せてもらってから四人は席についた。

 リアンとカーンの目の前にはダブルミルフィーユケーキが置かれ、アニエス、フロノスの前にはフルーツタルトが置かれていた。騒がせてしまった詫びとしてリアンが注文してくれたのだった。


 まずはケーキを堪能しようという話になり、全員でケーキを食べはじめた。

 リアンはダブルミルフィーユケーキを口に入れた途端、驚き、そこからそのままに全てが解けたようになった。先ほどまでの張り詰めていた雰囲気が一気に優しげなものへと変化した。

 どちらかと言うと冷たい雰囲気を纏っているリアン・フルートだったが、生来の気性がはこちらなのか。それともこの店のスイーツに全てを解く効果があるのか。どちらかはわからないがリラックスできたのは確かであるようだ。

 そんな風に、ミルフィーユケーキを口内で堪能し、その後味が紅茶の香りで変化するのまで楽しんで。


 リアンは深くため息をついた。

 心身に溜まっていた疲労が全て流れ出るようなため息であった。


「リアンさんは疲れているですわ?」


 そんなリアンにアニエスが心配そうに声をかける。


「ええ、そうですね。大きな声では言えませんが。アレですからね。しかもその後、アレ以外にも色々とありまして……」


 それもそうだろう。

 せっかく秘密裏に問題を解決したというのに、こんな場所で大声でそれを暴露するなんてできるわけなかろう。しかしリアンの言葉にはそれだけの意味ではなさそうな言葉が添えられている。

 そんな意味を含んだ言葉にフロノスが反応した。


「何か追加で問題が?」


「実は……弟のハートが、消えてしまったのです……」


 このテーブルの人間にだけ聞こえる音量で告げられた問題にアニエスとフロノスは息をのんだ。さすがのアニエスでも、えー弟が消えたのですわー!? などと叫び出すことはない。と思いきやフロノスがその口を塞いでいた。塞がれた下でモゴモゴと口が動いているから塞いでなかったら叫んでいただろう。

 さすがフロノス。よくわかっている。


「手がかりは?」


「どこにも」


「探しますか?」


 妖精探偵社で。という意味である。


「いえ……それには及びません」


「そう、ですか?」


「出ていったのは、どうにも本人の意思のようなので」


「本人の?」


「お恥ずかしい話なのですが……兄、ターロと弟、ハートは今回の件で繋がっていたような証拠が出てきまして」


 家内の恥を語るその小さな声。

 その後の調査でターロとハートのつながりを示す証拠がぼろぼろと出てきた。空間転移魔道具をターロに渡したのはハートだった。ターロが父を憎むようになったのもハートの言葉からだった。ターロを第四王子派閥へと誘ったのはハートだった。

 実際に手を汚してはいないがハートはまごう事なく共犯であった。

 最初はハートの関与を否定していたターロだったが、数多くの証拠を目の前に突き出されては認めるしかなかった。

 それを聞いてフロノスは行方不明の弟を探す必然性が全くない事に同意する。


「なるほど。それは出ていっても不自然ではありませんね。探さないという判断も正しいかと思います」


「一人に、なってしまいましたよ……スペアだった私だけが残されるとは……おかしな話ですよ」


 その言葉にはルールー洋菓子店のスイーツでは埋めきれないほどの喪失感があった。


 さらにポツポツと言葉をこぼれる。


 リアン・フルートは次男だった。

 侯爵になる予定などなかった。

 生まれてから今までずっと兄、ターロのスペアだった。兄のように侯爵になるための英才教育を受けたわけでもなく、逆に弟のように自由に生きてきたわけでもない。兄のスペアであるから弟のように自由にもなれず、弟であるから兄のように一流の教育を受けられるわけでもない。

 ただ良い子で問題を起こさぬように言われて生きてきたんだ。


 そんな独り言のような言葉をつらつらと語った後。


「そんな中途半端な私が急に侯爵の役目を背負う事になるとは……ね。重い、のですよ」


 侯爵という職責の重さに押しつぶされそうな気持ちがひしひしと伝わってくる言葉だった。


 喪失で穴が空いた心身へとのしかかってくる重圧にリアン・フルートはすでに潰れる寸前で。だからこそカーンは今日この店へと連れてきたのだろう。妖精探偵社で食べたスイーツに自分が少なからず救われたから。

 しかしスイーツだけではやはりリアンは救われなかった。この男には喪失だけではなく重圧も襲いかかってきているのだ。


 フロノスもカーンも目の前で潰れそうになっている男へとかける言葉が見当たらなかった。

 陽気で幸せなルールー洋菓子店の店内でこのテーブルだけ十倍の重力がかかっているのかと見間違うほどに重苦しい空気が流れていた。


 だがしかし。


 探偵にはそんなの関係ない。


「それ最高ですわ!」


「は?」


 重苦しい空気感を顔面で破り抜いていくような発言。

 もちろんアニエスの発言であるが、これに全員からはぁ? の顔がむけられた。

 そんなものにめげるアニエスではない。


「中途半端って事はどっちもわかるって事ですわ! 最高ですわ!」


「モノは言いようですね。どちらもわからないって事にもなりませんか?」


「そう、ですわ? 私は魔法が使えない私をダメだという人の言葉も理解できるですわ! でも魔法が使えなくても国民の役に立てるって事も知ってるですわ! リアンさんも私と同じですわ!」


 天啓のような言葉だった。


「アニエス王女殿下と……同じ? ……私が……?」


「いや、ですわ?」


 不安そうな顔で小首をかしげるアニエス。

 リアンは左右に大きくかぶりを振った。


「いえ、滅相もない! 嬉しい、嬉しいのです! 我がフルート侯爵家はアニエス王女殿下に崇敬を注ぐと決まっております! 嬉しいに決まっているではありませんか! アニエス王女殿下と同じ思想で! 同じ道を進む! そうかこれが私の進む道か!」


 なんだか話がとても大仰な話になっている。それに気づいてアニエスがそれを否定しようと口を開く。


「え? ……いや、そこまでは言ってない、ですわ」


 しかし。そんなもにゃもにゃとした否定の言葉はすでに手遅れで。リアンの耳には全くもって届かない。


「ありがとうございます! アニエス王女殿下! 目の前の霧が晴れました!」


 リアンは椅子から立ち上がり、さっとアニエスの前に移動すると、その足元に跪き、その手をとって額へとあてている。心からの忠誠を示す行動だった。

 アニエスも王族であるからその行動の重要さを理解しており、忠誠を誓われた手を引き抜いて逃げ出す事もできず、ただわたふたとしてフロノスに助けを求める。


「にゃ! やめ! やめるですわ! フロー! 助ける! 助ける、ですわ!」


 が。


「いいじゃねえか。家臣ができた、めでたいめでたい」


 助けを求めた先の人間も同様にアニエスに忠誠を誓った人間である。

 困り果てるアニエスの顔をニヤニヤと眺めるだけでリアンの行動を決して止めようとはしなかった。


 フルート侯爵家の派閥変更が店内にいた貴族の子女へ周知される事となった。


 噂は千里を走る。


 結果、しばらくの間。

 社交界ではフルート侯爵家の選民主義派閥からの脱退とアニエス王女派閥の立ち上げの話題で持ちきりになるのであった。


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