第10話 魔法の国の密室と実験

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    裏

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 王都にも裏通りはあるし、治安の悪い地域もある。

 輝くような魔法の力の裏にはそれを悪用しようとする人間も多くいるし、その力の恩恵にあずかれずに堕ちていく人間も多くいる。それらが行き着く掃き溜めも存在する。ローレライ魔法王国王都ではこのダイン地区がそれにあたる。

 そんな悪所にある酒場の一角。


 男が二人、話をしている。


 他には誰もいない。


 酒場の主人さえ不在である。普段であれば社会への不満や国への愚痴、魔法社会の不平等さなどがテーブルを跨いで飛び交っているというのに、今日に限っては物音ひとつしない。


 そんな異様な光景の中にいる二人の男。


 男といってもまだ少年。こんな場末の酒場にいるには不釣り合いな程の柔和な顔つきでふんわりとした優しげな風貌。着ているものも見るからに高級で。風で表現するならばそよ風のような雰囲気を纏っている。そんな少年。よく見ればフルート侯爵家三男のハート・フルートだった。


 もう片方は頭からすっぽりとフードをかぶっていて顔は全く見えない。体もローブで全体を覆い隠しているため体格などの情報はそこから全く得る事はできない。ローブの隙間から伸びる手にも手袋がはめられている。ここまで来ると自分の情報を誰にも与える気はない意志がひしひしと伝わってくる。


「失敗でした」


 まだ大人になりきらない。高い音の残った声で。

 悪所の酒場には似合わない真っ直ぐとした姿勢のハート・フルートが、正面に座っている正体不明な男に報告をする。見るからにこの場所から浮いている。もしこんな悪所にいる事がバレたら社交界に悪評が乱れ飛ぶだろう。しかしそれを恥じている様子も隠す様子もない。


「そう」


 一言、答えたフードの男。こちらの声もまだ若い。少年から大人になる肉体の声。つまらなさそうな、興味がなさそうな、そんな声色がまた思春期の匂いをはらむ。

 失敗の報告に対して叱責を想像していたハートは、相手のその興味のなさそうな一言に続く言葉を数秒待ったが、相手の動作から報告への感想がそれだけだと悟った。表情の見えない相手ではあるが挙動から明らかにそう判断できた。

 本当はここで引くのが良いのかもしれない。だが、必死でやった結果。失敗はしたが、自分は相手の立てた計画通りに行動した。それへの反応が一言だけなのは我慢ならなかった。


「……せっかくお貸しいただいた貴重な魔道具も、兄の欲のせいで台無しになりました」


 言い訳だ。兄が悪い。僕は悪くない。そんな意志を込めて言葉を発する。


「まあね。仕方ないよ」


 しかし返ってくるのは素っ気ない言葉。

 あれはターロが悪かったね。だとか、あの魔道具は君にだから貸し出したのに失敗するなんて! だとか、共感でも良い。叱責でも良い。なんでも良いから感情を返して欲しかったハート・フルート。しかし返ってきたのは仕方ないの一言で。そこでハートの表情は明らかに苛立ったものに変わった。


「仕方ないって!? でも! 兄に侯爵家を継がせて裏から操る計画がダメになったんですよ! これから僕はどうしたら良いんですか? 侯爵家は次男のリアンが継ぐ流れです。あの男はダメです、直情的なターロとは違ってうまく操れません。フルート侯爵家であの方を応援する計画が難しくなります。僕はどうしたら良いのですか!? あの方のために! 僕がどうしたらいいか教えてくださいよ! 全部あなたの計画だったじゃないですか!」


 お前のせいだろう!

 そんな感情。

 ハートの怒りの言葉と共に放たれた両拳に、安酒場のぐらついたテーブルが大きくぐらりとよろめいた。

 しかしそれが向かった先、ローブの男の態度は変わる事はない。


「まあ落ち着きなよ」


 淡々と。

 表情もなければ感情もそこにはない。ただ闇がある。ハートはその手応えのなさにさらに怒りを強めた。柔らかな表情は歪み、父、キーライや兄、ターロが感情に任せて怒り散らす時のようなものになっていた。似ていない兄弟だったが根っこの部分では同じだったようだ。


「これが落ち着いていられるか!」


 ハートの怒りは最高潮に達した。今にも掴みかからんばかりにテーブルへと身を乗り出す。

 その手がローブを掴むか掴まないか、そこで初めてローブの男に変化があった。


「いられるよ」


 先ほどまでとは違った低い声。

 思わず伸ばしたハートの手が止まる。

 緊張が走り、酒場の温度が一段下がった気がした。


「は?」


 敏感にその変化を感じ取ったハートは一瞬で尻込んだ。これが父や兄であれば引く事はなかっただろう。貴族の面子にかけて押し通しただろう。そこが性格と経験の差だった。

 ハートの態度に満足したのかローブの男はその緊張感を一気に緩める。


「まあ聞きなよ」


「……はい」


「なんで失敗しても大丈夫かって言うとさ。一番の理由は、今回のが実験だったからさ。もちろん成功するにこした事はないけど、でも実験だったら失敗しても問題ないだろう? だって実験なんだから」


「実験?」


 意味がわからなかった。

 父が死に、母が倒れ、兄が幽閉された。今回の事を目の前の男は実験だと言っているのだろうか? そんなはずはないだろう。ローレライ魔法王国の最大派閥である選民主義派閥の主流であるフルート侯爵家に起きたこの事件が実験だったと言っているのだろうか? そんなはずがないだろう。


「実験は実験だよ。暴力で家を簒奪しようとした場合にどうなるかっていう実験」


「は?」


 意味がわからなかった。

 目の前の男はやはり今回の事件を実験だと言った。なんだこれは? 目の前の男が外国のエージェントで発音が苦手なせいで事件を実験と言い間違えているのでは? なんて考えが頭に浮かぶがそんな馬鹿な話はない。魔法ですら使う事が難しい外国の人間がこの国の人間でも見たことがないような魔道具を用意できるはずなんてないだろう。まず間違いなくこの男はこの国の人間だ。そうなるとさらにその言葉を受け入れる事を脳が拒否する。


「察しが悪いね。君のとこは王家のモデルケースに近いだろう? 長男がいて、間に子供がいて末っ子がいる」


 王家のモデルケース。実験。親殺し。爵位の簒奪。子供に言ってきかすように丁寧な説明をされなくても本質は理解しているのだ。ただ、そんな大逆にも等しい目的のために動いていた事、一世一代の覚悟を実験扱いされた事、それらを受け入れる事ができていないだけだ。しかし言葉が脳に入ってきて、無理矢理と受け入れる事を迫る。


「……は、い。それは……その、つまり、王位の……」


 簒奪。

 という言葉を続けられるほどの覚悟はまだハートにはない。そんなつもりじゃなかった。


「ああ、そうだよ。僕はカレに王位を渡すために動いているんだよ。君だってそれはわかっていたんだろう? 第四王子派閥に所属するって事は究極的にはそういう事だろう? 違うかい?」


「ええ、それは……はい」


 それはそうだが。でも。それはあくまで政治的に、だと考えていたハートにははっきりと肯定する事は難しかった。もちろん政争の途中で政敵を暗殺するという手法がある事はわかっている。だが今目の前の男が言っているのは暗殺ではない。自分の邸で起きた事件をそのまま王城で起こすというのだ。


 だったら。


 それは暗殺じゃない。


 クーデターというのだ。


 さらにいえば王太子から第四王子の間には三人の王子王女がいる。

 そこを飛ばして第四王子に王位継承権を渡すという事は、つまり間にいる王子王女を飛ばすという事で。

 決して平和的でも政治的でもない方法しか思い浮かばない。


 ハートも一度は自分の手でリアンを殺害し、自分が侯爵の座を得る事も考えた。というよりもその方法を目の前の男に聞くためにここに来たという側面が強い。


 でも今この状況で、そんな思いはどこかへ霧散してしまった。

 いや。元々そんな考えを本当に持っていたのか?


 ハート・フルートは思い出した。


 妾の子であった自分に対して二人の兄も義理の母も良くしてくれた。殺したいなんて一度も思った事はない。今回死んだ父も選民主義派閥の主流にいて政治への影響力も強く尊敬の念を抱いていた。小さい頃から父に兄に尽くして生きていこうと考えていた。

 だが、出会ってしまった。学院で出会ってしまったのだ。第四王子に。ダルク様に。あの方の輝きに。あの方の闇に。心酔してしまった。


 だから憎んでもいない兄を陥れ、尊敬していた父を殺させた。

 本当はこんな事したかったわけじゃない。

 仕方なかっただけだ。

 仕方なかった?


 父も、義母も、長兄も、次兄も。


 優しかった。尊敬もしていた。


 でも死んだ。寝込んだ。幽閉された。殺そうと考えた。


 なんでだ?


 あれ? 僕はこんな事をしたかったのか? 父にダルク様の素晴らしさを知って欲しかっただけだったじゃないか。ター兄にそれを伝えたかっただけじゃないか。殺したかったわけでもないし。殺人犯にしたかったわけじゃない。どうしてこうなった? なんで僕は侯爵になろうとした?


 なんで。


「……僕はこんな事を?」


 考えが行き詰まり、目の前の男を見た時。


「あ、気づいちゃった?」


 目の前の男は軽い言葉でハートの言葉に答える。

 真っ暗なフードの中に相変わらず表情は見えない。


 でも。


 闇の中に金色の月が弧を描いて輝くように笑っているのが見えた。


 ハート・フルートはそこではじめて自分が実験動物であった事を認識した。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 事件から一週間が経過した頃。

 カーン・ピッコロが妖精探偵社を訪ねてきた。

 目の下にはクマと言うにはあまりに焦燥の色が濃い土気色の層が厚く塗られている。頬も痩けており、髪にも白い部分が目立つようになっていた。

 そんなカーンが溜息混じりの声で語る。


「キーライ様は心不全。ターロ様は重病にかかり病の床に伏した事にしました」


 声には力がなく、この一週間の苦労が察せられる。きっと全てをカーンが差配したのだろう。一週間でひと段落まで持ち込んだその能力はさすが侯爵家の家宰といったところだろう。


「そうですか」


 そんなカーンに対して、フロノスには返す言葉がなかった。一方的に嫌われていたとはいえ、つい一週間前までは敵対関係にあった相手である。しかも死んだキーライとはまともに会話した事もない。敵対しているだけの今までの関係であれば言葉だけのお悔やみで取り繕えばいい。


 だが残念ながら。今は敵対関係だけではない。


 フロノスはキーライの死の真相を知っている。ターロの行く末もある程度想像がついている。カーンの家への感情とそれを救いたいという思いも。

 そんな関係で。

 言葉だけのご愁傷様でもないし、お疲れさんでもないし、ましてやざまあでもない。

 そうなると。事実を告げられ、それを受け入れるだけの言葉が一番あっているのではなかろうか。

 その結果が、そうですか。という言葉であった。


「ここの紅茶、美味しいですね」


 それをカーンも受け入れたのだろう。侯爵家の動向をこれ以上語る事なく、出された紅茶に口をつけ、小さく言うと、ホッと息を吐き出した。前回ここを訪れた時には口すらつけなかった事に一抹の後悔がすぎる。


 そんなカーンに離れた場所から意外な人物の意外な声がかかる。


「マカロンと一緒に食べると疲れがとれるですわ!」


 アニエスだった。

 探偵机からふわふわの金髪だけのぞかせた状態でカーンに声をかけた。絶対寝ていると思っていたフロノスとカーンは少し驚いた顔でお互いを見てから小さく頷いた。

 それからフロノスはカーンの前にアニエス秘蔵のマカロンを差し出す。


「こちらどうぞ、サラム王太子おすすめの菓子です」


「いただきます」


 以前のカーンなら絶対手をつけないだろう。

 菓子だからという訳ではない。妖精探偵社は長らく選民主義派閥の共通敵であった。無能と蔑み、それらを敵とする事で派閥をまとめてきた。だがそれは相手を知らないからできた事だった。相手を知ってしまった。主家の危機を丸く収めてもらった。恩を感じてしまっている。しかも生前の主人、キーライも実績を上げ続ける妖精探偵社を無能と定める事に無理を感じはじめてきていた。それはカーンも同様で。それが今回の事件を経た事で。


 もう、敵とは思えない。


 手に取ったマカロンを口に含むと口中に甘味と香りが広がる。


 ここ一週間は何を食べても味がしなかった。

 味わって何かを食べる時間もなかった。


「うまい、ですね」


 口中にふわりと解けた生地がクリームと混ざる。まるで己の疲れも解かれるようだった。

 アニエスが言うとおりだった。

 それを紅茶で流し込み嚥下する。


 マカロンの甘味と、紅茶の温度が胃に落ちて。

 フワッと緊張が解ける。それと同時に感情が一気に押し寄せてくる。


 カーンにとって主人が全てだった。

 主人を立てるためだけに自分の身を粉にして尽くしてきた。

 主人が死ぬくらいなら自分が死んだ方がいいと思って生きてきた。

 そしてその死に直面したあの時、穴が空いたのがわかった。

 同時に穴を開けた犯人もわかった。わかってしまった。

 そこに残されたダイイングメッセージは明らかにターロの名前を書く途中だった。

 当主が息子に殺される。息子が親を殺す。

 これはお家取り潰しとまでは行かずともなんらかのペナルティを受ける可能性が高い。

 このままでは主人を失った上に主家まで失う事になる。

 そこでカーンの穴はさらに広がった。


 それを埋めるために駆け出し、妖精探偵社に辿り着き、なんとかフルート侯爵家は救われた。


「あり、がとうございました」


 嗚咽混じりの感謝の言葉。

 溢れる涙と。

 色々な意味がこもった感謝の言葉だった。


「うぃ、一個だけじゃなくて、まだまだあるからもっとマカロンを食べるといいですわー。元気が出るですわー」


 返ってきたのはアニエスの少しズレていてそれでいて呑気な気持ちになる言葉で。


「お嬢らしくていいね」


 フロノスはそれに笑顔で同意するのだった。

 そんな二人の言葉にカーンは泣いたまま笑った。


「ここはいい場所だ。これまでの非礼を心からお詫びいたします。次期、フルート侯爵であらせられるリアン・フルート様からも礼と詫びの言葉をあずかっております。我らのアニエス第一王女殿下へ崇敬をお受け取りください」


「だってよ、お嬢」


「うええええ。崇敬とかいらないですわ! 普通がいいですわー」


「アニエス王女殿下、ご安心ください。我らが必ず御身を王女たらしめますので!」


「いらないですわー! カーンはすぐに行儀が悪いって嫌味を言うですわー!」


 妖精探偵社にはアニエスの悲鳴と、フロノス、カーンの笑い声がこだました。


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