第9話 魔法の国の密室と探偵
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表
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そんな妖精探偵社。
今日も依頼人が訪れている。
「依頼人はローレライ魔法王国中央貴族街にお住まいのカーン・ピッコロ様、男性、六十五歳。フルート侯爵家にて家宰をされております。フルート侯爵家は王、王太子派の中の、選民主義派閥に属しておられます。そこで代々家宰をされているピッコロ男爵家も同様に選民主義派閥に属しており、魔法が全く使えないアニエス王女殿下を陰で無能王女と蔑んでいる一派となります。では本日の依頼をどうぞ!」
助手が滔々と依頼人の情報を誦じる。
その言葉には棘を通り越してナイフと化した言葉が生え、依頼人に向けて刺さりまくっているが、それも当然。
彼と彼の主人らは選民主義者だ。
選民主義者とは。
このローレライ魔法王国には、魔法が使える人間は世界から選ばれた人間だという主義を主張する人間が存在する。これが選民主義者で。彼らは魔法を使える人間は妖精に愛され、世界に愛された特別な人間だと考えている。その考えが行き着く先は自然と国内で最強の魔法使いである王、王妃へ向かい。それを崇拝する事になる。
厄介な事に彼らが王家支持派の中の最大派閥となる。
王家支持派とはいえ。彼らの考え方は王、王妃のそれとは根本的に異なるためよくトラブルを起こす事でも有名だった。
その中でもフルート侯爵家は選民主義派閥の主軸となる家であり、アニエスが生まれた時に真っ先に神に帰すべきという意見を申し出た貴族でもある。それ以降も折々に触れてアニエスへの嫌がらせをおこなってくる派閥の最先鋒の人間がフルート侯爵家だった。
「私とて、このような場所に来る気などありませんでした」
家宰、カーン・ピッコロもフルート侯爵家同様の選民主義者であり、フロノスの言葉に不満な表情を浮かべている。それに対してフロノスは小声で「じゃあ来んなよ」とボソッと漏らしているがそれが依頼人に届く事はない。
「何か?」
言葉は届かないが、物言いたげなフロノスの表情に、カーンも敏感に反応する。
「いいえ。時間は有限ですので依頼をどうぞ」
うながされたカーンは不承不承ながら口を開き。
語った内容はこうだった。
今日の朝。
フルート侯爵家当主、キーライ・フルートが自室で死んでいるのが発見された。
死んでいたのは自分の寝室で、そこには本人以外には開けられない魔法鍵がかかっていたという。
家宰、カーンはここで言葉を詰まらせた。
その死を思い出したのか見るからに辛そうで。人生を懸けて尽してきた主人の死を悼んでいるように見える。しかし流石というかなんというか。すぐに感情を持ち直し言葉を続けた。
なおも少し震えている声で語られた発見までの経緯はこうだった。
朝。
侯爵家のそれは起床した侯爵、キーライの呼び鈴で始まる。キーライの朝は早く、家中の誰よりも早く起きている。当然使用人はそれよりも早く準備を完了していなければならず、その鐘の音で侯爵家の一日が始まるのが通例であり、使用人の始業の鐘となっていた。
しかし。
今日の朝はそれが鳴らなかった。
不審に感じた侍女がキーライの部屋をノックするが反応はない。そこで家宰、カーンに報告と相談が来たという。カーンは主人の鐘の鳴る前にはすでに仕事を開始していたがその手を止めて、すぐさま指示を出した。
寝室は三階にあるが、まずは窓から室内を確認するように庭師に指示をした。さすが選民主義者の家だけあって、有能な人間が揃っているフルート侯爵家である。庭師といえどそこそこ高度な土魔法が使用できて、即時に三階まで階段状の足場を作成した。
そうやって作った階段の踊り場から庭師が室内を確認、した途端に悲鳴を上げて階段を駆け降りてきた。震える声でシシシシと発するばかりで歯も噛み合わない。
仕方なく家宰のカーンが代わりに階段をのぼり部屋の中を見る。
そこには。
血まみれのキーライが横たわっていた。
「旦那様が! 血まみれに!」
叫んだ言葉は家中を走り抜け、その事実に全員が慌てふためいた。
使用人だけではなく、キーライの妻や息子たちが部屋の扉の前でどうにかしろと喚き始めた。
まだ命がある可能性もある。
一刻も早く救出するために、ショックから立ち直った庭師が窓から侵入しようとするが、魔法鍵がかかっていて入る事はできない。魔法鍵はキーライ本人にしか開ける事ができず、ならば破壊しようと試みるが、敵の多いフルート侯爵家では防犯のために窓及び外壁には特別な硬化魔法が施していて、王族クラスの魔法でないと破壊する事はできなかった。
では、と。一旦屋内に戻り、今度は部屋の扉を破壊するように邸内の風魔法使いを招集し、エアーカッターで扉の蝶番を重点的に破壊し、そこでなんとか扉を開く事ができたという。
「邸内は外壁と違って通常の硬化魔法でしたから助かりました」
苦労を思い出したかのように家宰、カーンがため息をついた。
扉を除去し、中に見えた主人の姿を語るカーンの目から一筋の涙が頬をつたった。
滅多刺しだったという。
どこが致命の一撃だったのか判断がつかないほどの刺し傷だったという。
詳しく見るまでもなく死んでいるのがわかったと言ったその口調には悔しさが滲んでいた。
その状態からおっとり刀でこの妖精探偵社に駆け込んで、現在に至っていると言う。
「……つまりはその犯人を妖精探偵社に見つけてほしい、と?」
悔しそうに嗚咽を漏らすカーンがある程度落ち着くのを待って、フロノスは口を開いた。主人を失い、憔悴しきった男に対してはフロノスでも先ほどまでの敵意を向ける事はできなかった。
「ええ。内密に見つけてほしいのです」
「事情が?」
「……あります」
「伺うことは?」
「できません。……侯爵家の恥になりうる、とだけ」
「ああ」
フロノスはその言葉だけで納得した。家宰、カーンは内部の犯行を疑っているのだ。憲兵ではなく、まずは妖精探偵社に来たのはそれが理由だろう。でなければあれだけ見下していたアニエスを頼るなど考えもしない。
探偵業のために国内の情報を国の諜報部と同等のレベルでフロノスは保持しており、その中で得たフルート侯爵家の情報にその根拠があった。
フルート侯爵家は単純に言えば家督争いが起こっているような状態になっている。
通常であれば長男が家督を継ぐのがスタンダードなローレライ魔法王国。フルート侯爵家もそれに倣い長男が次期侯爵という立場にいるが、ここ数年その長男がおかしいという話がある。
選民主義を拗らせているというのだ。
当主のキーライは基本的には王家に忠誠を誓っている。選民主義の思想として、王、王妃の血統が誰よりも妖精に愛されていると確信しているからで、そしてそれはつまり一番強大な魔法を行使できるという話になる。だから王、王妃は絶対だし、強大な炎を操る王太子、サラムが次の王になる事も賛成している。
しかし長男、ターロ・フルートがここ数年おかしいという。次代の王に王太子サラムではなく、王子ダルクを推しているという。ダルクは闇魔法から光魔法へとコンバートした特異な王子。その属性は両方とも珍しい属性であり、それを論拠にダルクは誰よりも選ばれし人間で、ダルクこそが次代の王にふさわしいのであるという。
その論を唱えているのはターロだけではなく、ある程度の格の貴族家が参加しており、現在は馬鹿にできない規模の派閥となっていて、王も王妃もその対応に苦慮していると聞く。さらにそこへ選民主義派閥でも有力なフルート侯爵家が加わったとなるとその影響力は跳ね上がり、王や王妃への苦労を増大させる事になる。
フルート侯爵家では本意ではない。
そのため、フルート侯爵家では必死で隠しているが、ターロ本人が隠していないのでそれは当然だだ漏れてくる。下手をすれば選民主義派閥への造反とも取られかねない長男の行動に、日々キーライとターロの関係性が悪化しているともっぱらの噂であった。
そんな噂がある中、当主であるキーライ侯爵が殺害された。
つまりはそう言うことで。
「お察ししました」
「感謝いたします。という事はこの依頼、引き受けていただけるという事でよろしいですか?」
「ええ」
「よかった」
カーンが息をこぼす。ここで断られた場合はそのまま憲兵を連れて調査し、全てを公にせざるを得ない所であった。そうなった場合のフルート侯爵家はとてもまずい事になるだろう。亡き主人の愛した侯爵家を守るためにカーンは主義主張すらも捨ててここまで来たのだ。
「て事だ、お嬢!」
フロノスが探偵机に座っているモフモフの金髪妖精王女探偵に声をかける。
しかし、返事はない。屍か?
いつもならば出番ですわーとか言ってもこもこ動き出すはずの金髪が全く動かない。
「お嬢?」
うかがうようなその問いかけに返ってくるのはスースーとした可愛らしい寝息であった。
「……寝てるな」
そう確信して探偵机まで行ってみれば案の定寝ている。
瞳を閉じている。スースーとした寝息にあわせて揺れる長いまつ毛、睡眠で体温が上昇しているのか紅色の柔らかそうな頬、頭を傾けて寝ているためにあらわになっている細く白いうなじ。
妖精を通り越して天使に見えた。
その耳元で。
助手、フロノスは透き通るような声で甘く囁く。
「お嬢、出番」
「うにゃあ!」
呼びかけられたアニエスの金毛がぶわりと膨れ上がった。相当の驚きがあったらしい。見開かれたまん丸な瞳で隣で笑っているフロノスを確認、反射的に抗議しようとした瞬間に状況を思い出したのか、気まずそうに目を逸らした。
しかしフロノスからは逃げられない。
「寝てたな?」
「なんのこと? ですわー?」
目線を逸らして嘯く姿は可愛い。
が、フロノスは許さない。
「嘘やごまかしは良くないぞ?」
真面目に睨むフロノスの教育的指導にむうと頬を膨らませる。
「はいはいー。寝てたですわー。だって話がつまらないですわー。それが悪いですわー。お菓子も持ってこないしー。それにあの人に子供の頃によくいじめられたですわー。いやですわー」
あ、開き直った。
どうやら子供時代にカーンに蔑まれたのを覚えていたらしい。多分ネチネチと嫌味を言われていたのだろう。その時に彼の話を無視して寝る癖がついたようだ。
「ならこの依頼、断るか?」
そう言ってフロノスは相談スペースのソファに腰掛けているカーンに視線を投げた。フロノスは基本的にアニエスのイエスマンだ。一度引き受けたとはいえ、アニエスが嫌といえば喜んでカーンを外へ放り出すだろう。剣呑な視線を受けてカーンは慌てる。
「な! それは! 今までの非礼は伏してお詫びする! アニエス第一王女殿下! 申し訳ございませんでした。是非、依頼の方、よろしくお願いいたします」
「だってよ。お嬢、どうする?」
「謝ってくれるなら、見るのですわー!」
むふぅと息を吐き出し、その謝罪に満足したようにニンマリと笑うと、いつものように。椅子の上によじよじと上り、椅子の上に立ち、そしてそこから飛び跳ね、探偵机の上にドンっと仁王立ちした。
「見るのですわー!」
机に降り立った今日の天使、もとい妖精探偵は若干寝ぼけまなこで、金色のもふもふ髪の毛は変な風に寝ていたせいか片側が逆立っている寝癖がついていた。
「依頼を受けていただいたとは言え……その行動はいかがなものか!? 王女としてはしたない! む……こういう所が選民主義派閥に受け入れられないのですよ」
ここは普段はフロノスが文句を言う所だが、今日はそれよりも口うるさいカーン・ピッコロ男爵が苦言を呈す。しかしフロノスの言葉ですら無視するアニエスにはそんな言葉が届くわけもない。
無視である。
そんな態度にカーンは眉を顰めるが、今は依頼人の弱い立場であるためそれ以上何かを言う事はなかった。
アニエスはそんなカーンを見て、軽くウシシと笑う。
そして。
小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。
左目を閉じて。
右目を開いて。
覗いた先には依頼人のカーンがいる。
それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。
そこに映るのは依頼人ではない。
そこに映るのは依頼の結果である。
アニエスはただその見えた結果を告げる。
「男が男を滅多刺しですわー!」
若干ドヤ顔である。
だが。それはみんな知っている。
「おう、それはみんな知ってるぞ」
フロノスの言葉にカーンも無言で頷く。
「うぃ?」
そうなの? 的な顔である。
そもそもの依頼がそれであるのだから当然だ。話を聞いていたなら普通にわかる事だが。そこから聞いてなかったのか。とカーンが呆れ、フロノスは笑った。
「刺している男が誰かを知りたいんだ。見えるかお嬢?」
「うぃ、見るですわー。……んー暗いですわー。シルエットでぐっさっぐさしてるのは見えるですわー。もう少し光が欲しいですわー」
「昨夜は満月だ、ちょっと待てば光が差し込むかもしれない。もう少し見てみろ」
「うぃー。あ、男が立ち上がったですわー。おお、光が差し込んできて……顔が——」
「見えたか!?」
「見えたですわー」
「誰ですか!?」
「男ですわー」
「おう、そうか。で、それは誰だ?」
「タ、ターロ様では……」
ソファから身を乗り出してカーンが問いかける。
「誰と聞かれても見たことはあるけど名前なんて知らない男ですわー。嫌いな顔ですわー。月明かりに頬を血に染めてニヤッとしてますわー。酔ってるですわー。あー、なんかモヤモヤしていなくなっちゃったですわー。バイバーイですわー」
そんなアニエスの言葉に二人は同時に気づく。
例え観測で見て顔がわかったとしても、アニエスにはどの男がフルート侯爵家の人間かなどわからないのだ。今日ここへきたカーンの顔も覚えてはいるけれど、その男がカーンと言う名前で、ピッコロ男爵家の次男などという情報には毛ほども興味がなく知る気もないし覚える気もない。当然今見えた男がフルート侯爵家の誰かかなどわかるわけもない。
どちらともわからないため息が室内に響く。
アニエスが見た男が、フルート侯爵家の人間か否かを判断するには面通しをする必要があると言う事になる。侯爵家の人間がこの妖精探偵社に来る事は絶対にない。となるとアニエスが直接フルート侯爵家へ赴き、顔を見ないと実現は難しいだろう。
「行く、か……」
「そ、そうですね」
フロノスとカーンは小さく頷き、そそくさと出立の準備を始めた。
その間も観測を続けていたアニエスのこんな言葉は二人の耳に届かない。
「あ、おじさん、床になにか書いてるですわー。タ? 続きは……あ、暗くなって見えないですわ! 何を書いたんですわー? ……あ、死んだ、ですわ!」
そんな観測もフロノスのお嬢、観測をやめていいぞ。お出かけだぞーの声で終わりを告げ、そのまま三人はフルート侯爵家へと向かって馬車を走らせるのだった。
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「なぜ無能女がフルート侯爵邸にいるのだ! カーン!!」
一人の男が叫ぶ。
二十代半ばくらいだろうか。
風の妖精に愛される傾向の強いフルート侯爵家の中でも暴風に強く愛されていそうな強面な顔貌は、怒りの感情を上乗せしている事によってさらに苛烈となっており、まさに怒りの権化と化している。男から見れば、父が殺害された上に選民主義者の家に唾棄すべき無能がいるというこの状態。怒りに任せて怒鳴り散らすのに正当な理由となろう。
これが長男、ターロ・フルート。
「カーン、このような事態にどこへ行っているのかと思えば。……そういう事か。……しかし無能の力を借りたとあってはフルート侯爵家の名に傷がつくぞ。兄上のいう様に追い出した方が良いと、私も思うが……」
一人の男が言葉尻に眼鏡をクイっとする。
こちらは長男、ターロとは似ておらず、体の線が細く、顔も細面、酷薄な瞳も細く、全体的にスッとしている。鋭利で切り裂くような風の妖精に愛されているのだろう。
発言においても長男とは違い、カーンの意図を汲んでいるような発言をしている。しかし一見冷静沈着に振る舞っているように見えるが、眼鏡の位置を直す手が小さくカタカタと震えている。それは動揺か、怒りか、どのような感情で震えているのかは見た目にはわからない。
これが次男、リアン・フルート。
「兄さんたち、落ち着こうよ。カーンは父上や、この家の事を心から大事に思っている人間だよ。きっと何か理由があるんだよ」
一人の男。とは言い難い年齢に見えるから少年とする。
一人の少年が兄二人を諌めるように振る舞う。
年の頃であれば、第四王子、ダルクと同じ年くらいだろうか? ふんわりとした優しげな風貌。風でいえば微風のような雰囲気を纏っているが、風というにはしっくりこない雰囲気である。もしかしたら別の妖精に愛されている可能性が感じられた。その口から発せられる兄二人の意見の間を取り持つような発言からも、亡き父親や兄二人とは違う感じがする。それが家族内で甘やかされた末っ子特有のモノなのか、別な理由があるのかはわからない。
これが三男、ハート・フルート。
三人の母であり、死んだキーライ侯爵の妻である、ビーツ・フルート侯爵夫人は心労で倒れており、この場にはいない。
侯爵家の面々から敵意を向けられ放題の妖精探偵社。
家宰、カーンに連れられてフルート侯爵邸到着後、通された部屋は一階の応接室で、準備を整えますのでと言ってカーンが消えた数分後に三人の息子たちが飛び込んできて怒鳴られている形である。
しかしまあそんなのは妖精探偵社にとって日常茶飯事なので。
フロノスは無視して優雅に紅茶をふくみ、アニエスは無視して持参したマカロンを両頬にふくんでいた。
「無視するな! 馬鹿にしおって! 私は次期侯爵! いや! 今や! フルート侯爵だぞ!」
少し気が早い男であるようだ。王宮に死亡証明書と一緒に必要書類を提出して、諸々承認されなければこの男が侯爵になる事はない。しかも身分で言うのであればここには本物がいる。
「わわしはほうほではんへーでふわー」
こうである。きっと立場を言っているのだろうが、なに言ってるかわからない。
「お嬢、はしたない。その頬袋をどうにかしてから喋りなさい」
「うぃ」
もぐもぐと頬袋からマカロンを口内に戻してモキュモキュと咀嚼してから、怒り狂っているターロを見つめる。しっかりと真っ直ぐに見つめる。
そのキラキラと色を変える右目に射抜かれたようにターロの怒りは怯んだ。
「な、なんだ! む、無能が侯爵である俺を不躾に見るな!」
「私は王女で探偵ですわー」
先ほどはこう言いたかったのである。
「だ、だからなんだ!? 王女とはいえ、所詮は無能! この国内では敬意を払うに値しない!」
「それは生まれた時から知ってるですわー。でも貴方も敬意を払われる存在ではないですわー」
「い、意味がわからんぞ!」
なおも己を見つめる虹色の瞳にターロはさらに狼狽える。
「お嬢、この男か?」
フロノスはティーカップを音もなくソーサーに戻してアニエスに問いかける。
そしてアニエスは答える。
「そうですわー。この人が
「は? この無能は何を言っている! 聞くに耐えん戯言だ! 俺が父を殺したとでも言うのか! 馬鹿らしい! 誰でもいい、さっさとこいつらを追い出せ!」
事実上の当主であるターロ・フルートの命令。
しかし誰もそれに従う人間はいない。
「おい! なんで誰も動かない!」
みんな知っている。
妖精探偵社の実績は本物だ。アニエスが無能王女とただ蔑まれていたのは数年前まで。今は無能王女の名よりも、妖精探偵の名の方が有名になっている。そしてその探偵内容に誤りがない事も有名だ。今回死んだキーライ侯爵ですら最近は無能と蔑んではいるが、その功績は認めていた。だからカーンも妖精探偵社を訪れたのだ。
ターロはこの場で孤立した。
「カーン! カーン! どこだ! さっさと来てこいつらを追い払え! ここはフルート侯爵家だぞ!」
ターロの幼い頃から何でも言う事を聞いてきたカーンを呼ぶ。
同時に待っていたかのように応接室の扉が軋んだ音をたてて開いた。
「坊ちゃん」
軋む扉をゆっくりと押し開いてカーンが入ってきた。
「遅いぞ! カーン! なんでこんな奴らを家に入れている! さっさと追い出せぇ!」
「……それは出来ません」
「カーン! お前も俺が親父を殺したと思っているのか! こんな無能の言う事を信用するのか!」
「そう、ですね」
「馬鹿なことを言うな! こんな狂った女の言う事だけで犯罪者に仕立て上げられるのか! 証拠はどこだ! 証拠をだせ! 俺は昨日の夜は部屋に入ってから一度も部屋から外に出ていない、警備の人間に聞いてみろ!」
防犯のために王族以外には破られないような硬化魔法を外壁や窓にかけているほどに敵が多いフルート侯爵家。ここ数年、敵対勢力からの暗殺やらなにやらが多く、室内には警備の私兵が立つようになっていた。
「ええ、そうですね。ターロ様の部屋の前で立ってた当直の警備兵もそのように言っています」
「ならば! 犯人は俺ではないのはわかるだろう! しかも親父の部屋を開けるのにあれだけ苦労したんだ! 俺がどうやってあの部屋に入るってんだよ!」
正論だ。
今日の朝の苦労は身に染みている。あれだけの人数であれだけ大騒ぎしてやっと扉を壊して入ったのだ。あの状態の室内に何事もなく侵入して殺して出ていくなんて芸当は魔法にだって出来ない。
行き詰まった空気感の中。
それを破るのはやはり探偵だった。
「モヤモヤから出ていったですわー」
「は!?」
その場にいる異口が同音を放つ。しかしそこにのる心情は様々だった。異口同音、異心同音である。
大多数はモヤモヤってなんだと言う気持ちであり、それをフロノスが代弁する。
「お嬢、モヤモヤとはなんだ?」
「そこの滅多刺し男は月明かりの中でナイフを舐めるフリしてニヤアって笑ってから黒いモヤモヤの中に入って部屋から消えていったですわー」
「そ、そんな事はしていない!!」
ターロは必死で犯行を否定する。犯行を否定しているのか、行動を否定しているのか。どちらにしろその行動をバラすのは魂の殺人になりかねないからアニエスはやめた方がいい。すでに狼狽していたターロが心なしかさらに狼狽しているように見える。しかしフロノスはそんな事を意にも介さず続ける。
「お嬢、そのモヤモヤは何もない所に発生していたか? それともなにか物からでている感じだったか?」
「部屋の中の彫刻みたいなのから出ていたですわー」
「わかったお嬢、ありがとうな。カーンさん、現場を見る事はできますか?」
「ええ。問題ありません」
カーンの承認を受けて、その場にいる全員で事件現場へ移動する事となった。全員言葉なく進む中、ターロだけは無能を追い返せ! 俺が主人だ! などと喚いていたが、それでもギャアギャアと賑やかに後ろについて移動した。
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入り口に扉がない部屋。
つい数時間前までは全てが閉ざされていた部屋。
無理やりにはずされた扉は入り口の脇に立てかけられていた。その蝶番付近についた傷が朝の苦労を物語っている。
現場の保全の必要性を考えて、中に入るのは妖精探偵社の二人とカーンのみとした。
当然、ターロは怒りをあらわに抗議するが、リアンとハートの二人に強く押し止められている。
その後ろには従者や侍女などが心配そうに中をうかがっている。
そんな室内。
いまだに殺害された状態のまま横たわっているキーライ。うつ伏せになって倒れており、右手だけが頭の方に伸びている。その右手の人差し指一本だけが何かを示すように立っていた。
その指が示す先にスッと立つカーンは語る。
「事件後、扉を開いてから中に入ったのは私だけです。下手に中へ侯爵家の方々を入れて疑いがかかっては困るため、私の進退を賭け、立ち入り禁止にさせていただきました」
「懸命な判断です」
死んだとて主人。
その横に立つ家宰はどこまでも凛としている。アニエス、フロノスともに最初に感じていた嫌悪感は薄れていた。選民主義者とはいえ、その人間の信念に沿い、それに人生を賭した人間は綺麗に見える。
「さて、お嬢。さっき言ってたモヤモヤはどこから出ていた?」
「これですわー! これですわー!」
そう言ってアニエスは窓際付近にあった歪んだ輪のような彫刻を手に持ち、体ごと上下してわっしょいわっしょいしている。
「おう、ちょっと貸してくれ」
「うぃ」
アニエスはわっしょいわっしょいしたまま歩き、フロノスにその彫刻を手渡した。
「あぁ、これは……」
そこまでで言葉を止めた。
彫刻に黒い妖精がわんさかとまとわりついている。
どうも輪になった穴から湧いてくるようだ。しかも湧いてくるだけじゃない。妖精が出たり入ったりしているように見えるから、おそらく対になっている魔道具との間を行ったり来たりしているのだろう。アニエスが言う黒いモヤモヤはここから出てきた大量の黒い妖精で。それらは魔道具間を行き来している。
そんな行き来する黒い妖精に紛れて空間を転移する魔道具なのだろうと推測できる。
これを使ってターロ・フルートは密室殺人を成し遂げたのだ。
しかし今は人間を転移させるほどの力は失っているように見える。行き来する黒い妖精の量が少なく、人間一人を覆う量の黒い妖精は出現しそうにもない。となるとこいつはある程度証拠にはなるかもしれないが、妖精を見る事ができる人間は少ないため確たる証拠にはならない。
「これ、汚いですわー」
「そうだな」
そんなフロノスの推理の横でアニエスが汚いモノを触ったかのように手を振っている。
黒い妖精が見えているフロノスはそれに同意する。実際、フロノスも積極的にはこれに触りたいとは思わない。
「その彫刻は何なのですか? この事件の証拠になりますか?」
アニエス、フロノスの会話の意味がわからないカーンが心配そうに問う。
その問いにフロノスは頷き答える。
「恐らくこれは空間を転移する魔道具だろうな。魔力の流れ的に対になる魔道具がどこかにあって、お互いの空間へ相互に転移できる力がある。その力で犯人は密室に入り込み、被害者を殺害、密室から脱出した。これがこの事件の肝だ」
「空間、転移? ですか?」
そういったカーンは勿論、扉の外にいる人間全員が全員、何を馬鹿な事をという顔である。
そうなるのも自然。
このローレライ魔法王国でも時間と空間を操る魔法は存在しない。魔法とはあくまで四元素、火、土、水、風を操るモノが主であり、稀にダルクのような光や闇を操る魔法が存在する。
時間と空間を操る魔法は建国以来存在していない。
「そんな物が存在するわけありません。魔法ですら存在しないのに、その効果を定着させた魔道具などあり得ない!」
カーンの言う通り。魔道具は魔法よりも難しい。魔法はその使い手が妖精に愛されているが故に妖精が使い手の魔力を使用して物理現象を改変する。しかし魔道具は勝手が違う。その魔法の使い手の存在の一部などを道具にパーツとして配合し、妖精にその魔道具を愛させる必要があり、なおかつそのパーツがその魔法行使の意図を持ち続けなければならない。
「だが、ここにそれがある」
フロノスは左手に持った彫刻を見せびらかすように軽く揺らした。
「……証明が必要です」
「だろうな。しかしこいつは力を使い果たしてもう一度人間が空間転移できるほどの力はない」
「それでは証拠にはならないではないですか! 無能の虚言と言われても仕方ないのですよ!」
「落ち着け、カーン。俺は人間が転移するほどの力はないと言った」
「だからそれでは! って……あぁ!」
証拠にならない! と激す寸前のカーンは気づいた。フロノスの右手にはいつの間にか小さな玉があった。親指と人差し指でマルを作ったくらいの大きさの玉だった。その玉が何を示しているのかを理解した。
「そうだ、小物程度ならまだ転移させられるんだよ。しかもそのブツは犯人に関連する場所にある可能性が高い。下手したら犯人の自室とかにあるんじゃねえか?」
「そんな馬鹿な! 証拠ならば隠滅している可能性の方が高いでしょう?」
「確かにその可能性もあるだろうな。だが、な。空間転移できる魔道具だぜ。前代未聞だよ、証拠隠滅するよりも隠し持っている可能性が高いだろ? どっちにしろやってみれば、これが空間転移魔道具かの証明にもなるし試してみる価値はあるぜ」
「それは確かに、そうですね」
カーンが納得したと同時に外にいる人間たちからも同様の空気感が流れる。
「さて、じゃあ説明しようか。ここにある玉はスイッチを入れてから十分したら結構なボリュームで音がなる。これを転移させて十分待てば犯人の所へご案内だ。まあ子供のおもちゃだが、こんな時には役立つだろう?」
「にゃ! 私のおもちゃですわ! 最近見ないと思ったらフロノスが奪っていたのですわ! 羨ましいなら言ってくれれば貸したですわ!」
大人の話に興味をなくして外の風景を眺めていたアニエスがおもちゃという言葉に振り向き反応した。
「羨ましくねえよ。お嬢が散らかしっぱなしで床に転がしてあったのを片付けようとしてたのが、たまたまポケットに入ってたんだよ。部屋を掃除しろって言ってあったよな? あれは流石にやばいぞ?」
「うぃ? 綺麗ですわー部屋は綺麗ですわー」
やぶをつついたら出てきた蛇を見ないようにそっぽをむいてアニエスは嘯く。
口笛吹くともっと藪蛇が寄ってくるぞ。
「だから、嘘や誤魔化しをやめろっての。まあ、お嬢の汚部屋の話は置いておいてだ。早速やるぜ」
フロノスは右手の中にある球状のおもちゃを全員に見えるように掲げてから、親指と人差し指で軽く押しつぶす。
カチリと音が鳴り、スイッチが入った事実を告げる。
「これを、ここに、落とし入れる」
今度は逆の手に持った空間転移魔道具とされている彫刻を、外にいるフルート侯爵家の面々にも見えるように掲げた。そしてその彫刻をスッと下に下げ、右手の玉をその輪の上に、皆に見えるように掲げる。
落とせば輪の中を通るように。
今。
細く美しい右手の人差し指と親指が。
離れる。
玉は。
落とし入れられた。
重力に引かれたそれはクルクルと回って落下する。
彫刻の輪を目がけ。
そしてその輪の中を通る。
普通ならばそのまま地面に落ちる。
しかし。
それは地面には落ちず。
消えた。
「消えた!」
驚いたのは誰の声だっただろう。部屋の外にいる外野の何人かだったろう。同時に息を飲む音や驚きの声も扉の外から聞こえてくる。
「ご覧の通りだ。まずはこれが空間転移の魔道具である事は証明されたな」
そう言ってスッと立っているフロノスの姿は多分誰よりも探偵らしい。
しかし助手である。
本物の探偵は自分のおもちゃが消えた事をその場にいる人間と同じように驚いている。というか一番消えて楽しんでいるのはアニエスかもしれない。金色のもふもふ毛が膨らんで嬉しそうに揺れている。地面に自分のおもちゃが落ちていないか一生懸命探している。
「では後は十分ほど待てばよろしいのですか?」
カーンが無感情に問う。
この結果が何をもたらすのか。もたらされたモノをどう処理すれば侯爵家に害が少ないのか。
すでにカーンの意識はそこへと行っている。
「いや、もう待つ必要もなさそうだ」
「それは……」
どういう事だと続けるカーンの言葉を、手で遮ったフロノスが目で扉の方を見るように促す。
「もうすでに一人いない」
その視線の先にいるはずのフルート侯爵家三兄弟。
その中の一人がかけていた。
「……坊ちゃん」
「滅多刺し男がいない! ですわー!」
「さて、案内してもらおうかね」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「くっそ、くっそ! ああああ! くそがぁ! 絶対バレないんじゃなかったのかよお!」
ターロは走る。
強い踏み込みに床が悲鳴をあげる。
「やばいやばいやばい! あんな道具! ナイフと一緒にさっさと捨てとけば良かった!」
ターロは廊下にある調度に当たる。
床に落ち割れた花瓶が悲鳴をあげる。
「俺の部屋で音が鳴ったら終わりだ! 時間は十分だ! 」
ターロはすれ違う従者を押し退ける。
壁に当たって倒れた従者が悲鳴をあげる。
「ああっ! 扉邪魔だ!」
ターロは風の魔法で扉を吹き飛ばす勢いで開く。
重厚な扉が腹を撃ち抜かれ悲鳴をあげた。
廊下の突き当たりにあるターロの部屋。その部屋の扉。開いた風穴を怒りに任せて潜り、部屋の中に入ったターロは一直線にキャビネットへと駆ける。子供の頃から宝物を隠していたキャビネット。その三段目、鍵のかかる棚、胸ポケットにいつも閉まってあるその鍵を手にして解錠し、荒々しく引き出すと、その奥底に手を突っ込み、モノを取り出す。
それは殺害現場にあった彫刻と対をなす彫刻。空間転移魔道具。
これがここにあると言う事は転送された音の鳴る玉もこのキャビネットの中にあるはずとターロは考えている。
「どこだ! どこだよ!」
彫刻を持った手とは逆の手で、棚をさらに引っ張り出し、その中身を次々と外へ投げ出していく。ガラクタが次々と床に放り出される。床がモノで埋まっていく。
王立魔法学校で受け取った勲章、誕生日にもらった短剣、旅行先で買ったハンカチ、祖父から受け取った指輪、子供の頃に拾った宝石に似た石、子供の頃に御用商人のゴマスリでもらったクズ宝石。
棚の中によくこれだけの物が入っていたなと感心するばかりの量が投げ出された。
しかし。
玉はない。
そして。
時間もない。
もうすぐに十分たって音が鳴る。
音が鳴ればあいつらがここにくる。
そうなれば終わりだ。
自分の犯行が露見する。
焦燥感がターロの心を駆り立てる。
「ああああ! 玉はどこだよ!」
空になった棚をキャビネットから抜き出し、苛立ちに任せてそのまま投げ捨てる。癇癪を起こした子供のように床に散らかる
「危ねえな」
声がした。
蹴り上げられた勲章が飛んでいった先。
開いた扉の風穴。
そこに立っていたのは探偵助手、フロノスだった。
その後ろには探偵、アニエス。
さらにその後ろには弟たちと家宰がぞろぞろと迫ってきているのが見えた。
「ここは侯爵の私室だぞ! 許可なき無能が入るな!」
「あんたは侯爵じゃねえよ」
フロノスが扉に開いた風穴をくぐる。
一歩。
境界を跨いだ。
「俺は! 侯爵だ! 俺が世界を変える! 世界を手に入れる!」
「殺人者が変えられる世界なんてないよ」
ガラクタを足で払うように。
一歩ずつ。
ターロに近づく。
「俺は悪くない! 世界が悪いんだ! だから世界を変えるだ!」
「そうだな、お前が思うならそうだろうな……っと。お、こんなとこにあったのか」
足で払ったガラクタの中にあるおもちゃの玉を見つける。
腰をかがめて拾い、それをターロに見せる。
「なんで! 俺が探した時はどこにもなかった! 棚の中を全部出したんだぞ!」
「さてね。そのガラクタに紛れてたんじゃねえか? 探し方も殺し方も雑なんだよ。どうあってもその彫刻はあんたの手の中にあるし、あんたが親を殺したって事実は世界を変えても変わらねえよ」
「親父が! 親父が悪いんだ! 俺の話を聞かないあいつが! だから仕方なくやったんだ!」
「だからさ、俺に何言っても関係ねえんだって。なぐさめて欲しいなら言う相手は沢山いるだろ? なあ。おい、カーンさん。犯人が犯行を自白したぞ。お望み通り、内密に処理しなよ」
フロノスの横にはいつの間にか家宰、カーンが立っていた。
凛と立ち。
幼い頃から見てきたターロを見る。
「カーン、お前ならわかってくれるだろう!」
「……坊ちゃん。わかってましたよ」
ゆっくりと近づき、ターロを見つめる。
その瞳は優しく。主人であるキーライを殺した相手に向ける視線とは思えない物だった。カーンは薄々わかっていた。キーライとターロの最近の関係性を見るとこうなる可能性も十分にあり得たし、床に書かれたキーライの血文字も犯人を容易く想像させる文字だった。
わかっていたけど。
自分では言い出せなかった。
そんな弱い心がカーンの瞳を優しくさせていた。
ターロはその瞳に縋る。
「お前は俺の味方だろう!?」
「ええ、私はターロ様の味方です」
「なら!」
子供の頃から常に味方だったカーンの言葉。
期待していたこの言葉に興奮して右手に持った彫刻を振り上げる。
「ですが。私は、それ以上にフルート侯爵家の味方です。坊ちゃん、フルート侯爵家のため、大人しく捕まってください。侯爵家にとって悪くならないように、私が手配しますので……」
「カーン……お前もか……」
子供の頃から常に味方だったカーンの言葉。
期待していた言葉ではなかった。本当は知っていた。カーンがフルート侯爵家を崇拝していて、父であるキーライを誰よりも崇拝している事を。ターロの味方をするのはターロがフルート侯爵家を背負う存在だからだ。キーライの息子だからだ。
わかっていた。
それでもその言葉はターロの心を折った。
振り上げた右手から彫刻が離れ、重力に惹かれ、落ちる。
それは硬質な床に落ちて悲鳴のような音がなった。
「坊ちゃんは少し疲れているのです。少し休みましょう」
「……ああ、そう、だな」
最後の希望にも己の罪を突きつけられたターロは急に大人しくなり、力なく地面に視線を落とした。そこに転がっているガラクタが見える。そのガラクタには亡き父との思い出がたくさん詰まっている。
なんでこれらがガラクタに見えるようになったのだろうか。
ターロにはわからなかった。
思わず嗚咽が漏れた。
「さ、坊ちゃん。行きましょう。ゆっくりと休んで……病気を治しましょう」
カーンは幼き子をあやすように。
背中に手をあててターロを優しくうながし、そのままどこかへと進んでいった。
リアン、ハートの弟たち、従者やメイドなどもなんとも言えない雰囲気に、なんとなく解散となり、ターロの私室にはアニエスとフロノスの両名が残された。フロノスは煮え切らない顔で扉に空いた風穴の先を見つめていたが、そんなフロノスの感情などお構いなしにわふわふとアニエスがフロノスの手の中にある玉を狙って飛び跳ねている。
「私のおもちゃを返すですわー!」
「はいはい、お嬢はちょっと待っててな。ほら、飛びかかってガラクタを踏むと怪我するぞ」
ワフワフと飛びかかるアニエスを玉を持っているのとは逆の手で上手にいなす。
「だって音がなるですわー! 早く止めるですわー! えらい事になるのですわー!」
いつになく必死な様子のアニエス。
「たかがおもちゃの音だろ? 何をーー」
大袈裟な。と言いかけたタイミングで、玉がけたたましく声を上げた。
『マカロンとーパンケーキー合体したらマーカーパーン! ぐちゃぐちゃ食べたらマパカンになって! ロケーンキーになって! おいしーおいーしーおーいーしー』
玉から流れ出したのはアニエスの歌であった。
意味のわからないアニエスであった。
「お嬢?」
「黙秘するですわ」
時すでに遅しとばかりに肩を落とすアニエス。
「じゃあこのまま流しとくね?」
「止めるですわ! 言うですわ! 前のおやつ中に楽しくなって歌を歌ってたらシルフィに録音されておもちゃに入れられたですわ! しかもシルフィはそれを狙ってマカロンとパンケーキを差し入れてきたんですわー。パンケーキの上にマカロンを乗っけて、生クリームでふわふわにデコデコしてきたんですわー。策士ですわー。作詞、策士に溺れさせられましたですわー」
「くくっ、仲が良いな」
「だから隠してたんですわー。嘘とか誤魔化しとかしないで正直に言ったんだから早く返すですわー」
「は? 返さんよ? この歌も癖になるしな。さ、俺らもカーンさんを追いかけねえと」
そう言ってフロノスは歌の流れる玉を手に持ったまま、アニエスを置き去りにして走り出したのだった。そこではじめて返さないと言う言葉の意味に気づいたアニエスは金毛を総毛立たせ叫んだ。
「ぎゃー! 泥棒ですわー! せめて音は止めるですわー!」
先を行くフロノスを必死で追いかけるアニエスだが、残念ながら足の長さが違いすぎて、フルート侯爵家が勢揃いしている場所まで、決してフロノスに追いつく事はなかった。
結果、しばらくフルート侯爵家の邸内にワケのわからない歌が流れ続ける事になった。
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