第8話 魔法の国の跡地と認識
「見にきた! ですわー!」
区画整理が終わり。
違法薬物製造ラインの調査も同時に終わっている。
貴族街の一画はすっきりとして見渡しが良く。声がどこまでも響く。事件の日のように叫べばやまびこが帰ってくるだろうが、さすがのアニエスもあの日のようにはやまびこを楽しめない心情であった。
二人が立つ。その目の前にはファイス子爵家邸があった区画がある。しかしそこには建物は跡形なく、すでに調査を終えた地下室は全ての証拠が搬出され、土で埋められており、周りとは違う土の色だけがその痕跡を残すのみだった。
アニエスはそれを見ている。
その左斜め後ろに立っているフロノスもそれを見ている。
「まー、何もねーな」
「無常ですわー」
区画整理を急いでいたのか調査は急ピッチで進み、あの事件から一週間ほど経った今日の段階でこの状態になっていた。さすがに王都の貴族街で違法薬物が製造されていたという事実は早く土に埋めてしまう必要があったのだろうか。
ファイス子爵家子息が薬漬けになってなお守ろうとしていたモノの残滓はあっという間に消え去った。
「そういえばですわ!」
突如、アニエスが怒りの声を上げた。
「どうした?」
フロノスはその突拍子もない大声にも動じない。いつもの事だ。何もない風景を見ていた視線を斜め下に落とす。金色のふわふわが、不満げにもふっと膨れている。
「コンブさんに子供って言われたですわ!」
コンブさんと言われてフロノスに想像できるのは幽霊屋敷事件の犯人であり、幽霊の正体であるあの男。事件の最後にコンブを頭に乗せていたあの男。
「コンブさんってあの子爵家子息のことか? 頭にコンブ乗せてたからコンブさんか? 安直だな」
「そう! そうの人ですわ! 子供って言われたですわー憤慨ですわー」
「今更そこに憤慨するのかよ。しゃあないだろう、お嬢は魔力がない上に、生まれた時から存在が妖精よりだからな。これ以上の肉体の成長は望めないんだよ。そこはずっと言ってたし、お嬢も納得してるだろう?」
後ろから優しげにもふもふした金髪を撫でる。
しかしそれではアニエスの不満はおさまらなかった。
「むーですわー。そうは言ってもむーですわー。私は子供じゃなくてレディーですわー。シルフィみたいに肉の暴力をふるいたいお年頃ですわー」
「なんだお嬢。やっぱりシルフィ殿下に憧れてたんだな。そりゃその体に埋められてたらあんな顔になるか」
チベットスナギツネ顔のアニエスを思い出してついついフロノスの頬は緩んでしまう。
「あんな顔ってどんな顔ですわ?」
そんなフロノスの声に思わず不思議そうに振り返るアニエス。
「おう、自分じゃ分かってなかったのか?」
「自分で自分の顔は見れないですわ」
「ちょっと待ってろ」
と言って、地面に落ちていた棒切れを手に持つと、かがみ込んで器用に地面へとアニエスの顔を描いていく。サラサラとものの一分も経たずに描き終わり。
「ホイッとこんな感じだな」
フロノスが手に持った棒を背後に放り投げながら絵の完成を告げた。そこに描かれていたのは随分とデフォルメされてはいるがチベットスナギツネ状態のアニエスだった。
屈んだフロノスの背中側に周り込み、地面の似顔絵をその肩越しに見たアニエスの口から不満が漏れる。
「むー」
「どうした? お嬢様言葉のですわをつけ忘れるほどに良く描けてるか?」
肩に置かれたアニエスの両手にこめられる力からその不満を正確に理解しながらもすっとぼけてみせるフロノス。
「こんな顔してない……ですわ」
「いやー? してるんだよなあ。シルフィ殿下の体に埋め込まれた時はずっとこんな顔してるぞ」
「……可愛くないですわ」
「そうか? 俺はこの顔結構好きだぞ」
「フローはどんな私だって好きですわ」
いつの間にかフロノスの首に腕を回し、背中に華奢な体の全てを預けているアニエスが、耳元でさも当たり前の事のように平坦な声で言ってのける。フロノスの耳には息づかいまでもが言葉として届く。
「ま、そうだな」
フロノスもそれを当然として受け入れている。
「ん?」
何かに気づいたようにアニエスが声をあげ、そのまま地面にある絵を指差した。
「もしかしてこの顔を見たいから、フローはシルフィを止めない? ですわ!?」
お見事! さすが名探偵!
「お! 御明察!」
「御明察、じゃないですわ! ずっとずっと! フローにしては私が困ってても助けないなと思ってたですわ!」
背中に乗っかったまま体をゆさゆさと揺する。
その程度ではフロノスの体幹は揺るがない。背中にアニエスを乗せたまま立ち上がり、フロノスがアニエスをおんぶするような形になった。
「よっ! と……。まあイイじゃねえか? あれはあれで姉妹のコミュニケーションになってるから止めないってのもあるんだよ。仲悪くなってダルク殿下みたいな関係性になっても困るだろ?」
ダルクが黒髪どよんどよん王子の頃からアニエスを見る目には敵意がこもっていた。アニエスとしては何をしたわけでもないし、むしろ嫌われ者の王族として仲良くしたいと思っていたのだが、取り巻きの貴族もおり、どうにも仲を深める事はできずにいるまま、ダルクは金髪キラキラ王子になっていて、そこからは敵意に蔑みが加わった。
そのまま今に至っている。
「それはそうだけどですわー。ダルクは私が何しても嫌いなのですわ。あの時だって私がいたからずっと隠れてたのですわー。未来を見た時のダルクは壁に隠れてたですわー。まさかコンブさんを捕まえにきてるとは思ってませんでしたわー。意外だったですわー。めずらしく助けに来てくれたのですわー」
「は? ダルク殿下がコンブさんを捕まえる未来を見てたんじゃないのか?」
どうにも認識がずれている。とここでフロノスは気づいた。
フロノスはずっと起こった出来事をアニエスがそのまま観測していたと思っていたが、アニエスはダルクがコンブさんを捕まえさせるのを見ていないと言う。それ以前にフロノスはダルクを見ていない。
それもそうだ。アニエス曰く壁に隠れていたという。
となると。あの時、ダルクはずっと四人の後ろにいた事になる。後ろにいてずっと見ていた事になる。何のために? アニエスのいう通りアニエスがいるから出てきたくなかった? 違うだろう。そうだったら終わりまで出てくる事はないし、アニエスの存在を確認したら毛嫌いしてさっさと帰っているはずだ。
隠れていたのがアニエスの問題でないなら、爆発が起こっている状態で憲兵を待機させて壁の後ろに隠れている必要はどこにある?
思考している間にもアニエスの言葉は続く。
「私はコンブさんの泣いた所で汚いの嫌で見るのやめたですわー。ダルクはその前から私たちの後ろの壁に隠れてたですわー。そこは見たですわー」
「そうか。って事はたまたま爆発に気づいて憲兵を連れて来たってのは、殿下の嘘か……」
あの状況で嘘をつく必要性。
「たまたま来たのかどうかは知らないですわー。でもダルクが私の事を嫌いなのは確かですわー。サラムとは違う意地悪ですわー。黒い妖精さんにやられてるですわー」
話題の変わったアニエス。
一旦フロノスは思考を止めて、アニエスの会話に合わせていく。こうやって変わった話題から思考がフレッシュになって元の問題のヒントになったりもするので、決してアニエスの話をとめたりはしない。そうじゃなくてもアニエス大好きフロノスは話を止めたりはしないが。
「それはさすがに言いすぎだろ。ダルク殿下には黒い妖精は全く寄り付かないからな。あんなにキラキラしてたら黒い妖精は消えちまうよ」
「だったら天然キラキラ意地悪王子さまですわー」
「ま、とは言ってもコンブさんの事件でも黒い妖精がいたからちょっとは影響しているかもな。黒い妖精は悪意を育てるから、ちょっとした悪意も大きくされる。今回の事件だって黒い妖精がいなかったらコンブさんも邸を守るためだけにパラダイスパラダイム製造をしたり、使用したりはしなかったと思うぞ」
「黒い妖精さんがらみの事件が多すぎですわー」
「ほんとだな。最近はどこの事件でも黒い妖精が噛んでるからな。今回は特に影響が大きかったな。そういう意味では一歩前進したかもしれん。この事件の元締めを追っていけばきっと黒い妖精を操っている人間の証拠に辿り着く可能性はあるからな」
シルフィ、ノーマンがいたから言及はしなかったがあの邸にはこの国に悪意を持っている黒い妖精がいた。邸では所々といった感じだったが、地下にはわんさといた。フロノスのいう通り、黒い妖精は悪意や敵意といったネガティブな感情を増幅する効果がある。パラダイスパラダイムの製造にも影響を及ぼしていただろう。
最近はどの事件にも黒い妖精の残滓が見え隠れしていたが今回の事件は特に多く。それは黒い妖精を操っている人間に近い事件の証拠とも言える。
「操っている人間を捕まえたら黒い妖精は悪い事を止めるですわ?」
「ああ、妖精ってのは本来お気楽で幸せで楽しい事に向いていくもんだ。黒い妖精はそれを捻じ曲げられてんだ。捻じ曲げてるやつを捕まえれば元に戻ると思うぞ。だからさ、お嬢。妖精のためにも絶対捕まえような」
「うぃ!」
フロノスの背中にいたアニエスは元気に返事をするともそもそと動き、ぴょんっと背中から飛び降りた。そのままフロノスの正面まで回ってきて、フロノスを見つめる。背の低いアニエスが背の高いフロノスを見つめるにはほぼ真上を見つめる形になるので若干無理をして背伸びをしている。はじめはその背伸びが安定せずにぴこぴこと上下していたが、いい位置を見つけたらしくその動きが止まる。
そして上目遣いでフロノスに問いかける。
「フローはそれが誰かわかったですわ?」
「……いや……わからんよ」
スッとアニエスから目を逸らした。
「あーフロー嘘ついているですわー」
「ついてねえよ。確証もねえ、ただの妄想だよ」
今見えているのは全部状況証拠だ。物証もなしに探偵が犯人を断ずる事などできない。とフロノスは考えている。探偵助手になってからの矜持だ。
「教えるですわ! 教えるですわ! 秘密主義の助手は良くないですわ!」
当の探偵にその矜持は存在せず、ただ犯人を知りたがる。わふわふとじゃれつくアニエスをフロノスはいつも通りにいなす。ある程度じゃれついて息を切らしたアニエスがフロノスに寄りかかる。
「はぁはぁ。ま、まあ、犯人はいいですわ。自分でみつけるですわ。それはそうと。コンブさんはどうなったんですわ?」
「あー、聞きたいか? あんま気分いい話じゃないぞ」
「見たくない聞きたくない事も見て聞けと言ったのはフローですわー」
「確かにそうだな」
納得してフロノスは語る。
コンブさんこと、ファイス子爵家子息、コニー・ファイスは連行後すぐに王城の外郭部分にある中央警察で尋問に入った。地下室ではチグハグではあるが会話がある程度成り立っていたコニーであったが、連行中からすでにまともな状態ではなく取調室についてからいくら問いかけられても応える事はなく、目も見えているのか見えていないのか虚ろな状態であるという。
そのため精神鑑定に入ったが、最後の拠り所になっていた子爵邸を自ら破壊した時に彼の精神は一緒に崩壊したというのが面談した医師の見解であった。
これが一般的な見解だが、妖精を視認できる二人は違う。
「これも黒い妖精さんが悪いですわ?」
「ま、そうなるな。黒い妖精は悪意の塊みたいなもんだ。家を破壊しはじめた時にもコンブさんに黒い妖精がむらがった。そのタイミングでコンブさんは暴走し始めたからな、あれが原因だろうよ。あれに支配されると人間は正常な思考ができなくなる。迷子犬を探してたサンダさんも黒い妖精に正常な思考を奪われていたし、サラムと婚約者の認識違いからの仲違いもそれだ」
人間は妖精の力を借りて魔法を使う。妖精からの愛が魔力に形を変える。しかし黒い妖精は黒い妖精のままで力を振るう。その力で人間を狂わせる。表と裏をひっくり返す。愛を憎に。好意を敵意に。愛着を執着に。家族を荷物に。人間の世界を変えようとしている。
「やっぱり黒い妖精さんはなんとかしないとダメですわ。これは王族の務めですわ」
「ああ、確実に黒い妖精を操ってる奴らはこの国をどうにかしようと考えているからな。それを守るのは王族の務めだ」
このまま行けば表向きで平和を保っている人間の世界は大きく荒れる。この国を裏にある感情を掘り返して混ぜ繰り返して混沌に落とす。相手がそれを目的としているのは明白だ。
表があれば裏があるのは当然だが、表の世界をひっくり返してまでその裏を暴く必要なんてどこにもない。
「私は無能王女だけど王族ですわ! この国は絶対に守るですわ!」
「おう、俺はお嬢をどこまでも助けるよ。お嬢もいつも通りでやってこうや」
いつものように金色のふわふわした髪を優しく撫でると喜ぶように膨らんで揺れる。
「うぃ! いつも通り頑張るですわ!」
「えらいえらい。じゃあ、景気づけにケーキ食べてこうや」
「ケーキ! ですわ! 行くですわ! どこですわ!」
「西貴族街にあるってよ。サムおすすめで王室御用達らしいぞ」
「サラムのおすすめにハズレはないですわー! 行くですわー!」
二人は守ると決めた王都の平和を謳歌するために歩き始めた。
大きな歩幅のフロノスに追いつくようにセカセカと足を回転させるアニエスはまるで小動物のようだった。
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