第7話 魔法の国の幽霊屋敷と王族
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表
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そんな妖精探偵社。
今日も依頼人が訪れている。
「依頼人はローレライ魔法王国王城にお住まいのシルフィ・フォン・ローレライ様、女性、十七歳。ノーマン・フォン・ローレライ様、男性、十五歳。それぞれ第二王女殿下、第三王子殿下のご身分であらせられます。お若いながらもお二人とも気象省長官、国土省長官の任についておられます。こう度重なると王族専用の相談所なのではないかと辟易しますが。ではどうぞ!」
助手が滔々と依頼人の情報を誦じる。
「我が弟妹……むぎゃあ!」
ですわー! 久しぶりですわー! と。いつも通りに探偵机から弟妹に声をかけようとしていたアニエスの言葉は途中でむぎゃっと潰された。
「あーー! 姉様! 相変わらず可愛くてふぅわふぅわもっこもっこしてるわー!」
原因は妹である、シルフィ・フォン・ローレライ。この妹は四つ上の姉をまるで愛玩動物かのように溺愛しており、会うと必ずこうやってアニエスの小さい体を抱きしめて、己の大きく豊満な肉体に埋めてしまうのだった。
今もアニエスは探偵椅子から引っこ抜かれて、緑色の髪、緑色の妖艶なドレスに身を包んだ、長身、恵体、肉厚なシルフィの肉体に吸収されたかのように抱きしめられ、金色のふわふわ髪をハスハスされ、柔らかくむにむにしたほっぺたをほっぺた同士でこねくり回されている。
そんな状況でアニエスは言葉もなく、珍しく遺憾な顔をしている。年下の妹の豊満な肉体に嫉妬しているのか、それともなすすべない己の無力を嘆いているのか。
チベットスナギツネのようなその表情からはわからない。
「シ……シル姉様、ア……アニエス姉様が気絶しかけてるから……そ、そろそろ……」
そんな状況を見かねておずおずと声をかけてくる一人の男。
茶色の髪にぽっちゃりとした体型で、丸くてつぶらな瞳をしばたたかせている。二人の姉のいつもの光景を眺めながら、それでもどうしても心配してしまう所に人の良さの表れている。こちらがローレライ王国第三王子、ノーマン・フォン・ローレライだ。
「もうッいい所なのに! 代わりにノーマンのお腹をタプタプするから覚悟しなさい!」
プンっと怒りながらやっとアニエスを解放する。探偵椅子の上のアニエスは生気を吸われたかのようにぐったりとしていた。とは言ってもフロノスが止めないのだからアニエスに危険はないし、単純な兄弟の仲の良いやりとりであるのは間違いない。少しアニエスが消耗するだけで兄弟の関係が良好ならヨシとしている。
そんな知らん顔のフロノスにアニエスは無言で抗議の視線を送るがやはりそれも知らん顔された。
「さて、殿下方。そろそろ席に戻ってください。話をお聞きしたい。今日はどうなされましたか?」
すっかりと脱線しているこの状況を取り戻すべくフロノスが呼びかけると、二人とも素直に依頼者用のソファへと戻った。ここで話が戻り、まずはカワイイを愛でる行為を中断されて少し不機嫌な第二王女、シルフィが口を開いた。
「話? 姉様を愛でる以外に大事な話が何かあったかしら?」
子供じみたツーンとすっとぼけた態度。それでもファビュラスであるのは王家の血であろうか。
「……あ、あるよう」
おずおずと口を開いたのは第三王子、ノーマン。二人は並びあってソファに腰掛けている。長身なシルフィと小柄でぽっちゃりなノーマンが並んでいると随分でこぼこな絵面をしている。この王家の兄弟は誰も誰にも似ていない。原因はわからないが、妖精に愛された人間は血筋で見た目が変わるというより、愛された妖精によって見た目が変わるというのが通説となっている。
そして話はある。
「ではノーマン殿下からご説明をお願いいたします」
「……う、うん」
語った内容はこうだった。
ノーマンの管轄する国土省で貴族街の一画を区画整理する事となった。国土省は土の魔法使いが多く在籍しており、区画整理などは国土省の管轄となっている。
今回の案件は既に王家によって土地屋敷は全て買収された状態で国土省にふられた。国土省としては区画を更地に戻すだけで良いという。普段であれば買収交渉なども行う必要があるが今回はその分楽である。そこで速やかに着手したという。
解体工事を行う上でシルフィの管轄する気象省の協力が必要となる事が多い。なぜ気象? となるだろうが、気象省は風の魔法を操る人間が多い。もちろん本職は天候の管理だが、建物の解体時に発生する粉塵の管理や、エアーカッターなどでの直接的な解体工事を行う事も往々にしてある。
シルフィとノーマンもなんだかんだと気が合う事もあり共同事業を行う事が多く。今回もその座組みで進んでいた。
ここまではいつもの事であり、すべてつつがなく進んでいたという。
しかし。
ある日、事件が起きた。
とある屋敷を解体しようとすると必ず事故が起こるというのだ。
解体工事で使用する魔法が暴走するという。
風でも。
土でも。
魔法を放つと軌道が出鱈目となる。
その暴走した魔法で怪我人も出たらしい。魔法の暴発は珍しい事例ではあるが、ありえないわけではない。妖精の力が弱い場所で無理やり魔法を行使しようとすると暴発するケースも存在する。
しかし魔法が使えないとなると作業的に困る。
うーん。
では。
物理だ。
となった。この国では解体工事に魔法を使うが、他国では当たり前に物理解体をおこなっている。その技術はこの国にもある程度は伝わっている。それで解体工事を進める段取りになった。
しかしその物理攻撃も建物に向けたはずが、空間が捻れたかのようにあらぬ所に現れるという。それは工事関係者の鼻先だったりするらしく、この方法も危険と判断された。
そしてさらにおかしな事には。
事故が起こった後に必ずどこからともなく、くすくすと笑い声がするという事だった。
作業者の間でそれは噂となりその家の解体工事は遅々として進まなかった。他の建物の解体もその間進んでいき、最終的にはその屋敷を残すのみとなった。
その段で各省庁で報告が上がり、ならばとシルフィとノーマンが現場に赴いて軽く魔法を行使してみたが、同じ結果だったという。王族の強力な魔法でゴリ押す事をシルフィが提案したが、それが暴走した時の被害を考えるとそれは無謀であろうとノーマンが却下した。
そんなやりとりをしている最中に二人も噂の笑い声を聞いたという。
ここまで語ってその場面を思い出し、怖くなったのかノーマンは大きく身震いさせた。その影響でブルブルとお腹の脂肪が揺れるのが愛らしい。それを見て思い出したかのようにシルフィはその脂肪を握ってムニムニとしている。
「お化け屋敷! ですわー!」
アニエスがいつの間にか椅子の上に立って叫んでいた。
金色の髪が浮かれたち、虹色の瞳がキラキラとして、なんだかワクワクとした表情をしている。
「お嬢! お行儀!」
「うぃー」
毎度毎度の指摘を受けて、すごすごと大人しく椅子に座る。
フロノスはそちらを確認する事なく、話を進めるために言葉を続けた。
「で、話をまとめると。解体工事の現場で魔法や破壊行為が暴走する。その時に誰ともしれぬ笑い声が聞こえてくる。という事ですね……そんな話だとお嬢じゃなくても幽霊話に聞こえてきますが。その建物は何か曰く付きだったりするのですか? 恨みつらみや何か因縁なんかがあるとか?」
「そ、そうなんです。ぼ、僕らも慌ててその建物に関して調査したのです。結果、どうも不祥事を起こして取り潰しにあった伯爵家が所有していた屋敷らしくてですね、財産没収時に売りに出されたんです。あの場所は貴族街の中でもそれなりに立地がいいので、すぐに売れたらしいのですが、買った貴族に不幸が降り掛かりすぐに手放されました。次に買った貴族も同様だったようですぐに手放し、そうやって持ち主を転々とし、いつの間にかあの建物は呪われているという噂がついて回って売れなくなリマした。そして最終的には王家の買取になり、どうせなら辺りまとめて全部。と、今回の区画整理の案件になったようです」
さっきまでおどおどしていた人間とは思えないほど流暢に語るノーマン。やはり王族、仕事となると有能であった。呪い云々で少し怖くなったのか表情は硬く。反面、お腹は柔らかいようで相変わらず姉のシルフィに揉みしだかれている。顔色一つ変えないのは慣れている証拠と思われる。
「幽霊屋敷! ですわー!」
アニエスがいつの間にか椅子の上に立って叫んでいた。
金色の髪が浮かれたち、虹色の瞳がキラキラとして、なんだかワクワクとした表情をしている。
デジャブかな?
「お嬢」
「うぃ」
はいはい。またお行儀ですね。はいはい。みたいな顔ですごすごと戻ろうとするアニエスにフロノスが追って声をかける。
「出番だ」
「うぃん!?」
椅子から降りようと椅子の座面に膝をつけて後ろを向いていた所へ、意表をつく言葉にぐいっと振り向いたアニエスから変な声が出る。それを聞いたフロノスは横を向いて小さく吹き出した。当然それに気づくアニエスはムウとほっぺたを膨らませながら、それでも出番と聞いていつものように机の上に仁王立つ。からかった負い目があるのかフロノスがその行動を指摘する事はなかった。
常とは違うが。
机に降り立った天使。もとい妖精探偵。
小さな体躯。青と白のシンプルなフリルワンピース。ふわふわとした金色の髪。
堂々とした愛らしい姿。
「見るのですわー!」
小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。
左目を閉じて。
右目を開いて。
覗いた先には依頼人のノーマンがいる。
それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。
そこに映るのは依頼人ではない。
そこに映るのは依頼の結果である。
アニエスはただその見えた結果を告げる。
「お屋敷どっかーん! ばらばらどーん! ですわー!」
言葉を聞けばその幽霊屋敷の解体工事は成功するように聞こえる。どっかーんという不穏な言葉を聞かなかったフリをすれば、という条件付きだが。
「あら、解体工事は成功するのね。じゃあ、ささっと行きましょうか? 姉様の言う事に間違いなどないでしょう?」
アニエス大好きシルフィはどうやら不穏な言葉を聞かなかった事にする選択をしたらしい。
「で、でもシル姉様、ど、どっかーんって僕らの二人の魔法じゃ、絶対、なな、ならない音が鳴ってるよ。ちゃんとフロノスの話を聞いてからにしようよ」
おっかなびっくりノーマンは妖精探偵社の流儀をよくわかっているらしく。アニエスの足りない言葉をフロノス解釈で補足する道を選んだ。正解だ。
「しょうがない弟ね。このやらかい腹肉に免じて許してあげるわ。フロノス、続けて」
そう言ってずっと握っていた腹肉をさらに強く揉みしだいた。ノーマンは思わずびっくりしてきゃっと悲鳴をあげる。
「では続けさせていただきます。お嬢、その場には誰がいる?」
「うぃ! シルとノーマンとフローと私がいるですわー! んん?」
疑問符と共に短筒の中の目を凝らす。そんなアニエスの言葉にフロノスが反応する。
「どうした? 何かあったか?」
「ダルクもいるですわー!」
それは予想外な人間の名前だった。
「ダルク? とはダルク・フォン・ローレライ殿下の事か?」
「正解ですわー!」
ダルク・フォン・ローレライ。名前からわかる通り、ローレライ魔法王国の王子で、兄弟の末っ子にあたる。場にいるアニエス以外の人間の頭には疑問が浮かぶ。
なぜここでダルク?
第四王子のダルクはまだ十三歳で何の仕事もしていない。ローレライ魔法王国では十五歳で成人となり、成人となった王族は得意な魔法を活かせる行政機関に配される。幼い頃から仕事面で有能だったノーマンなどは成人前から国土省で腕を振るっていたがそれは特例であり、ダルクが今現在何か仕事をしているという話は聞いた事がない。基本は王城の中で暮らし、今後のための教育を受けているはずなので、貴族街の区画整理地区、さらに言えば幽霊屋敷の前に立っているのは考えづらい。
ダルク自体も少し変わった王子で元々闇の魔法に適性があるとされていたが、ある日突然光の魔法に目覚めたと言い出し、実際光魔法を使うようになった。その影響なのか性格や見た目も黒髪長髪どよんどよんな深淵暗澹ボーイから、金髪長髪キランキランな銀河太陽系ボーイへと変容した。
それが五歳くらいの頃で、当時は妖精のチェンジリングが疑われたが、様々な検査を経てダルク王子に間違いないと判断され現在に至っている。そこからは性格も暗く陰気で言葉少ないものから、明るく元気で饒舌なものへと変化していた。総合的にみてダルクを愛する妖精が変わったのだろうという判断になった。
そんな経緯もあり、第四王子ダルクはアニエスほどではないにしろ王家の中で特異な存在だった。
「お嬢、他に見えるものはあるか?」
フロノスはダルクの事は後回しとして足りない情報を埋めていくため、アニエスに観測を促した。
白く小さい手で出来た短筒の中を、さらに虹色の瞳がキラキラキョロキョロと動きまわる。
ふ、と。何かを見つけたように瞳が止まり、アニエスは叫ぶ。
「にゃ! 汚いですわー!」
叫びの後に不快感をあらわにしたアニエスの声があがる。
「なんだ? どうしたお嬢」
「素っ裸で頭の上に昆布を乗せて踊ってる男がいるですわー! 汚いから見るのやめるですわー!」
そう言って、左目を開き、右手で作った短筒から右目を解放する。右手が汚いものに触れたとばかりにブルブルと振り払っている。その様子にフロノスは珍しく慌てた。
「あ! お嬢! まだ途中だろ!?」
「嫌でふわー! 汚いでふわー! 事件解決でふわー!」
仁王立ちしながら、両手で自分の頬をもぎょっと押しつぶし、イヤイヤと拒否する姿はとても愛らしい。そんな姿のアニエスをみてフロノスも強く言う事を諦めたのが一瞬でみてわかる。
守護者はどこまでも甘い。
しかし。
探偵としてしてはいけない事をした事実は変わらず、フロノスはソファから腰を上げると、ツカツカと探偵机の前まで歩みより、しっかりとアニエスの目を見つめる。
叱られるのがわかっているアニエスは犬のように目を下へとそらす。その肩に両手をしっかりと置いてフロノスは口を開く。
「お嬢。解決してねえし、観測した事象は二度観測できない。それは理解しているな?」
「うい」
「俺が良いって言うまで観測をやめたらダメだって言っただろう?」
「うぃー。わかってるですわー。でも汚いのですわー。やなのですわー」
イヤイヤと首を振る。
「そうだな。汚いのが嫌いなのは知っている。だがな、観測不足は事件解決の失敗に直結する。この世界には見たくないものが一杯ある。でも探偵は見るのが仕事だ。それから逃げちゃいけないよ、お嬢。わかるね?」
普段の悪ぶったような言葉遣いは消え、深みのある諭すような落ち着いた声に、イヤイヤしていたアニエスの首も動きを止める。
「……うぃ」
叱られてしょぼんとするアニエス。肩を落とし、情けない顔。心なしかふわふわな髪も萎んで見える。そんなアニエスの頭を優しく撫でるフロノス。
「まー、な。やっちまったものは仕方ねえ。次からは気をつければいいぞ」
普段通りの言葉と一緒に。
ゆっくりとゆっくりと萎んだ金色の髪を撫でる撫でる。
一撫でごとに萎んだ金色の髪の毛はふわふわを取り戻しはじめる。そしてあっという間に普段のふわふわもふもふとした髪型に戻り、同時にアニエスの元気も戻った。
ずびしと天を指差し。
「うぃ! 当然ですわー! さ! 事件を解決しにいくのですわー!」
失敗などどこ吹く風の満面の笑みでそう言うのだった。
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「幽霊屋敷! ですわー!」
目の前に建つ幽霊屋敷以外、辺り一面建物がなく、珍しく見渡しのいい王都の一等地でアニエスは叫ぶ。その音は遠くまで飛んでから、遠く先にある建物に当たってからやまびことなって返ってきた。それが楽しくてさっきからアニエスは同じ言葉を叫んでいて、これが三度目だった。
満足げなアニエスの顔を見て、そろそろいいだろうとフロノスがアニエスに歩みより声をかける。
「お嬢、もういいだろ?」
言いながら、自分の腹あたりの高さにある、金色ふわふわの頭をぽんぽんと軽く叩くと、ふあふあと綿毛のような髪が揺れた。
四人は妖精探偵社からそのまま貴族街までやってきた。アニエスの観測通り。第二王女、シルフィ。第三王子、ノーマン。妖精探偵、アニエス。探偵助手、フロノスの四人が幽霊屋敷の前に立っていた。まだ第四王子、ダルクはまだいない。
アニエスの観測で見たタイミングは幽霊屋敷が爆発した後のタイミングで、この段階ではダルクは確認されていない。しかし、観測された以上、どこかのタイミングで現れるのは決定している。
そして幽霊屋敷もまだ爆発はしておらず、そこに建っている。
「きき、来たはいいけど。どど、どうしたらいいの、フロノス?」
おどおどとノーマンがフロノスに問いかける。声がいつも以上に震えているのは幽霊屋敷に怯えているからか。
「なーにびびってんのよう!」
そう言いながらノーマンの柔らかいお尻をもぎゅっと握ったのはシルフィだった。その力強さにノーマンはきゃっと声をあげて飛び上がった。
「……シル姉様、痛いよう」
小さくつぶらな瞳が涙で潤んでいる。シルフィはノーマンのそんな顔が好きらしく、にんまりと笑うだけで言葉を返さなかった。二人にとってはいつもの事で、ノーマンは小さくため息をついた。
「両殿下、今回の観測は完全ではありません。結果として全員の無事は観測されていますが、途中に何が起こるかはわかっていない状況です。お嬢と俺は屋敷の探索をしようと考えていますが、観測結果としては屋敷が爆発するのは確定しております。危険がともないますので、シルフィ殿下とノーマン殿下はここでお待ちいただいても問題ありません。どうなさいますか?」
「もちろん一緒に行くわよ! ねえノーマン!」
同時にパンっとお尻を叩く。とてもいい音がした。なんならやまびこが帰ってきた。軽く風の魔力がこめられたその張り手にピョンっと飛び上がったノーマンは尻の痛みより姉の発言にびっくりしていた。
「え?」
行くの? みたいな顔で姉を見つめるノーマン。正直行く気はなかった。魔法が暴走するような屋敷では頼みの魔法が全く使えないと言う事だ。しかも屋敷が爆発する未来は確定している。
加えてここは幽霊屋敷だ。ノーマンの中では既にそう結論づけられている。
怖い。
仕事関連では有能なノーマンだが正直怖いのは苦手だ。お化けなんてもっての外だった。
ブルブルと柔らかいほっぺを揺らして首を横に振った。
「なにその顔! きょとーん、行くの? ぶるぶる、行かない行かない! みたいな顔よ!? 私たちは王族よ!? 大きな力を持った人間には大きな責任が伴うの! 父上、母上の言葉を忘れたの? 王族の誇りを忘れたの? ノーマン! 答えなさい!」
ギャルギャルしい雰囲気から一転、ぶわりとシルフィの周りを竜巻のような風が立ち昇る。
普段は恵体ギャルのような見た目と言動から王族らしくないと思われているが、実は一番王族の誇りを持っているのはシルフィかもしれない。王族は生まれながらに王族だ。生活に困る事はない。食べる物も選びたい放題。身支度も何もかも他人がやってくれる。
シルフィが幼い頃、それが子供ながらに不思議で王と王妃である父母に聞いてみた事がある。
いつも優しい父母は珍しく真剣な瞳でシルフィを見た。
『我々は大きな力を持っている。だがその力は全て国と国民に返すものだ。王族が国と国民のために力を使い国が富む、その感謝を国民が我々に返してくれる。その感謝を受けて我々がまた力で国を導く。この繰り返しで今なんだ。この生活は我々が偉いからとか優れているから得られている物ではない。我々の力には責任がある。国に奉仕するために力はある。それが王族の誇りだ。それだけは忘れるな、シルフィ』
帰ってきたのがこの言葉。
シルフィの身体に衝撃が奔った。自分の存在する理由が理解できた。第二王女で、王族の第四子であるシルフィは自分の存在がずっとあやふやだった。いてもいなくてもいい子。そういう雰囲気が貴族たちから感じられた。
ローレライ魔法王国は魔法の力で大陸内の他国に対して圧倒的なアドバンテージがある。そのため政略結婚で他国へ嫁ぐ必要もない。つまりは政治的に利用価値がないのだ。それに加え、アニエスの前例があり、王女に誰も期待しないという風潮もあった。そんな背景からシルフィの感じていた嫌な感触は正解だった。
だから勉強もほどほどで、可愛い服や綺麗な宝石に心をときめかせる事の方が幸せだった。しかしそれすらもどこか後ろめたく感じるので、心の底から楽しめるというものでもなかった。
でも父母からのこの言葉で自分がすべき事をはっきりと認識した。
そして責務を背負えた途端、服や宝石に対しても心から謳歌できるようになったのだった。
王族としてのシルフィ・フォン・ローレライはこの時に生まれた。
「わ、わかってるよう、シル姉様。僕だって王族だもん。それはわかってるよう」
弱気なノーマンはいつもこうやってシルフィに尻を叩かれて王族の誇りを取り戻す。
「ほら、わかったならさっさと行くわよ! 男のあんたが先陣をきりなさい!」
「えー」
「それはいやだよう」と言いかけたノーマンの不満の声はお尻への張り手の音でかき消された。
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邸内は思っていたよりも綺麗だった。
調度などは既に運び出されているため、がらんとしていて何もないが、室内の造りはよくある貴族邸の造りで何ら不自然な所もない。時刻は昼過ぎであり、周りに遮るものが何もなくなった現在は却って現役当時よりも日当たりが良く室内は明るい。
幽霊屋敷などという先入観さえなければ何の問題もない高級住宅だろう。
とりあえず四人はそれぞれでこの屋敷の中を探索して、怪しい所を発見した場合はお互いを呼びそこを確認する事にしようという話になった。
しかし。
それはノーマンのガクガクブルブルな足腰と、アニエスの破天荒な挙動で開始五秒で無理だと判断された。ノーマンは腰が引けてその場から動けず、皆がそれぞれに移動しようとすると悲鳴をあげた。
アニエスは開始の合図前から『やってやるぞ暴走エンジン』が唸っており、フロノスに首根っこを掴まれていなかったら駆け出して、どこかでお化けをやって、誰彼構わずおどかしてやろうと前がかりになっていた。
その証拠に。手にはいつの間にか真っ白なシーツが握られている。
どうやらお化け屋敷がしたかったらしい。
そんな二人を抱えたフロノスとシルフィは無言で頷く。
その頷きで、お荷物を抱えて二手で調査するという方針に変更された事を瞬時に認識した。
結果。アニエス、フロノスは二階。シルフィ、ノーマンは一階を調査する事となった。
事前に確認した見取り図によると。
一階は、ポーチ、中央ホール、サロン、応接室、食堂、厨房、使用人の部屋、倉庫などがあり、貴族的な生活を行うようになっている。二階は主人家族が暮らすための造りとなっているようで、書斎、私室、寝室、ウォークインクローゼットなどのプライベートな部屋が並んでいる。二階にはホールにある中央階段から上がっていく形となる。
一階担当の二人はまずは厨房方面へと行く事にしたらしく右奥の扉を開いて中へと入っていった。
二階担当のアニエス、フロノスはというと。
「フロー、離すのですわー」
恨めしげな声をあげているのはアニエス。いまだにフロノスに首根っこを掴まれ、軽く空中に浮かされながら移動している。両手は胸の前にちょこんと出されており、その手にはまだシーツが掴まれていて、床をすーっと這っているため、さながら本当に幽霊のような姿勢となっている。
「これがやりたかったんだろう?」
クククと意地悪な笑顔で笑うのはフロノス。暴走しそうなアニエスの手綱をがっちりと握っている。首根っこをつかみ持ち上げながらも、相手に一切の苦痛を与えない熟練の技を持っているのだった。自由と目的を奪われたアニエスのうらめしやーな視線を爽やかに受け流しつつ、中央階段を上がりきった踊り場で足を止めた。
踊り場の正面には元々当主の肖像画でもかかっていたのか、軽く日焼けの跡が残っていて、この邸の歴史を感じさる。ホールは二階までの吹き抜けとなっているため、ここから居室空間が左右に分かれていて、踊り場から伸びる左右でどちらかのエリアへ進むようになっている。見取り図ではそれぞれ左右に五部屋ずつあるようだった。
アニエスは浮いたまま、左右の階段を交互にキョロキョロ見てから口を開いた。
「運命の! 分岐点! ですわー!」
「何言ってんだ……ったく」
軽いため息で呆れながらも、『やったらん暴走エンジン』が停止している事を察し、静かにアニエスを地面に下ろした。地面に足がついたアニエスはフロノスの周りをぐるぐると周る。顎に手をあてて、さも探偵のような態度で。
暴走がおさまったと思ったら探偵モードに入ったらしい。
ぐるぐると何周か周り、ぴ! とフロノスの正面で止まると人差し指を突き出し。
高らかに宣言する。
「フロー、右か左か、選択の時間ですわ!」
言われたフロノスはうんと頷くしかない。
だって。
「……見ればわかるんだよ」
道はその二つしかないのだから。
「選択が! 運命を! 決める! ですわー!」
フロノスの塩対応にもなおアニエスの探偵ムーブは変わらない。
ちょっとはしゃいでいるようだ。ちょいちょいと飛び跳ねながら動き回って、金色ふわふわな髪の毛が躍らせている。そんな姿はとても愛らしく、フロノスは心の中で微笑んだ。しかしそれを素直に言うと暴走するから、表情にする事すらなくいつも通りのあきれた態度は決して崩さない。
「はいはい、わかったわかった。じゃあとりあえず右から行くか?」
代わりに金色のもふもふした髪を一撫で。
「いいですわー! 運命は決定された! ですわー!」
本人的に探偵らしい問答に満足したのか、ぴょこぴょこと喜び勇んで左側の階段に進もうとするアニエス。フロノスの口から「逆だ……」と、ため息が漏れ、それと同時にすっと手が伸びる。
それは首根っこを掴んでアニエスを浮かせ、そのままぐるっと逆方向へと進行方向を変える。その間、空中で足踏みをしていたアニエスは何事もなかったかのように再びぴょこぴょこと歩を進め階段をのぼりはじめ。
そのあとを無言でフロノスが追った。
そんな調査結果。
二階を右に行こうが左に行こうが変わらなかった。そこに運命の分岐などなかった。同じような部屋がそれぞれ五部屋ずつ並んでいるだけだった。
手前の部屋から開けていき、最後の部屋に至る段には既にアニエスは飽きていた。
段々に下がるテンションは誰の目で見ても明らかだった。
一部屋目の扉を開ける時は「お化け! なんて! ないさー! ですわー!」と元気に叫んでいたが、部屋を経る毎に言葉数は減り、最後には「ですわー」だけになっていた。その言葉も普段と打って変わってテンション低く、深夜酒場にいる店員のちわーくらいのイントネーションになっていた。
「ほい、お疲れ。お嬢」
フロノスはやる気満々のお化けから、本当にうらめしげなお化けのようになったアニエスの頭をポンポンと撫でる。髪の毛のふわふわが随分としぼんでいるから本当につまらなかったのだろう。
「お化けはどこにいるですわー」
「そりゃいないんだろうよ。自分でお化けなんてないさーって言ってただろう?」
「違うですわー。そこから、いるのかーい! ですわー! って繋げたかったんですわー」
「それは、知らんよ……」
「むーそれにしても何もありませんですわ……成果なしですわー」
「そうか?」
含みのある言葉。敏感にアニエスは反応する。同時に金色の髪がモフっと盛り上がる。
「何かあったのですわ?」
「ちょっと気になる所は、な」
「なんなん! ですわ!」
「ん? 内緒だ」
「ちょ! ずるい! ずるいですわ! 助手は探偵に調査結果を教えるべきですわ!」
「まあ待てよ。とりあえずシルフィ殿下とノーマン殿下の調査を待ってからだな」
なおもですわですわと言いながら、わふわふとじゃれついてくるゴールデンレトリバーのようなアニエスを撫でたりいなしたりしながら一階のホールでシルフィ、ノーマンの両名を待っていると、程なくしてスタスタ歩いてくるシルフィとその後ろをヨタヨタ歩いてくるノーマンが現れた。
「お疲れ様でした殿下方。首尾はいかがでしたか?」
ヘロヘロなノーマンはさておき、一旦シルフィに確認するフロノス。
「特にはないわねー。普通の貴族邸よ。見る限りはね」
「ううう、うん。みみみ、見た感じは! ふふっふ、普通だったよう!」
シルフィ、ノーマンとも変わった点はなかったという。ノーマンは言葉も態度もおかしいが。そんな二人にふむと頷いてからフロノスはさらに問う。
「では聞き方を変えましょう。……邸の風の流れはどうでした?」
「あー……。そこ聞く? って事は、フロノスも気付いてんの?」
「俺には風の流れはわかりませんが、構造的におかしいですからね。屋敷の両サイドの部屋が揃って他の部屋よりも狭かった。そこに何かがあるでしょう。軽く壁を叩いてみましたが、音は下の方まで響きましたよ」
「……なんだ完璧にわかってんじゃない。アンタの気づかない事を自慢してやろうと思ったのに。やっぱやるわね」
「お褒めに預かり光栄です。して風の流れは?」
「二階から地下に風が流れて、地下から二階へ風が上がってきてるわ」
「つ、土的にも、し、下に空間があるよう。シル姉様、やっぱりフロノスは気付いてたよう。嘘ついたり誤魔化したりするのは苦手だからやめてよう」
どうやらノーマンのおかしな言動は地下室がある事を誤魔化そうとしていたためだったようだ。
「やはり予想通り地下室があるんですね」
「地下室!? ですわー! きっとそこにお化けが潜んでいるのですわー! 夜になったら出るのですわ! フローフロー! 早く行くですわ! ホーンテッドは目の前ですわー!」
地下室の存在にぴょんぴょんと跳ねるアニエス。あまりにも愛らしいその姿はハンターの視界に入り、ハンターの欲を刺激した。
「はしゃいでる姉様可愛い!」
「むぎゃあ」
アニエスも鳴かずばシルフィに撃たれまいに。
捕まった獲物はハンターの身体に埋められた。
フロノスは遺憾な顔をしているアニエスと満足げにモフっているシルフィは一旦放っておいて、話を進める事にした。
「ノーマン殿下、地下への入り口は一階にありましたか?」
「い、いや。それは見つからなかったよ。シル姉様が魔法で壁を壊そうとするのを止めるの大変だったんだから。室内でシル姉様の魔法が暴走したら死んじゃうよう!」
「じゃあ、俺が見つけた二階の入り口が地下室への入り口ですかね? ノーマン殿下の言うとおり。万が一の可能性ですが魔法が暴走したら問題ですからね。ここは正攻法の入り口から参りましょうか? よろしいですか、シルフィ殿下?」
「いいわよー」
シルフィの言葉による了承と、アニエスの無言の不承不承な了承が返ってきた。毎度毎度の事ながらシルフィに抱きしめられていると虚無な顔をしている。フロノスは実はこのチベットスナギツネ顔のアニエスが好きだった。
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二階を経由して到達した地下室には何らかの製造設備がずらっと並んでいる。それは整然としていて埃すらなく、現役で稼働している何かの工場のようだった。到着したメンバーはとりあえず、それぞれで設備を確認して何の工場かを確認しようという話になり、今は確認後に再集合した状態である。
「やっばいわ、ここ」
シルフィは指先で錠剤をコネコネしながら言った。
「ですね。これですから」
乾燥した海藻を手に持って頷くフロノス。
「お化けだぞ! ですわー!」
シーツを頭からかぶってノーマンを驚かすアニエス。
「キャッ!」
と、それに素直に驚くノーマン。
後半の二人は何の確認をしてたのだろうかと思わないでもないが、シルフィ、フロノスはそこの二人、特にアニエスにはあまり調査力を期待していないだろうから問題ない。
というか。
それどころではなかった。シルフィが手に持っている錠剤は幻覚促進剤と言われている種類の薬品でローレライ魔法王国では違法薬物である。そしてフロノスが持っている海藻はその原料となるパラダイスコンブであった。この海藻は肉食の海藻で海中に幻覚成分を撒き散らし、その幻覚に惑わされた生物を捕食するという生き物である。
そしてその幻覚成分は人間にも有効で年間数人被害に遭う。その幻覚はとても幸せなものらしく、被害にあった生存者はまた同じ幻覚が見たいために海へと赴くなどという与太話まである。
そんなパラダイスコンブの幻覚成分を抽出してできるのがシルフィの持っている錠剤、パラダイスパラダイム。通称パラパラだった。この薬は依存性が高い事もありローレライ魔法王国では所持しているだけで極刑となるものだった。
そんな代物の現物と材料があり。製造ラインまである。しかもつい最近まで動いていた形跡ばっちりで。この邸を破壊できないのは理由があったのだ。そしてその理由はこの地下室で。邸の破壊を邪魔していた何者かがいる。という事になる。
「こんな設備を地下にかかえてたら、そりゃお家取り潰しになっても自然ねぇ」
「いや、元々の持ち主はパラパラ関連で処罰されたのか? でも、だとしたらこの設備が残っているのはおかしくないか? 明らかに最近まで動いてただろ、これ」
フロノスの言葉遣いが段々と悪くなってきている。この状況でうわべを繕う必要性を感じなくなっているようだ。王族の二人もそれに特に反応する事もなくスッと受け入れている。
「あー確かに。そう言われるとそうねぇ。ノーマン、何か知ってる?」
「う、うん。僕が調べた話では、この邸の元々の所有者のファイス子爵家は、と、当主のトニー・ファイスが寄親のエンド伯爵を殺害した罪でお家取り潰し、財産没収となったはずだよう。俗にいう親殺しだよう。だからパラパラとは関係ないよう」
ノーマンが調べた調書によると事実が淡々とかかれているだけでそこにはそこに至るまでの動機や背景といったものは一切書かれていなかったらしい。通常であれば、調書には動機や経緯なども書かれるはずであるが、その欄は全て空欄で事件の事実と処分の事実だけが書かれていたらしい。
まるで意図的に証拠を残さないような書類だった。
「……表向きは無関係ねぇ」
「……裏では違うだろうな」
「そうねぇ」
「裏社会の権力争いか何かで寄親のエンド伯爵がやられ、その罪を寄子のトニー・ファイスにって事か」
「やっばいわねえ」
フロノスの推測としてはパラパラの製造販売を一手に担っていたのがエンド伯爵一派である。そのエンド伯爵一派の領地には海があり、そこには当然パラダイスコンブも自生している。何なら養殖までしていた可能性までありえる。そして製造を行なっていたのが寄子のファイス子爵家。まさか王都の貴族街でパラダイスパラダイムなんていう違法薬物が製造されているなんて誰も考えなかったのが彼らの成功点だといえる。
寄親のエンド伯爵家から寄子のファイス子爵家へ荷物が運びこまれても不自然ではないし、貴族の邸はある程度治外法権的な扱いになっているのも強い。
よく考えたものだと感心した。
ここまでは裏社会的には成功だろう。
だが。
裏社会の権力闘争でエンド伯爵家は負けたのだろう。
何者かにパラパラの利権を狙われ、奪われ、殺された。そしてその罪はエンド伯爵一派のファイス子爵になすりつけられた。この邸の持ち主が転々としたのはいわばロンダリング処理で現在のパラパラ利権を誰が握っているかわからなくするつもりだったのかもしれない。結果として王家の買取になったのでその目論見は失敗しているのだが。
この事件が終わった後に調査する必要があるだろうとフロノスは頷き、そのままシルフィを見ると同じように厳しい顔でフロノスを見返し、小さく頷いた。
そんな中で横からノーマンが言いづらそうに口を開いた。
「ねぇ……も、もしかして、魔法の暴走とかって、ここ、このパラパラが原因、だったりする?」
核心を突く言葉だった。
今回の解体工事の失敗。魔法や物理が歪む事象。笑い声の幻聴。
全てパラパラを少量なり摂取したとすれば十分に考えられる。完全にパラパラをキメれば幻覚世界にトリップするが、少量であれば認識が歪む程度になるのは十分ありえる。
現象が歪んでいたのではなく。
人間が歪んでいたのだ。
シルフィとフロノスはハッとした。
「それだ」
「それね」
「ううう、うん。ななな、なに!? 正解? 正解なの?」
「そうよ! ノーマン天才!」
「冴えてますね殿下!」
二人に正解を出されてホッとノーマンは安心して笑顔をこぼした。幽霊屋敷に入って以来ずっと緊張していたのが少し解けた。起こっていた怪現象は幽霊などではなかった。全ては薬物による幻覚。物理現象だ。妖精の実在はわかっているのに幽霊が怖いというのもおかしな話だが、妖精は人間の味方であり、自分を愛してくれているという絶対の自信があるから怖くないのだろう。
「解体工事でここを破壊されたくなかった何者かが薬を空中に散布。少量のパラパラを吸い込んだ作業者が幻覚状態になって魔法が暴走する」
「筋が通るわね。聞こえる笑い声もパラパラの幻聴ね」
「そう考えるのが自然ですね。となるとー……ご愁傷様ですね」
そんな不可解な言葉とともに、フロノスは痛ましい表情でシルフィとノーマンをそれぞれ交互に見つめた。しかし見られた方は意味がわからない。
「何よ、ご愁傷様って? え? はっ! 私たちの魔法も歪んで、笑い声を聞いたって事は! 私たちもパラパラ吸わされたって事か!? そうか! 使用罪で極刑か? それでご愁傷様か!」
まずは察しの早いシルフィが気づいた。
そう。パラダイスパラダイムはローレライ魔法王国では違法薬物であり、製造、所持、使用、全てにおいて極刑となる。つまりは単純に考えれば使用罪においてシルフィとノーマンは確定で極刑である。とは言え、さすがに悪意を持って散布された薬品を吸っただけの人間を極刑に処すほどローレライ魔法王国は融通が利かない国家ではない。
つまりはフロノスは王族をからかっているのであった。この方が意図せずに違法薬物を吸うよりも重罪だと思われるがフロノスには関係がないようだ。
そして揶揄われている事にシルフィもノーマンも気づかない。二人は根本的に真面目なのだ。
「……ぼぼぼ、僕もだ! 僕も笑い声を聞いた! ししし、死ぬの?」
「そうなりますね。極刑、残念です」
シレッとした顔で言うフロノスは心の中ではさぞかし笑っているだろうが、その表情に浮かんでいるのはいかにも痛ましいといった感情であった。そんな顔が気に入らないシルフィは吠える。
「はあああ? あんただってここに来ているんだから吸ってるはずでしょう!?」
「俺とお嬢は平気ですよ」
「平気じゃないわよ! 姉様は何があろうと無罪でいいとしてあんたは同罪よ!」
「ははっ。シルフィ殿下。では問いますが、今日、魔法使いました?」
「使ってないわよ! 魔法が暴走するのは前回でわかってんだから使うわけないじゃない。ねえ!? ノーマンも使ってないわよね?」
勢いよく後ろにいるノーマンに問いかける。ノーマンは恐怖でプルプルと頬とお腹のお肉を揺らしながら答える。
「ぼぼ、僕は使ったよう。だって土に魔力を通して地下室がある事を確認したから……」
そう言われてシルフィもハッと気づいた。
「あ、そういうんであれば、私も使った。風の流れを見るの、壁の中に風流したわ。なんならノーマンのお尻を叩く時も風魔法使ったわ」
そんなとこで丁寧に魔法操作してまで魔法を使うなよ。とフロノスはボソッとつぶやいた後に、言葉をつなげる。
「まあいいや。して、それは? 暴走しました?」
したり顔のフロノスが二人に問う。
「意図通りに使えたわ」
「使えたよう」
「無罪証明完了です」
「は!? え、なん、あっ! ……それは……今日はパラパラ撒かれてないって意味!?」
「そうなりますね。よってお嬢と俺は無罪です」
「くうううう! 姉様が無罪なのはいいけど! フロノスがイケシャーしてるのがムカつくわ! ただでさえ姉様を独占してるからムカつくのに!」
「死ぬのはやだよう……どうしよう、フロノスう……」
どこまでも本気にしているシルフィとノーマンを見てさすがに罪悪感が生まれたのかフロノスが言葉に詰まる。まさかここまで本気にするとは思っていなかったのだ。すぐに意図しない使用は無罪よ! とシルフィあたりに怒られると思っていたのに。
しかし現実は違った。思っていたよりも両殿下は純真で真面目であった。
これはすぐに種明かしをする必要があるとフロノスは思い直した。
「あー、殿下方。申し上げにくいのですが……」
「ナニヨ! 裏切り者め!」
「死にたくないよう……」
なおも二人は本気にしている。シルフィは涙目だし、ノーマンからは涙が溢れている。
その認識を訂正するために砕けていたフロノスの態度は元の丁寧なものにまで戻っている。
「申し訳ありません両殿下。多分、極刑にはならないと思います。というか、冗談です、冗談。まさかここまで本気にするとは……」
「は? 冗談?」
「死なない?」
「はい、そもそも意図せずに吸った程度で使用罪には問われません。あれは常習者に対しての罪です。使用する意図が証明されない限りは罪には問われないでしょう。しかも今回に関しては解体作業者も全員同じ症状ですし、彼らが相互に証人として機能するでしょうから薬物使用を意図していない事の証明も容易です」
「そ、そう? 大丈夫って事で? いいのね?」
「死なないよう」
ノーマンはともかくシルフィは揶揄われた事に激怒すると思ったが思ったよりも極刑に怯えていたのか種明かしされて安堵の表情しか現れない。王族、エリートとは言っても十代の若者である。それを揶揄った罪悪感だけがフロノスに残ってしまった。
それを誤魔化すようにフロノスは辺りに視線を投げる。
「さて、そろそろ、ここから帰って憲兵に報告しましょうか。そしてパラパラ利権の元締めまで手を伸ばしてもらわないと……帰るぞーお嬢! お嬢? ってお嬢はどこいった?」
見渡しても。
アニエスが見当たらない。
フロノスの言葉にシルフィとノーマンも驚き、周辺を見渡すが確かにどこにもアニエスの姿はなかった。普段であれば大人の話をしている間は大人しく菓子でも食べて待っているはずのアニエスであるが、今日はお菓子がない上に楽しみにしていたお化け地下室に少し暴走気味であった。
一人でどこかへ行ってしまった可能性が高い。
全員でアニエスを探し始める事にした。
「ねーさまぁ! どこー? 返事をしてー!」
「アニエス姉様ー! 帰るよー!」
「お嬢! 返事しろー!」
三人で呼びかける。
その言葉に遠くから小さくくぐもった声が帰ってきた。
「ここ……ですわー」
瞬時に。
フロノスの視線がアニエスの声を捉える。線になって見える。反響して反響して減衰したその声の先の先。
そこは遠くにある大型製造機器の裏側。位置を捉えたフロノスは飛んだ。一瞬でその場から消え去り、機器の裏まで体が移動した。シルフィとノーマンは消えたフロノスの姿に驚きながらも慌ててその姿を追った。
一人だけアニエスの声がする場所へ至ったフロノス。
そこには。
一人の男とアニエスがいた。
アニエスは男にはがいじめにされ口を抑えられている。体の小さなアニエスは抵抗ができない。男が本気をだせばアニエスの首の骨など容易くおられるだろう。それぐらいにアニエスは華奢である。
フロノスは冷静に男を観察する。
痩せていて眼窩は黒く落ち窪んでいる。手入れされていない黒髪は伸び放題に伸びておりいつ洗ったのか見当がつかない程汚れていて、所々皮脂で毛束ができている。服も元々は貴族が着るようないい仕立ての服ではあろうが、年月に着古され、当時の栄光は垢に上塗りされている。まあ、見るからに不健康で不衛生だった。
特に武器は持っていないが、アニエスの安全を確保するまでは手が出せない。
「捕まったですわー助けてですわー汚いの嫌ですわー臭いですわー」
そんなフロノスに反して、どうにも幼い頃から捕まりなれていて緊張感がないアニエスの言葉。男が抑える口の間からもれる言葉。汚いの嫌と臭いという言葉だけには感情がこもっている。そんなアニエスに反して捕まえている男の語気は荒い。
「そ、そこの、お、男! こっちにくるな! この子供がどうなってもいいのか!? お前たちは何者だ! ここは僕の家だ! ふふふふ、不法侵入だ!」
どうやらアニエスが子供に見えているようだ。確かに背も小さいし行動も子供じみているが。その言葉にアニエスはぬーんと若干不満げな顔をした。
「ここは王家の持ち物だ、お前の家ではない。すぐにお嬢を解放しろ。悪いようにはしない」
「嘘だ! ここは僕の家だ! お父さんとお母さんが帰ってくる家だ! でていけ!」
そう言う男の視線は定まらず、光を失った瞳がぎょろぎょろと動き回る。
会話が通じるかと思ったが、どうにも言動がおかしい。
そこへやっと追いついてきたシルフィとノーマンがフロノスの後ろへとついた。
「ちょっと、フロノス! 姉様は無事なの!? てか何よあの男! やばくない?」
「ゆゆゆ、幽霊!?」
「ノーマン殿下、幽霊ではありませんよ。あの服についている紋章を見てください」
後ろを見る事なく、フロノスが指差した先。男の胸元にかろうじて張り付いているワッペン。そこには波から跳ね上がる魚の紋章があった。
「知らないわ」
「あ、あれ、ファイス子爵家の紋章だよ。この家を調べてる時にみたよ」
「ノーマン殿下、正解です。この家の中にも所々にあの紋章がありました」
「てことは、この家の元々の持ち主の関係者ってこと?」
「言動から察するに、子爵家子息ってところでしょうかね」
互いを見る事なく小声で交わされる会話に子爵家子息と推定される男は敏感に反応する。
「おおお! お前ら! コソコソと喋ったな! 僕の家を家奪った奴らと一緒一緒だ! お父さんお母さんを返せ! この家を返せ! 全部全部! あああああああ! もうもうも盗られる位なら壊す壊す! 全部全部!!!」
ぶわっと。
男の周りが一段と暗くなったように見えた。
それと同時に自分の言葉にヒートアップしたように。男は人質にとっていたアニエスを用済みとばかりに突き放し、そのまま手当たり次第に周辺の機械を破壊し始めた。
突き放されたアニエスはもちろんフロノスが瞬時に胸に抱いて救出し、そのままスッとシルフィ、ノーマンの元へ戻った。お姫様抱っこされたアニエスはまさにお姫様で。正しくお姫様抱っこであった。満足げに笑っている。
「フロノス! やっぱこいつやばくない!? まともじゃないわよ?」
「ええ、おそらくですが、パラダイスパラダイムを常用しているのではないかと思われます」
「汚くて臭かったですわー」
「にににに、逃げようよう!」
「は!? 逃げる? ダメでしょ? あいつ逮捕するべきだわ」
三者がてんでばらばらに発言している間にも元ファイス子爵家子爵は手当たり次第に製造ラインを破壊している。どうやら魔法を使って破壊しているらしくあちらこちらで小爆発が起こる。パラダイスパラダイムでトリップしている状態であるためその魔法は暴走しており今は機械を破壊している状態だがいつ人に向かってくるかはわからない。
フロノスは三人をまとめるために一際冷静に口を開いた。
「シルフィ殿下、すでにそこここで機械が爆発しています。推測するに、この状況からお嬢が見た邸が爆発する未来につながると思われます。王族の務めとはいえ、命より大事なものはありません。ここは逃げてください。我々は邸が爆発する時には庭にいたと観測されています。その未来では我々は全員生存していますが、観測に逆らった場合はその限りじゃないんです」
「シルフィ、逃げる! ですわー!」
フロノスの長文の説得には不服顔であったが、アニエスの一言にはすぐに納得の表情を表すシルフィ。こうなるとシルフィの行動は早い。まさに風のごとく素早さで目的のための行動に移る。
「姉様が言うのであれば! さっさと逃げるわ! ノーマン! 私が天井に大穴開ける。あんたは地面を一階まで持ち上げなさい!」
「うん!」
これだけの言葉で脱出への二人の意思疎通がとられた。普段から一緒に仕事をしている二人ならではのコンビネーションだろう。
シルフィの周りに渦巻き始めた風はあっという間に質量を持ってドリルのように天を衝いた。降り注ぐ瓦礫はドリルの中にいる四人にはチリ一つもふりかからない。大型の瓦礫が落ち着いた段階でノーマンが地面に両手を触れて何事かお願いした途端に四人に重力がかかった。
地面が円柱状に盛り上がり、重力を感じた次の瞬間には始めに入ってきた一階のホールにいた。
「こっちよ」
シルフィは慌てる事なく玄関の扉を風で吹き飛ばして外を指し示す。その指示に三人は無言で頷いて駆け出した。そのまま庭に飛び出し、地下から響く爆発音や破壊音、地下から噴き出す噴煙、炎をしばらく見つめていた。
未来は観測されている。
この邸は最終的に爆発して跡形もなく破壊される。
アニエスが見た汚い男とはさっきの子爵家の関係者だろう。その男が無事に爆発した邸から出てくる事も観測されている。未だ第四王子、ダルク・フォン・ローレライは現れないが、彼も爆発した後には必ず現れるだろう。
だから。
この状況では見守るしかない。
しばらく見守っていると一際大きい地下の爆発とそれに誘因されるように地上の建物も崩れ始める。
瓦礫の粉塵のように舞っている中にはきっとパラダイスパラダイムの粉も混ざっているだろう。それを吸い込まないようにシルフィは無言で空気のシールドをはった。
四人には言葉なく。
崩れる邸をただ見ている。
シルフィ、ノーマンの両名からは区画整理業務の完了として。
アニエス、フロノスの両名からは探偵仕事の完了として。
見えているこの景色は。
違法薬物の製造販売元へとつながる新たな事件の始まりである。しかしそれは憲兵やら警察組織やらの業務で、これだけの大事件であるから。きっと王直属の組織が捜査の担当になるだろう。この場にいる四人の手からはこれで離れる。どうにもすっきりしない状況。
もやもやとしながら見つめている間に。
すっかりと建物は崩れ落ち、その瓦礫の間から一人の男がほうほうの体で這いずり出してきた。
地下で見た時にはまだ衣服として見れていた仕立ての良い服は体にまとわりつくだけの布きれと化し、眼窩が黒く落ち窪んで異様だったその顔は煤で汚れて人ならざる幽鬼のようで、ボサボサな部分と皮脂で固まった毛束部分が半々くらいだった髪は爆発の影響であちこちが焦げていて、その頭の上には数枚のパラダイスコンブが焦げた髪の毛を補うように何枚も乗っている。
「おとぉおおおおさぁあああああん! おかぁあああああさぁあああああああああん!」
そんな状態で。
子供のようにただただ父と母を呼ぶ。
地下で粉塵と化したパラダイスパラダイムを大量に吸い込んだのだろう。地下ではほんの少し残っていた正気の気配は消え去っている。すでに精神は完全に飛んでいる。パラダイスパラダイムは適量であればパラダイスへ至るが、あの状態は見るからにオーバードーズであり、そうなるとパラダイムはシフトしてしまう。
見えている世界は幸せなものではないだろう。
そんな男に四人は身震いして手が出せない。
この男のバックボーンはわからない。違法薬物の製造に手を貸していたのか。それともそんな事を知らずに裏の金でのうのうと子爵家子息として生きてきたのか。父を失い、貴族としての立場を失い、奪われた家に固執し、その悲しみから逃げるために薬物漬けとなって、ただ子供のように繰り返し叫ぶ男。
アニエスは観測をやめた理由を汚いとしたが。
きっとそれだけではなかったのだろう。
この慟哭を見ていられなかった。というのが正確な理由のように思える。
現にいま、アニエスは顔を手で覆っている。
しかし「探偵はそれでも見なければいけない」と言うフロノスの言葉に。その指の隙間からはしっかりと全てを失った男の姿を見ている。
そんなアニエスを理解し、フロノスは優しく頭を撫でた。
そんな状況で。
「そいつが犯人だ! 憲兵、捕縛しろ!」
金色の声が走り抜ける。
その指示で制服に身を包んだたくましい姿をした男が数名駆け抜け、一瞬で泣き叫ぶ男を地面に組み伏せた。男は地面に顔を押し付けられ、父と母をもう呼ぶ事はなく、小さく獣のようにうめくだけだった。
四人はその末路に手も口も出せない。
その横から続けて金色の声が響く。
「シルフィ姉様、ノーマン兄様。お疲れ様です!」
「ダルク」
四人が横を向くと、金色の長い髪をきらめかせた王子がそこにいた。
第四王子、ダルク・フォン・ローレライ。
アニエスの観測通りにこの場に現れたのだった。
意図的にダルクはアニエスとフロノスを見る事はない。なぜかこの末っ子はアニエスとフロノスを嫌っている。王城ですれ違う時などは取り巻きの貴族たちと蔑みの言葉を投げてくる事もあるほど。
今は姉と兄がいるため無視するだけにしたようだ。
「なんで?」
シルフィの獰猛な低い声。滅多に聞かない声である。王族の務めを忘れたノーマンを叱りつける時でもここまでの獰猛さを見せる事はない。シルフィは怒っていた。確かにあの男は犯罪者だろう。だが同時に被害者だ。自ら進んで違法薬物に手を染めたのかもしれない。もしかしたら誰かに漬けられたのかもしれない。しかし、どちらにせよ王家が闇を払えなかった結果を体現したような男。
これは王家の責任だ。
なんでという言葉には。
なんでお前が?
なんでここに?
なんで手を出した?
色々な意味と感情がこもっている。しかしダルクはそれを忖度しない。
「え? なんでって言われても。たまたまですよ、たまたま。いやーびっくりしましたよ。貴族街の視察中に大きな爆発音がするじゃないですか? 音のする方を見てみたら区画整理中の辺りでしょう? 慌ててそこらにいた憲兵を連れてきたら不審者が叫んでるじゃないですか? みんなでそれを眺めてるじゃないですか? それを逮捕しただけですよ。逆にシルフィ姉様は何してたんです? あんな明らかな危険人物をぼうっと見てるなんて王族のする事じゃないでしょう? さっさと掃除しないと。ハハッ」
威圧感のあるシルフィの声に全く反応する事なく、ここにいる理由だけを説明するダルク。金色の髪の毛と白い肌とキラキラとした瞳でシルフィを見つめている。悪意など全くないといった顔で悪意に満ちた言葉を話している。
シルフィには理解ができなかった。
正論ではあるが。
それが王族の務めかと問われれば、はいともいいえとも言えなかった。
「かわいそうですわー」
憲兵に連れられていく男を見てアニエスがボソッと呟く。
「……うん」
ノーマンがそれに同意する。
王族として何かもっとできた事があるのではないかと思うが。
若い王族に何かができただろうか。とも思う。
あの人間は堕ちる所まで堕ちている。あの状態からの救いなどないだろう。
ないとは言っても。それでもあの慟哭を聴いてしまってはどうにもやるせない。
きっとあそこに至る前に救わなければならなかったのだろう。
それが王族たるものの役目だった。とアニエス、シルフィ、ノーマンは考える。今は力不足かもしれない。それでもこれ以上あのような慟哭を誰にもこぼさせないように努力していこうと心に誓った。
「さて、僕はあの男を捕らえた手柄を王に誉めてもらわないと行けないので先に行きますね」
そんな中。
一人。
金色の光輝を放つような末っ子だけが意気揚々と去っていく。
そんな後ろ姿を見送る四人。
ポツリとアニエスが呟く。
「依頼、完了ですわ……」
取り壊せなかった邸は取り壊され。
幽霊騒動の原因は特定され逮捕された。
これで公務も依頼も完了した。
だけど。
依頼は完了しても事件は解決していない事はその場にいる全員がわかっていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
裏
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
何もない空間に。
二人の男が面と向かっている。
一人は闇の中に沈んで姿は見えない。
一人は光の中に沈んで姿が見えない。
交互に言葉を投げかけ合う。
「キミがあの男を生かしとくとか言うから危なかっただろう?」
光りながら責める声。
「うん……それでもボクはカレを殺したくなかったんだよ」
闇におちたおどおどした声。
「その結果がこれだよ? 僕が言ったように彼を薬漬けにしておいてよかっただろう? でなかったら色々と喋られて面倒な事になる所だった。薬漬けになった姿は混沌としてて楽しかったけど、それでも生かしておくデメリットの方が大きかったよ?」
楽しそうにカラカラと笑う。
「そう、だけど……カレは泣いてたよ。お父さんとお母さんを呼んでいたよ。楽しくなんてなかった」
楽しくもなさそうにジトリと呟く。
「そう? 楽しかったと思うけど? 頭にコンブのっけて泣き喚くんだよ? 楽しくない? そう? まっ、彼が泣かなければ、代わりに僕らが泣く事になっただけだろうね。キミはそれが望み? あの頃みたいにずっと泣いていたい?」
「いや……それは嫌だけど。でも、だけど……さ……」
「つまり。キミはあの頃に戻りたいと?」
「そう、は言ってないよ。けど、さ……」
「僕らが笑うためには誰かが泣かないといけないんだよ? わかってる? 現にキミが泣いてきた分、奴らは笑っているだろう?」
「うん。それはうん」
「ほんとかな? ほんとにわかってるのかな? 僕らは他人から笑顔を奪って僕らの笑顔にする。そのためにずっとここまでやってきた。それもわかっているかい?」
「うん……」
「あの地下工場だって仕込みに仕込んで僕らのものにしたって言うのにさ……」
「見つかっちゃったね。カレも連れてかれちゃったし、あそこからボクらの事がバレないかな?」
「あー、それは大丈夫。もう彼は何もしゃべれないから。あそこにあるのは彼の抜け殻みたいなもんさ。精神は妖精界に飛んでいってるよ」
「君がやったの?」
「いや違うさ。全部はパラダイスコンブの仕業だよ」
「そうなの?」
「ああ、あれは幻覚を見るだろう? その幻覚ってさ実は精神の一部が妖精界に飛んでって見る幻覚なんだよ。神隠しの奴隷と同じさ。奴らの精神も一部を妖精界にとばしているんだ。そうやって段々と精神を希薄にしていけば肉体も存在が希薄になっていって最後は妖精の存在に近くなる。そうすると個の認識が薄くなって全体の意思、この場合は僕らだね。それに従って動くようになる。奴隷はその段階で止めるけどね、彼は余計な事を喋ったりされたら困るから精神を完全に妖精界に飛ばしておいたよ。さすがに肉体を消すわけにはいかないからそこは消えないように上手く精神も残してあるけどね」
「そうなのか。少し可哀想だけど……」
「仕方ないじゃないか! 今回の失敗は全部あいつのせいだよ? 地上の邸なんて素直に壊させておけばいいのにさ。パラパラをちょっとばら撒くとかして彼が邪魔するからさ! あいつら妖精探偵社が出張ってきちゃったじゃないか。やっぱりあいつら邪魔だよな。無能王女の癖に僕らの邪魔をするなんてさ、おかしくない?」
「それにはボクも同意するよ。ずっと邪魔だ! 無能の癖に! いつも楽しそうだ! 周りには人がいる。家族がいる。貴族どもにいくら嫌われても楽しそうに笑いやがって。好き勝手にしやがって。もっと苦しめ。もっと哀しめ。もっともっと悩まなきゃだめだ。ダメな人間なんだからもっともっと周りにへつらわなきゃおかしいじゃないか。目障りだよ!」
「だよね、だよね? あいつらはほんとに邪魔だよ! 王太子の失脚作戦も邪魔してくるし! 神隠しで確保しようとしてた奴隷も逃しちゃうし! すっごくやりにくい! ね、やっぱり殺そうよ。王も王太子も王子も王女も全員殺しちゃえば全部僕らのものになるよ? 僕らは王にだってなれるんだ!」
「……そう、だね。やっぱり、君が言う通り、それが一番手っ取り早いかもね」
「そうさ! そもそもこの国の人間は妖精を良いモノとしてしか扱わない。善良なモノとしてしか認識しない。でも違うよ! 妖精は力だよ。力は支配だよ。支配は喜びだよ。僕らで全部を支配しよう。国も、人も、妖精も、全部だ! ね、やろうよ」
「う、ん……やるよ」
「イイね! キマりだよ? じゃあ手始めに誰を殺そうか? どう殺そうか? 楽しみだな! さー混沌をつくるぞ! 色々と考えてた方法があるんだ。毒殺かなー? 扼殺かなー? トリックはどうしようかなー? 妖精を使えば自由自在だからねー。とりあえず実験をしないとねー」
「うん……やり方は君に任せるよ」
闇はより闇を深く。
「うん! やり方は僕に任せてよ」
光はより光を放ち。
「「キマり」」
両者の同意の言葉とともに。
闇と光は溶けて混ざって消えた。
残ったのは王城の一室の風景だけだった。
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