第6話 魔法の国の王と王妃

 ローレライ魔法王国王都。


 ここは王城。


 その中にあるプライベート空間中のプライベート空間。

 王と王妃の寝室である。


 ローレライ魔法王国随一の魔法使い二人が唯一心身を安らげる場所。

 日々激務に追い立てられる二人は、子供たちの顔を見る事も中々難しく、やっと子供の顔を見れた思っても公務の中であり、王と部下の顔でしか対面できない。親と子の顔で向かい合ったのはいつぶりだろうか。とんと思い出せないほど遠い記憶となっていた。


 公務、外交、魔法協力、書類、視察、社交、内政、調整。

 目が回る。


 今日もくたくたになりながら、日を跨いだ頃に仕事を終え、寝支度をしている間に夜勤の側仕えに寝具、夜着の支度を整えてもらい、やっと夫婦の寝台に入った。おおよそ深夜二時頃、やっと一息ついた所。お互いふかふかしていい匂いのする枕に背中を預け、半身を起こした状態である。


 王妃がそわそわとしながら口を開いた。


「ねえ、あなた」


「どうした?」


 執務中の陛下という呼び名が、寝室であなたへと変わる瞬間を、王は快く感じている。

 加えて今日の妻の声には幸せが混ざっている。その声だけで王は幸せを感じる。齢四十を超えていまだに幼さの残る王妃がコロコロとした幸福な声で自分を呼ぶ声が幸せ以外の何物であろうか。


「うれしい報告が来たわ」


「うれしい? いいね、どんな報告だい?」


 手元に握った封筒をにぎにぎとしている姿がまた愛らしい。そのまま頭を王の肩にのせてきた。風呂上がりで少しだけ湿り気を残したふわふわとした金色の髪が王の頬にかかって少しくすぐったく感じた。

 長女のアニエスはこのふわふわ髪を受け継いでいる。


「聞きたい?」


「ああ、聞きたいさ。私も君の幸せをお裾分けしてもらいたいよ」


 王妃同様に王も執務中は妻を王妃としか呼ばないが、この寝室だけでは君、と呼ぶ。二人だけしかいない時の記号だ。あなた。君。この呼称には甘いニュアンスが含まれている。

 ふふふーどうしましょう? と勿体ぶる王妃の背中から手を回して、頭を軽く撫でる。柔らかくボリュームのある質感が手に返って来た。同時に夫の温かく力強い手を感じた王妃はさらに頭を寄せる。

 しばらく満足げに頭を撫でられてから王妃は鼻息を吐き出して口を開いた。


「いいでしょう。教えましょう!」


「ああ、うれしいね」


 王は頭を撫でる手を止めて、肩の上にある王妃の方へ頭へと自分の頭を重ねた。


「サラムとハリエット嬢の仲が改善したんですって」


 その言葉に王の頭は跳ね上がった。


「……ほんとに?」


 素直に驚いた。

 あの二人の問題は実はとても大きい問題だった。最近は社交の場でもその険悪さが際立っており、一部貴族からは婚約を問題視する声が上がり、その裏ではサラムが王太子である事を疑問視する声まで上がっていた。皮肉にも王と王妃の仲が睦まじい事もその意見に拍車をかけていた。


「ほんとよ。うれしい報告でしょ?」


「あ、ああ。格別にうれしい報告だ。だがだ。どこの誰がどこをどうやったらあの関係が改善するんだ? 我々が手と口を出しても全然ダメだったじゃないか」


 王と王妃も王太子とその婚約者の関係改善のための手伝いを何度かした事があるがダメだった。どうやっても助力が裏目になってしまい、関係は改善どころか悪化の一途を辿っていた。このままでは婚約を破棄させて、トリート侯爵令嬢への詫びとして、最悪サラムへ廃太子処分を下さなければならない所だった。

 誰がどうやってあれを改善したというのだろうか。


「それがね……アニエスが解決したのですって」


「アニエスって、うちのアニーかい?」


「ええ、あのアニーが、よ」


「それは……さらにうれしい話だ……」


 ホッと力が抜けて、背面にある枕へと体重が抜けていくのを感じた。


 アニエスの仕事が人の、国の役に立っている。

 その言葉。

 その事実。

 それだけで王の目からは涙が溢れ、頬を伝って、ぽたりと寝具に落ちた。

 同時に王の肩にも暖かい雨が降っているようでしめった温もりを感じる。


「ね、うれしいでしょ?」


「ああ、アニエスは王族として一人で立てている、んだな」


 二人だけの部屋に涙声が沁みる。


「ええ。あの時のあなたと私の判断は間違っていませんでしたよ」


 王と王妃になったばかりの頃。

 全国民の期待を背負った長子が生まれた。

 どれほどの強力な魔法使いが生まれるだろうかと。

 期待されていた。

 ローレライ魔法王国では魔法が使える人間は生まれた時の産声と同時に授かった属性の魔法を放つ。理由はその産声を聞いた妖精がその子を愛するからだというが詳細はわかっていない。


 でもアニエスにはそれがなかった。

 静かに「うぃ」と泣くおかしな赤子だった。


 初めて生まれた子は魔法が使えなかった。


 この事実に。


 王の派閥の大多数である選民主義派閥の人間、ほぼ全員が。


 神に返せと。

 天に返せと。

 妖精に返せと。


 言った。


 それを力で黙らせた。魔法で黙らせた。子孫繁栄で黙らせた。国家繁栄で黙らせた。


 それに関しては間違っていないと思っていた。

 でも。


 それでアニエスが幸せだったか? 幸せになったか? その内なる声は黙らせる事ができなかった。


 明らかに貴族連中には差別されている。自分たちは多忙で守ってあげられない。本人は実に自由に振る舞う。


 あの時の判断は正解だったのか。と己が己に問うてくる。

 ずっと黙らせる事ができなかった声。


 王族であるという事は国家に奉仕する人間でなければならない。

 これはローレライ王家の至上命題である。

 あの子にそれができるだろうか。できないのならば降嫁させるのが良いはずだが、あの振る舞いではそれが無理な事は明白だし、無理を通せば世界は歪み、そのツケはあの娘に返るだろう。

 どうしたらいいかわからなかった。


 でも。

 アニエスは自分で立った。


「そう、だな……あの時の判断は正しかったのだな」


 もちろんここ数年の妖精探偵社の実績は知っていた。人々の問題を片っ端から解決して回り、国民や貴族の信頼を集めていると。しかしそれだけでは王族たりえない。王族のその特権はその大きな力と引き換えに国家から得ているものだ。だから王族は誰にも解決できない問題を解決しなければ王族たりえない。


 それがアニエスにできたという事実。


 これは激務で疲弊した王と王妃を心底癒した。


 この報告を胸に抱いて眠った王と王妃は久しぶりにぐっすりと眠れたという。


 これもきっと誰にもできない偉業だろう。


 しかしそれに誰も気づく事はない。


 王と王妃、本人たちですら。


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