第5話 魔法の国の探偵と侯爵令嬢

「ハリーちゃん! ですわー!」


 相変わらずの声が響く。


 秋。ここは王城内の庭園。

 季節柄、花は少ないが木々は色づき、春の美しさとは一線を画しながらも負けんばかりの色彩を放っている。そんな庭の一画にテーブルとティーセットが据えられており、そこには暖かい服に身を包んだ御令嬢が二人。そばに立つのはいつもの助手が一人。


 妖精王女、アニエス。

 トリート侯爵令嬢、ハリエット。

 有能助手、フロノス。


 この広い庭園内、この三人のみ。

 人払いがされている。


「本日はお忙しい中おいで下さりありがとうございます。第一王女殿下」


 侯爵令嬢であり、ホストであるハリエットが頭を下げる。


 今日は王太子、サラムとその婚約者ハリエットの誤解を解いたお礼という名目の面会であった。女同士で話したいというハリエットの要望で、今回サラムは不参加となっている。テーブルにはそのサラムから差し入れられたマカロンをはじめとしたアニエスの好物が並んでいる。

 先ほどから何度か手を伸ばそうとするアニエスの手をフロノスが止めている。不満そうにアニエスがフロノスを睨むと、まずは挨拶に答えるのが道理であると逆にフロノスの視線がアニエスを刺してきた。


 それもそうかと。

 ハリエットに向き直って礼をする。


「本日はお招き頂き感謝ぁ……ですわ! ハリーちゃん!」


 途中までは王女殿下風であったが、途中でマカロンに視線を奪われて台無しになった。


「……お嬢? マナーは?」


「ディアスティさん、かまいません。今日は私が殿下に私的にお礼をする場ですので気楽にしてほしいのです。お菓子もサラム殿下がアニエス殿下のためにと用意してくださった品です。ご自由にお食べください」


「お嬢、いいってよ」


「まってましたですわー!」


 フロノスの許可を受けて、庭園の紅葉にも負けないほどに色とりどりのマカロンを手にとって口に運ぶアニエス。頬を膨らませながらもきゅもきゅと咀嚼する様はフロノスでなくても見とれてしまうほど愛らしい。


 ニコニコとした感情が二つ。アニエスに向かう。


「アニエス殿下はマカロンがお好きですのね?」


 急に問いかけられたアニエス。

 口の中のマカロンを。

 もきゅもきゅごっくんしてから口を開く。


「好きですわー! マカロンだけじゃなく、サラムが持ってくるお菓子はいつも美味しいですわー」


「確かにそうですわね。私もお茶会のお菓子を選ぶ時にアドバイス頂きますがご婦人方からの評判も高いです」


「たまに意地悪だけど、自慢の弟ですわー!」


 その表情からサラムへの愛情があふれている。サラム側から見たアニエスは救いであった。と同時にアニエス側から見ても自分を素直に慕ってくれるサラムは救いであった。


 そんなアニエスの真っ直ぐな言葉にハリエットは自然と小さく俯く。

 サラムが素敵な人間である事は知っていたはずなのに。なぜ自分はあんな誤解をして、攻撃的な態度をとってしまったのだろう。ずっと後悔していた。

 その後悔はアニエスへの礼となって口からこぼれる。


「……アニエス殿下。この度はサラム王太子殿下と私の問題を解決していただきお礼の言葉もございません」


 急にお礼を言われてアニエスは戸惑った。


「にゃ! やめるですわ! ハリーちゃんは何も悪くないですわ」


 アニエスからしたらサラムがハリエットを信じきれなかったのが悪いのであって、自分を蔑まずに礼を持って接してくれるハリエットは愛らしい義妹である。


「いいえ。あれは私が悪いのです。あのまま行っていたらきっと殿下も私も不幸な道を辿っていたでしょう。アニエス殿下には本当に感謝してもしきれません」


「うぃー、そうほめられると居心地が悪くなるのですわーやめるですわー」


 ほめられなれていないアニエスは妙に体をくねくねとさせて照れを表現している。

 それもまた愛らしく。

 またニコニコとした感情が二つ。アニエスに向かう。


 そんなアニエスを見て自責の念が少し弛んだハリエットはあらためて誤解の日々を思い出すように話し出した。


「本当に私はなぜサラム様に対してあのような誤解をしていたのか……あの方の言動全てに敵意が宿っているように感じてしまっていたのです。原因がわかりません」


「妖精のせい! ですわー!」


「妖精? そんな妖精がいますの?」


「いるですわー! 黒くて意地悪しかしない子ですわー!」


「そう、なのですか? 少し怖いですね」


 ハリエットはここにおいては半信半疑だった。何せこの国の常識としては妖精は常に人間に好意的であり、悪意を持っている妖精など聞いた事もなかったからだ。

 そんなハリエットへ横からフロノスが口を挟んだ。


「トリート侯爵令嬢、発言よろしいでしょうか?」


「許します」


「ありがとうございます。お嬢の発言の補足を少し。今回の原因を端的に説明すると、お嬢のいう黒い妖精にお二人の認識が好感から嫌悪感にずらされた事が原因です。そしてその黒い妖精ですが、こいつは最近ローレライ魔法王国のあちこちで問題を起こしております。例えばですが、トリート侯爵令嬢は最近王都で頻発している神隠し事件をご存知でしょうか?」


 サンダが二日間も犬を探して彷徨っていたのも実はこの黒い妖精の仕業だった。あの段階でサンダの存在は物質世界から薄れており精神体に近い存在になっていた。そこをアニエスとフロノスが救った。あそこでアニエスの言葉を信じずに、家に帰らないで犬を探すという行動を続けていたら神隠しにあっていただろう。

 その現象はローレライ王都で頻発しており、ハリエットも当然その噂を聞き及んでいた。


「ええ。ここ一年ほど問題になっておりますね。貴族、平民に限らず王都での行方不明者が倍以上に増えているとか」


「さすが、ご存知ですね。この事件、実はほぼこの黒い妖精の仕業でございます」


「なっ! 信じられませんわ! 妖精はローレライ魔法王国を愛しているのでしょう。そんな事するはずがありません!」


 妖精がこの国に仇なす。この事実はローレライ魔法王国民としては受け入れ難い事実だった。それほどにこの国にとって妖精とそれらがもたらす魔法というものが占める割合は大きい。


 ローレライ魔法王国は妖精に愛されし国。

 吟遊詩人の詩にも頻繁に取り上げられる話。

 しかし。


「それは違います。妖精はローレライ魔法王国を愛しているのではありません。人間を愛しているのです」


 そこ言葉にピリリとハリエットの雰囲気が張り詰める。


「……それは国家反逆罪にも取られかない発言ですよ?」


 言葉と共に。ハリエットが剣呑な雰囲気を発する。同時に魔力がもれだし空気中の水分が振動しているのを肌で感じられる。


「国王にも言われましたね。しかしこれは事実なのです」


「国王にも言ったのですか!? よく命がありましたね?」


「まあ。説明しますから、聞いてくださいよ」


 ハリエットの激昂を収めるためにフロノスはこの国の、この国の魔法の仕組みの説明を語る。


 それはそもそもなぜこの国だけに魔法使いが生まれるのか。


 という話から始まる。

 ハリエットは無言で頭を振った。


 人間側、特にローレライ魔法王国の国家としての理由づけとしては、この国が妖精に愛されているからだと言う主張となっている。つまりはローレライ魔法王国は妖精に愛され、世界に愛された国家であり、大陸の中で優性な国家であるという主張。


 しかし、これは半分正解で半分間違いと言ったところで。


 魔法が生まれる仕組みが妖精の影響と手助けによるものである事は間違いないし、その手助けする理由が人間を愛しているからである事も間違いない。

 しかしこの国が愛されているからではない。


 そこに関してはたまたまである。


 人間界は物質世界。

 妖精界は精神世界。


 それぞれは重なっている。

 でも別世界。

 座標は同じでも位相がずれている。

 二つの世界は別次元になっている。簡単に言ってしまえばパラレルワールドといった所だろうか。通常の状態であれば、別世界同士がお互いに影響を与える事はない。


 だがごく稀に位相がねじれて別世界の位相が一部重なってしまうケースが存在する。


 物質世界と精神世界がお互いに影響を与え合うと何が起こるかと言えば。


 人間界で言えば精神による物質の変化が起こる。


 つまりは魔法の発現。


 妖精界で言えば欲による精神の変化が起こる。


 つまりは愛である。


 なんの事だとお思いだろうが。妖精界は精神世界であるから自己という概念が希薄である。同時に他者という概念も希薄である。そこには執着もなく欲という概念もない。そういう世界である。


 が、物質界から影響を受けると少しその様子が変わる。妖精に欲が発生する。自己という認識が発生し、他者という認識が発生する。そしてその欲は自分たちとは全く違う他者。つまりは人間という存在に向かう。それが愛となり。人間を愛した妖精は世界の壁を越えてその人間にとり憑き、その人間の存在力を使ってその人間が死ぬまで助け続ける。


 妖精が愛を満たすために。


 世界を渡るために。


 世界の間に架ける橋が虹色であるため。


 だから、虹色は妖精の象徴色となっている。


 たまたま妖精界と接しているこの国。

 たまたまなんらかの魔法が行使できるこの国。


 全てのたまたまで周囲の国家から絶大なアドバンテージを持っているのがこの国。


 ローレライ魔法王国です、と。


 フロノスは説明を締めくくった。


「そんな……」


 ハリエットは絶句している。

 自身の地盤が揺らいでいる。


 まさに半信半疑。そんな表情だった。


 過去、これを国王に告げた時も同じリアクションだった。しかし最後にはフロノスの言葉を信用した。フロノスが信用させたのである。そしてそれ以来フロノスは国王の信頼を得てアニエスの守護者となる事を認められた。


「国王もそんな表情でしたね」


 ポツリとしたつぶやきで、国王がそれを認めていると暗に匂わされても、それの真偽が定かであるかを知らないハリエットはなおも食い下がる。


「それだったら妖精がこの国以外の人間を愛したら魔法が使えるのではなくて? でもそうではないでしょう?」


「それは物理的に妖精界と繋がっているのがこの国の王都で、妖精はそこから離れたがらないからですよ。だから他国の人間がこの国に来れば人によっては魔法が使えるようになる事があるし、この国の国民が他国へ出たら魔法が使えなくなる。これが証拠ですよ」


「そんな……信じられませんわ」


 と、言いつつもフロノスの言葉と実際の現象は合致しているし理屈も通る。

 それでもおいそれと生まれてきてからの常識をアップデートする事は難しい。


「そうでしょうね。ですがこれはトリート侯爵もご存知ですし、王都にいる重要貴族には公然の秘密ですよ。本音と建前というやつですね。それが必要な事は、外交官のトリート侯爵令嬢ならよくご存知でしょう?」


「……戻ったら父に確認しますわ。それはそれとして、その黒い妖精とやらのせいで問題が起こっているのに原因がわかっていてなぜ放置されているのです?」


 ごもっともな質問。伊達にご令嬢だてらに一線の外交官として活躍している才女ではない。

 そんな質問に答えるのは誰あろう。


「妖精は捕まらないのですわー!」


 アニエスであった。

 ちょうどいいタイミングでマカロンをもぐもぐごっくんして満足したからなのか。隣からその原因を告げてきた。

 だが残念ながら。


「捕まらない? ですか?」


 当然アニエスの言葉はハリエットには伝わらない。圧倒的に言葉が足りない。


「お嬢、伝わってねえよ」


「そうなのですわー?」


 ハリエットはそうなのですと言わんばかりの苦笑いを浮かべている。


「ディアスティさん、補足をお願いできるかしら?」


「ええ……」


 アニエスの愛らしい言葉たらずに困ったように微笑むハリエット。それに対していつもの事だと呆れ顔のフロノスはアニエスの言葉を補足する。

 妖精という存在は精神体であり、物質体の人間がそれを捕らえる事は不可能とまでは言わないがとてもとても難しい。現実的に妖精を観測して捕らえる事が可能なのはアニエスの妖精眼くらいのものであった。

 しかしそれで妖精を捕らえたとて、それはあくまで末端で。黒い妖精は数多くいる。結局イタチごっこになってしまうのだった。そこで妖精探偵社は対症療法をとりながら、同時に黒い妖精を操る存在を探しているというのが現状だった。


「まぁ……そんな状況でしたの……」


 想像よりも重大な事態にハリエットは言葉を失った。

 それに対して、ええ。とだけ頷くフロノス。

 アニエスはマカロンを食べ終わり、ミルクたっぷりで甘くしてもらった紅茶をそれはもう優雅に嗜んでいる。


「国家の一大事に私はサラム様と喧嘩していたなんて。王太子妃失格で……言葉もありません」


 落ち込むハリエット。


「ハリーちゃんは悪くはないですわー! これを食べるですわ!」


 元気のないハリエットを励ますアニエス。隠していたマカロンをこっそりと差し出した。

 それを受け取ったハリエットは思わずふふと笑いをこぼしてしまった。何せ差し出したマカロンに対して今生の別れかと見紛うばかりの表情のアニエスが視線の先にいたからだ。

 ハリエットがそれを受け取ってからも、去っていくマカロンに名残惜しい視線を向けるアニエス。


「はい、半分こしましょう。アニエス様」


 受け取ったマカロンを器用に半分にして、少し大きい方をアニエスに差し出すと、見事その餌に釣られたアニエスがハリエットの手に食いつかんばかりにマカロンをパクリと頬張る。

 そんなアニエスの姿を見ていると国家を揺るがす事件が起きているのが信じられず、ハリエットとフロノスはその愛らしい金色でふわふわした髪の王女を微笑ましく眺めてお茶会の時間は過ぎていった。


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