第4話 魔法の国の王太子と婚約者

 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

    表

 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 そんな妖精探偵社。


 今日も依頼人が訪れている。


「依頼人はローレライ魔法王国王城にお住まいのサラム・フォン・ローレライ様。男性、二十歳、父母はこの国の王と王妃、ご兄弟はご本人含めて六名。ご本人は立太子されておりますので、ご職業はこの国の王太子殿下となります。火魔法の使い手でありますので、ローレライ魔法王国のエネルギー関連を一手に担いますエネルギー省の長官もご兼任されております。そこらへんの問題を過去何度もご相談に来られております、いわゆる常連様でございます。そろそろご自分で解決なされては? と助手は愚行いたしますが、本日のご相談はご本人の口から語られるとの事です。ではどうぞ!」


 助手が滔々とフレーバーに棘の味を混ぜながら依頼人の情報を誦じる。


「我が弟ですわー! お久しぶりですわー!」


 金色ふわふわの髪の毛が探偵机から、声に合わせて上下に動くのが見え隠れする。


「おう、姉貴! 久しぶり!」


 相談用のソファにゆったりと腰掛けている王太子、サラムが片手を上げてアニエスの声に応える。

 それは粗野な態度のようで鷹揚な態度。言葉や動作の端々からその生まれながらの気品が迸っている。

 赤色のうねった髪を無理やりと後ろに撫でつけているため、トップやサイドの所々が跳ねたような髪型と、意思の強さを表象するような燃える赤い瞳が特徴的な青年だ。

 アニエスの次の子供であり、今度こそは魔法が使える子供である事を期待された、いや期待というには生ぬるい重圧を常に受けてきた王子である。しかしそんな重圧や期待に見事応え続ける様はまさに王太子だった。性格も真っ直ぐで男気がある所も国民から人気を博している。


「して、殿下。今日はどうなされましたか?」


 フロノスが慇懃に問いかける。普段の俗っぽい話し方は流石に王太子に向ける事はない。


「フロー、ここには誰もいないんだ。いつも通りでいいぞ」


「そうか? ならそうさせてもらうわ、サム。で何の用だ?」


 前言撤回。そんな事はなかった。王太子の許可がでた途端いつも通りの言葉遣いに変わる。実はこの二人は以前の事件解決時に共闘したりしているため気心が知れており、お互いを愛称で呼び合うような中になっていた。どちらも美青年であり、王城内で並んで歩くと侍女たちが途端に色めきはじめると有名なほどだった。


「今日はな、フローと姉貴のイチャイチャを邪魔しに来たんだよ」


 探偵机に向かって揶揄うような笑顔を向けるサラム。

 その言葉に机から見え隠れする金色の髪の毛がわさわさと揺れて、ぴょこんと椅子の上に立ったアニエスの姿が現れた。普段は真っ白な顔色が今は真っ赤に染まっている。


「うぃ!? いちゃいちゃなどしませんわー! サラム、変な事言うと今度から協力しないのですわー!」


 ソファでくつろぐサラムにずびしと指を突き出しているが、小さくて愛らしい妖精王女がどう威嚇をした所でコアリクイやレッサーパンダの威嚇にも満たない。

 そんなアニエスのそばにはいつの間にかにフロノスが立っており、むうむうと怒っているアニエスのふわふわした金髪を梳るように撫でる。


「お嬢、落ち着け。サムのからかいに一々反応するなと言っただろう?」


 言葉は髪を撫でる指先と同期するように流れる。


「うぃー。フローはどっちの味方なのですわー?」


 いつもの言葉と優しい指に少し落ち着きを取り戻したアニエスは椅子の上からフロノスを見つめる。椅子に立っているためフロノスの目線とアニエスの目線がしっかりと絡み合う。


「もちろんお嬢に決まってんだろ? 俺がお嬢の側から離れた事なんてないし、お嬢の敵は俺の敵だ」


 優しく強く。

 指と言葉が同時に流れる。


「うぃ。ならサラムは敵なのですわ! 滅するですわ!」


 満足そうに微笑むアニエス。


「お嬢、サムはお嬢の味方だ。少し意地悪を言うだけだ。妖精にもそういう奴らはいるだろ?」


「うぃ。いますわー。サラムも意地悪妖精でしたわー。よし許すですわー」


「おう、お嬢は偉いな」


「ウヘヘですわー」


 頭をよしよしと撫でられながら褒められたアニエスはご満悦で椅子に再度腰掛けた。フロノスもまた満足そうに微笑むと、すぐに表情を無に返してからサラムが座るソファの対面側に腰掛けた。


「待たせたな、サム」


 黒と灰の瞳が無表情に王太子を見つめる。


 サラムはそれを真っ赤に燃える瞳で見つめ返す。


 熱の塊のようなサラムは自分の姉以外にはてんで熱を持たない友人の事をとても好ましく思っていた。


 姉の不遇はサラムが物心ついてからずっと感じていた。

 家族内では分け隔てなく育てられているが、乳母や侍女の扱いが自分と姉では違う事が多々あった。気づいた時は正義感に燃えてそれを正そうとしたが、相手は曖昧模糊としてどこに対してそれを振るっていいか幼いサラムにはわからなかった。

 また、アニエス本人も全くそれを気にしている風ではないのが対応に迷う所でもあった。

 それに気づいた時には貴族たちから姉に浴びせられる視線や感情はとても汚く重いものだと見るだけでわかるようになっていた。

 そしてそれは自分にも向けられている。姉に向けられる物と自分に向けられる物は対極にありながらも、それでいて同種のように感じられていて、姉がいるからサラムも重圧に耐えてこられた所がある。


 そんな姉に保護者ができたと聞いて初めは気に入らなかった。

 試してやろうと無理難題を吹っかけに行った時にサラムとフロノスは出会った。当時のサラムは十二歳、姉が十三歳で生まれて初めて姉がしっかりと誘拐された直後のタイミングだった。誘拐の話を聞いた時には居ても立っても居られず、炎の力を軽く暴走させて部屋を焦がしたりしたが、その心配も一夜で解決した。

 それを解決したのがフロノスで。

 誘拐から姉を救ってくれた感謝と姉に突如現れた保護者への自分でもわからない感情に突き動かされても行動だった。


 しかしそんな感情は出会ってすぐに霧散した。

 何故かこの相手には敵わないと悟った。

 自分を愛している妖精たちが。自分の愛する妖精たちが。

 この相手には敵わないと言っていた。


 それ以来。自分の管理しているエネルギー省の問題点や細々とした問題の解決などに助力をしてもらう内にサラムは成長し、フロノスもサラムを友人と認めてくれるようになったと感じていた。


 そんな出会った頃から全く見た目の変わらない美しい友人に、サラムは不満げな顔を向けて口を開いた。


「おう。一ついいか?」


「なんだ?」


 紅茶で唇を湿らせながら、フロノスはサラムを見る事なく答える。


「いちゃいちゃすんな」


 ティーカップ越しにフロノスから望むサラムの顔には若干の羨望が見える。それは大好きな姉を盗られた事によるものか。それとも純粋な男女の機微に対するものかは判断がつかない。

 カップの縁から唇をはなし、ふうと息を吐くとカップの中の水面が波打った。


「それは聞けない話だな。むしろサム発信でいちゃいちゃさせてきたんだろう?」


 手元を離れたカップがカチャリとソーサーと音を鳴らす。


「まーそうっちゃそうだが」


「サムも婚約者といちゃつけばいいだろうが」


「貴族同士の婚姻でいちゃいちゃもねーだろう。向こうが嫌がるぜ」


「そうか? 相手は誰だっけ、あれだろ? どっかの令嬢だったろ?」


「そりゃどっかの令嬢には決まってんだろ。一応、王太子だぞ。平民と婚約するわけないだろうよ。お前は本当に姉貴以外に興味ねえのな。婚約者はトリート侯爵令嬢で、名前はハリエットだよ。王太子の婚約者くらい覚えろよ」


「そうそう、思い出した。そうだったな。覚えとくわ」


「絶対思い出してないし、絶対覚える気ないだろ? まあいいや、今日はそこの相談なんだよ」


 軽くため息を一つ混ぜながら、サラムは本題を話し始める。


 相談は婚約者のハリエット・トリート侯爵令嬢に関してであった。


 ハリエット侯爵令嬢はパーフェクト令嬢である。幼い頃から魔法が堪能な上、頭脳明晰で、物心ついた頃から父であるトリート侯爵の外交業務について回って各国にコネクションを作っていた。今は学院を卒業し、外交官としてトリート侯爵の片腕となっている。年齢はサラムの一つ下、十九歳であり、家格やその有能さから王太子の婚約者となるべくして生まれてきたような令嬢だった。

 政治的にも能力的にもシンデレラフィットしたようなご令嬢がいれば当然それは第一王子の婚約者となる。婚約はサラムが六歳、ハリエットが五歳の頃に決定した。

 以来、つつがなく貴族的な婚約者としてやり取りを続けてきていた。

 週一回の面会、季節ごとの挨拶の手紙とちょっとしたプレゼント、誕生日や記念日などのパーティや社交ごとのドレスや宝石などを贈る事も欠かしたことはない。それは相手からも同様であった。

 同時に外交官として忙しく働いているというのにハリエット嬢の王太子妃教育も順調で誰しもがこの王太子と王太子妃であれば国家は安寧だろうと考えていた。


 しかし。

 ここ一年ほど。

 ハリエット嬢の様子がおかしいという。


「おかしいってどんな所がだ?」


「全部だ。ハリエット嬢はすっかりと変わっちまった……」


「なにそれですわー! ハリーちゃんはとても優しくていい娘さんですわー!」


 先ほどから椅子の上に立ったままのアニエスが横から口を挟んでくる。


「お嬢はちょっと静かにな。ほれっ」


 フロノスは机の上にあったサラムが持参したマカロンを一つ手に取るとアニエスの口に投げ込んだ。軽く二メートル以上は離れていそうなアニエスの口へと的確にマカロンは納まった。


「おいふぃいでふわー!」


 もぐもぐと口を動かすアニエスを見てサラムとフロノスは頬を緩める。


「んで、サム。全部ってなんだ? ご令嬢が入れ替わったとでもいうのか?」


「入れ替わったってのは確かに的を射た表現かも知れねえな」


「おい、こっちは冗談で言ってるんだが? 侯爵令嬢で王太子の婚約者がそんなに簡単に入れ替えられたら国家の乗っ取りが簡単にできるって事だぞ?」


「ああ、わかってる。……だが、入れ替わったって言葉がどうにもしっくりくるんだよ」


「いい年した貴族のご令嬢が取り替え子になったってのか?」


 妖精と縁深いローレライ魔法王国では取り替え子、チェンジリング、呼び方は様々だが、こういった迷信が昔から存在する。妖精に拐われた子供の代わりに妖精が拐われた人間そっくりの姿で置いていかれるというものだ。見た目は人間そのものだが、中身は妖精であり、人間とは一線を画す存在であるとされている。

 ちなみに幼い頃のアニエスもそれを疑われたが、妖精以外にも子供のすり替えが狙われやすい貴族の習わしとして出産時以降アニエスから誰も目を離していない事と、魔法の使えない妖精など存在しないと考えられている事からそれは否定された。


「言葉にすると冗談みたいな話だけどな。俺はそうなんじゃないかと思っているよ」


「サム、それは絶対にご令嬢に言うなよ。それこそ婚約破棄の決定打になりかねねえぞ」


 取り替え子扱いは即ち相手を人間扱いしていないのと同義である。実際にチェンジリングと疑われた子が人として扱われず捨て子となる事案も存在する。大体は勘違いであり、人間のエゴであるのだが。体のいい言い訳である。


「そうだが……」


「お前も王太子なんだからわかるだろう?」


「王太子……か……俺はそもそも自分が王太子には向いてねえと思ってるよ」


「そうか? 国民に大人気の王子様だろ」


「人気だけだ。俺はそもそも先の見通しってやつが下手なんだよ。大局に立って何かを判断する事が苦手だ。だからフローに相談しに来てんだよ。王になった時にはそこをハリエット嬢に助けてもらえれば、王と王妃として上手くやっていけるかと思ってたんだが……どうにもこの状況じゃ雲行きが怪しいな」


「とは言ってもサム以上の適任もいないだろ?」


 王の子供は多いがどれも国の王になるには頼りない人間が多い。


「いるぞ」


「誰だ?」


「姉貴とフローだよ」


「バカいうな」


「そうか? 姉貴が問題を客観的に観測して、フローが行動の指示をそれぞれ適した人間にふれば王国の問題なんてあっという間に解決する気がするぜ。それにこの妖精探偵社は王族にも貴族にも平民にも幅広く人気だ。人気度で言えば俺なんか比じゃねえよ?」


「なあ。……冗談でもやめろ、国が荒れる」


 黒と灰色の瞳が真剣に見つめる。


「……すまん。冗談半分だ。忘れてくれ」


 赤色の瞳はそれを受け止められず下へと落ちる。


「ああ、わかっている」


「本当にわかってるか? ただでさえこの頃貴族どもが自分達に都合が良いように王太子を変えようとする派閥を作ってるだろ。これ以上ごちゃごちゃしたらそれこそ国が割れるぞ」


「……わかってるよ」


 二人は押し黙った。

 現在の王は強い。王妃も強い。貴族の不正に対しても断固とした処罰を与えている。公明にして正大。今代の王は名君で有名であった。そして王太子であるサラムもそれを継ぐだろうと国内の大多数から期待されていた。

 しかしそれはあくまで多数であって全てではない。

 光が強ければ影はより深い部分に潜り闇を深めるのも自然の理。

 フロノスが言ったように高潔で力の強いサラムが王になっては次代も自分たちの恩恵が少ないと考えている貴族たちが末の王子を担いで王太子にしようと画策する派閥があるのはサラムも知っている。そしてそんな事情も含めてサラムが実際に王太子である事を重荷に感じている事も同時にフロノスは理解していた。


 気の置けない友人同士だからお互いの言葉が冗談ではない事もわかっている。

 だからこそ、お互いに続く言葉がない。


 そんな気まずい沈黙の中。

 ゴソゴソと何かが動く音がする。


 探偵机で蠢く。

 小さな体躯。青と白のシンプルなフリルワンピース。ふわふわと膨らんだ金色の髪。


 椅子の上から机の上にバンと降り立つ。


 堂々とした愛らしい姿。


「みうのでふふぁー!」


 二人の会話が静かになったので、自分の出番が来たと認識したアニエスだ。

 しかし。いざ喋り出してみたが、まだ口の中にはマカロンが入っていて上手く喋れなかった。あまりに美味しかったためハムスターのように頬の横にためているのをすっかり忘れていたのだった。

 これは流石にはしたないと思ったのか、頬の膨らみを手で隠す様に身を屈めてもぐもぐと残りのマカロンを咀嚼した後、再度机の上で仁王立ちしたアニエスは口を開いた。


 気を取り直しまして。


「見るのですわー!」


「だからはしたねえって言ってるだろ……」


 フロノスが毎度のように呆れているが、しかしアニエスはそんなの無視の一択。


 小さな右手で短筒を形作ると、そこにできた穴を虹色の瞳で覗き込む。


 左目を閉じて。


 右目を開いて。


 覗いた先には依頼人のサラムがいる。


 それを虹色の瞳、妖精眼が捉える。

 そこに映るのは依頼人ではない。

 そこに映るのは依頼の結果である。


 アニエスはただその見えた結果を告げる。


「お茶会で喧嘩していますわー!」


 喧嘩というネガティブな言葉を聞いたサラムが肩を落とす。


「喧嘩……やっぱりもうだめなのか」


 そんなサラムの言葉をフロノスは静止した。


「待て、サム。お嬢の観測する結果は基本ハッピーエンドだ。俺が詳細を教えるから黙ってろ」


「お、おお。すまん。いつもの事だったな」


 依頼人が王太子相手であってもサラムの対応は変わらない。アニエスの観測を正しく把握できるのはフロノスだけだ。依頼人がその解釈をするのは絶対に許されない事だった。


「お嬢、どんな喧嘩だ?」


「仲良く喧嘩しなですわー!」


「それはお嬢とサムの喧嘩みたいな喧嘩か?」


「違いますわー! もっと暖かい喧嘩ですわー! サラムは情けない顔だし、ハリーちゃんはお転婆な顔で、お互いの嫌な所を言い合っては手紙を投げ合って笑ってますわー!」


「おう。わかった。もういいぞお嬢」


「うぃ! 事件解決ですわー!」


 いつも通りの解決宣言とともに左目を開き、右手で作った短筒から右目を解放する。


「お嬢? 違うだろ?」


 これもいつも通り。否定の言葉である。


「うぃ! わかってますわー! 未解決事件じゃなくてぇ……ふぅむ……未確認事件ですわー!」


 どこかの空飛ぶお皿のような表現であるが、この世界にそんなものは存在しないのでアニエス独自の表現だろう。そもそも未確認であったならそれは事件ですらないのだが。フロノスの顔にもそんな感情が浮いては消えて、また浮いて最終的には無表情に帰った。


「おう、まあそれでいいや。よしサム。善は急げだ、俺が明日お茶会をセッティングするからそこでお互いの気持ちをぶつけ合え。素直に自分の弱さをさらけ出して、きちんとご令嬢と話をしろ」


「は? 明日? 俺はともかくハリエット嬢は無理だろ、彼女は多忙だ。トリート侯爵からも業務上の苦情がくるぞ」


「問題ない。トリート侯爵には何点か貸しがある。俺が手紙を書けば大丈夫だ」


「やってんな、お前。誰に、なにを、貸してんだよ。位は侯爵だけど、この国の外交を一手にまとめる超絶重鎮エリートだぞ?」


 呆れ顔のサラムにフロノスは答える事はない。


「よし、俺は準備にとりかかるから忙しい。サムは邪魔だから帰れ。今日中には詳細な時間と場所を送るから、今日は自分を磨いてろ」


「はあ……俺は一応王太子だぞ? まあいいや、どうせこれに従わなかったら不幸になるとか言うんだろ?」


 ちらりとアニエスの顔をみるととても可愛い顔で微笑んでいる。その虹色の瞳はサラムをしっかりと見据える。サラムの独り言に答えるために小さな口が開く。


「婚約破棄になって廃太子になって国外追放になりますわー!」


「不幸どころじゃねえな。素直に帰るわ」


「おう、気をつけて帰れ」


「お疲れ様ですわー!」


「依頼人のサラム様! お帰りです!」


 締めの言葉だけやけに丁寧なフロノスの声が、腑に落ちない様子のサラムを見送った。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

    裏

 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽



 王城の中庭。

 秋の木々は色づきながらもその葉を散らしている。


 庭師が丁寧に手入れをしているその庭園内にある四阿に据えられたテーブルを挟み、王太子サラムと、その婚約者ハリエットは向かい合っていた。

 サラムの手元には時間と場所と持参する物だけが書かれたメモ書きがいつの間にか手の中に握らされていたし、ハリエットは前日の夜に父であり、上司であるトリート侯爵から厳命としてこの時間にこの場所へ指定の物を持って行くように言われていた。


 いざそこへ行ってみると。


 そこには最近様子の変わって疎遠になった婚約者である王太子サラムがいて。

 そこには最近様子が変わって疎遠になった婚約者である侯爵令嬢ハリエットがいた。


 一旦、椅子に座って向かい合ってみたものの。


 しかしお互いがどうしたらいいかわからず、ただ用意された紅茶で沈黙を紛らわすしかなかった。


 一年位前から婚約者の手紙の内容に棘を感じるようになった。最初の内はそれは手紙だけで、週一回の面会ではいつもの婚約者であったので、初めは自分に否があるのかと思い、色々と言葉を選んで手紙を返していたが、相手の棘はその鋭さを増すばかりだった。そうやって手紙を何通かやりとりする内に、次第に自分の言葉もきつくなっていくのを感じる。そしてそれは実際に会った時にも影響するようになっていた。

 こうなると止まらなかった。

 最近は仕事の多忙を理由に週一回の面会は月一回に減らしていた。

 その面会もほぼ無言か仕事の事を話すだけだった。


 アニエスの観測であれば。

 これからサラムとハリエットは仲良く喧嘩する。

 観測通りにしないと不幸になる事はわかっている。


 口火を切ったのはそんな事情を認識しているサラム。


「今日は無理を言ってすまない」


 そう言って軽く頭を下げた。

 その謝罪の姿。珍しく塩らしい態度の婚約者にハリエットは驚いた。


「今日はちゃんと過ちを謝罪できるんですね?」


 それでもハリエットの口から出てくるのは棘のある言葉。その棘が自分の胸にもちくりと刺さる。


「ん、普段からそうしているつもりだが。トリート侯爵令嬢はいつも通りなのだな?」


 その棘はサラムの心にも刺さり、言いたくもない言葉が喉の奥から吐き出される。


「あら? どこがいつも通りなのかしら? こんな急に面会を申し込まれたこちらの身になっていただければこの程度言われても仕方ないとは思いませんの?」


「そこに関してはすまなかったな。トリート侯爵令嬢が多忙なのは理解している。こんな急な面会に付き合わせて申し訳ない。もう一度謝罪しておく」


「あ、あら。わかっていただければ謝罪など不要ですが、素直に受け取らせていただきます」


 再度の謝罪。最近のサラムの手紙や言動にない態度にハリエットはやはり戸惑う。まるで昔の節度を持ちながらも優しさと厳しさを持っていた頃の王子時代に戻ったような感じがする。慕っていたあの頃のような。

 苛立った感情は少し解け、テーブルの上にある紅茶に口をつける。

 この紅茶もあの頃の思い出の中にある味だ。華やかではあるがシンプルで素直な味。最近の面会で出されるお茶は何だか派手でケバケバしていて好みではなかった。

 柔らかい吐息が漏れる。目の前でも同じ音が聞こえてくる。ティーカップの水面から視線を上げるとサラムも同じような吐息を漏らしていた。

 ふっと合った視線はすぐに逸された。

 ティーカップが皿の上に返される時にカチャカチャと小さく震えた音がなった。


「ん、さて。お互いに少し冷静になった所で今日の本題に入ってもいいだろうか?」


「ええ。時間は有効に活用しましょう」


「話というのは他でもない。私たちの事についてだ」


「それは……私たち、ではなく、家同士のお話にはなるのではありませんか?」


「いや、私はまだそこまで考えていない」


「そう、ですの……」


 実はハリエットとしてはそこまでの可能性も考えていた。この状況は国家外交で言えば完全に失敗している状況だ。ハリエットとしては外交官としての感覚もあり、冷戦状態での婚約も結婚も国家のためと考えて、問題なく受け入れるつもりではあったが、ハリエットから見える最近のサラムであればここで婚約破棄を言い渡される可能性も十分にあると踏んでいた。


「だが、今日の話し合い次第では穏便にその方向へと向かう可能性もある」


「そうですね」


「だから、今日はお互いの不満点を言い合いたいと思っている」


「は?」


「私としてはこの状況に至っている理由がよくわかっていない。だからお互いの不満点を言い合って改善できる部分があれば歩み寄っていきたいと考えている」


「は? 本気ですか? 原因がわかっていない?」


「トリート侯爵令嬢は原因がわかっているのか?」


「それは勿論。わかっていますよ。王太子殿下から始めた事ではありませんか? 逆になぜ殿下がわかっていないのです?」


「なに? 俺、何かしちゃいましたか?」


「一年前の立太子のお祝いに対する返事の手紙ですよ。覚えておられないのですか?」


「トリート侯爵令嬢から貰った立太子のお祝いの手紙自体は覚えている。とても嬉しかったからな。今日も持参している」


「そんな嬉しかった手紙の返信がこれですか?」


 ハリエットの隣に控えていた侍女が該当する手紙をテーブルに音もなく差し出した。


「見ても?」


「ええ」


 サラムはその手紙を手に取った。表と裏をさっと確認する。確かに王家の封蝋と自分のサインが入った封筒で立太子の頃に使用していた封筒である事は間違いない。すでに開かれている封筒から手紙を取り出す。

 一枚、二枚と便箋をめくっていく毎に記憶がよみがえってくる。立太子への祝いへの感謝と婚約者としての感謝を綴った内容で特に礼を失している箇所は見当たらない。最後まで読み終えても特に問題のある箇所は見当たらなかった。

 この手紙を読み終わった時の感情を思い出して少し胸が熱くなった。と同時にこれに対して返ってきた手紙を読んだ時の不快感も同時に思い出された。忘れていた嫌な気持ちが熱くなった胸を急速に冷ました。


「もう一度、これを読んで貴女はどこを不快に思ったのか教えてくれるか?」


 五枚の便箋をテーブルに並べる。不快感が言葉の端に乗ってしまう。


「よろしくてよ」


 ハリエットは五枚の便箋を自信満々で読み始める。一枚目、二枚目と進んでいく。すると自信満々だった瞳の色は段々と蝋梅の色へと変化していく。見当たらない。あれほど不快だった文章が見当たらないのだ。

 手紙を受け取った当時。

 あまりの不快さに何度も手紙を読み返した。ハリエットの知っているサラムはこんな不快な文章を書く人間ではなかったからだ。でも何度読んでもその手紙は礼を失していて、ひたすらハリエットを不快にさせた。

 今もその時と同様に何度も手紙を読み返している。でもその内容に不快な点はなく、ハリエットの知っていたサラムの真っ直ぐで力強い文章だった。ハリエットは混乱した。


「トリート侯爵令嬢。どうした?」


「申し訳御座いません。私の間違いだったようです。別、の手紙かもしれません」


 探していた文章は手紙の中に見つけられなかった。

 認識がずれている。


「そうか。思い出したらその手紙を教えてくれるか?」


「ええ……」


「次は私が思い出した手紙を読んでもらってもいいか?」


「……はい」


「先ほどの手紙の返事で貰った手紙を読んだ時に初めて貴女を不快に感じた事をさっき思い出した。王太子に向いていない位の事が書かれていたと記憶している」


「……そんな事を書いた記憶は御座いません」


「まあ、見てみようじゃないか」


 少し攻撃的な色を含むサラムの言葉に、脇に控えていた男が手紙をテーブルの上に差し出した。

 その見覚えのある手の甲に驚いたサラムが視線を斜め後ろに投げると、そこにいたのはやはりフロノスであった。何でこんな所にと考えるが、そもそもこのお茶会をセッティングしたのがフロノスだった事を思い出し、疑問は解決し、腑に落ちる。

 そのまま無表情で冷静な黒い瞳と灰色の瞳がサラムをみつめてくる。

 サラムもそれをじっと見つめ返す。


 すると。何だかスッと苛立っていた気持ちが落ち着くのを感じた。


「すまんな」


「いえ」


 隣に控える友に小さく詫びる。


 友も場を弁え、小さく返答を返した。

 手に持った封筒をサラムに手渡したフロノスは手紙を持っていた手についた汚れのようなものを落とすように小さく手を振るった。まるで穢れを祓うように。


「トリート侯爵令嬢と同じで私の記憶違いかもしれんな。もう一度手紙を確認させてくれるか?」


「どうぞ、私も意図せずにそう取られかねない言葉を書いていたかもしれませんので」


 その言葉にサラムはトリート侯爵家の封蝋の跡がある封筒から手紙を取り出して一枚一枚再度確認する。その表情は先ほどまでのハリエットと同じで混乱したものだった。

 最後まで手紙を読み終わり、再び封筒の中に収めると、それをテーブルの上に置いた。

 ハリエットがサラムの表情を伺っている。


「記憶していたような否定的な言葉はなかった。ただ優しく私たちの未来を考える文章だった」


 探していた文章は手紙の中に見つけられなかった。


 認識が、ずれている。


 サラムの言葉にハリエットはホッと息を吐いた。

 売り言葉に買い言葉だったとしても王族に対して侮辱するような手紙を書いていたら大問題だ。ましてや今回は相手の手紙に売り言葉がない事は確認されている。


「それはよかったです」


 正直な感想だ。


 ここでお互いに首を捻る。


「では、なぜ私たちの関係はここまでこじれてしまったのだ」


「なぜ、でしょう?」


「確かにトリート侯爵令嬢の言う立太子のタイミングあたりから関係が悪化していったのは思い出した。だが、その原因がない……」


「そうですね。私もあの手紙から殿下の言葉に反感を抱くようになっていきましたが……」


 ワケのわからない状況に二人は押し黙ってしまった。


「勘違い、だったということか?」


「そう? なのでしょうか……そうなのかもしれません……」


 どうにも煮え切らないが、二人の勘違いから起こったすれ違いだったとするのが一番良い落とし所だろうとサラムは考え提案し、ハリエットもそれにのる事にした。


 これにて一件落着となる。

 アニエスならば「事件解決ですわー!」と叫んでいるだろう。

 しかしそうはならない。

 サラムの隣に無言で控えていたフロノスがパンっと柏手を打ってから口を開いた。


「それで、本当に、よろしいのですか?」


 サラムは驚いて後ろを振り返る。

 ハリエットも落ちていた視線をはね上げた。


 良いわけないだろうとお互いの目が物語る。

 でも他にどうしようもないだろうとお互いの目が刺してくる。


「よろしくないのであれば、ここで私からご提案があるのですが?」


 よろしくなくても言うけどな。という顔でサラムを睨みつける。フロノスからすればこのままうやむやにした場合、アニエスの観測からはずれた友人が不幸な未来へ向かうのはわかっているのだ。


「許す」


 即答された意外な言葉に、ハリエットの驚いた視線がサラムに向いた。まさか発言を許すとは思っていなかった。ハリエットもフロノスの事を仕事の関係で見知っていたが、王太子であるサラムに意見できるほどの立場であるとは全く考えていなかった。そんな視線を向けられたサラムはそれを一旦横に置いておくように流して、フロノスへ続きを促すように首肯する。


「では失礼いたします。このままお互いの勘違いだったとしてうやむやにした所で、棘を刺しあった険悪な時間が埋まるとも思えません。そこでご提案なのですが、この際この期間で嫌だった事をお互いにぶつけ合ってはいかかでしょうか?」


「「ぶつけあう?」」


 二人の声が重なり、少し照れくさそうにお互いの視線が交わる。

 こんな所からも本来は仲が良いのが感じられた。


「ええ。お互いこの一年の間、ずっと嫌な事をされ、我慢し続けていたのでしょう? それをお互いに言い合うのです」


「それに何の意味がありまして? 殿下はまだしも私がそんな事をすれば不敬となりましてよ?」


 ハリエットが硬い表情でフロノスを睨みつける。


「そこは私が魔法で人避けと防音を致します。殿下さえ許してくださればこの場だけでおさまるように致しますよ。なに、殿下は寛容であらせられるので多少の罵詈雑言は聞き流してくれるでしょう? ねえ」


「ああ、勿論だ」


 二人に信頼の上で成り立った笑顔が交わされるが、それが成立していないハリエットは納得しない。


「そんな事、信じられませんわ」


「では実際にお見せしましょう」


 フロノスがそう言った途端。

 四阿の周辺の景色が一変する。


 美しい秋の景色は消え去り。

 天地全てがマーブル模様の空間へと変容した。

 その中に、テーブルと椅子とサラムとハリエットとフロノスがいる。


 ハリエットは驚きのあまり言葉が出ずに、ただ口をハクハクとさせている。サラムは慣れたもので驚くハリエットの姿を見て自分の初めてを懐かしむ表情すら浮かべている。


「フロー、これは流石にやりすぎじゃね?」


「は? サム、仕方ないだろ? このままうやむやにして終わりにしたらお前死ぬぞ。わかってんだろ? お嬢の観測通りじゃないって事」


「……わかってるよ」


 突如態度が崩れたフロノスにハリエットが怒りの言葉をかける。


「貴方! 王太子殿下にその態度! 不敬です! お控えなさい!」


 こんなワケのわからない空間に引き込まれた事よりも不敬に対して怒りの声を上げる所にハリエットの性格が現れていて、こんな人間が自分に対して礼を失する発言を繰り返していたと勘違いしていた己のバカらしさを感じ、苦笑いを浮かべながらサラムがとりなす。


「ハリエット嬢、大丈夫だ。フローは俺の友人だ。そしてここはフローが作った空間だ。ここには俺とハリエット嬢とフローしかいない。安心してくれ。ここに不敬など存在しない。ここにいるのは婚約者と友人だけだ」


 サラムの説明を聞いてもハリエットの顔から不審が消える事はない。むしろますます深まるばかり。

 そこへとフロノスがさらに追い打ちをかける。


「ちなみに時間も隔絶しておりますので、便宜的に現実とさせて頂きますが、現実で行方不明になっていると言う訳でもありませんのでご令嬢の経歴に傷などつかないものと保証致しましょう」


 これには怒りを通り越し呆れ顔のハリエット。


「空間、と、時間? 殿下、正気ですの?」


「残念ながら正気だな。これが妖精探偵社の助手の力だよ」


「有能だとは父から聞いておりましたが……貴方何者なんです? 父への手紙一通で私をここまで引き出して、挙句に王太子殿下へのその発言。本当にわけがわかりませんわ。殿下がお認めになるからこの場は受け入れますが……」


 文句をぐちぐちと連ねてはいるが、婚約者である王太子にはっきりと言い切られては渋々と現実を受け入れるしかないハリエットである。それを確認して王太子、サラムは婚約者であるハリエット嬢に再度提案する。


「ま、そういう事でここでならお互い言いたい事が言えるってワケだ。俺は何を言われても大丈夫だし。お互い言い合ってスッキリして先に進まないか?」


「スッキリ、ですか」


「ああ」


 サラムはにっこりと笑う。実に快活で普段の王太子としての笑みとは全く違う。人としての笑顔がそこにあった。


「良いわ!」


 それを見てハリエットもさっきまでの令嬢らしい微笑みとは全く異なるお転婆な笑顔を返した。

 笑顔は向かい合い、二人は久しぶりに婚約者の笑顔を見た気がすると感じた。


 ハリエットは笑顔を見て思い出した。そうだ。昔はずっとこうやって笑い合っていたじゃないか。だからこその婚約だし、だからこそ外交官の道を諦めてまでこの人を助けようと考えたんじゃないかと。

 ここで仕切り直しだ。


「じゃあ言わせてもらいます!」


「おう、どんとこい!」


 細身ながら逞しい胸を叩くサラム。

 それに対してハリエットはお転婆な笑顔から一転、文句を言うぞと気合を入れて頬をぷくりと膨らませ、表情をわざとらしく怒りに変えてから口を開いた。


「まずは今年、送られてきたドレスが気に入りませんでした! ちゃんと私を考えて送ってくれましたか?」


 言い終わり、ムンと怒りのポーズをとるハリエットはご令嬢然としている時よりもよほど魅力的に映る。


「おう、気に入らなかったのか! すまん。もちろんハリエット嬢の事を考えて送ったさ。貴女の水魔法に合わせて水色のドレスにしたんだが、ダメだったか? 安直すぎて見飽きた色だったかな?」


 テーブルに両手をついて頭を下げる。普段であればこんな事は王族の面子にかけて絶対にできない。これが出来ているのもフロノスの時空間の断絶のお陰だ。

 そんな素直に頭を下げるサラムのつむじを眺めながら受けたその言葉を飲み込んでいくハリエットの顔には戸惑いが浮かぶ。


「水色、でしたか? あれ? それ好きな色です。なんで気に入らなかったのかしら。あれ? 確かに水色でしたね。気に入らない理由がありません。ほんとになんでかしら? 殿下すみません、私の記憶違いでした」


 探していた不満は記憶の中には見つけられなかった。

 ここでも手紙の時と同様に認識がずれている。


「そうか、かまわんよ。今回はどうにもおかしな記憶違いが多い。この場で全部それを埋めていこう。で、ドレスなんだけど、ハリエット嬢の水魔法に映る景色が美しかったので、裾にそのデザインを入れさせたんだ。帰ったら見てくれるか? あれ結構良かったと思ってるんだ」


「ええ! もちろん覚えております! あれって幼い頃に初めてお会いした時の庭園ですよね?」


「おお、覚えていてくれたか! 嬉しいな。あの時ハリエット嬢が見せてくれた水魔法に映る庭園があまりに美しくてな」


「殿下も覚えていてくれたんですね。嬉しいです。私もあの時に殿下が見せてくれた繊細な火の魔法をよく覚えてますよ。綺麗でしたね、あれは。でも、本当に何であのドレスが気に入らなかったのかしら……」


「まぁ良いじゃないか。今度は俺の番でいいか?」


「ええ! ドンとおいでませ!」


 サラムに倣ってハリエット嬢も胸をドンと叩いた。それを見たサラムは思わず目を逸らしてしまった。


「んッ! では俺のターン! 贈り物といえば俺も気に入らない奴があったぞ! 炎色のカフスボタンを頂いただろう? あれは俺がいつも怒っていると言われているようで気に入らなかったな」


「あッ! そういう風に受け取られましたか!? ごめんなさい、違うんです」


「おう、そうか! あの頃は特にハリエット嬢と険悪だったから、当てつけだと思ったんだが、どういう意図だったんだ?」


「あれはサラム殿下の瞳の色に合わせたんです。……その、実はその瞳の色が結構好きでして」


「お、おう。そそそ、そうか……そういう意味だったのか。すまない、なんでそれを気に入らないと感じていたんだろう。自分の瞳の色が気にいらないわけがないじゃないか。何でだろうか……」


 探していた不満は記憶の中には見つけられなかった。

 ここでも手紙の時と同様に認識がずれている。


「セットのネクタイピンは気に入っていたが、カフスボタンも好きになれそうだ」


「あ、それ……」


「どうした?」


「いえ、ネクタイピンは……その、私の瞳の色でして……いつでもサラム殿下の胸の内にいられるようにと……」


「おう、おう。ありがとう。余計に好きになれる……と思う……」


 何だか惚気合戦の様相を呈してきた不満のぶつけ合いはしばらく続いた。気に入らなかった部分をぶつけると、大体がお互いを思い合って気を遣った部分がなぜか気に入らないと感じるように誤解していた。不満をぶつける度に誤解は解けてお互いの表情に笑顔や幸福が溢れかえる。


「次は私で、いいですか……? 最後です」


「ああ……ドンとこい」


「サラム殿下といると何だか体が熱くなるのです。普段は穏やかな心が荒れるのです。それが困ります」


「いや、それを言ったら俺もハリエット嬢のそばにいると穏やかな安らいだ気持ちになってしまう! 困るぞ」


 ここでお互いが見つめ合う。

 同じ表情をしている。

 そして同時に口を開いた。


「「それ、困る?」」


 そう言ったきり、見つめあったまま無言の二人。

 まるでにらめっこの様だった。


 負けたのはハリエット。先にプッと吹き出してしまった。それを見てサラムも笑う。


「困りませんわね」


「困らねえな!」


 そこから二人は大声で笑い合った。

 その笑い声はまるで歓喜の歌のようだった。

 フロノスによる空間の隔絶はいつの間にか解かれていて、その歌は秋空の王城に大きく響き渡った。


 王太子とその婚約者の不仲は解消され、その噂も秋風に吹き飛ばされた。


 妖精探偵社は今日も一人の王太子と一人のご令嬢を救ったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る