第3話 魔法の国の過去と二人
「城下街! ですわー!」
ここは王都のメインストリート。
オベロン通り。
そしてその中央にある円形状広場の中心でアニエスは叫んでいる。
妖精が舞い踊る像が中央に配置された噴水の縁に立ち。
もう一度、叫ぶ。
「国民が健やかであるか! 見にきたのですわー!」
秋口のオべロン通りは気候が程よく、立ち並ぶカフェのテラス席には老若男女の王国民が思い思いに過ごしている。普通そんな所で叫び出せば、眉を顰められたり、嘲笑を向けられたりとネガティブな感情が向きそうであるが、アニエスに限ってはそれを向けられる事はない。
ローレライ魔法王国民はもう慣れっこである。なにせ十年以上、週一回程度の頻度で、こうやって王女が叫んでいるのだ。もはや国民の日常であり、わざわざこれを見に中央広場に来ている人間も多い。
愛らしい妖精王女が平民の様子を見に来てくれるのであるから、嬉しいやら可愛いやらでいつの間にやら人気のイベント扱いとなっている。
しかしいつどこに現れるかは、アニエスの気分次第で中々当たりの日に来るのは難しい。
比較的この中央広場からスタートする事が多いため、この周辺にあるカフェのテラス席はいつも予約で埋まっている。とは言ってもこのアニエスウォッチングツアーでアニエスを見れる確率は低く、今日見に来た国民は大当たりであった。
「さってと。いくのですわー」
ひとしきり叫び、辺りを見回して、満足したらしい。
ぴょんっと噴水の縁を蹴ると、小さな体を宙に踊らせた。
体だけが先に重力にひかれ、取り残されるようにふわりと膨らんだワンピースのスカートが、アニエスの体を追いかけ、追いついたタイミングでアニエスはふわふわと歩き出す。
王国民はその愛らしい後ろ姿を見送り、みな一様に感嘆を漏らすのであった。
この国民視察でアニエスは本当に色々な所に行く。
王都の中で中央広場から北側には貴族街が広がっていて、中央は路面店や市場などが立ち並ぶ商業地区、その東西には様々な工房が立ち並ぶ工業地区となっていて、南地区は全体的に平民の居住地区となっている。
貴族街を行く事もある。
商業地区で食べ歩きをする事もある。
工業地区で職人の横にいつの間にかに立っている事もある。
平民街で子供の手遊びに混ざっている事もある。
神出鬼没で本物の妖精のよう。
今日はオベロン通りを南にまっすぐ歩いている。
理由は明白。
サンダの様子が気になるアニエス。事件を解決した後は大体こうやって街を行く。そして依頼人が幸せそうにしているのを確認するまでがアニエスの探偵業だった。
小さい体躯を一生懸命伸ばして、ふわふわと浮いた足取りで道を歩き、たまにくるりとターンをしてはスカートを膨らませるその姿はまさに妖精。
齢二十一にはとても見えない姿。
生まれた時から成長が遅く、王や王妃はとても心配し、魔法を使えない事が原因だろうかと色々と原因を探したが見つからずで。反面、体の方はそんな心配など知らんぷりしたようにアニエスらしくゆっくりと成長していった。普段の言動からはとてもそうは思えないが、言葉や知能に関してはむしろ優秀であったため、心配ながらも暖かく見守る事にした。誘拐などの事件も色々とあったが、何とかこの状態まで成長し、十六歳くらいでぱたりと止まった。
見た目的には魔法王国民の平均的な十四歳程度の姿をとどめている。
「タッタッタータッタラッタッタータッタッタータタタタタタタン!」
秋の天高い晴れ空の下を、流行り歌を歌いながら歩くアニエス。
その横に一人の男がスッと並んだ。
「よう、お嬢。奇遇だな」
長身、黒髪、黒スーツの男が、黒と灰の瞳でアニエスをとらえる。
「フローですわー! また見つかったですわー!」
まるで歌の続きのように驚くアニエス。驚いているようで全く驚いていない。視察にいつの間にかフロノスが同道しているのはいつもの事で、アニエス本人もそろそろ来るだろうと思っていた。だからフロノスもその言葉には全く関係のない言葉で応える。
「おう。ですわですわって、言葉だけ聞くと西の大陸にあるどっかの国の言葉みたいだな」
「それどこですわ? 意味がわからないですわー! フローが自分でほめた言葉ですわー! どんな時でも王族らしくていい言葉だなって言ったですわー! 忘れたですわー!?」
いきなり知らん国の話をされた上にどうやら言葉遣いを馬鹿にされているようだぞとアニエスは憤慨した。それを見てそこまで怒ると思っていなかったフロノスは少し慌てた。
「いやいや、忘れるわけないだろうが。俺がお嬢の助手になるきっかけだぞ」
その言葉にアニエスは満足そうに鼻からむふうと息を吐き出した。覚えてるなら良いのだといった風情。
フロノスがアニエスの側仕えとなるきっかけの事件。
アニエスが誘拐された最初で最後の事件。
実はアニエスが幼い頃の誘拐未遂は全てフロノスによって未然に阻まれていた。つまりは結果として誘拐未遂だっただけで。フロノスがいなければ誘拐未遂は未遂では済まず、今この場にアニエスがいる事はなかったかもしれない。
アニエスが裏路地などで悪そうな男に囲まれている時にはフロノスがどこかから颯爽と現れ、サッとアニエスを安全な場所まで送り届けるという事を繰り返していた。
ただ助けて、顔も見せず、名前も名乗らず、騎士や護衛がアニエスを確保して王城へ連れ帰るのを確認するだけ。
誘拐事件が発生したあの日まではそうやってフロノスは決して自分の正体を明かす事はなかった。
それでいいと思っていた。
正体を明かしてしまうのはあまりにフロノスには苦痛が伴うから。
しかしある日。
フロノスのガードを掻い潜り、アニエスは誘拐されてしまった。
他国がローレライ魔法王国の血を自国に取り込むために本格的に誘拐を企てた。その計画は入念で、フロノスの存在も計画の内に入れられたモノだった。
アニエスは他国にも無能王女として有名で、かつ護衛をつけずにフラフラと王都を歩きまわる事も有名であった。誘拐するにはうってつけの人物。そしていくら無能とはいえローレライ王家の血であり、その血を取り込めばその国にも魔法が使える人間が生まれる事も大いに期待できる。そんな人間が護衛もつけず街中をふらふらしているのだ。他国からすれば生贄にうってつけな金毛の子羊にしか見えなかっただろう。
もしかしたら何度も続いたごろつきの誘拐未遂も、本番の誘拐計画の準備段階だったのかもしれない。
そうやってあの誘拐事件は起きた。
起きるべくして起きた。
時間を遠く四年ほど遡る。
あの日。
いつものように絡まれているアニエスを、フロノスはいつものように救い、安全な場所へと連れ出した。
それで解決だと思った。
普段なら護衛の騎士が大通りに立っているアニエスを見つけて王城へ連れて帰る。
予想通りにこの日も騎士が来てアニエスを連れて行った。
普段通りだった。
騎士が騎士でない事、以外は。
アニエスはこの日、王城に戻る事はなかった。
王城は騒然となった。
フロノスは愕然となった。
なぜいなくなった。なぜ最後まで見届けなかった。なぜ自分で王城まで届けなかった。
なぜなぜなぜなんでなんでなんで。
フロノスは狂乱した。
駆け出し。
アニエスの痕跡を観測し。
それを追った。
王都から国外へ向かう行商人の馬車の中にアニエスは閉じ込められていた。
発見、接敵と同時にその馬車は砕け。
行商人を装っていた他国の間諜の命は潰えた。
フロノスは観測済みのアニエスの居場所。商品に偽装した木箱。その木箱の蓋を力も入れずに開ける。その細身の細腕のどこにそんな力があったのだろうかと不思議になる。入念に打たれていた釘が何本も蓋から飛び上がり、かろうじて形を残していた馬車の幌に穴を開けた。
木箱の中のアニエスはといえば。
くうくうと呑気に寝息を立てていた。
それをみた瞬間にフロノスは安堵した。と同時に、この女性から離れない事を誓った。今までは自分が傷つきたくないからだとか、自分のプライドを守るためだとか、色々な理由をつけてアニエスから離れていた。
やめだ。
そばにいたいからいる。守りたいから守る。
それでいいと思った。
木箱の中で寝こけるアニエスを眺めながらそれがいいと思った。
しばらくそうやって待っていると数度の寝言の後に、自然にアニエスが目を覚ました。
目を瞬かせてフロノスの顔をぼうっと見つめてくる。
「お嬢様、お迎えにあがりました」
「あら、いつもの方。お迎えご苦労ですわ」
「この状況でそれですか? 実に王族らしい良い言い回しですね」
「そうですか? 王族らしい。ふむ。それ良いアイディアですね。私、王族らしくないといつも言われるので。これから必ず語尾につけるようにするですわ! どうかしら、ですわ?」
「ククッ。良いと思いますよ」
「じゃあ、そうするですわ。それにしても今日はちゃんと顔を見せてくれているのはなぜですわ?」
「隠れるのをやめたんですよ」
「そう、ですわ? 初めて見たけど、綺麗な顔ですわ。目も虹色で綺麗ですわ」
「これをお嬢様に差し上げるために、いま俺は顔を見せているのです」
「ふむ……? 私は王族だけれど、目玉は流石に欲しがらないですわ。ローレライ王家はそういった悪い趣味もないはずですわ?」
「ククッ。目玉は流石に渡しませんよ。この虹色を差し上げるのです」
「そう、ですわ? 虹色を……? では私は代わりに何をあなたにあげれば良いのですわ?」
「お嬢様のおそばにいさせてください」
「それだけですわ?」
「ええ、それだけです」
「それじゃあ今までと何も変わらないですわ。だってあなたはずっと私の側にいたですわ」
「気づいていたんですか?」
「当然ですわ! あれだけ助けられていて気づかないわけないですわー」
「そっか。気づいてたんだな。……ただそばにいるだけで良いってのには理由があるんだ、聞いてくれるか?」
「良いですわー」
「……俺はお嬢様に罪がある。だから俺はお嬢様を守りたい。死ぬまでも、死んでからも守りたい。この光を全部お嬢様に捧げる。だからこれからも側にいさせてくれ。いいか?」
「良いですわー」
「あっさりだな。じゃあ、この光を譲っている間に俺の罪を聞いてくれるか?」
「良いですわー」
こうやってアニエスは妖精眼を手に入れ、フロノスはアニエスの側仕えの地位を手に入れた。もちろん、王や王妃への手回しから、王国内での地位の偽造やら、貴族への根回しやらで、妖精探偵社を設立するまでに一年ほどかかったが、全てはこの日に始まった。
そこから三年かけて色々な事件を解決し、妖精探偵社はローレライ王国内で信頼を勝ち取った。無能王女は妖精王女探偵へと評価を変え、正体不明な怪しい男は妖精探偵社の助手になった。
遡った時間を戻そう。
「あの時はカッコよかったですわ」
アニエスはあの日を思い出し、ほわっと天を見上げて、その白い頬を染めている。
褒められて照れているのか何なのか、フロノスはぶっきらぼうに応える。
「やめろやめろ。あれは俺の恥の日だ。お嬢を拐われたんだからな。戒めの日だよ。あの日から俺は生まれ変わったんだ。前世の恥を晒してくれるな」
「そう、ですわ? 私はあの日拐われてよかったですわー」
不貞腐れるフロノスが少し意外で、アニエスは隣を歩く長身の男を見た。
その顔は朝日に照らされてよく見えない。
アニエスはトコトコと歩を早めてフロノスの少し前に出て、その顔を覗きこみ、その名前を呼んだ。
「フロー?」
「なんだ?」
呼ばれたフロノスは真っ直ぐ向いたまま足を止めた。己の胸元よりも下にあるその愛らしい顔に視線を落とさず、態度を変えずにぶっきらぼうに返事をする。
逆に前へと移動したアニエスからは朝日で見えなかったその顔がよく見えるようになった。見るからに不満顔である。アニエス以外には鉄面皮で、全く変わらないその表情が二人きりの時はコロコロと変わる。
「照れてるのですわ?」
「ちげえよ。俺はお嬢の守護者だからそんな感情はない」
否定の言葉に説得力はない。アニエスと一緒にいる時はむしろ感情豊かな事をアニエスは知っている。
その言葉と表情にアニエスは嬉しそうに微笑む。
「フロー、聞くですわー」
「なんだよ」
応えながら。
チラリと視軸を下げ、嬉しそうに笑うアニエスの表情を確認し、すぐにそれを元に戻す。
「最高の
妖精のような笑顔から放たれた言葉にフロノスは一瞬言葉に詰まった。
「ッ……おう。おうそうだな。あの日に約束した通りに死ぬまでも死んでからも、俺はお嬢のそばにいるし、守っていくよ。ずっと……相棒だ」
相棒という言葉に不満顔をキープしきれず頬の端が緩んだフロノスはそれを誤魔化すようにアニエスのふわふわとした金色の髪の毛をワシワシと撫でた。
「そうそう。その調子ですわー。頑張って二人で国民をいっぱい助けるのですわー」
そう言ってアニエスはフロノスの隣に並び直し、腰をバシバシと叩く。叩かれたフロノスは眉間に皺を寄せながらも、頬は意志に反してどんどんと勝手に緩んでいくのだった。
腰を叩いていたアニエスの手はそのままフロノスの腰で止まり、二人は寄り添いながらオベロン通りを平民街に向かって歩いていく。後ろから見るとその身長差からとてもデコボコであり、しかし二人がセットである事が自然であるようなそんなおかしなバランスで成り立つ後ろ姿だった。
この日。
二人はサンダやその家族と面会し、無事を確認した後、王国内を二人でゆったりと視察した。
フロノスの普段にも増した甘やかしを目撃した街娘の何人かが、自分の彼氏にそれを要求しその後女性を甘やかすのがローレライ魔法王国王都で流行したのは二人の預かり知らぬ話であった。
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