いつもと同じ青空
増田朋美
いつもと同じ青空
その日は寒の戻りというのがふさわしい日で、なんだか寒いなと思わないわけにはいられない日であった。みんな洋服にコートを着たり、暖かいセーターを着たりして、寒さを防いでいた。お彼岸は過ぎたけれど、やはりまだまだ、寒いなあと思われる日々が続いているのであった。
その日、杉ちゃんとジョチさんは、用事があって、富士駅に行ったところ、駅の北口広場で、たくさんの女性たちが集まっている。
「あれれ、何をしているのかな?」
杉ちゃんは直ぐいった。その女性たちの人垣の前には、演台のようなものがあり、そこにはマイクが置かれていた。誰か歌謡ショーでもやるのかなと思ったら、そうではないらしい。一人の赤いスーツを着た女性が、演台に登った。
「はじめまして。この度、参議院選挙に立候補いたしました、藤森常子でございます。」
つまり、歌謡ショーではなくて、選挙演説だったらしい。
「今回、私が、この選挙に立候補いたしましたのは、亡き父の思いを私が晴らしていきたい、それを私が引き継いでいこうと思ったからです。父が、実現できなかった、富士市内に、こども園を建てるという法案を、保育士の経験もある私が立候補することによって、ぜひとも実現をさせていきたいと思ったからでございます。」
と、その女性は言った。
「なんかどこかの国の大統領みたいだな。」
杉ちゃんがそっと呟くと、
「最後まで聞きましょう。」
とジョチさんは、興味深そうに言った。
「亡き父は、よく申しておりました。子供は国の宝だと。子供はこれからの未来を担っていく人間なので、それは大事にしなければなりません。なので私は、この富士市に、最新の設備と厳選した保育士を用意したこども園を建設したいと考えております。御存知の通り、富士市の教育、いや日本の教育は迷走を極めています。そのような状況で、教育を再生されるには、やはり、幼児教育が重要です。幼児のうちから、様々な芸術や技術、文化に触れて、将来の進路決定にも役に立てて行けるような、そのようなこども園を作ることを、私は、皆さんにご提案しますが、参道いただけますでしょうか?」
と、藤森常子さんが言うと周りにいた女性たちは、大拍手をした。
「ありがとうございます。皆さんの大拍手が、私達も大きな力になります。みなさんは、きっとお子さんのいらっしゃる方が多いと思います。中には、お子さんの将来が心配だとか、どういう仕事につかせたら良いのだろうとか、そうやって悩んでいらっしゃるお母様も多いことでしょう。そのようなお母様に取って、支えになれるような、直ぐに頼れるようなそんなこども園を目指したいと思います。」
「はあ、いくら子供は国の宝だと言っても、どうせ、こういうのが受けられるのは、一部の子供だけだぜ。全部の子がそういうのを受けられるわけじゃない。」
と、杉ちゃんはそうつぶやいた。そういうふうに何でも口に出して言ってしまうのが、杉ちゃんの悪癖と言うべきかもしれなかった。
「まあ、藤森先生に、そんなこと言って、失礼ではありませんか!」
と、隣にいた若い女性が、杉ちゃんに言った。
「失礼ね。そうだとは思わないけど。だって、いくら幼児教育って言ってもさ、そういうのを受けられるのは、普通の目が見えて、歩けて、正常な知能を持っている子供さんだけじゃないか。僕たちみたいな、車椅子の人間とかは、どうせ今までの法案みたいに、ほっぽらかしなんだろう。誰だって怪我をして車椅子になったとか、そういうこともあるのに、そういうやつを指導して導いてくれる先生ってのは、絶対いないんだよな。ははははは。」
杉ちゃんは、でかい声で馬鹿笑いをした。すると周りにいた、女性たちが杉ちゃんの方を見た。なんだか藤森先生に失礼な事を言うなと言う顔をしている。
「僕は事実を言っただけのことです。それが現状だもん。どんなにすごい教育があったとしても、僕みたいな奴らは、最低限の学力をつける授業しか受けさせてもらえないだろう。それなら、もう、そんなもんこっちから払い下げだよ。それに、そういう机の上でなにか考えてるやつって信用できないしね。どうせ、あたまのなかで、一生懸命考えたってな、現場は混乱するだけだよ。まあ、世の中を変えようなんて、無理な話しだぜ!」
「まあ、藤森先生は、今まで保育士として、あたしたちを引っ張ってきてくれたのよ。とても頼りになる、すごい人なの。だから、あたしたちは先生に立候補を勧めたのよ。それをそんな言い方されては困るわ。」
と、群衆にいた女性の一人が言った。
「お前さんたちも気をつけな。きっとこいつは、いかさまやろうだぜ。国を良くするとか、そういうこと言ってるけど、対して良いことできるはずもなく、終わってしまうことだろう。そういうやつに騙されちゃダメだ。それより、世の中をなんとかしたいなら、自分でなんとかするようにしないとダメなんだよ。」
杉ちゃんと女性たちがそう言い合っているのを見て、ジョチさんは、もう帰ろうと言おうとしたが、同時にスマートフォンがなった。
「はい、曾我です。ああ、水穂さん。あ、利用申込みがあったんですか。良いですよ。直ぐ戻ります。」
と、ジョチさんはそう言って電話を切った。そして、杉ちゃんにもう帰るように促した。周りにいた女性たちに、本当に失礼しました、当選するよう頑張ってくださいと挨拶して、ジョチさんは、杉ちゃんの車椅子を動かして、介護タクシーのりばに行った。杉ちゃんの方はまだまだ話し足りない様子であったが、とりあえずジョチさんは、彼を運転手さんに手伝ってもらってタクシーに乗せてもらった。そして、自分もタクシーに乗り込む。走り出したタクシーの中で、ジョチさんは、利用希望者がいると伝えると、杉ちゃんという人は、非常に単純で、そうなんだねとだけしか言わなかった。全く、頭の切り替えが速いですねと、ジョチさんは呆れていった。
それから駅を離れて、製鉄所に到着すると、玄関には一足の靴があった。女性用の靴だと直ぐにわかったので、杉ちゃんとジョチさんは急いで応接室へ行った。応接室には、水穂さんが椅子に座っている女性に、どうぞお茶ですと言って、お茶を差し出しているところだった。
「ああ遅くなってすみません。この方が利用希望の方ですか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「はい。名前は、藤森礼子と申します。」
と、彼女は答えた。
「藤森?もしかしたら、あなたは、今国会議員に立候補している、藤森常子さんの血縁の方ですか?親族とか、そういうことでしょうか?」
ジョチさんが聞くと、礼子さんは、
「はい。そうなんです。母が藤森常子です。」
と、答えた。
「はあそうですか。それで、こちらの施設の目的はちゃんとわかっていらっしゃるのでしょうか。こちらは、鉄を作るところではなく、訳アリの方々に、勉強や仕事をするための部屋を貸し出す福祉施設です。もちろん男性が利用したこともありますが、だいたい利用されるのは女性が多いです。」
ジョチさんはそう説明した。
「ええよく心得ております。だから私も、資格取得に向けて勉強がしたくてこさせていただきました。どうせ家の中にいても、選挙のことばかりで、落ち着いて勉強もできませんから。」
「資格取得って、どんな資格だよ。」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。カウンセリングの資格を取りたいと思っています。色々悩んでいる人たちの力になって、悩みが解決するお手伝いをしたいと思っています。」
と、藤森礼子さんは答えた。
「そうなんだね、カウンセリングと言ってもピンキリだぞ。臨床心理士みたいに、すごい権威のある資格もあれば、本当にそこら辺の人間に毛が生えたような人間にしかなれないこともある。その中でお前さんもそういう仲間になるのか?」
杉ちゃんは驚いて言った。
「それに、お母ちゃんの藤森常子さんは、国会議員に立候補するような方だし、お前さんだっていずれは議員になるんじゃないの?あ、それとも、カウンセリングをして、地盤を作っておきたいとでも思ったのか?」
「いえ、そういうことは全く考えておりません。あたしは、そういうところではなくて、もっと、身近にいる、悩みを相談できる相手になれれば良いんだと思っているんです。だから、母のように国会議員になんて立候補する気持ちはサラサラありません。だから、ここで勉強させていただけませんか?通信講座の勉強で、学校の勉強ではありませんが。」
と、藤森礼子さんは言った。
「そうですか。そこまで熱意があるのなら、こちらに来てくれて構いません。ですが、他の利用者たちの安全もありますので、できればあなたが藤森常子さんの娘さんであることは、伏せておいたほうが良いと思います。利用者の中には大変傷つきやすく、つらい思いをしている利用者もいますから。」
とジョチさんは、決断したように言った。
「わかりました。ありがとうございます。母の娘であることは決していいません。なので、こちらにこさせていただければ。あたしはただ、同じ苗字だったということにしますので。」
藤森礼子さんは、申し訳無さそうに言った。
「それなら、まず部屋を案内しましょうか。部屋は一つ開いていますので、自由に使ってくれて構いません。飲食をしたい場合や、他の利用者と喋るときは食堂を使ってください。一応、机椅子は用意してありますけれども、もし、椅子が高すぎるなど、不都合がありましたら、おっしゃってください。」
ジョチさんはそう言って、製鉄所の建物全体を案内した。廊下が鶯張りになっていて、歩くたびにキュキュと音を立ててなるのと、ほとんどの部屋に段差が無いのを、礼子さんはとても驚いていた。礼子さんには、桐の間と書かれた部屋が与えられた。六畳ほどの小さな和室で、確かに机も椅子もあるし、布団まで用意してくれてある。早速礼子さんは、机の上に、カウンセリングの勉強のための、教科書を開いて、勉強を始めた。
数時間後。杉ちゃんが利用者全員に、お昼ご飯だよ!とでかい声で言った。以前は食堂で調理係を雇っていたこともあったが、現在の調理係は、杉ちゃんが担当している。
「わーい嬉しい!杉ちゃん今日のお昼は何?」
「えーとタイ風の焼きそばだよ。」
杉ちゃんが言うと、利用者たちは、
「やった!焼きそば!」
と喜んでいた。いくらお昼ご飯とはいえ、毎日作らなければいけないのだからかなりの重労働であると思われるが、杉ちゃんは平気な顔をしてご飯を作っていた。利用者たちが、食堂に集まると、利用者たちの前に、米粉の焼きそばの入った器が置かれた。タイ風だから、唐辛子の匂いがよくきいている。その中に、人参やらほうれん草やらの野菜や肉が沢山入っていた。利用者たちは直ぐ食べ始めた。なかなか野菜を食べない利用者もいるが、こういうふうに工夫をすれば、利用者たちは、もりもりと食べてくれる。そうでなければ、学校にも行けないし、仕事にも行けないと利用者たちは、知っているからである。
「遅くなってすみません。問題でどうしても解決できないことがあって、それで遅くなってしまいました。」
そう言いながら、右手にカウンセリングのテキストブックを持って、藤森礼子さんが、食堂にやってきた。
「ああ、まだ大丈夫だから、ゆっくり食べてくれや。そんなに時間づく目の施設じゃないから。」
杉ちゃんは、そういって、藤森礼子さんの前に、お皿をおいた。急いで礼子さんは、焼きそばにかぶりついて、
「まあ、とっても美味しいわ!」
と言った。杉ちゃんがありがとうだけ言うと、
「これ美味しいじゃない。どうやって作るの?あたしも食べてみたい。」
なんて言い出すのである。すると、なにかがドサッと落ちる音がした。テーブルに置いてあったテキストブックが、落ちたのである。そういうのに直ぐ着がつく利用者が、
「ほら落としましたよ。」
と言って、礼子さんに渡した。
「へえ、がくぶんの通信講座なんかやってるんだ。あたしもやってみたかったわ。でも、あそこってすごくレベル高いんでしょ?何かマイペースで学べることは嬉しいけど、それでも私は自信が無いわよ。」
と、別の利用者がそのテキストブックを見て言う。
「あれ!これ、最新のテキストじゃないじゃない。何だ、3年前のじゃないの。なんで最新刊で勉強しないの?」
本を拾った利用者が、そう言うと、一瞬食堂の空気が変なものになった。
「普通、通信講座で学ぶとなれば、最新刊で勉強するのが当たり前なんだがな。最新刊ではないと添削できないだろ?」
と、杉ちゃんが言うと、
「ええ、そうなのよ。」
とだけ、礼子さんは言った。
「本当は、勉強するためにここに来たわけではないでしょ?」
杉ちゃんに言われて、礼子さんは、一気に顔を崩してしまった。そして、涙をこぼして泣き出してしまうのだった。
「じゃあ、なんでここに来たんだよ。勉強するためじゃなかったら、なんで、ここに来たんだ?僕どうしても、答えをもらわないと、納得できない体質だもんでさ。何度も聞いちゃうんだよね。」
杉ちゃんがそういうが、礼子さんは、泣き出すばかりである。
「杉ちゃん、あまり彼女ばかりせめるのはやめようよ。なんだか彼女が可哀想じゃない。きっと彼女は、何か悪気があってここへ来たわけでは無いと思うし。」
と、いつの間にやってきた水穂さんが杉ちゃんに言った。水穂さんは、そっと彼女の隣に座って、
「泣かないで、ご飯を食べてください。そうしないと、冷めちゃいます。」
と言った。その態度を目撃して、礼子さんは更に泣き出した。
「あたしは、そんな、そんなふうに親切にしていただけるようなそんな人間ではありません。あたし、ここへ来たのは、母の命令で来たんです。母が、ここに潜入して、どんな事をしているかとか、偵察してすべて報告するようにって私に命令してきたんです。」
「はあ、わかりました。わかりましたよ。」
水穂さんは、そう彼女に言った。
「そういうことなら、もう二度と繰り返さないって、誓いを立てて、やり直していけばいいと思いますよ。」
「でも母にはどうしても逆らえないです。あんなふうに、国会議員に立候補しようとしているくらいだし、それに、母を慕ってくる女性たちも大勢いるんですよ。そんな中で、あたしはどう生きていけば言いのでしょうか。ただ、母の手伝い役とか、殿とか、そういう人生しか用意されてないってことでしょうか/」
礼子さんは、泣きながら言った。
「親が偉すぎると、こうなっちまうんだよな。まあ、目的のためには手段を選ばないでお前さんに、ここを偵察するようにって言ってきたんだろうけど。」
杉ちゃんがそう言うと、
「でもあたしは、もっと粗末な施設だと思っていたんです。だって、問題のある人を、預かって、勉強や仕事をさせるところって、大体そうですよね。すごく強制的で、朝から晩まで働かせたり、何十時間も勉強をさせたり。そういう施設ばかりでしょ。でもここの人たちは、みんな楽しそうで
イキイキしているじゃないですか。そんなこと私、予想もしなかった。これを母に報告したら、どんな結果が待っているだろうかと思うと、私怖い。」
と、礼子さんは言う。
「まあ、そういうことなんだね。それでは、この施設を買収でもしようとしていたのか。でも、多分この施設は、ずっと続いていくと思うよ。だって、利用したい人は全然減らないし、世の中だってどんどん悪くなる一方じゃない。そんな中で、利用者さんたちは、一生懸命やってるんだぜ。それを、潰されちゃ、困るなあ。」
杉ちゃんが言うと、利用者の一人が、
「あたしと一緒に、本屋さんに行かない?もしかしたらそこだったら、いろんな資格の本とかあるかもしれないわよ。その中にもカウンセリングの資格の本はあると思うから、いい本を探しましょうよ。」
と、礼子さんに言ったので、礼子さんはハッとした。
「でもあたしは、この施設を一度は母に言ってしまおうと考えてた。」
礼子さんは、自分の事を、悪役らしくそういったのであるが、
「そうかも知れないけど、でも礼子さんだって、藤森常子さんから解放されるときがいつかくるわ。それにあわせて勉強して置くことは悪いことじゃないわよ。」
と、また別の利用者が言った。
「礼子さんもあたしたちの仲間にならない?家でぼんやりしてるよりも、あたしたちと一緒にいたほうが気が紛れるわ。だって、あんな偉いお母さんを持ってたら、ほとんど仕事で家にいないで、一に仕事、二に仕事、三にも四にも仕事でしょ。あたしその寂しい気持ちわかるわよ。だって、あたしも、そうだったから。あたしの母は、事件が解決するまで、絶対帰ってこなかったもんね。」
と、三番目の利用者が言った。それを聞いて、礼子さんは、ごめんなさいと言って、テーブルに伏せて泣き出してしまった。利用者たちは心配そうに礼子さんを見るが、
「少しだけ、泣かせてあげても良いんじゃないでしょうか。きっと礼子さんだって、いつまでも泣いていることは無いと思います。そして、またみなさんのところに戻ってくると思います。」
水穂さんが優しい表情で三人の利用者たちに言った。利用者の一人が、にこやかに微笑んで
「女は意外と早く立ち直れるものよ。だから今は、泣いてしまっても良いわ。」
と言った。もうひとりの利用者が、
「きっと、涙がなくなるまで泣いてしまえば、礼子さんに新しいものを取り入れようという力も湧いてくるわ。あたしもそうだった。だから、遠慮しないで泣くことが大切なの。」
そして、三番目の利用者は、礼子さんの肩を叩いた。
「待ってるね!」
外は、爽やかな風が吹いていて、もう春なんだということを感じさせた。頭上には、いつもと同じ美しい青空が輝いている。そして、白い雪をかぶった富士山が、みんなを見守ってくれている。静岡県は、そんな素晴らしいものに、恵まれている。
いつもと同じ青い空。これこそ、国の宝なのかもしれなかった。きっと、宝とは、そういうことなのだろう。
いつもと同じ青空 増田朋美 @masubuchi4996
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