ルリカラ博士の偏愛

千羽稲穂

叔父の口癖、「とりあえず」。鳥への偏愛。

「とりあえず、」というのが叔父の口癖だった。なんだか最初の「とり」がカタコトで「トリ」と聞こえて、変なアクセントだなあと思っていた。叔父は無類の鳥好きで、そのために婚期を逃しており、お母さんが「変わった子」と裏で悪口を言うのがデフォルメで、ひっつくのが「まあ、お仕事になったからいいのかしらね」と呆れて理由付けをするのがお母さんの口癖だった。

 じゃあ、私の口癖ってなんだろう。

 夏、自由研究のために叔父が私に何度か「鳥を見に行こう」と鳥観察のための装備を用意してくることが多々あった。そのたびに私は頭を振った。だってめんどうだし。山にはたくさんの虫が遊んでいる。男子じゃないんだから、木登りするとか、秘密基地の陣取り合戦をするとか、子どもっぽい。私はませた「普通の子」にきちんと育っていたから叔父の襲来のたびに「え、普通に嫌なんだけど」と断っていた。

「瑠璃、今日はルリカラが発光するんだ。とりあえず見に行こう」

「蛍かよ」

「瑠璃、ルリカラが消えた。もしかしたら自然発火日かもしれない。とりあえず、こんな貴重なことなんてないから山へ散歩に──」

「まあ、生き物って死ぬもんだしね」

「瑠璃、ルリカラが自然発火が落ち着いて、消えたルリカラが戻ってきたぞ。とりあえず、この戻ってくる動画を見てくれ」

「これから好きなVYouTuberの生配信だから邪魔しないで」

「瑠璃ぃ、ルリカラが……」

「瑠璃、ルリカラが」

 最後の方はゾンビのように這って私のことを捕まえにきていて、しびれをきらしたお母さんにカンカンに怒られていた。あの子、今年受験なんだからって雷がズドーンと叔父に落ちて、「兄さんはほんとトリのことしか考えないんだから」としっかり理由付け。叔父もこれは効いたらしくルリカラが天敵が現れたときのように、体を項垂れさせて小さくなっていた。

 叔父も叔父でルリカラ、ルリカラ、とよくもまあ、あの鳥を四六時中追っていられる。お仕事、らしいけれど。あまりに私に叔父が誘ってくるので、「仕方ないなあ」と折れて、私は、叔父に振り向いた。「これっきりだよ」なんて言っていたのに、なんにも聞かずにぱあぁと効果音が出てそうなほどの笑顔で頭をヘドバンなみに振った。

 ルリカラを見に、スニーカーを履いて動きやすい服装をし、歩き出す。夕方から出発して、ルリカラがいる山道に静かに歩き出した。さくさくと土を踏んだらスナック菓子のような心地良い響きがする。

 で、横を見ると、叔父はルリカラのお面をすっぽりとかぶってたわけ。

「芸人か」

 ルリカラのつぶらな瞳がぱちぱちと下瞼から瞬きする。

「高性能じゃん」

 ガタガタとお面が震えて、「ははは、瑠璃、わかるか」ともうホラーとしか思えないような動きをしている。体は人間だし、蠅人間をオマージュしてルリカラ人間ってとこ?

「叔父さん、何してんの?」

「こうすれば、とりあえず、ルリカラになれるんじゃないかって」

 どっから突っ込めばいいか分からない。

 ルリカラのお面は青く透き通っている。これはルリカラの特性だった。ガラスのように透けて手を触れると割れるような、そんな希少種。私の住んでいる地域の山にしかいなくて、ルリカラを見に世界各国の野鳥好きが集まってくる。そして、私の地域は田舎も田舎のドがつく超田舎なものでルリカラで町おこしをしていたけれど、人がだんだん集まりすぎてルリカラの住処にゴミが散乱するようになった。保護団体として一番早く出てきたのが、なにをかくそう、私の叔父だった。

そして、もうひとつ、なにをかくそうルリカラ研究の第一人者が私の叔父だった。

 実は凄い人なのだ。

「ルリカラ……ルリカラ……」と普段はうわごとのように白目を剥きながらルリカラのことしか頭にないし、寝言でも「ルリカラ……」と言うほどの、家族にとっては狂人でしかない。夜は怖くて絶対一緒に寝たくはない。たまに寝言でルリカラの鳴き声が聞こえてくるし。夜のトイレでたまに聞いてしまって、ルリカラがいる! と勘違いした幼い私はいろんな人に触れ回り、鳥類保護団体まで乗り出す大事になったことがある。多くの人が固唾を飲んで扉の前に待機して、いざ開けると叔父が「ルルルルル……リーリー」と寝言で鳴いていた。後に叔父は「夢の中でルリカラになっていたんだ」とキラキラした言葉を紡いでいた。

 今もお面をガタガタさせながら「ルルー」とルリカラと交信している。ルリカラの声がする。リンリンと鈴のような鳴き声だ。耳を澄ませてみると、ルリカラの鳴き声が浮いて聞こえる。ルールー、ルールゥ、リーリリリリリリ。叔父が耳を鋭くたたせて、彼らの声を聞いている。

 叔父が、これは警戒の声だよ、であったり、他の仲間を呼んでいるであったり、それぞれの言葉を訳してくれる。お面を外して汗だくになって、「もうすぐ消火の季節なんだ。一度、彼らの消火を瑠璃にも見せたいんだ」お面を握りしめてルリカラの道を叔父は歩き出す。

 ルリカラ博士である叔父は、年の半分は森にいる。大半はルリカラが何かをしたり、ルリカラの声を聞いたりするのを発見するためだ。新たな習性が発見されると、論文にして発表し、世界各国にルリカラのことを伝える。

 現在ルリカラはそのボディから、臓器や皮膚のガラス化であったり、習性から再生医療に活用出来るのでないかとかで注目を集めている。蜘蛛の糸が細さと強度で人間に活用できないか、とするようにルリカラ研究も人間のためになることがあるらしい。数年かけて研究をして叔父はルリカラを生涯かけて追っている。本人は人間のためってことじゃなくて、ただルリカラになりたいだけのルリカラバカだってことは親族一同知っている。

 瑠璃、瑠璃、聞いて、と静かに叔父は声を沈める。木のささやきの間で、ルーリリリリリリリ……キーィ、と奇妙な擦過音がした。ガラス同士がこすれるような、そんな音。 こっち、と足音をなるべく殺して叔父が手招きする。大きな木の前で立ち止まると、双眼鏡を渡してきた。ここ、と指で差し示す。

 双眼鏡で鳥の世界を覗くと、ルリカラが木の枝に止まっていた。瑠璃色のボディの透過度が高まり、ほとんど透明なガラスに近くなっていた。叔父でなければ見つけられなかっただろう。キィキィと身体を震わせている。

 あ、割れる。

 世界にひびが入ったようにルリカラはパキパキと亀裂が入る。ルリカラが木の枝から足を滑らせて地面の枯葉クッションに身体をなげうつ。触っちゃいけない、初めに叔父に言われたことだ。私たちと彼らとでは、生きている世界や営みが違う。彼らが私たちの生活に踏み入れないように、私たちもむやみに触れてはいけない。あくまでも、彼らと私とで線引きをして、私たちは存在している。

 叔父が、町おこしを推進していた一派に投げかけたことでもあった。

 ルリカラは、ある一定の期間になると消火という体がガラスのように割れて消える。そしてどこからともなくまたガラスは集まって、ルリカラは戻ってくる。

 だから、ルリカラは別名『不死鳥』の名も持っている。

 でも、ルリカラは不死ではない。消火中に人間が介入するとそのまま戻ってこない。永遠にどこにも現れない。ガラスの破片は消えたまま。

 ルリカラは繊細な生き物なんだよ。

 叔父が楽しげに言った。

 だから、とりあえず、優しくしなきゃいけないんだ。それはルリカラに向けてだけではないような、そんな気もした。

 目の前のルリカラは割れて、また半分こに割れて、クッキーみたいに簡単に粉々になって、近くにいる私たちにも分かるくらい熱を発生させた。枯葉に引火して、風が吹いて煙をたたせる。ルリカラの破片はどこかへとキラキラと流れていく。それは夜の闇にまみえて虹色の光の粒が目の前を通ったようだった。すぐに煙は立ち消える。未だにルリカラが消火する理由は分かっていない。求愛行為とか、攻撃行為とかもろもろ諸説あり。

 叔父はそういったことを楽しげに語る。いつ何時、何があっても。

「瑠璃、今日は運が良かったな」

 ニカッと笑う叔父に、

「ルリカラって、また戻ってきたときは最初と同じルリカラなのかな」

 といじわるなことを言ってしまう。

「それは誰にも分からないよ」

「人間は戻らないじゃん」

 ルリカラ研究の第一人者は、実は二人だったってことは世界に知られてない。始まりは、ただルリカラが大好きな私の父と叔父が二人で消火を幼い頃に見たからだって聞いてる。そこから二人は第一人者になった。でも、私が物心つくころには一人だった。叔父さんしかいなかった。

 瑠璃って名前はね、と父の声だけ覚えている「ルリカラ」って名前からとっているんだ。さすがにできすぎなのと、自分たちがなりたいものを娘にならせるのは偏愛が過ぎるのでは、と思う。

 私は、ルリカラじゃない。

 ただの瑠璃だ。

「私、戻らないかもよ? 都会が楽しくて、さ」

 明日には私はこの超がつくド田舎を卒業する。上京して大学に入って、夢のキャンパスライフを送るのだ。

「瑠璃、残るものってのもあるんだよ」叔父が指先を見つめて、「瑠璃がこの世界にやってきたとき、きみが私の指先を掴んだとき、なんて繊細なんだって思った。それが、ルリカラの研究にも繋がった。ルリカラが人間の介入でいなくなってしまうって、ね。何もなくなるわけじゃないんだ」

「ほんっと、叔父さんって、ルリカラ好きだね」

「ルリカラになるのが夢なんだ」

 ルールーと穏やかなルリカラの声が響いている。これは、一体なんの声だろうか。なんと言っているのだろうか。叔父には、きっと分かるのだろう。

 耳をすませて、私の、瑠璃の声を聞く。

「私には、まだ叔父さんのそれ、ないんだ」

 叔父さんのように、私は何かに熱を持ったことはない。

「なら、とりあえず、大学行って自分の思うままに何かしてみてもいいんじゃないか。戻らなくてもいいからさ」

「とりあえず」

 反芻して、やはり「トリ」が浮いて聞こえた。「うん、とりあえず、ね」叔父さんの、その声の響きが耳に心地よかった。リリリリィ……ルルルルゥゥウ……叔父がルリカラ語を語る。トリあえず、と私はもう一度、何度でも言う。この叔父の口癖は、きっと叔父が心底、ルリカラのことを愛しているから無意識にでたんだ。

 トリあえず。

 私は叔父と一緒になって唱えた。

上京前日のこの光景を、私は「きっと」忘れないだろうな。と、口癖のように「きっと」と付け足した。私はこれからスーツケースを持って、スーツに身を包み、入学式、ととりあえず進み、きっと何かを見つけてサークルや勉学に邁進していく。その時、きっとルリカラがどこからともなく現れるのかもしれない。叔父の口癖のように、ふとした瞬間に。

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