Mov.2 学園生活の幕開け

 あれからまた長い時間、馬車に揺られ…いつの間にか眠ってしまっていたが、激しい揺れで目が覚めた。


 窓の外を見るとどちらを向いても木しか見えなくなっていたので、どうやら学園を囲む森に入ったようだ。


 世界中から身分に関係なく生徒が集められているのもあり、警備はどこの国よりも厳重にされているとのこと。そのためわかりにくくなるよう、学園のまわりは森で囲まれている。


 さらに、この森に入ってからの正確な場所は一部の人間しか把握できないように特殊な魔法がかけられているらしい。


 学園の教師や生徒であっても場所を知ることはできないため、案内役と呼ばれる人がいない状態でうっかり森に入ることは危険だとか。


 なんとか道を覚えられないかな、と思って窓の外を眺めていると、ずっと同じ道を繰り返し通っているようにしか見えない。

 進んでいるのか、道を間違えているのか…。それすらもさっぱりわからなかった。


「ふふっ。ちゃんと学園にたどり着けるか気になるでしょう。大丈夫です。この馬車を運転しているのはかなり慣れた案内役の方ですから」


 話を聞くと、何度もこの森を抜けているカーター先生にも同じように見えているのだとか。場所をわからなくする魔法ってすごいなぁ。


「思ったよりも普通の森なんだね。なんかもっとこう、あやしい感じというか、薄暗くて不気味な森をイメージしてたよ」


「そうでしょう、意外と普通なんですよ。普通に見えているからこそ、見つからないということもあるんです」


 カーター先生は僕にそう返しつつ、含みのある目でにっこりと笑った。今日出会ったばかりだし、話したのも馬車での移動時間だけだけれども、カーター先生はどこか食えない人だということがわかってきた。


 これからの学園生活で敵に回さないようにだけ気をつけないと。


 *

 

 またしばらく進むとガタン、という強い音を立てて馬車が止まった。外を見ると城壁のような壁で囲まれた場所の前に着いていて、門の前にはいかにも強そうな男性が2人立っている。


 そのうちの一人が馬車の方に歩いて来たので、怪しいものではないですよ、と表情を強張らせているとカーター先生は僕を見て笑いながら窓を開けた。


「見張り番、ご苦労様です。教師カーター、新入生の迎えから戻りました。」


 カーター先生が腕につけている腕輪を見せると、見張りの男性は何やら特殊そうな石をそれにかざした。すると、石が青白く発光していたので、どうやら関係者である証明証のようだ。


 石が発光することを確認し、男性は右手を挙げてどこかに合図を出す。その合図を受けて重そうな扉が開かれると、いよいよ僕の新しい生活も幕を開けた。


「ノエルくん、ようこそ聖歌学園へ。」

 

 *


 馬車が再び動き出し、門をくぐった先には広く綺麗な庭園が広がっていた。

 道の脇には低木や花が植えられていて、奥には噴水や少し休めるようなベンチも見える。僕の村にあった広場というよりも、貴族の人々がお茶会をするような庭園だ。


 物騒な森の奥に歌を勉強するための学園がぽつんとあるだけだと思っていたので、イメージとは真逆の環境のようで少し緊張がぶり返してくる。


 気持ちを落ち着かせようと深呼吸をしていると、開いたままの窓から入ってきた心地よい風が頬を撫でていく。

 さらに、風に乗って遠くの方から歌声が耳に届いてきた。どこかで聴いたことある気がするこの曲は、なんて言う曲なんだろう。


「今日も練習しているね。綺麗な歌声でしょう」


「こんなに綺麗な歌声は初めて聴いたかも。近くで歌ってるの?」


「今は春休みで授業がないので、好きなところで歌ってるかな。この学園の生徒は歌うことがとにかく好きなので、休みの日でもあちこちで歌ってますよ」


 よく目を凝らすと、奥の方に複数の人影が見える。僕もあんな風に誰かと一緒に歌うことができるのだろうか。

 

 *


 庭園を抜けてさらに進むと、大きな建物の前で再び馬車は足を止めた。

 扉が開かれたので馬車から降り久しぶりに自分の足で立つと、上手く力が入らず生まれたての小鹿のようにフラフラとしてしまう。


 その様子に気がついたカーター先生が僕を支えてくれて、建物の前にあるベンチへ座らせてくれた。


「学生寮には着きましたから、ここからはゆっくり行きましょう」


 どうやらこの少し年季の入った建物が学生寮のようだ。先ほどまでの庭園にはとにかく圧倒されていたので、村の建物とそう変わらない感じに少し安心した。


 足が慣れてきたのでカーター先生に重そうな木の扉を開けてもらって中に入ると、広間には数人の生徒がいた。


 それぞれ思い思いにお茶を飲んでいたり、楽譜を読んでいたり。かなり自由に過ごしているようだ。


 人の出入りはあまり気にしていない様子だったが、制服を着ておらずカーター先生に案内されている様子から新入生だと察したようで、ちらほらと視線を感じはじめた。


「学生寮って部屋にずっといるわけじゃないんだね」


「ここは各フロアに談話スペースがありますからね。だいたいの生徒がこんな感じに過ごしてますよ」


 1階は食堂などの共用スペースで、広間から伸びる階段を登った上の階が各部屋になっているようで、基本は4人部屋。僕が入るのは3階の右奥の部屋とのことだった。


 きょろきょろとあたりを見渡しながらカーター先生の後に続いて階段を登ると、3階の談話スペースで一人の少年が座って本を読んでいた。


「やあフィンくん、ちょうどいいところに」


「こんにちは、カーター先生。そろそろかな、と思ったのでここで待ってました。」


 先生がそう声をかけると、座っていた少年は読んでいた本を机に置いて立ち上がった。背が少し高く、薄いベージュでふわふわと揺れる髪に線の細い体つきはどこか儚い空気を纏っていた。


「初めまして、7年生のフィンです。これからよろしくね。」


「の……ノエルですっ。よろしくお願いします。」


 フィンから優しく差し出された手を取り、握手を交わす。

 その手は、力を入れすぎてしまうと折れてしまうのではないかと思うような、細く冷たい手だった。


 *

 

 カーター先生と別れ、フィンの後について部屋へ向かう。僕の入る部屋にはフィンのほかにも2人いるらしい。


 ルームメイトが全員先輩になるので、なんとなく緊張する。上手くやっていけるかな…。


「そんなに緊張しなくても大丈夫。2人ともいい子だし、きっとノエルとも仲良くなれるよ」


「そう…だといいな」


 なかなか緊張が取れないままフィンと廊下を進んでいくと、いつのまにか一番奥の部屋に着いていた。


「さあどうぞ、ここが私たちの部屋だよ」


 招かれるまま中に入ると、部屋の四隅にベッドと机、クローゼットのセットが置かれたシンプルな部屋だった。


 それぞれのベッドにはカーテンが付けられていて、個人の場所もきちんと確保されている。


 やましいことがある訳ではないけれど、自分だけになれる場所は欲しかったので、カーテン付きのベッドはとてもありがたい。


「君は入って左の場所を使ってね。ベッドは昨日手入れをしてもらったばかりなんだ」


「ありがとう」


 お礼を言いつつ荷物を置きベッドに腰掛けてみると、今までのベッドとは比べものにならないくらい、ふかふかとしていて横になったら今にも寝てしまいそう。


 ただ、さすがに他の2人が帰ってくるまでは起きていないと…。


 うつらうつらする僕の様子を見て、フィンはベッドに置いた荷物を机の方に動かし、カーテンを閉めてくれた。


「だいぶ疲れていたんだね。夕食までの間、少し休もうか」


 今はフィンのその言葉に甘えよう…。

 そう思って、横になるため靴を脱いでいると、ドアが開き残りのルームメイトが戻ってきた。


 不意のできごとに驚き「ひゃっ」と間抜けな声が出てしまい、その様子を見た2人にクスクスと笑われてしまった。

 第一印象、最悪だ。


「そんなにビックリすんなよ、新入り!俺は5年生のジャック!そんで、こっちがリュカ!よろしくな!」


「……リュカ。3年生。よろしく」


「は、はじめまして。僕はノエル。よろしく」


 ベッドの上で軽くお辞儀をすると、その頭をジャックにガシガシと撫で回され、リュカからは可哀想にという同情の視線を向けられた。


 ジャックはいかにも元気なお兄さんという感じで、リュカはそれとは正反対で大人しい弟のような雰囲気だ。


 性格はバラバラそうだけれど、なんとなくこの3人となら楽しく生活できるような気がした。

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