第4話 産業機械
エマニュエルが訪ねてくる少し前、スティーブはニックの仕事場にいた。その手には見慣れぬ機械があった。
機械とは卓上固定式グラインダーと卓上旋盤の二つ。スティーブの産業機械Lv1の魔法で作り出した工作機械だ。どちらも手回し式で動力は人力。
「若様、これは何ですかい?」
初めて見る機械にニックは戸惑う。
「まずは言っておくけど、父上に相談してニックにも我が領の秘密を教えておこうと思う。ただし、他言無用」
「そりゃあ構いませんが、俺じゃなきゃ駄目なんですか?」
「勿論。うちの領地で唯一の鍛冶師だからね。期待しているよ」
「若様にそう言われたら期待に応えるしかねえですね。それにもう既に一回秘密をばらさないって約束をしてますんで」
「そうだよねえ」
スティーブはニックと約束が出来たことで、ニックにスティーブは機械の説明をはじめた。
「僕の魔法で作った工作機械なんだけど、こっちがグラインダー。砥石がついていて、この取っ手を回すと砥石も一緒に回転する。刃物を研ぐのに便利だよ。ただ、片手がふさがるから一人だと難しいね。ペダルをつけて足踏み式にすればいいのかな。それとも誰かもう一人雇うか。それで、こっちが旋盤。これも手回し式だから一人だと難しいかな。旋盤は材料を回転させるんだよ」
作業台に置かれた機械を興味深そうにニックは観察する。そして、取っ手を回転してみた。
「このグラインダーってのはわかりますぜ。砥石が回転するのも見えるからわかる。でも、旋盤ってやつがどうにも」
旋盤など見たこと無かったニックは、それをどう使うのかが想像できなかった。ニックだけではない。この国、いやこの世界の誰もが旋盤など見たこと無かったのである。地球では紀元前740年ころには弓旋盤というものがあったらしいが、この世界には無かった。当然旋盤という言葉も存在しない。
余談ではあるが、旋盤という言葉はJISの工作機械−名称に関する用語に規定されている。卓上旋盤もだが、弓旋盤はJISでは規定がない。もし使っている会社などがあったとしたら、それは日本産業規格で規定されていない工作機械を使っているということだ。
余談ついでにJIS規格の日本語は日本産業規格である。2019年7月1日に工業標準化法が産業標準化法に変わり、規格の名称も日本産業規格となった。英語表記に変更が無いためわかりにくいのはご愛嬌。
スティーブは鎌の柄に使う木材をみつけて手に取った。ここに来たのは乾燥した木材があるから。
旋盤を作業台に固定し、ある程度丸く加工された木材を旋盤にチャックする。油圧装置がないのだが、そこは魔法で作った工作機械。どういう理屈かわからないが、木材をしっかりと掴んだ。
そして取っ手を回転させると、取っ手が連結している大きな歯車が回転し、それが主軸の歯車を回転させた。当然主軸と一緒に木材も回転する。
そこに横からおねじ切りバイトを当てると、みるみるうちに木材に溝が出来て、やがてそれがねじ山となった。
スティーブは加工が終わった木材を旋盤から取り外して、それをニックに手渡した。
「まあ、こんな風にしてねじをつくったり、外径を整えたりが出来る訳だよ。うちの領地は農業にはむかないから、何かしらの産業を作りたいと思ってね。今すぐにっていう訳じゃないけど、産業機械の扱いには慣れておいてもらいたいんだ」
「おおおお、こりゃあ遣り甲斐があるってもんですぜ。親方のところで修行していた時だって、こんな機械見たこと無かった」
ニックが興奮しながら、ねじ加工された木材と旋盤を交互に触っていく。
ねじはぶどうや植物の油を搾るのにつかうスクリュープレスという圧搾機に使われている。ただし、それは職人によるやすりを使った手加工。日本では火縄銃のねじなども手加工でつくられたが、旋盤がない以上はどうしても手加工となる。
手加工のねじはおねじとめねじの山を合わせるのが大変で、とても技術が要求されるし、同じものが二度と作れない。それを機械加工出来るとなれば、部品単位で出荷出来る。おねじだけやめねじだけといった注文に対応出来るのだ。スティーブは十分に競争力があると考えている。
それに、その技術を応用すれば活版印刷だって出来る。ただし、識字率が低いので文字の需要はあまりない。
当然スティーブは前世の経験からこれらを扱う事が出来るが、産業として考えた場合には他に工作機械を扱える人材がいるのが望ましい。
現時点では加工油が入手出来ないため、精々が木材の加工程度となるが、将来的には金属加工をすることを視野に入れている。
一通り撫でまわして興奮が冷めて落ち着いたニックが、スティーブがいる事を思い出した。
「若様、こりゃあとんでもねえ可能性があるのはわかりましたが、直ぐに金になるような事はねえですぜ」
「そうなんだよね。それでもう一つ、直ぐに商品化できそうな話を持ってきた」
スティーブはそういうと、魔法で鋼を作成する。大小の板に細いきりかきと突き当てがあるもの、四角い板に二重の溝が掘ってあるもの。そして格子状の突起がある板。それとトレーとセットのかごも。
「なんですかこりゃあ」
「ゲームを売りだそうと思ってね。リバーシっていうんだけど。これはそれの治具だよ」
「治具ですか」
治具とは、加工や組み立ての際に部品や工具の作業位置を指示・誘導するために用いる器具の総称である。「治具」という日本語は同義の英単語 "jig" に漢字を当てたものだ。時々「冶具」という表記を見かけるが、これは誤りである。
スティーブは大きな板にきりかきと突き当てがあるものに、作業場にあった木の板を乗せた。その端を突き当て部分に突き当てる。そして、鋸を手に取ると、きりかきに刃を入れて切り始める。
「ほら、こうやって突き当ててきりかきに鋸の歯を入れて切れば真っ直ぐに切れるじゃない。これを四回繰り返せば真四角の板が出来る」
「なるほど」
板が切り終わったところで、格子状の突起がある板を持った。これには長い柄がついている。
「これは焼きごて。これで今切ったゲーム盤にマス目をつける」
火を起こして熱する必要があるので、説明だけをしてニックに火を起こしてもらう。
焼きごての加熱を待っている間に、今度は小さな治具で丸い木の棒を切り始めた。使い方は先ほどの大きな治具と一緒で突き当てて、溝に鋸の歯を入れて切る。リバーシの石を作るためだ。石といいつつも木製だが。
64個の石が出来たところで、今度はトレーに水と泥を入れてかき混ぜた。石の半分に色をつけるためだ。
「本当は黒とかにしたいんだけど、今日は試作品を作るだけだからね」
トレーには高さを確認するための溝があり、そこまで泥水が入ったところでスティーブはかごに石を入れた。かごの上から重りの板を被せる。こうしないと木が浮いてしまうためだ。そしてかごをトレーに入れることで、石の半分が泥水で染色される。
その工程が終わったところで熱したやきごてをゲーム盤に押し付けた。
きれいな焦げ目がついてゲーム盤が完成する。
「これで完成」
「どういうゲームなんですかい?」
「せっかくだからやってみようか」
スティーブはルールを説明してゲームを始めた。ルール自体はシンプルなものなので、ニックも直ぐに覚える。
「これで僕の勝ち」
「初めてなんですから勝てませんよ」
「僕だって初めてなんだけどね」
リバーシの存在しない世界なので当然である。
「あれ、でも初めてにしてはよくこんなものを考え付きましたね」
「領民を何とかしたいという気持ちから生まれたんだよ」
とスティーブは適当な言い訳をする。
「確かに息抜きにはいいかもしれませんが、面白さっていうんじゃ物足りねえ気がしますが」
ニックの忌憚のないご意見が飛ぶ。
「そう、今は勝っても負けてもさほど興奮しませんが、例えばこの勝負に金を賭けたらどうなりますか?更にそこに酒が入れば」
スティーブは酒を飲むジェスチャーをする。
「あー、それは盛り上がるでしょうね。しかし、若様も酒なんか飲んだことがないでしょうに、よくそんな気持ちがわかりますね。リバーシを思いついたことといい、酒飲みの気持ちがわかることといい不思議な事ばかりですぜ」
「魔法ほどは不思議じゃないでしょう」
「それもそうか」
ニックはスティーブの言い訳に納得した。
「で、俺は何をすればいいんですかい?これだけ道具が揃っていりゃあ俺の出番はないでしょう」
「そうでもないんだ。領民に魔法の事は話せないから、ニックがこれらの道具を作った事にして欲しい。それで、壊れた時は新しいものを作らなきゃならないから、作れるようになってもらいたいんだ」
領民への言い訳としては、これらの治具をニックが作った事にしておきたい。そのためには本当にニックが作れるようになってくれるのが一番いい。スティーブはそうお願いをした。
ニックは真剣に治具を見つめて、自分の力量で出来る事と出来ない事を考える。そして自分なりの答えを出した。
「わかりやした。まあ、かご以外はなんとかしましょう。しかし、このかごだけは無理ですね」
金網で作られたかごを触りながらニックは首を横に振った。スティーブもそこで初めてオーバーテクノロジーであると気が付いた。
「かごは植物の蔓とかで代用できるかな?」
「まあいけるんじゃないですかね。でも、これくらいなら後で作るって言って、若様に新しいのを作ってもらえばいいんじゃないですか?最初から予備を用意しておけば緊急ってことも無くなるでしょうし」
ニックの提案ももっともなので、スティーブはかごについては予備を用意しておくことにした。こうして生産準備は完了する。
「で、これを今からでも作ろうって言うんですかい?」
「いや、試作品を10個くらい作ってエマニュエルに売ってもらう。狙いは酒場だね。酒が入って金を賭けたとなれば盛り上がると思うっていうのはさっき言った通り。客の反応が良ければ追加注文が来るだろうから、その時本格的に生産しようと思う」
「あー、でもこれくらいのものなら、町の工房でも作れるんじゃないですかい?」
「そこは人件費と生産効率でカバーするよ」
「人件費?生産効率?」
聞きなれない単語にニックが困惑する。そこでスティーブはそれらの単語を説明してあげる。
「人件費っていうのは人を雇う費用のこと。基本的に町で生活する方が、うちの領地で生活するよりもお金がかかる。すると、町の職人たちも生活するためには高い値段で作ったものが売れないと困るわけだ。大きな町なら一ヶ月に銀貨1枚。ところが、うちの領地だとそもそも貨幣が流通していない。みんなお金が無くても生活できるんだよ。だから売り値を安くすることが出来る」
「確かにそうですねえ」
修業時代は町の工房にいたニックにはそれが理解できた。町では何を買うにもお金が必要となる。しかし、アーチボルト領では商店がないのでお金が必要ない。たまに行商にやってくるエマニュエルからものを買うのは領主とニックくらいだ。
最低賃金という概念も法律もないので、労働力は安く買いたたける。ただし、今ならばということになるが。領地が発展して貨幣経済が入ってくれば、領民たちも金を稼ごうとするだろうし、物価も上昇していくことが見えている。
「次に生産効率。今日用意した治具は町の工房にありますか?」
「いや、ねえでしょうね。木材加工職人たちは治具無しで作ろうとするでしょう。多分ですがケガキをして加工するでしょうね。金属加工の工房に治具を依頼しようにも、鉄を使ったら高いものになる。それに、こういった治具を作った経験がある職人なんて殆どいないでしょうから、技術料もそれなりになるでしょうぜ」
「でしょう。それならばベテランの職人よりも、こちらの方が早く作れるんだから、売り値だって安くできるでしょう」
「確かに」
ニックは頷いた。
スティーブはこのほかに品質での優位性も考えていたが、品質という概念を説明するのが難しそうなので、その事は口には出さなかった。
こうして10個の試作品を作り、エマニュエルに手渡したという訳である。
*
スティーブからリバーシを受け取ったエマニュエルはルールの説明を受けて、自分でもスティーブを相手にプレイしてみる。
「なるほどなるほど。角を取ればそこは絶対に相手にひっくり返されないということですね。単純ではありますが、それ故に酒が入っていたとしても問題ない。一回の対戦時間も短いため、回転もよさそうですね。ただし、人気となれば模倣品も出回る事でしょう」
「それは想定の内。何ら産業の無いうちの領ならば、価格競争となっても構わないよ」
スティーブはエマニュエルにこたえた。エマニュエルはそれもそうかと納得する。
そしてリバーシとは別にエマニュエルにお願いをした。
「豆や芋の入手もお願いね。やせた土地は他にもあるだろうから、そういうところで栽培されている植物の種や苗を入手したい」
「承知しましたよ。代金は鋼の売り上げから引きますがよろしいですね」
エマニュエルの提案にブライアンとスティーブは頷く。農業経験などないので、他所の土地で栽培に成功したものを導入するのが間違いない。それに、失敗できる余裕もないので、確実性の高い方法となったのだ。
結局、リバーシはそこそこ売れた。酒場のテーブルの上に置けて、簡単なルールと早い決着。なにより導入費用が安いというのが決定打。
各家庭に工程を割り振り、工程ごとの単価を決めて生産が開始される。石を染める工程は管理が難しいので、そこは鋼のキャップを釘で固定するということに設計変更がなされる。それを可能にしたのが旋盤だ。
旋盤によるバラツキの小さい加工が、スティーブによるキャップの生産を可能にした。キャップの寸法は魔法なので均一。そこにニックが加工する木材に公差を設定する。公差内であればキャップと石の隙間は小さく、また、組付かないといったこともない。
現合での生産をしているような他の工房とは効率が段違いだ。公差という考えが生まれたのは、軍隊が遠征地で同じ部品を調達するため。
ここでもスティーブとニックが別々の場所で作成して、それを領民が釘を使って組み付ける。それを可能にするのが公差という考えという訳だ。
そして、やはりリバーシを真似て作る工房が出現したが、生産コストで競争にならずに撤退していった。
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