第3話 猪
「それでは行きます」
「かかってきなさい」
スティーブは父親であるブライアンに剣の稽古をつけてもらっていた。アーチボルト家は軍家である。跡継ぎであるスティーブにもその役割が期待された。特に魔法使いであるため、軍人としての活躍が期待されやすい。
ただし、現在は測定しか出来ない事になっているので、戦争に呼ばれるかどうかはわからないが。もっとも、10歳になり魔法の才能があると判明する前から、ブライアンによってスティーブは鍛えられていた。
今まではブライアンの足元にも及ばなかったスティーブだが、作業標準書の魔法が使える事がわかってからは、ブライアンと同等の能力を持つこととなった。
スティーブのかかとが大地を蹴り、土埃が後ろに飛ぶ。一気に間合いを詰めて手にした木剣を横薙ぎに一閃。ブライアンはそれを自分の持っている木剣で受け止めた。
そして直ぐに今度は攻撃の動作に入る。上段から振り下ろされた木剣がスティーブに当たろうかという瞬間、スティーブは今度は後ろに飛んでそれを躱した。ブライアンは空を切らされたが、直ぐに前に出てスティーブとの距離を縮めた。
そこからはブライアンの連撃がスティーブに襲い掛かるが、スティーブはそれを全てさばききり、有効打を貰うようなことは無かった。ブライアンとて、単純な攻撃だけをしているわけではなく、途中途中で高度なフェイントを仕掛けているのだが、自分の技術をそっくり使えるスティーブに対しては、そんなフェイントも全て読み切られていたのである。
「こうもフェイントが読まれてしまうとはなあ」
若干父親としての威厳が保てないのではないかと心配して、ブライアンの肩が落ちる。
「僕の技術はそもそもが父上のものですから、父上のフェイントがフェイントであると読むことは可能です。が、教えていただいていないような、新しいフェイントを開発されたらこうはいきません」
「ふむ、新しいフェイントか」
ブライアンは息子にそう言われて少し考えた。しかし、そうそう新しい事が考え付くわけもなく、暫くして考えるのを止めた。
父親との訓練が終わると、スティーブは領地の同年代の子供たちと遊びに出かける。遊びといっても狩りと遊びの間くらいのことであるが。
その子供たちとは男の子のアベルと、女の子のベラだ。二人と一緒に鳥を狩りに行く。アベルはスティーブの二つ上、ベラは一つ上の年齢である。
領主の息子といっても、辺境の小さな騎士爵家となれば、子供たちの間では身分など関係ないし、大人もうるさいことは言わないので、一緒に遊ぶこともあるし、その際の言葉遣いなどもぞんざいであって当然であった。
「スティーブ、今日は俺の方が多く獲るからな」
茶髪の少年アベルがそういう。年齢が二歳離れていることもあって、アベルはスティーブよりも頭一つ大きい。
「私だって負けないから」
と赤毛の少女が対抗する。赤毛の少女ベラはそう言うと手に持っている銃を掲げた。正確には銃の形をしたばねを使った発射装置。クロスボウに近い。元々は領地の防衛力強化のために、スティーブが部品を魔法で作り出してスペツナズナイフのような槍を作ったことが始まり。
ばねで刃を飛ばすだけなので構造的には簡単であり、部品点数も少ない。
槍としても使えて、いざとなれば穂先を射出することも出来る。ただし、ばねの反動が強いために女子供でも使えるように出来ないかということで、ライフル銃のようにストックをつけて、引き金を引くことで発射できるように改良したのである。
安全を考慮してセイフティーもつけられているので、ベラのように掲げたところで暴発するような危険は無い。
三人は食糧事情改善のために、時間を見つけてはこの銃を使って野鳥を獲っていた。そしてそれは今日もである。
場所は村から離れた山のふもと。いつもの狩猟場である。
20メートルほど離れた木の枝に鳩が止まっていた。この世界でも鳩は食べられることが出来、またアーチボルト領ではそこそこご馳走の部類となる。基本的にタンパク質が不足しがちなので、肉自体がごちそうということなのだが。
アベルが早速銃を構えてセイフティーを解除する。照準を合わせて引き金を引くと、銃身から太い釘のような鉄の塊が飛び出した。
「やったぜ!」
見事に鳩の胴体を射抜き、獲物を獲得した少年は喜ぶ。ベラはそんなアベルに苦情を言う。
「大きな声出さないでよ。他の鳥が逃げちゃうじゃない」
「まるで、獲物をしとめられないのは俺のせいみたいな言い方じゃねーか」
「そうだよ」
売り言葉に買い言葉。ベラとアベルの口喧嘩が始まった。スティーブが苦笑いしながら仲裁に入る。
「アベル、早く獲物を拾ってこないと蛇かヤマネコに持って行かれちゃうよ。ベラは次のを狙おうか」
「お、そうだな。早いところ拾ってこないと」
アベルは口喧嘩を止めて、仕留めた鳩を拾いに行った。
それを見てスティーブはベラの方に向く。
「ベラの腕ならいつでも仕留められるから」
「そうかな?」
おだてられた途端にベラは上機嫌となった。それを見てスティーブは心の中でまだまだ子供だなと笑う。
そんな時、背中の方からアベルの叫び声が聞こえた。
「ぎゃああ」
「アベル、どうした?」
スティーブは急いで振り向くと、アベルからの答えを待たずに叫び声の原因を把握した。
「猪か」
この世界には鳩もいるが猪もいる。そして、その凶暴さは日本と変わらない。大人でも体当たりされれば命の危険がある。
そして、その危険な動物はアベルをロックオンしていた。
「アベル!」
ベラはそう叫ぶと、狙いをつけて猪を撃った。弾は猪の右前足付近に命中するが、鳩とは違い致命傷にはならない。元々大型の動物を想定した武器ではないので、猪の筋肉を貫いて命を絶つような威力はないのだ。
その結果、撃たれた猪が怒り狂っただけに終わる。
アメリカ人は22口径の弾丸で人を撃ってはいけないという冗談を言う。その理由は、痛くて相手が本気で怒るからというものだ。22口径はロングライフル弾でもなければ、至近距離でも殺傷能力は低い。そんな状況が今。
「逃げろ!」
スティーブが叫ぶ。
猪は最初に発見したアベルからベラに標的を変更した。距離的に近いアベルが逃げる方向には行かず、スティーブとベラがいる方向に向かって走って来た。
一般的な猪の走る速度は時速50キロ程度。この世界の猪も同じくらいで走る事が出来、子供の足では逃げ切る事は出来ない。その距離は徐々に詰められて来た。
「きゃっ」
走りながら後ろを振り向いたベラが躓いて転ぶ。スティーブはそれを見て慌てて止まった。そしてアベルに大声で指示を出す。
「アベル、大人を呼んできて」
「スティーブは?」
「ベラを助ける」
「わかった、死ぬなよ」
アベルは足にさらに力を込めて速度を上げた。一刻でも早く大人を呼んで戻ってくるつもりで。
「スティーブ、逃げて」
ベラは悲痛な叫びをあげるが、猪の方を向いたスティーブは逃げる素振りを見せない。二人の眼前に猪が迫り、ベラは全てを諦めて泣き出した。
その時である。スティーブと猪の間に畳一畳ほどの鋼の板が突如出現した。
ゴン、とういう鈍い音が聞こえる。猪突猛進という言葉があるが、猪は走っていると急には方向を変えられない。スティーブはその習性を利用して猪を引き付けて、鋼の板に衝突させたのだ。
猪は衝突の衝撃で気を失って地面に倒れる。板を挟んだことで目視では確認できなかったが、スティーブは直ぐに鉄の棒を檻のように出現させた。これで仮に猪が目を覚ましても逃げ出せないようになった。
「初めてだったけど上手くいってよかったよ」
そう言ってスティーブはベラの方を振り向いて笑った。スティーブにしても、ぶっつけ本番で思いついた作戦であった。それが上手くいって安堵。が、ベラの方はそうはいかなかった。
恐怖のあまり失禁したのである。まあ、下着などつけていないので、地面が湿った程度なのでスティーブは気付かなかったが、当の本人は羞恥から顔を真っ赤にしていたのである。
命の危険を助けてもらった事と、失禁を見られたと思った事。この二つの特殊な事態から、ベラの心にはスティーブに対する恋心が目覚めた。
が、本人もスティーブもその事に気づくのはもっと先である。
「スティーブ、凄い。今のは何?」
「魔法なんだけど、あんまり他人に言わないでほしい。これは当家の最高機密だからね」
「わかった」
ベラは素直に頷いた。
今までスティーブの鋼作成の魔法を知っていたのは、本人以外ではブライアンとニックだけ。魔法使いは希少であり、その魔法については戦争の結果を左右するようなこともある。
なので公にはしたくなかったのだが、命の危険があったので今回はやむを得ずベラの目に入る形で使うこととなった。
そして、猪は結局鋼の板にぶつかったことが致命傷となり、二度と動くことは無かった。
二人で倒れた猪を見ながらアベルを待つこと一時間弱。アベルがブライアンらを引き連れて帰って来た。
「大丈夫か?」
ブライアンは外見は何ともない息子とベラを見てそうたずねた。
「大丈夫です。運よく地面から鉄が生えてきて、それが猪を止めてくれました。それで、ベラの放った弾の当たり所が良くて、猪も力尽きたみたいです」
スティーブの適当な言い訳にブライアンは苦笑いを浮かべる。一緒にやって来た従士のコーディや村人は運が良かったなと盛り上がる。一応はスティーブの言い分を信じたかたちだ。なまじ魔法という神の作った奇跡がある世界なので、そういった不思議な事もあるだろうと許容してくれる土壌があった。
また、スティーブとベラを心配していたアベルが寄ってくる。
「生きててよかった」
泣きながらアベルが抱きついてきた。スティーブは嬉しくもあったが、それが恥ずかしくもあった。なので照れ隠しに言う。
「アベル、鳩を仕留めた君よりも、猪を仕留めたベラの勝ちですね」
「次は俺が猪を仕留めてやるからな」
泣いていたアベルは、ベラに負けたと知るや否や泣き止み、次は自分の番だと言い張る。ベラも自分が猪を仕留めたわけではないとわかってはいたが、いつも負けているアベルに勝った事になるならというのと、スティーブとの約束があったので、スティーブが魔法で倒した事実は黙っていた。
息子が無事だったのと、魔法の存在がバレなかったのと、二つのことでホッとしたブライアンは一緒に来た村民に向き直る。
「今日は猪の肉でパーティだな」
その言葉に村人たちは大喜びになる。タンパク質が滅多にとれない村にあって、猪の肉などというのは大変なごちそうである。
ブライアンの指示のもと、猪の血抜き作業がはじまった。スティーブは手出しすることは無かったが、初めて見る血抜き作業を作業標準書の魔法で記録する。
現代日本の子供たちであれば気持ち悪がって逃げていくような作業だが、アベルとベラはニコニコしながらその作業を眺めていた。猪の肉を食べられるという期待もあるし、解体作業ならば鳥で散々やっているので慣れているのだ。
地面から生えてきた鋼は後日回収することにして、一行は猪の肉を村に持ち帰ってみんなで食べた。
そして、後日回収した鋼はまたエマニュエルに買い取ってもらうことになる。約束通り荷車を増やしてエマニュエルが領地にやって来た。
「お約束通り、今回は荷車を三台用意してきました」
荷車を指さして、エッヘンとばかりに胸を張るエマニュエル。彼としても自前ではなく借り物の荷車であり、これでアーチボルト家が売り物の鋼を用意できていなければ荷車と馬、それから人を用意した経費で大赤字となる。逆に、これに積めるほどの鋼があれば大儲けだ。商人としての人生を賭けた大勝負。
それを見たブライアンの表情は弛緩しまくり。
前回同様に納屋へとエマニュエルを案内し、そこに山と積まれた鋼を見せた。
「これはこれは。買い取り価格は前回同様でよろしいでしょうか?」
揉み手でブライアンに訊ねるエマニュエル。ブライアンは首肯した。
そして、前回と違うのはここにスティーブがいることである。そのスティーブがエマニュエルにたずねた。
「新商品を開発したから、サンプル品を他所で売ってきて貰いたいんだけど」
その言葉にエマニュエルの商人としての金儲けセンサーがビンビンに反応した。
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