第2話 産業魔法
魔法の才能があるとわかってからは、領地に戻るとその効果を確認する日々となった。
人口300人、村が二つしかないアーチボルト領ではスパイを心配する必要がなかった。ただ、村民に魔法を見せてはどうなるか、人の口に戸は立てられぬというので、領主の館で父と子の二人でその効果を確認する。
尚、スティーブの家族構成は父親と母親、二人の姉がいる。姉の内一人は既に別の貴族家に嫁いでおり、下の姉がまだ実家にいた。年齢も13歳なのでまだ婚約者もおらず、目下花嫁修業中であった。
名をシェリーという。スティーブと同じ黒目黒髪で、元々は可愛らしい顔立ちであったが、成長と共に母親に似た美人になりそうな予感をさせる顔立ちに変化している。幸いにも上の姉は騎士爵家の長男のところに嫁いだが、下の姉の方はアーチボルト家の窮状につけこみ、金持ちの商人や貴族から側室としての話が来ていた。
親としては政略結婚させるにしても、もう少しましな相手を探してやりたいと思っていたが、借りている金を返す算段がないために、借金のかたとして娘を取られる心配があった。
そこにきて、スティーブに魔法の才能があったのだから、期待するなと云う方が無理である。
そんなブライアンはスティーブの魔法の効果に笑顔となる。
「鉄が作れるのか」
そう、親子の目の前には魔法で作った鉄があった。いや、正確には鋼である。それが山となっていた。実はスティーブの魔力は比類する者がないような膨大なもので、簡単には魔力切れとはならなかったのである。
火属性の魔法使いであれば、何かに着火すればそれが燃えるのに魔力は使わないから、魔力切れとは縁遠いのだが、水属性だったりするとあまり大量に水を作る事が出来ない。それこそ、城を水攻めしようとしたら、それが出来るような魔力を持った魔法使いなど、めったにいないのである。
が、スティーブが水属性であったならば、それが可能なほどに魔力が多かった。
そして、そこにきて鋼作成の魔法である。
「父上、鉄ではなく鋼ですけどね。それでも、この国で広く使われているような鋳鉄と比較すると、炭素量が非常に少なく、上質な鋼として高値で売れることでしょう」
「それでは早速次の行商人が来た時に、これを我が領で生産したということで、売り物として買い取ってもらおうか」
「いえ、それではこの鋼の出処を探られることでしょう。我が領地での薪の消費量も上がっていないのに、突然良質な鋼が出来たとなれば、その入手経路を疑われることになります。それに、高炉のノウハウもありませんし」
とスティーブははやる父親に釘を刺す。
高炉のノウハウなどというものは、一部の貴族と国に独占されている。鉄は国家なりではないが、重要な戦略物資であり、炭素量が少ない上質な鉄ともなれば、それは最重要機密となる。
簡単な高炉であれば作れるかもしれないが、純度の高い鉄を作る事ができる高炉ともなれば、一朝一夕では無理だ。
「それでは、薪を購入するようにするか?」
「購入する資金がないじゃないですか」
「言われてみればその通りだな。ではどうするか」
そう問われてスティーブはこたえた。
「ソーウェル辺境伯から有事の備えとしていただいたことにでもしましょうか。その一部を苦しい領地経営の資金とする為に売りだしたと。相手もまさか閣下に問い合わせるわけにもいかないでしょうから、噓がばれる事もありません。それに、僕の魔法は有事の備えのためこの領地に留めてあるという拡大解釈もできますし」
苦しい言い訳ではあるが、前世で運転資金をなんとかしようとするため、信用金庫との交渉でギリギリ嘘にならないような言い訳を考えていた経験から、このような言い訳を考え付いたわけである。
ばれた時を考えると怖いものがあるが、目先の運転資金を確保せざるを得ない状況では、背に腹は代えられないのである。ただし、金融機関を騙すのは問題があるが。
そんなわけで、目先の支払いの目途はたった。行商人が来てくれたらの話だが。
そして、スティーブは鋼作成の魔法を色々と条件を変えて使ってみる。そこでわかったことのひとつは、鋼と名の付くものであれば、魔法で生み出すことが出来るということ。S45Cだろうが、炭素鋼管だろうが、H鋼やばね鋼や玉鋼やはてはダマスカス鋼まで作る事が出来た。
さらには、鋼の形状も自由である。槍の穂先や鏃は当然として、コイルスプリングなども作り出せる。折角冷間鍛造が可能な材料があっても、工作機械が無い状況では非常に助かるのだ。
それから数日。
アーチボルト家の領地は国境沿いにあり、尚且つ経済的には特に行くべきメリットは無い。それでもソーウェル辺境伯が圧力をかけて、塩などの生活必需品を定期的に販売するようにさせているのだ。
これは何もアーチボルト家だけではなく、各地の小さな貴族家が抱える問題であった。
そんなメリットの無いアーチボルト家との商売をさせられているのが行商人のエマニュエル・グランデであった。盗賊に襲われる可能性もありながら、2月の寒い時期に儲けの出ないアーチボルト家に彼はやって来てため息をついた。
「はあ、今月もここで利益にもならない商売か」
寒い時期に儲けの出ないアーチボルト領にやって来た彼はそう愚痴を言う。何故自分なのかと、指名してきた大手商会の会頭を恨んだ。
その会頭はアーチボルト家の娘であるシェリーを愛人として囲う事を画策しているのだから、自分の商会で行商にくればいいじゃないかと言ってやりたかったのだが、それが言える立場ならばどんなに楽な事だろうか。言うだけなら出来なくもないが、西部地域から締め出しを喰らう事になるだろう。
そんな彼の恨み節はアーチボルト家にも向かう。
「だいたい、支払いが遅れていてこちらの売掛金がどんどん溜まっていくから、仕入れにも影響するんだよなあ。俺だって資金に余裕があるわけじゃないんだから、早いところ支払ってもらいたいぜ」
現金仕入れをしている個人の商店、食堂などというところは売掛を嫌う。カード払いでも同様だ。むしろ、カード払いだと手数料が店負担だったりするので、もっと嫌っていたりもするが。
売掛を嫌う理由が仕入れは現金で先払いなのに、売上が立つのは月末で締めて翌月だったり、翌々月だったりとなるから、運転資金が心もとないところは黒字でも倒産することになるからだ。
このままではエマニュエルがその憂き目にあう可能性が冗談ではなくある。良くて自分の商会をたたんで他人に使われる立場に、最悪は借金奴隷。
寒い中重たいに荷物を運んでそれでは後任も決まらないだろう。
そう考えているうちに、本村の隣にある領主屋敷に到着した。
「グランデ商会です」
挨拶をすると中からブライアンが出てきた。
「おお、待っていたぞ。是非とも見てもらいたいものがあってな」
ブライアンは挨拶もそこそこにエマニュエルを納屋に引っぱっていく。
エマニュエルは何事かと思う。
「これを見てくれ」
そうブライアンに言われて視線を納屋の奥に向けると、そこには鉄の塊が置いてあった。それも上質の。エマニュエルもそこはプロの商売人なので、鉄の質の良し悪しはわかる。
「閣下、これは……」
エマニュエルは視線をブライアンに向けた。
ブライアンは質問にこたえる。
「有事の際にと下賜されたものではあるが、背に腹は代えられないということでな。領地経営が軌道に乗れば買い戻せばよい。どうせここ最近はこの西部も大きな戦争もないから、ならば経営のための資金とするのが有効活用というものであろう」
思いっきり建前である。スティーブという都市鉱山?が発見されたため、というのを拡大解釈した結果がこれだ。そして、そこに本音の部分もあらわれる。
「出来れば西部で売らず、もっと遠くで。例えば王都とかで売りさばいてもらえないだろうか」
「それはどうして?」
「ソーウェル閣下からの預かりものを地元で売りに出してはばつが悪い。なに、その分売り値は運賃を考慮して安くしておくが」
そう言われてエマニュエルは納得した。ならばと足元を見た。
「それではこの鉄を金貨1枚で買い取りましょう」
「想定していたよりも安いが、王都までの運賃を考えたら当然か」
ブライアンはエマニュエルの提示した金額を呑む。相場を考えたら王都での売り値は金貨3枚程度にはなるだろう。カスケード王国での物価は大都市の生活費で1か月銀貨1枚、地方なら銅貨30枚程度だ。
尚、金貨の正式名称はカスケード金貨といい、カスケード王国の国内でのみ流通している。他国とは金の含有量が異なるため、他国で使う際には両替することになるのだ。
金貨と銀貨の交換比率はおおよそ1:20、銀貨と銅貨は1:50となっている。辺境のアーチボルト家から王都まで運搬したとしても、経費が金貨1枚などということはない。それに、西部から王都までの間に大都市がいくつかあり、そこで売りさばくことが出来たなら、エマニュエルの経費はもっと安く済むわけだ。
さらに、
「閣下、この購入代金の金貨1枚から閣下の借入金の返済をいたします」
「うむ、こちらとしてもそのつもりだった」
借金の返済と生活必需品の購入により、エマニュエルから代金を受け取る事は出来なかった。が、借金が減ったのでよしというわけである。なお、村民は基本的に領地の外に出る事はなく、塩などの生活必需品は領主からの配給であり、食事については自給自足であるため貨幣経済というものはない。
取引が終了したところで、帰ろうとするエマニュエルにブライアンが
「次の取引の時も鉄を売りたい。それももっと量を多くな。荷車を増やすことは可能かな?」
と話しかけた。
エマニュエルは次も美味しい話があるのかと内心ほくそ笑む。
「承知しました。他ならぬ閣下の頼み事ですから、人を雇ってお伺いいたしますよ」
こうしてエマニュエルが屋敷から離れていったところで、スティーブがブライアンのところにやってくる。
「うまくいきましたね、父上」
「そうだな。元手がただのものが金貨1枚に化けたわけだ。そして次はもっと多くの量を売れる」
笑顔のブライアンとは対照的に、スティーブの表情は暗い。ブライアンはそのことに気付く。
「どうした、何か不安でもあるのか?」
「はい。ずっと鋼を売り続ければエマニュエルもおかしいと気付くことでしょう。それに、販売先もあまりにも鋼が出回れば、その出処を確認する事になるのではないでしょうか」
対外的にはスティーブの魔法は測定のみとなっている。それが、鉄鉱石や薪を必要としない高炉の代わりとなると知れたならば、どのような影響があるのかはわからなかった。その事が不安だったのである。
そんなスティーブに父親であるブライアンは
「まあ、そうは言ってもまずは目先の生活だ。鋼を売るだけではなく、領内の道具も見直していきたいからな」
と息子に言う。
「そうですね」
スティーブもその意見に頷いた。
アーチボルト家の領地に限らず、カスケード王国の国内、いや大陸全土で鉄が不足しており、軍の武器や防具を優先的に鉄器としているので、農具などは木製のところがかなりある。鍋などは加工技術の未熟さもあって土師器や須恵器のような土器だったりもする。
鍋はさておき、斧や鎌の不足に、木製の鍬ともなれば作業の効率は悪い。それを解決するために鉄製の道具を作成しようという訳だ。
アーチボルト家の領地にはニックという鍛冶師がいる。彼のところにスティーブが行き、その場で鋼を作成して鍛冶の仕事をさせるつもりだ。
なにせ、それならば材料を運ぶ必要はない。
そういうわけで、親子そろってニックの仕事場に足を運んだ。
「これは閣下、それに若様ようこそ」
ニックは二人に挨拶をする。彼はまだ30代という年齢だが、綺麗に禿げた頭のせいで40歳以上にみえるが、槌を振るうためにがっしりとした体型をしており、じっくりとみればやはり30代だとわかる。
鉄が不足していることもあり、基本的にはニックは毎日暇を持て余している。その暇な時間に畑仕事をしたり、山仕事をしたりというわけだ。
「ニック、実は鉄が大量に手に入った。領民に配る道具を作ってほしい」
ブライアンはそう告げた。ニックは目を見張る。
「閣下、冗談言っちゃいけませんぜ。俺だって領地の窮状はわかっているさ。鉄を入手するための金なんてないでしょうに」
遠慮のない言葉にブライアンは一瞬顔をしかめたが、直ぐに平静を装う。
「口外しないでほしいが、実はスティーブに魔法の才能があることがわかってな。その魔法というのが鋼をうみだすものだ」
「鋼をうみだすっっ!!」
ニックは驚きのあまりそれ以上の言葉が出なかった。
「見たほうが早いだろう。スティーブ、ニックに見せてやってくれ」
「はい」
スティーブはすぐさま鋼の塊を10キロほど作り出した。
床からニョキニョキと鋼がタケノコのごとく生えてくる。
「ほ、本当に鋼だ。それもかなり上質にみえるが」
ニックは生えてきた鋼を手に取った。ずっしりとした質感に光沢も均一であり、質の悪いインゴットのようなものとは一線を画していた。
「これを使って作ったものを全家庭に配りたい」
「そりゃあやりますけど、とんでもない時間が掛かりますぜ」
「不純物を取り除く工程は省けると思うんだがな」
ブライアンがそう言うと、ニックはブルブルと首を横に振った。
「そりゃあそうでしょうけど、それだけじゃないですから」
と、そこでスティーブがニックにお願いをする。
「ニック、製作の工程を通して見せてもらえないかな。手伝う事が出来るかもしれないんだけど」
その言葉にニックは気分を害した。この目の前の子供は、鍛冶の仕事が簡単だと思っているのだろうか。それならばとんでもない思い違いだし、俺の技術を何だと思っているんだという気持ちである。
「見せるのは構わねえですが、見ただけで同じように出来るほど簡単じゃねえですよ」
「わかっている。でも、一人よりも二人の方がいいじゃないか」
「出来ないやつがいると余計に遅くなるもんですぜ」
憤慨するニックの気持ちも理解できる。前世でスティーブも金属加工職人のくくりであったわけで、素人にそんなことを言われたら同じように怒ったであろう。
それに、前世では刃物を自分で作った経験などない。が、スティーブにはある目論見があった。
それは彼の魔法リストにあった作業標準書である。ニックの作業を観察して、作業標準書を作る事が出来たならば、スティーブも同じ事が出来るようになるはずなのだ。
作業標準書とは、それを見れば初心者でもベテランと同じ作業が出来るようになるというものである。魔法がそれと同じ効果を発揮するのであれば、直ぐにでもニックと同じ作業が出来るようになるのだ。
「ニック、すまんが一度だけスティーブの我儘に付き合ってくれ」
「閣下がそう言うんじゃ仕方ねえ。一度だけですよ」
ということで、ニックは鎌を作るという自分の作業をスティーブに見せた。スティーブはその作業を見ながら作業標準書の魔法を使って、作業の流れや急所を記録していく。
そして鍛冶の作業標準書が出来上がった。
「今見た作業をやってみたいんだけど。それで、その出来を評価して欲しい」
「そりゃ構わないですが、遠慮はしませんよ」
「勿論。出来が悪いのに褒められて、勘違いする方が後々カッコ悪いですからね」
スティーブはニックから道具を受け取ると、先ほど見た作業を真似し始めたように見えた。実際は作業標準書の魔法が発動し、作業標準書どおりの作業をしているわけだが、ニックとブライアンの目には真似しているようにしか見えない。
そのあまりの再現度合いにニックは驚愕した。
「若様の作業が完璧じゃねえですか。俺は夢でも見てるんですかね。これが現実だっていうんなら、俺の修業が何だったのかって悲しくなりまさぁ」
肩を落として泣きそうな顔でブライアンを見るニック。
ブライアンはそんなニックを慰める。
「いやいや、ニック。これは息子の魔法だろう。見ただけで同じ作業が出来る人間が世の中にどれだけいると思う。これが魔法だとしたら、その基礎となったのはニックの技術なんだから、がっかりするんじゃなくて胸を張るべきことだろう」
「言われてみればそうですね」
ニックはブライアンの言葉で一気に気分が良くなった。そこでスティーブの作業が終わる。
「どうですか?」
出来上がった鎌を見て、ニックは勿論満点の採点をした。
「文句のつけようもねえです。これを貶したら自分の技術を貶しているってことですから」
「よかったです」
とスティーブは言ったが、実はこっそりと測定の魔法を使って仕上がりを比較していた。そして、ニックの作った鎌と寸分違わぬことを最初から知っていたのである。
(この作業標準書の魔法があれば、他人の技能を全て吸収できるのではないか?)
とスティーブは考えた。
が、それを検証する前にニックと一緒に領地の各世帯に配布する道具の製作に取り掛かるのであった。勿論、ブライアンも完成品を運ぶような簡単な仕事を手伝う。
ニックの工房からの帰り道、ブライアンはスティーブにたずねた。
「鎌や鍬だったら、お前の魔法で作ればすぐじゃないのか。何故わざわざニックに仕事を発注したんだ?」
その質問にスティーブはこたえる。
「それも出来ますが、我が領の鍛冶師の仕事を奪う事もないでしょう。万が一ニックが仕事がないからこの領地から出ていくとなってしまっては、他の鍛冶師を探す当てもありませんからね」
スティーブは前世での経営者としての経験から、ニックの仕事を奪う事はよくないと考えていた。仮にニックが領から出ていってしまった場合、スティーブがその代わりにずっと鍛冶仕事をしなければならない。そうなった場合、次期領主としての仕事に支障もでる。
社長が社長業をせずに、現場で工作機械を使って製品を作り続けているようなものだ。
それでは営業に出る事も出来ないし、売掛金の回収も出来ない。また、役所に提出するような書類を書くことも出来ないだろう。
これが大組織であれば、そういった仕事をする人材もいるだろうが、中小零細企業ではそうもいかない。
だからこその、ニックへの発注であった。
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