第26話 幕間⑤

 そんな一件があってから、アタシは素直にデートを楽しめなくなってた。

 あの時、喧嘩の場に徹を連れていく選択肢を迷いなく取ってたことが、あまりにショックだった。

 ただでさえ面倒な女なのに、面倒事まで引っ張ってくるなんて、いくら懐が広い徹でも眉をひそめてもおかしくない案件だ。

 アタシは、嫌われただろうか。

 またうじうじと悩む悪い癖が出てくる。

 そんな、アタシを見かねてか、徹が「ここで待っててくれ」と言うと、キッチンカーの方へと走っていく。

 あれは、たまに見かけるシェイクの美味しそうな店だったはず。

 案の定、徹はシェイクを二つ持って戻ってくる。

 代金は徹が持つと言う。

 断ってはまた徹との喧嘩に繋がりかねないので、今回は甘えることにした。

 シェイクを路肩に設置してある鉄柵に腰掛けながら飲む。

 美味い。思わず笑顔になりながらシェイクを啜る。

「恋」

 その時、ふと徹が話しかけてくる。

「俺はどんなお前でも受け入れる。だから、あまり気にするな」

 そんなことを私の目を見つめながら、突然伝えてくる。

 やっぱりバレてる。徹には隠し事できないな。

 せっかくだし、ちょっと甘えてしまおうと徹に質問攻めする。

「無理矢理キスしても?」

「あ、ああ」

 これに関しては流石に面を食らったみたいで、少しどもったけど受け入れてくれるらしい。

 そっか。まだアタシのこと好きでいてくれるんだ。

 心に確かな充足感を得て、腰掛けていた鉄柵から飛び降りる。

「それなら大丈夫。徹がいてくれれば、アタシは大丈夫」

 本当だ。徹さえいてくれればもう何もいらない。

 なのに、まだ不安が消えてくれない。

 心はまだ重苦しいままだ。

「恋。前からお前と行きたいと思っていた場所があるんだ」

 徹からの提案だ。

 珍しい。大体いつもアテもなくふらふらと出掛けることが多いアタシ達なのに。

「へー。どこ?」

「俺の部屋」

「へー……………………へ?」



 そんなこんなで徹の部屋に通される。

 好きに掛けてくれ、と言われたので所在なさげに部屋に敷いてあったカーペットの上に座る。

 徹が、何か飲むか?と聞いてくれるが、お構いなく、と返して部屋の中を見渡す。

 徹らしい部屋だ。

 きちっとした物の配置、ホコリ一つ無い部屋、あまり物を置かない主義なのか、勉強机の棚の上にも、ベッドの棚の上にも何も置いていない。

 参考書は本棚に収納されている。同じ棚に徹の趣味が垣間見える、少年誌の漫画が全巻揃えて置いてある。

 何より、部屋中に徹の匂いがする。

 そんなことを意識したら、一つ気になることがでてきた。

「えと、ちなみに、どうしていきなり部屋に?」

 いきなり連れてこられた彼氏の部屋だ。そういう展開も、無くは無い。

 妙にお腹の辺りがふわふわしてくるのを感じながら、徹に真意を問う。

「ああ。まぁ、純粋に呼びたかったって言うのもあるし、ここなら大体は邪魔が入らないだろ」

 じ、邪魔?や、やっぱりそういうことを意識してアタシを連れ込んだのか。

 徹は言葉の直後に慌てて訂正する。

「ち、違う。邪魔ってそういう意味じゃなくてだな」

 な、なんだ、違うのか。てっきり今日ここで初めてを散らすのかと思ったけど、早とちりだったみたいだ。

 何だか、少し寂しい。

 徹がトイレに立つと、アタシはすぐ後ろにあったベッドに頭を乗せた。

 そうか。アタシの早とちりか。

 付き合って間も無いのに、そういう関係を強要されても困るはずなのに、不思議なほど嫌な気がしない。

 なんなら求められれば、とも思ってしまう。

 ベッドから感じる徹の匂いが、妙に頭を痺れさせる。

 アタシは誘われるように徹のベッドに潜り込んだ。

 温い。それ以上に匂いが凄い。

 もはや全身を徹に包まれているようで、妙な高揚感すら覚えてしまう。

 まだふわふわするお腹の辺りに手を置く。

 違う。ここじゃない。もっと下の辺りだ。

 手がさらに下がっていく。

 ここは。

「恋?何してるんだ?」

「お、お構いなく」

 そこに触れようとした時、徹が部屋に帰ってくる。

 怪訝そうな声で聞いてくる徹に、さっきの状態がバレるのが恥ずかしくて背を向ける。

 それに対して徹は、何故かベッドに膝をついて、アタシに迫ってくる。

「お前、顔赤いぞ」

 そして突然首筋を触ってくる。

「ひゃっ!?」

 妙に敏感になっている状態なのに、首筋を徹に触られて、妙な声をあげてしまう。

 始まるのか。始まってしまうのか。

 やっぱり、今日なのか。

「普通に熱っぽいな。ちょっと待ってろ」

 そう言うと部屋を後にしようとする徹。

 アタシは目いっぱいの抗議を込めてじろりと睨む。

 二度もその気にさせておいてさっさと部屋から出ていく朴念仁には、これぐらいの抗議は当然させてもらう。

 徹は扉を閉める直前に、アタシの目を見てバツが悪そうにしていた。

 伝わってるとは思えないけど、思わせぶりなのはこれっきりにして欲しい。

 次は、ちゃんとして欲しい。

 一人になった部屋で、壁掛け時計の動く音だけが妙に耳に障る。

 あれ。もしかして本当に体調悪い?

 よく考えたら頭も少し痛い気がする。

 あ、これダメなやつかも。

「大丈夫か?」

 部屋に戻ってきた徹がアタシの体を起こしながら尋ねてくる。

 ダメそうだと伝えると、泊まっていけと徹が打診してくれる。

 流石にそこまで迷惑はかけられないと断ると、いいから、と強引に薬と水を突きつけられる。

 ここは好意に甘えようかな。それぐらいとにかくしんどい。

 薬を飲んでまた徹の布団に包まれる。

 こっちが本命の薬かもしれない。

 ついでに手を握ってくれるよう頼む。

 もしかしたら一連の気弱になっていた原因は、風邪のせいかもしれない。

 だとしたら役得かも。

 普段のアタシならここまで来るのは、何ヶ月も向こうになっていたかもしれないし。

 徹に手を握ってもらって、その暖かさを感じながら、アタシは次第に意識を手放していった。



 これは夢だ。

 立ち止まっているアタシの周りには、沢山の人が歩いている。

 ただ、その中の誰一人としてアタシを見ていない。

 アタシは世界中の誰からも見つからない。

 漠然とした予感だけが胸を去来して、アタシはふと空を見上げた。

 灰色の空。泣き出しそうな鬱屈した色。

 その中で、一つだけ切れ間がある。

 アタシはその切れ間から差し込む光が差す元へと急いだ。

 その先にいる、大事な人を見つけるために。

「徹」

 走って、

「徹」

 走って、

「徹」

 走った。

 光の筋は次第に消えていく。

 鬱屈した色の空は、辺りの色も同じように染め上げている。

 その中で、一人だけ色を持った人がいる。

 徹だ。

 茶色に染めた髪を後ろに流して、てくてくと覇気無く歩いている。

 普通の男の子。

 だけど、アタシには特別な男の子。

 徹は、ふとアタシの方に振り返る。

「徹」

 見つけて欲しい。

 この虚しい世界の中でも、アタシを見つけて、捕まえて欲しい。

 徹は人混みを分けながら、こちらに向かってくる。

「恋」

 徹がアタシに手を伸ばす。

 アタシはその手をすぐに取る。

 そして離れないように強く握る。

 アタシに色を与えてくれるその手を。

 アタシに意味をくれるその手を。



 そこでアタシは夢から醒めた。

 特に何かあったような夢では無いけど、アタシには十分に幸せな夢だった気がする。

 徹はずっと隣でアタシの寝顔を見ていたようで、嬉しそうに頬を綻ばせていた。

 こんなのでいいなんて安上がりだ。

 だけど、あまり見られたい顔じゃない気がする。

 それから徹は風呂を勧めてくれた。

 確かに寝汗で随分ひどいことになってるけど、おそらくお風呂は一階、そして一階には忙しなく動く気配がある。

 たぶんお義母さんだ。

 徹は、お義母さんが「徹と友達は釣り合わない」としきりに言うという。

 ほう。アタシが徹に釣り合わないんじゃなくて、徹がアタシに釣り合わない、と。

 これは、分かってもらわないといけないかな。

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