第23話 宣誓
「やめろっ!やめろってっ!」
恋が俺越しにその警棒らしきものを止めようとしていたが、俺が覆いかぶさってるせいで体が起こせない。
リーチが不足しているそのせいで、恋の手は空を切る。
ひとしきり殴り付けて
俺はその一瞬にヤンキー男1にタックルをした。
「てめぇっ!」
不意打ちしたせいか、二人で
「ぜってぇ殺す!お前はぜってぇ殺す!」
相変わらずの語彙力だ。
どこか冷静な頭でその拳を受けながら、ふと恋の方を見る。
その瞬間、視界が真っ赤に染まった。
恋は複数人に押さえつけられ、あの時のヤンキー男2が恋に馬乗りになっている。
ヤンキー男2はあの時のような下卑た笑いで、恋を見下ろしながら、恋の服を捲りあげていた。
おい、それはやめろ。
ヤンキー男1の拳を受けながら真っ赤に染まった視界でそれを眺める。
俺は、どうすればいい。
あの日の誓いを破れというのか。
同じことを繰り返すことになっても。
また、人を。
とてつもないトラウマの衝動が脳の基幹を縛り付ける。
目の前で恋が襲われている。
その光景が少しずつ進行している。
ヤンキー男2は恋の体をまさぐりながら、片手で自らのズボンに手をかけている。
あれは。
そう。
そういうことだ。
それは。
ダメだ。
直後、俺はヤンキー男1の顔面を、全力で殴り付けた。
予想外の反撃だったのか、ヤンキー男1が仰け反る。
その隙に上体を起こすと、俺に馬乗りになっていたヤンキー男1の顔面を鷲掴んで、後頭部をそのままアスファルトに押し付ける。
手の平にヤンキー男1の鼻が潰れる感触がするが、知ったことではない。
そのまま立ち上がり、恋に群がる男達の元へ向かう。
異変に気付いた男達が俺に向かってくる。
視界に映る人数は全部で六人。
一人はまだ恋に夢中になってるが、すぐに楽にしてやる。
コンクリートの坂からまっすぐ向かってくる男二人の内、俺に僅かに近かった方の男の側へ寄ると、その男の顔側面を掴んで、もう一人の男の顔面にぶつける。
ごつっと歪な衝突音が耳に入り込むが、その隙に一人の男に背後から組みつかれる。
おそらく血まみれになってるであろう、俺の後頭部でそいつの顔面を潰し、そのまま全力で突き蹴りを当てると、肋骨がひしゃげる音と共に男は冬の川へと転がり落ちる。
直後に奇声をあげながら二人で同時に攻め込んでくる男を視認すると、落ちてた警棒らしきものを拾い上げて、片方に投げつける。
警棒が激突した男が悶えている間に、突っ込んできたもう一人の男が、俺の懐に入り込んで俺の腹に何かを突き立てる。
腹が熱くなったこと以外は何が起きたかよくわからないので、とりあえず男の腹に膝蹴りを入れて、頭を下げさせると、頚椎を脇で挟んで締め、意識を飛ばさせる。
坂の途中で顔面をぶつけ合った男の片割れが、こちらを睨んできていたので、全力で脚をしならせてその顔を蹴り潰す。
そんなことをしていたら、恋に夢中になっていたヤンキー男2が、逃げ出そうとしていたのが真っ赤な視界に映る。
「逃げるな」
掠れた声が腹から零れ落ちる。
だがヤンキー男2の足は止まらない。
俺は一瞬で距離を詰めて、ヤンキー男2の髪を引っ掴んだ。
ヤンキー男2が何かを言っている。
よくわからないので掴んだ髪をそのままコンクリートの床に叩きつける。
真っ赤な何かが頭から噴出するが、よくわからないのでもう一回叩きつけようと持ち上げる。
その時、
「や、やめて!」
ハスキーな女性の声が頭を貫く。
その瞬間、視界が色を取り戻す。
辺りは悲惨なことになっていた。
男六人が血まみれで橋の下に転がり、一人が川で寒中水泳している。
よく見たらあの日、カツアゲをしていた男子学生たちだ。
つまりそいつらと、俺を袋叩きにして恋に成敗されたヤンキー男1と2が報復に来た、ということか。
「っ恋!」
そんなことどうでもいい。
俺は恋の方を見る。
男達に掴まれて所々赤くなった腕が痛々しく映る。
強引に捲られていた服は直したのだろう。襲われる前の状態に回復していた。
一応、見た目上は無事だ。
「恋、怪我は」
「そんなのどうでもいい!」
恋は血相を変え、俺の元に駆け寄ると俺の腹を凝視した。
そういえばさっきから腹が熱い。
俺は自分の腹を見る。
そこには小さなナイフが俺の腹から生えていた。
いや、違う。
小さなナイフが、俺の腹に突き立っていたのだ。
それからはよく覚えていない。
恋が救急車を呼んで、すぐに来た救急車で俺も恋も男達も病院に搬送された所で、俺は意識を失った。
それから気付いた時には病院の天井を見上げていた。
頭と腹に包帯。あと点滴が俺の腕に注入されていた。
「腹空いたな」
今何時なんだろ。少なくとも病室に陽の光が差しているから、夜ではないことは分かる。
時計を探そうと辺りを見渡した時、その人影に気付いた。
「恋」
恋が俺のベッドに横から突っ伏して寝ている。
泣き腫らした目が愛おしく映るが、同時にあの時のことが思い浮かぶ。
俺がしっかりしていれば、恋があんな目に遭うことは無かった。
恋と溶けあいたくて周囲に全く意識を飛ばせてなかった。
それで恋の誰にも触れさせてなかったであろう所を、ヤンキー男2に触らせてしまった。
そう考えたらまた視界が赤くなりかける。
いや、それは自分のせいだ。
少なくとも俺が覆いかぶさっていなければ、恋が応戦して戦況はもう少し改善できていたかもしれない。
だがそれだと、すぐに俺の宣誓が破られず、もっと酷い目に遭った上で宣誓が破られた可能性がある。
俺は昔、親父から受けた修行の一環で行った試合で、人間を死にいたらしめたことがある。
文字通り、死合いになってしまったわけだ。
それは偶発的なものだったが、それを機に俺は戦うことを放棄した。
俺が戦わなければ俺のせいで、誰かが死ぬことはない。
それはとても素晴らしいことだと思った。
人は生きてこそだと。
奪われた命は戻らないと。
だから俺はどんな状況でも俺から手を出すのことはしなかった。
それが、正しいことだと。
人に恥じないことだと。
殺人鬼が人に戻るための贖罪だと。
そう思っていたから。
だが、その宣誓はあの事態をもって破られてしまった。
俺はどうすればいいだろう。
宣誓を破ってしまった今、ただの暴力の化身だ。
これからも誰かを傷付け、もしかしたら殺害してしまうかもしれない。
俺のせいで、不幸になるかもしれない。
俺はふと思う。
今まで恋が依存してきたという考えは、その実、俺が恋に依存していたんじゃないんだろうか、と。
恋に必要とされることで、まるで救いを行っていたような気になっていたのではないかと。
恋に向ける愛おしいこの気持ちは、俺の汚い願望の免罪符になっていたのではないか、と。
もう、全てが許されない気がした。
俺の行ってきたことも、俺の吐いてきた言葉も、全てが意味の無いことに思えてきた。
俺は、ただの人殺しだ。
寝ている恋に気付かれないようにベッドから抜け出す。
点滴のカートを引いて、エレベーターに乗る。
行先は屋上だ。
幕引きにはちょうどいい機会だったのかもしれない。
いや、あんな目に遭わせてしまった恋のことを思えば、そんな風に考えるのはダメだ。
エレベーターの扉が開く。
目の前にあった扉を開くと、風が入り込んで眼前に屋上が広がる。
「フェンス、か」
残念ながら屋上には、背の高いフェンスが辺りに張り巡らされている。
どうやら幕引きはお預けらしい。
俺は屋上にあったベンチに座って空を見上げる。
雲一つ無い憎らしいほどに青い空が広がり、俺の鬱屈した心とは真逆の大快晴だった。
「死にたいな」
あそこでヤンキー男1に殴られて死んでおけば、と思ったがそれは恋が酷い目に遭っていたのでもっと過去の、人を殺めた時に死んでおけば良かったと思う。
そんな時、屋上の入口の戸が大きな音を立てて開いた。
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