第19話 夕餉

「皿って切れるんだな」

 最近は生傷が多いな、と思いながら皿でできた切り傷を、恋に消毒してもらう。

 恋はしきりに感動しながら、額の切り傷を丁寧に消毒してくれる。

 なんで俺の知人女性ってこんなに戦闘力高い人ばかりなんだ。

 母さんは結局、浮かれて恋にあれこれを聞いて、恋は答えられそうな質問だけ答えて、センシティブな話題に関しては笑って誤魔化すスタイルで切り抜けた。

「あらやだ、もうこんな時間。恋ちゃんもご飯食べていきなさい」

 と、半ば無理矢理に我が家の食卓につくことになり、恋も一応の連絡を自分の家族に入れたところ、椿家の方でも許可が下りたので、ご相伴に預かります、とのこと。

 ちなみにその後、恋は我が家の風呂に浸かって、風邪の時にかいた汗を洗い落としてさっぱりしてもらった。

 彼女から薫るシャンプーの匂いが、俺が普段使っているものと同じはずなのに、より良い匂いがするのはなんでだろうな。

「恋ちゃん、アレルギーとかあるかしら」

「無いです。嫌いなものも特には」

「あらあら。恋ちゃん察しがいいのね。聞こうと思ってたこと、先に言われちゃったわ」

 母さんはしきり恋を褒める。

 その度に恋は、小さくなって照れるのを繰り返している。

「徹は旦那に似て朴念仁だから、恋ちゃんに迷惑かけてないかしら」

 この四十路っ、余計なことを。

「確かに朴念仁ですけど、アタシのことは、よく見てくれてる、ので…」

 恋はこれ以上無いぐらい小さくなりながら、顔を真っ赤にしてそう返してくれる。

 ありがとう母さん。母の日は今度から毎年ちゃんと肩たたき券をあげよう。

 母さんは母さんで、「あらあら、惚気られちゃったわ〜」なんて言いながら、包丁の捌きのスピード感が増していく。

 人の恋人をダシにして楽しむのやめてもらっていいですかお母様。

 ちなみに恋は料理ができるとのことで、夕飯作りに助力を申し出たが、今回は母さんが「恋ちゃんは座ってていいのよ。そこのダメ男の怪我でも笑っててあげて」と息子を矢面に立たせて断ったため、リビングのソファで俺とまったり座っている最中だ。

 流石に家族の目線があるところでは、あからさまなイチャつきはできない。

 仕方ないのでテレビを、つけてぼんやりと二人で眺めている。

 が、恋がちらちらとこちらを見てくる。

「どうした?」

「い、いや、なんでも」

 そして一時的にテレビを眺めて、またちらちらとこちらを見てくる。

 なんだ。鼻毛が出てるとかか。だとしたら指摘しにくいよな。

「鼻毛、出てるか?」

「いや、出てないよ」

「そうか」

「アンタ、もう少し華のある会話をしなさいな」

 キッチンからダメ出しが入る。

 鼻のある会話はしたんだが。

 だが恋は嬉しそうにくすくすと笑っている。

 恋がこちらを見ていた理由はよく分からないが、楽しそうならまぁいいや。

 そうこうしているうちに母さんから声がかかる。

「ご飯できたわよ〜」

 つまりは手伝え、ということだ。

 パブロフの犬のように訓練された俺は、キッチンへ向かうと箸や取り皿をまとめて、テーブルへと並べていく。

 そう言えば今日の飯はなんだろうか。

 ちらりと間もなくやってくる主役たちに視線をやる。

「なっ」

 黄色い。そいつらはあまりに黄色かった。

 恋も俺と同じ学年なんだから同い年。多少の油物は好んで食べるだろう。

 だが、いくら摂生しているとは言え、これはあまりにも危険ではないだろうか。

 唐揚げ、コロッケ、ポテトフライ…野菜なんて小鉢に盛られたレタスときゅうりとトマトのサラダしかないぞ。

 どうする。あれを恋に食べさせるのか。

 俺の実家に来て、母さんの手料理を食べさせられる恋に、断れる術があるというのか。いや、無い。(反語)

 俺にしか恋は、守れない。

 ひとまず黄色いカロリーボム共をテーブルに設置する。

 恋の顔が硬直したのを横目で確認する。

(恋。こいつらは任せろ)

 母さんに聞こえないようにそっと恋に耳打ちする。

(でも、ご厚意だし)

(厚意だろうがなんだろうが嫌なものは嫌だろ)

 母さんの自己満足に態々わざわざ付き合ってやる必要性は無い。

(大丈夫だ。健全な男子学生の胃袋、見せつけてやるさ)

 俺だってまだ油物に胃がやられるような歳じゃない。

 亜空間胃袋。見せてやるよ。

「あ、恋ちゃん。煮物とか好きかしら?」

「は、はい!」

 意気込んだところで、母さんから予想だにしない追加情報が投入される。

 それ、先に言えなかった?

 彼氏のかっこいいところを見せつけるつもりが、よく出来た母のフォローによってシーンが消失する。

 え。じゃあこのカロリーボムはどうするんだ?

「徹。作りすぎたけどいけるわよね」

 にっこりと笑いながら母さんが有無を言わせない、無意識の殺意を振りまく。

 はぁ、母さんの天然には困ったもんだ。

「親父、唐揚げ好きだったよな。半分ぐらいは残してやろう」

 ここにいない親父も一緒に死んでもらう。

 親父。先に逝ってるぞ。



 激戦を切り抜けた俺はソファで天井を見上げていた。

 やばいって。なんか途中から油を直飲みしてるみたいな感覚になってきて、口の中がオイリーワールドに導かれてた。

 これを親父も経験すると思うと少し同情する。

 けれど日持ちはしないし、食べきらなくては作ってくれた母さんにも、調理された食材達にも申し訳が立たなかろう。

 まぁ、親父は母さんが作ったものなら吐いてでも食べるだろう。たぶん。

 ちなみに母さんが料理を作りすぎるなんてことは稀で、きっと今日は舞い上がっていたんだろう。

 油物三種類なんて絶対にやらない人だから、それがさらなる確信を呼ぶ。

「大変だったね、徹」

 恋が苦笑しながら俺を労う。

 母さんは今、台所で洗い物と食後のお茶を用意してくれているので、俺達からは少し離れた位置にいる。

「しばらく油物はいいかな」

「あは。少ししか手伝えなくてごめんな」

 恋はソファの端に座りながら、横で寝転んでいる俺の頭を撫でてくれる。

 大変に気持ちが良い。頭を撫でるのは男である俺の行動では、と思っていたが撫でられるのも悪くない。

 それが愛しい彼女の手によるものだとなれば、なおさらの事だろう。

 これがあの激戦における褒賞なら、頑張って油の山を飲み込んだ甲斐があるというもの。

 これが待っているのならまた母さんの手元が狂うのも待ち遠しくなる。

「お茶入ったわよー」

「あ、ありがとうございます!」

 母さんの声が聞こえると、すぐに恋は立ち上がりテーブルへの移動していく。

 母さんめ、余計なことを。

 しかし、イチャついてるのを親に見られているというのも嫌なので、声をかけてくれたことには素直に感謝しよう。

 それから3人でお茶をして、すぐに恋は帰宅する旨を申し出た。

「今日はありがとうございました。その、色々と」

「いいのよ恋ちゃん。またいつでも遊びに来てね」

 律儀にお辞儀しながら今日の色々を謝辞にして述べる恋に対し、母さんは別れを惜しむように再会を願ってそれに応えた。

「次はお父さんにも会って欲しいわ」

「そ、そうですね。お義父様にもご挨拶しないとですね」

「あら、そんな身構えなくても大丈夫よ。恋ちゃんを『私の娘よ!』って紹介したいだけだから」

「そこは俺の彼女じゃないのか」

「あら、ヤキモチかしら。男のジェラシーは見苦しいわよ」

 いい歳こいてジェラシーとか言うな。素直に嫉妬と言え。

「それじゃ恋を送ってくよ」

「え、いや、だいじょ」

「そうね。アンタの命に代えても守ってあげなさい」

「わかってる」

 そんな当たり前のことを今更言われても。

 帰り支度を整えた恋を先に外に行かせ、俺は続いて家を出る。

「それじゃあね、恋ちゃん」

「はい。ご飯、美味しかったです」

「母さん、それ以上は長くなるから」

「はいはい。また会えるの、楽しみにしてるわ」

 母さんのその言葉を最後に、恋はお辞儀をして門を出る。

「んじゃ行ってくる」

「気を付けて行きなさい」

 俺にも優しく見送りの言葉をかけてくれる母さん。

 普段は何かと辛辣でも、その実はやはり優しい母さんなのだ。

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