第18話 綺麗

 部屋が静まり返る。

 母さんはまさしく鳩が豆鉄砲を食らった様な、と言うに相応しいほどに表情を固めて、目だけで俺と恋を交互に見ている。

「改めまして、椿つばき れんです。徹くんと最近、お付き合いさせてもらうことになりました」

 俺含め、三人とも立ち上がっている状態なので、恋は深々と頭を下げる。

 おそらく座っていたら三指をついていたんじゃないかってぐらいの、美しい礼だった。

「そ、そんな。頭を上げてちょうだい」

 それを見てふと我に返った母さんは、恋に顔を上げるように言う。

 恋は顔を上げると穏やかな笑顔を浮かべて、話を続ける。

「さしあたって、いくつかお話させていただきたいことがあるのですが」

「そ、そうなの。それならお茶を飲みながら聞いてもいいかしら」

 あくまで自分がお茶を飲みたいスタンスを取りながら、相手にもお茶を振舞おうと誘導する母さん。

 会話慣れした主婦の力量たるも、流石の話術だ。

 今のところは恋の優勢だろうか。

 母さんは恋の色々に気圧されてるし、俺の彼女という虎の子砲をぶっ放されて、頭の整理が追いつかないだろうしで、てんやわんやだろう。

「アンタも手伝いなさい」

「お、おう」

 冷静に分析してたら突然、火の粉をぶつけられた。

 リビングにあるテーブルに恋を座らせて、俺は区切られたキッチンスペースに入り、母さんの手伝いをする、フリをさせられる。

(アンタ、さっき友達って言ってたじゃない!)

(すまん。そう言わないと卒倒するか、恋の家に土下座しに行くことになるかと思って)

 息子と母のアイコンタクト会議開始だ。

(当たり前でしょ!あんな綺麗な子、タダで手に入れられるわけないでしょ!)

 等価交換の法則を遵守しようとする母さんは、きっと前世は錬金術師だったのかもしれない。

(タダて)

(アンタ、まだあの子とのことで隠してること無いでしょうね)

(無い。本当に無い)

 本当の本当にはあるけど、本当には無い。そういうことにしてる。

 てか言えないだろ。出会って一ヶ月もしないでバチクソにイチャついてますなんて。

(まったく…これからどんな話が出てくるか気が気じゃないわ)

 たぶんこの母さんなら大丈夫だと思う。

 俺には恋がどんな話をするのか、想像がついている。

 おそらくは恋自身の話だ。

 全てをさらけ出して誠実に生きる。

 彼女は信を置いた相手に、そういう生き方をしている。

 そして、母さんもまた誠実な人間に対して、嫌味なことは言わないし、よほど道を外れていなければ叱責することは無いだろう。

 二人とも清廉された人間なんだ。

 お茶の準備も整って、リビングに戻る俺。

 母さんは皿にいくつかの菓子を盛って、お茶請けにそれを置いてくれた。

「粗茶ですが」

「アンタが淹れたわけじゃないでしょ」

「ふふ、ありがたく頂戴します」

 恋は輝きを放つ笑顔で茶を受け取る。

 俺の彼女、綺麗だな。

 たぶん対面に座る母さんもそう思ってる。顔に「あら、この子やっぱ綺麗」って書いてある。

「そ、それでお話ってなにかしら」

 気を取り直して本題を促す母さん。

「アタシについて、少しお話させてください」

 恋は真面目な顔でそう切り出した。

 母さんの表情は変わらず朗らかだ。

「アタシは左耳にピアス穴を開けてるような人間です」

 いきなりの偏見だが、そういった印象を相手に与えるのは、致し方ないことだと思う。

 自分の本質はどうあれ、一定の行動にはある程度、他人にどう思われるかが決まっている。

 それが恋にとって、ピアスが一番見た目の上でも分かりやすく、相手に伝わりやすいものだった。

「お義母様は『綺麗だ』とアタシを評価していただいたと徹君から聞いてます。だけど、本当はそうでは無いのです」

 恋は清廉な人間だ。だからこそ、自分の良くないところを予め、深い仲になりたい人間に伝える。

 全ての悪い点から自分を評価してくれ、と。

「アタシは喧嘩に明け暮れていた時期があります。今でもたまに」

 彼女の顔が少しかげる。

 今日のことを思い出したのだろうか。

「粗暴で、自分勝手な人間です。だけど、」

 恋は母さんから見えないところで、横に座る俺の手を握る。

 震えている。

 それはそうだろう。

 彼女は清廉であるが故に、自らの要求を口にすることを本来は恥だと思う。

 自分のような人間が、相手に何を要求できるというのか。

 そんな思いを彼女の中に垣間見ることがある。

 それを感じさせないほどの仲になれた自分は、彼女の救いになれているだろうか。

「アタシは徹君のことが好きになってしまいました」

 なれていると、信じたい。

「大事な子どものそばにいる人間が、こんな粗野な野蛮人なのは気が気ではないと思います」

 こんなにも孤独に慣れてしまった人の救いに。

「それでも、アタシを、徹君のそばにいることを、許していただけませんでしょうか」

 恋は再度、お辞儀をする。

 テーブルに額をつけて、深々と。

「いいわよ」

 それに反して、母さんの答えは物凄い早さで返ってきた。

 お話聞いてました?貴方。

「私が貴方を…貴方は少し重たいわね。恋ちゃんって呼んでいいかしら?」

「は、はい」

 顔を上げていた恋も面を食らったかのように、黒い瞳をぱちくりと瞬かせている。

「恋ちゃんを『綺麗だ』って言ったという話だけど、それは今も変わってないわ」

 母さんは相変わらず朗らかな表情をしている。

「人間ってね、悪い部分を隠そうとするのよ」

 そこの愚息なんて酷いものよ。なんて付け足しながら小さく微笑む。

 ぐそく、きずつく。

「恋ちゃんはほぼ初対面の、しかも好きな人の親に対してそれをさらけ出した。それは汚い人間にはできないのよ」

 母さんの人生にそれは体験した事実なのかもしれない。

 妙な含蓄が、初老の母に感じられる。

「だから恋ちゃん、貴方はやっぱり綺麗なのよ。そこは胸を張って欲しいわ」

 母は偉大だ。

 誰かが言った言葉が頭の中によぎる。

 この人はいつもふざけているけれど、それは他人を思っての優しさから来るものなのかもしれない。

「愚息を、よろしくお願いします」

 俺のことは悪意を持って愚息って言うけど。

「不束者ですが、こちらこそよろしく、お願いします」

 気付けば恋も目に涙を溜めていた。

 彼女は最近まで噂によってはずかしめられ、理人の話では中学時代からずっととのことだ。

 そんな彼女をしっかり見据え、正しい評価をしてくれる人間に会えたことは、まさに感涙にむせび泣く事態だったと言えるのだろう。

 かく言う俺も、そうして恋と関係を繋ぎ止められたようなものだ。

 彼女はもっと、正しい評価を受けるべきだ。

 彼女はもっと、愛されるべき存在なのだ。

 そんな思いを馳せながら、俺は恋の横顔をそっと見守っていた。

「ちょっとアンタ」

「お、おう」

 唐突に母さんから声をかけられる。

 なんだ、嫌に高圧的だぞ。

「アンタから一言も無いの?」

 言われて気付く。

 確かに彼女に全て喋らせて、俺が何も言わないのは違うな。

 ふむ、そうだな。

「母さんに彼女はやらんぞ」

 これでまさか皿が飛んでくるとは思わないじゃないか。

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