第16話 風邪
「ぷはー。んまーい」
道路に沿って植えられた鉄製の柵に腰掛けて、恋はキッチンカーで買ったシェイクに舌鼓を打っていた。
あの後、すぐにその場から立ち去って、また街の散策をしていたが、恋の顔があまりに浮かない顔をしていたので、俺は強引に柵の場所で留まらせて、キッチンカーでシェイクを二つ買って恋に一つ押し付けたのだった。
恋は一瞬戸惑ったが、礼を述べながら片方のシェイクを受け取って、今に至る。
「恋」
「うん?」
今はシェイクによって表情を戻しているが、散策に戻ったらまた曇ってしまいそうな気がして、それだけは何とか避けたい。
「俺はどんなお前でも受け入れる。だから、あまり気にするな」
上手く伝わるだろうか。ちゃんと恋の不安に寄り添えてるだろうか。
塩梅がよく分からなくて、抽象的な物言いになってしまった。
恋はシェイクをずずずと飲み干すと、小さく息を吐く。
「アタシのこと、好き?」
唐突な言葉だったが、俺は首肯して答える。
「ああ」
「さっきの姿見せても?」
「ああ」
「喧嘩に巻き込んでも?」
「ああ」
「無理矢理キスしても?」
「あ、ああ」
「なんで今の一瞬止まった?」
「恥ずかしくて、つい」
「あは、そっか」
満足そうに呟いて恋は、柵からぴょんと降りる。
「それなら大丈夫。徹がいてくれれば、アタシは大丈夫」
その顔には晴れやかな表情が浮かんでいた。
無理をしている様子は無い。
「前にも言ったが、俺はお前から離れられない」
だが、どこか違和感を感じて、俺はもう少し恋を安心させたくなった。
「お前が捨てようと思っても、だ」
「そう、そうだったね。忘れてないよ」
どうしてだろう。気のせいだろう。気のせいだと思っている。
だがどうしても感じる違和感が、俺には怖かった。
まるで、突然消えてしまいそうな、そんな儚さが恋にはあった。
「恋。前からお前と行きたいと思っていた場所があるんだ」
だから、今まで伏せていた提案をする。
「へー。どこ?」
「俺の部屋」
「へー……………………へ?」
お前をどこにも行かせない。
「お、お邪魔します」
恋を自室に招き入れる。
一応、掃除は前の日曜日にやっといたから、そんなに埃とかも無いと思う。
「親、仕事でどっちもいないから」
「へ!?う、うん!?」
親父は基本的に家に帰って来ないし、母さんは、まぁ、帰ってくるまで一、二時間はあるだろう。
「なんか飲むか?」
「お、お構いなく」
さっきシェイク飲んだし、今飲んでも腹がきつくなるだけだよな。
俺は部屋のドアを閉じて、勉強机の椅子に座る。
恋は部屋の中央に敷いたカーペットの上で、所在無さげにあちらこちらを見渡している。
「ここが、徹の部屋」
「面白いもんなんか無いけどな」
「そんなことない。アンタが普段からどんな生活してるか知れるんだ」
もうそれだけで面白いよ、と恋は忙しく目線をあちこちに向けて言う。
普段から生活、って言ってもゲームしたり漫画読んだりスマホいじったりしてるだけだけどな。
案外、みんなそんなもんだと思う。
「えと、ちなみに、どうしていきなり部屋に?」
小さくなっている恋が、もじもじとしながら聞いてくる。
「ああ。まぁ、純粋に呼びたかったって言うのもあるし、ここなら大体は邪魔が入らないだろ」
あれだけ人がいると言いたいことも言えないし、ここなら色んなしがらみが無い。
何より、今回みたいな事件に巻き込まれることも無い。
「へ、へぇ。そ、そっかぁ」
恋は顔を真っ赤にして俯く。
あれ。言葉選び間違えたか。
呼びたかったのは本心だし、邪魔が入るのは。
邪魔ってなんだよ、俺。
「ち、違う。邪魔ってそういう意味じゃなくてだな」
「あ、あぁ。わかってるよ」
急いで訂正すると、恋は少し安心したように息を吐いたが、同時に何とも言えない表情を浮かべる。変わらず顔は赤いが。
「ごめん、ちょっと手洗いに行ってくる」
「あぁ。行ってらっしゃい」
俺は部屋を出ると二階に備わっているトイレで用を足す。
落ち着け。この事態を予測してたから、今まで恋を家に上げなかったんだろ。
まさか、自分がそういう雰囲気に持っていく火種になるとは思ってなかったけど。
用を足し終え、綺麗に手を洗ってから部屋に戻る。
「恋?何してるんだ?」
そこには俺のベッドに横たわる恋の姿があった。
「お、お構いなく」
「いや、構うだろ」
恋はごろっと転がると俺に背中を向ける。
さっきまで部屋の中央に座ってたのに、なぜに唐突に俺のベッドに入り込んでいるのか。
「うん?恋」
「な、なんだ」
ふと気になったことがあって、ベッドに片膝を乗せる。
「ち、ちょっと待っ」
「お前、顔赤いぞ」
恋の首に手を当てる。
「ひゃっ!?」
「普通に熱っぽいな。ちょっと待ってろ」
ベッドから降りて別室にある体温計を取りに行く。
部屋を出る時にちらりと恋の方に目線を向けたが、恋は恨めしそうにこちらを見ていた。
なぜだ。心配することすらも嫌がられるというのか。
恋の複雑な乙女心を気にしながらも、目的を果たしに階段を下りる。
「ただいまー、あれ?誰か来てるの?」
その時、ちょうど母さんが帰宅してくる。
「おかえり母さん。今、恋……友達が来てる」
「そうなの。それじゃ後でお菓子持ってくわ」
「いや、帰りに少し食ったからいいよ。それより体温計無いか」
「体温計?アンタ熱あるの?」
「恋……友達がな」
「そう。確か薬箱にあったわね」
と、薬箱の入っている棚を開けて、薬箱を降ろす母さん。
直後に、母さんの動きが止まる。
「アンタ。まさか、さっきから言ってる友達って」
今日は妙に勘がいいな。いつもは脳内お花畑なのに。
いや、さっき恋のローファーを見られたからか。
なら隠しても無駄だな。
「ああ。この前来た女の子だ」
それを聞いた母さんは突如オロオロと慌てふためく。
「ちょ、ちょっと、嘘でしょ。え、アンタ変なことしてないでしょうね!?」
変なことて。
「してないよ。するわけないだろ」
どちらかと言えばされてるサイドだから、嘘ではない。
「そ、そうよね。あんな可愛い子を傷物にしたらアンタの指、全部差し出しても足りないしね」
もし一線を越えたとしても、絶対にバレないようにしようと心に誓う。でないと、日常生活に支障が出る体にされてしまう。
母さんから体温計とついでに、風邪薬と水の入ったコップをもらうと部屋に戻る。
部屋では恋が俺の布団にくるまりながら、小さく呼吸していた。
見るからにさっきよりしんどそうだ。
「大丈夫か?」
「ううん…ホントに調子悪いみたいだね…」
まさか、本当に風邪を引いていたとは。
恋の体を起こすと、風邪薬と水の入ったコップを渡す。
「とりあえず飲んで寝ろ。酷いようなら今日は泊まっていけ」
「わ、悪いよ。大丈夫だから」
「大丈夫って、さっきと言ってること違うぞ。いいからそれ飲んで寝とけ」
「う、うん。ありがとう」
恋は錠剤を口に放り込み、水で流し込む。
それからまた横になると、鼻まで布団を被る。
「えへへ。徹の匂いで元気になりそうだよ」
「そんなのでも効いてくれるならありがたいな」
愛らしいことを言ってくれる恋だが、いつもより赤い顔が見るからに辛そうで心配になる。
「そうだ。親御さんに連絡しといた方がいいか?」
「いや、アタシの親も帰ってくるの遅いから、連絡するなら起きた後でいいかも」
「そうか。ならゆっくり休め」
「そうさせてもらうよ」
そう言うと恋は布団から手だけ出す。
「手、握っててくれるよな?」
酷すぎるというほど体調が悪そうには見えないが、それでも心細くなっているのだろう。
「ああ」
白い指に俺の無骨な指を絡める。
恋はとろんとした目を少しずつ閉じて、やがて小さく寝息を立て始めた。
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