第15話 嫉妬

 妹の真奈さんが気になるかどうかを、物凄い睨みを利かせて聞いてくる恋。

「違う。落ち着け。そういう意味で聞いてるんじゃない」

 恋に対する心理的解像度が高い俺には、察するに余りある事態だった。

 こいつ、俺が妹さんに気があると思ってる。

「恋の肉親だぞ。そりゃ良く思われたいだろ」

「ふーん」

 俺の弁明を聞いてもじっとりとした目線を向けて、栄養補給スナックを口に放り込んでザクザクと咀嚼する恋。

「恋、信じろ」

「うーん、信じろと言われてもなー」

 パイプ椅子でカタカタと音を鳴らして遊びながら、視線を落とす恋。

「やっぱりー、言葉よりー、行動の方がー、信じられるかなーって」

 わざとらしく語尾を伸ばしてそれらしい含みを持たせる。

 こいつ、ついに直接的に言わない方法を身につけたか。

 なんなら、妹さんの話も布石に使った可能性があるな。

 いいだろう。乗ってやる。だが、もう少し俺の茶番に付き合ってもらうぞ。

「くっ、分かった。何をすればいい」

 俺がそう言うと、待ってましたとばかりにパイプ椅子から立ち上がると、パイプ椅子を引っ掴んで、俺の真隣に着席する。

 肩なんてもう接してくるぐらい近い。

 その状態で、恋は俺の顔を覗き込む。

「わかんない?」

 普段は凛々しい声をしているくせに、あの日から甘い声も出すようになった恋。

 近付く全てを拒絶するような、あの恋はもう俺の前から姿を消した。

 はっきり言おう。俺はこの甘えたな恋の方が好きだ。

 だから、もう少し堪能させてもらう。

「察しが悪い朴念仁だってのは知ってるだろ」

 まだ下りない。レイズだ。ベットを上げる。

「仕方ないな、徹は」

 そっと恋の白い指が俺の頭の後ろに回る。

「徹が悪いんだからな」

 あくまで自分がこうなったのは、俺のせいということにしたいのだろう。

 蕩けた目をした恋は、ぼそっと呟いてそのまま俺の唇を自分の唇で塞いできた。

 何度か唇をついばみながら、悩ましい吐息を漏らし、また啄む。

 湿り気のある小さな吸着音が、骨伝導で脳を叩く。

 美人に唇を無理やり奪われるこのシチュエーションが、一般的な男である俺に効かないはずがなく、俺も恋の頬に手を置いて応じる。

 しばらくそれを繰り返して、息苦しくなったところでお互い顔を少しだけ離す。

 切れ長の目が蕩けながら、俺を瞳に映す。

「満足したか」

 言い切る前にまた恋が唇に食らいつく。

 長い。今日のキスは明らかに長い。

 やっぱり自分の妹に嫉妬したんだろうか。

 そう思ってしまうぐらいには、今日の恋は烈しく俺を求めてきた。

 どれぐらいしていたんだろうか。

 時間感覚が馬鹿になるぐらいキスの応酬を繰り返して、ようやく落ち着いたのか、恋が俺から離れて自分の唇を舐めた。

「…あんまり、他の女の子の話、しないでくれよ」

「ああ。わかった」

 彼女の妹もダメなのか。それとも妹に気があると思わせたことがダメだったのか。

 その辺の判断が難しいが、避けられない話題ではなかったことを考えれば、確かに無神経だったかもしれない。

 これは大いに反省するところだ。だが、正直、

「俺はキスされただけ、役得だったが」

「ばか」

 ありのまま思ったことを述べたら、最後にまた一つキスの追加が入った。



 その日の放課後。

 今日も今日とて恋と街を適当にぶらつく。

 毎回、放課後になると、こうして恋と俺は街に出ては無為に散策して、たまに気になった店に入って物を買ったり買わなかったりする。

 一応、「どこに行く?」という話はするものの、「適当に歩いて決めよう」と言って見切り発車を繰り返している。

 これは持論だが、行くのは別にどこだって良くて、恋と一緒にいる時間が大事なんだ。

 恋も本気で買い物を楽しんでいる節は無い。

 本当に必要な物は自分のタイミングで買うし、二人で買わなければいけない物など、今の俺達にはほとんど無い。

 ただ、それだと口実が無くて、二人で過ごす時間作れなくなるから『歩いて決める』という先送り案で、とりあえずお茶を濁すのだ。

 実は一つの案があるのだが、それを提唱すると行き着く所まで行ってしまう気がしてならないので、俺は恋に提案できないでいる。

「徹」

 ふと、凛とした恋の声に気付く。

「どうした?」

 表情が険しい。こんな恋を見るのはいつぞやのカフェで口論した時以来だ。

 目線を路地に向けたまま、恋は指を指す。

 その方向に目を向けると、うち学校の男子学生が複数の男子生徒に絡まれている。

 絡んでいる相手は近隣校の生徒だ。

 扇谷学園とは駅を挟んで逆の位置にあるため、あまりこちら側で見かけることはないが、なにか用事があったのだろう。

 そして見るからに、

「助けてやろう」

 友好的では無い。

 俺と恋は路地に入って声をかける。

「そいつに何の用だ」

「あん?お前に関係ね」

 ツッパリ男の一人が、俺の後ろにいる恋の姿を確認すると、表情を固める。

「お前は、椿」

「おう。アタシを知ってんなら話は早いね」

 恋は切れ長の目で睨み、ツッパリ男に威圧をかける。

 後ろの数人も恋のことを知っているのだろう。

 彼らも恋を噂で知っているのだろうか。

「そいつ、離してくれよ。アタシんとこの生徒なんだよ」

「へ、へぇ。悪ぃけどそれは聞けねぇな」

 ツッパリ男は男子学生を突き飛ばして、尻もちをつかせる。

「こいつが俺らにどうしても奢ってくれるって言うからよ。な?」

 ツッパリ男は尻もちをついている男子学生を睨む。

 男子学生はこちらとツッパリ男を交互に見ながら震えている。

「同意しないってことは嘘だろ。ぶっ飛ばすぞお前」

 恋は一歩前に出る。

 ツッパリ男は片足を僅かに後退させるが、手を突き出して恋を制止させる。

「まぁ待てって。俺に提案があるんだ」

 ニヤけた顔はあまり良い言葉を期待させてくれない。

 恋も基本は聞く気は無いが、喧嘩をしないで済むならといった感じで、相手の出方を窺う。

 ツッパリ男は安心した声で一息に言った。

「お前、そっちで煙たがられてんだろ?なら、コイツらに復讐しねぇか?日頃の鬱憤ってヤツを晴らしてやるんだよ」

 どこかで話を聞いたのだろう。

 恋は悪評によって学校で浮いている、と。

 奴は彼女の抱える闇を突いてきた。

 それは、たぶん、悪手だ。

 俺の横を黒い風が走る。

 目にも止まらないスピードでツッパリ男に肉薄して、退こうとしたツッパリ男の顔面を、恋の掌底がしっかり捉えて吹っ飛ばす。

「つまんねぇこと言うな。殺すぞ」

 ツッパリ男はどうやら目の辺りを殴られたらしく、目を覆いながら怯えた顔で恋を見上げていた。

「今後、うちの生徒に手ぇ出さねぇなら今回は見逃してやる。それが約束できねぇなら」

 恋は指の骨を鳴らす。

「ここで全員、仲良く病院生活にしてやる」

 その凄みに気圧されたのか、ツッパリ男達は路地から逃げるように去って行く。

 あのスピードを目で追えていたのは、あのツッパリ男だけだった辺り、一番強いのも奴だったのだろう。

 恋は尻もちをついている男子生徒に視線を投げる。

「大丈夫かい。怪我は?」

 それはいつか見た、凛々しい恋の姿だった。

 男子生徒は小さく頭を振って答える。

「そうかい。この辺でも人通りが少ない路地は危ないから、できるだけ人のいる所を通りな」

 それだけ言うと、恋は踵を返して俺の目の前に来る。

 そして、額を俺の胸につけて小さく溜息を吐いた。

「ごめん。怖い思いさせたね」

「いや、格好良かった」

「そういう……そっか。ありがとう」

 喧嘩に巻き込んだことを謝りたかったのだろうか。てっきり俺は、恋が暴力を振るった姿を見せたことを謝ったのかと思った。

 でも、どっちでもいい。

 喧嘩に巻き込まれに行ったのは俺も同じだし、暴力には暴力でしか対抗できないことは往々にしてあることだ。

 恋は苦笑して俺の言葉を受け取ってくれた。

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