第10話 ヤンデレは、ヤンキーデレデレの略

「呪い、か」

 拭ったそばからまた、恋の頬を涙が滑り落ちる。

 だが、その表情からは、さっきまでの思い詰めていた切迫感を感じさせない。

 滑った甲斐はあったかな。

「ああ。もう俺という呪いの装備を一度身につけてしまったんだから、恋は俺を捨てることも、別れさせることもできないんだ」

 ここまで来たら、最後まで滑り倒してやる。

 何より、それぐらいのことをしてでも、恋との別れは絶対に考えられない。

 勝気な顔を、凛々しい声を、美しい四肢を、抱いた時の温もりを、俺は忘れられない。

 椿 恋という女性の代わりはいない。

「まったく、もう」

 大きく溜息を吐いて、恋はするりと俺の懐に入ると背後に手を回して抱きしめた。

「アタシの覚悟をアンタは蹴ったんだって分かってる?」

「ああ」

 分かってるに決まってる。

 彼女だって別れ話を切り出したくなんてなかったと思う。

 それでも、俺を傷付けないため、俺に彼女を傷付けさせる負い目を負わせないため、彼女は俺との別れを本気で考えた。

「それにな、恋」

 そこまでの覚悟を持てたこと自体は尊敬しているが、一つ大事なことを見落としている。

「俺は、今の時点でお前と別れたらぶっ壊れるんだよ」

 これは絶対だ。しばらく廃人になるなんて甘い。本当に明日にでも首を括って死ぬし、なんなら今すぐ橋から身を投げて死ぬ。

「…そうか、アンタの方が重症だったんだね」

 嬉しそうに呟いて、抱きしめる力をさらに強める。

 もう離したりしない。

 まるでそう誓うかのように。

「徹」

「なんだ?」

「アタシ、きっと重いよ」

「俺より軽いな」

「アタシ、口悪いよ」

「気になったことないな」

「アタシ、かんしゃく起こすよ」

「お互い様だって今日知ったろ」

「アタシ、凶暴だよ」

「自衛力があるのはいいことだ」

「アタシ、」

 顔が上向く。

「アンタが大好きだ」

 あは、と笑いながら彼女は言った。

「俺も、大好きだ」

 流れるように、あまりに自然に俺達は口付けた。

 出会って四日、付き合って二日。

 そのかんにバイオレンスな彼女を見て、有象無象の噂に耐えてる彼女を見て、告白に照れる彼女を見て、対等でいたいと怒る彼女を見て、泣きながら別れたいと言う彼女を見て、大好きだと告げてくれる彼女を見た。

 あまりに濃厚すぎるその四日間は、俺の生きてきた年月を遥かに凌駕する濃さだ。

 これからもそんな密度で二人の時間を過ごすと思うと、これからの人生が楽しみで仕方ない。

 そっと唇を離して、視線が交わる。

「…これ、初めてだからな」

 気まずそうな恋は、視線を外してそんな愛らしいことを言う。

「俺もだ」

 あまりの可愛さに衝動的に続きを決行するところだったが、よく考えたらここは公共の場だ。

 ここまでしておいて今更感はあるが、俺は恋の頭を撫でて、笑って言った。

「そろそろ帰ろう。俺達には時間がある」

 急いで全てをこなすことなど無い。

 むしろゆっくりやっていくことが、当初の目的だったはずだ。

「ああ。そうだね」

 ここまでのスピード感を生み出したカップルが言うことでは無いかもしれないが。

 俺を抱きしめていた腕が離れると、その離れ際に手を取って恋は歩き始める。

「こんなふわふわした気持ち、初めてだよ」

 彼女の幸せそうな顔が脳裏に焼き付く。

 俺はずっとこの顔を見ていたい。

 そのための努力をしよう。

 彼女の笑う顔を見るために生きるんだ。

 正しく、人に恥じない、彼女のための人生を。



 恋を家まで送った時、恋は思い出したようにダッフルコートのポケットを探る。

「連絡先、交換しようよ」

 ポケットから出てきた小さなスマホを操作しながら恋は言う。

 確かに言われてみれば、連絡先を知らなかったな。

 今まで当然のように屋上で待ち合わせてたし、家には恋が来てくれたから、連絡出来なくて困ることは無かった。

 俺もポケットからスマホを召喚して、おなじみの連絡アプリを立ち上げる。

「アタシのバーコード読んで」

「ああ」

 差し出された画面に表示されたバーコードを読み込むために、カメラモードを展開する。

 にしても恋、ずいぶんスマホを下げて差し出すな。

 カメラにしっかりバーコードを認識させるために、集中しながら少しだけ前屈む。

「スキあり」

 その瞬間、頬に恋がキスしてくる。

 連絡先が表示されたスマホをそっちのけで、恋の顔を見る。

「へへ。アタシ、もう我慢しないから」

 意地の悪そうな顔をしながら、恋は跳ねるように家の扉の前へと移動する。

「それじゃ何かメッセージしといてくれ。それで登録するからさ」

 恋はそれだけ言い残して、そそくさと家の中へ入っていく。

「我慢しない、か」

 どう捉えればいいのか考えを巡らせたが、頭を振って、ひとまずスマホに表示されたままの連絡先にメッセージを送る。

『今度会った時に仕返しするからな』

 最初のメッセージがいきなり喧嘩腰なのはいかがなものかと思ったが、悪い意味を含んでいるつもりは無いからいいだろう。恋だってきっと理解してくれるはずだ。

 一応誤解が無いように、愛らしいキャラが悪巧みをしている表情のスタンプも送っておく。

 直後にスタンプが送り返されてくる。

 サムズアップしているキャラクターのスタンプだ。

「アイツ」

 迎撃してくる気満々のようだ。これが我慢しないということなのか。

 さて、それはそれとして仕返しの方法を考えないとな。

 冬の寒さが頬を裂く中、俺の頭は愛しい彼女とのイチャイチャの妄想で熱を持っていた。

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