第8話 価値観

「そ、それは、」

 何とも歯切れ悪く言い淀む恋さん。

 眼はきょろきょろと忙しなく動いているし、何かを言いかけてはやめるし、それを繰り返していたと思ったら、今度は横目で俺の目をじっとみる。

 言わせるなよ。

 そんな反抗心が垣間見える。

 無理だ。今は心臓トレーニング中なのだ。やめない。心臓が破裂するまでやめない。

 しばらくして、観念したように恋さんは呟いた。

「し、」

「し?」

「嫉妬、したんだと思う…」

 顔を紅潮させて、尻すぼみに声が小さくなっていく恋さん。

 耐えろ。これから先はまだ長いんだ。ここで成長しないでいつするんだ灘 徹。

「だってそうだろ。昨日までは、そりゃ彼女がいなかったかもしれないけど、今日はもう彼女がいる身の彼氏に、あんな馴れ馴れしく話しかけるのなんて見せつけられたら、こっちは気が気じゃない」

 話題はその彼女さんのことなんだがな。

「……アタシは、思ったより狭量な女なのかもな」

 何故か凹みだす可愛い恋さん。

 今朝頼んだ衛生兵、まだ到着しないのか?

「そんなことない。あまり例の無い話かもしれないが、突然俺が色んな人から告白される可能性があるのは否定できないだろ」

 恋愛経験値はどっこいどっこいの二人だが、おそらく激情型の恋さんの方が、こういった事態に不慣れなはず。

 自分が鈍感で良かったと思いつつ、同じように恋さんが男子生徒な話しかけられていたらと思うと、妙に胸の内がざわついた。

「それに、俺は素直に嬉しいよ。嫉妬してくれて」

「く、繰り返すな!」

 真っ赤な顔をして可愛く怒鳴ると、持ってきた栄養補給スナックをザクザクと齧り出した。

 本当に俺の彼女は愛らしい。

 ついっと顔を背けて拗ねる彼女を、なんとか宥めすかしながら二人の昼休みは緩やかに過ぎていった。



 その日の放課後。学校の帰りに少し街をぶらつこうという雑な提案をすると、恋さんは目をしばたかせて何かを小さく呟くと、直後にすごい勢いで了承してくれた。

『行く!行くぞ!絶対行くぞ!』

 物凄い食いつきに気圧されそうになりながらも、気色満面の彼女を見ると、誘ってよかったと思う反面、これに少し思惑があることが引け目を感じさせる。

『出来ればうちの生徒の生活圏で見せつけるようなデートをするんだ』

 朝、理人から言われた言葉だ。

 勿論、これは皆から恋さんへの好感度を上げる作戦ではあるらしいが、それでも彼女を利用している気がしてならない。

 そんな胸の底に煮える悪感情になんとか蓋をしながら、俺達は街をぶらつく。

 その時になって気付く。

 人通りの多い街中でやたらと視線を集めていることに。

 皆、店先を眺めながら歩く恋さんを見ている。

 今日の恋さんはいつもの凛々しい雰囲気を増長させる服装、端的に言えばヤンキースタイルではなく、茶色のダッフルコートに赤いマフラーの可愛らしい服装をしている。

 しまった。これは街を回るタイミングを間違えたかもしれない。

 いや、仮にヤンキースタイルだったとしても衆目は集めてしまうだろう。

 よくよく考えればこれだけの美しさだ。彼女のことを噂で知りながらも、美しさに惑わされて告白する輩もいたのでは無いだろうか。

 存在するかもわからない不届き者に、謎の嫉妬を感じながら歩いていると、

「おい、徹。聞いてんのか」

 少し怒り顔の美しい顔が目の前にあった。

「すまん。恋さんに告白してきたであろう奴を想像してて聞いてなかった」

「なんだそれ」

 怒っていいのか笑っていいのかよくわからなくなっている彼女は、変に口を結んでいると、突然ハッとして頭を振る。

「そうじゃなくて。あれ見てくれ」

 そう言って恋さんが指を指した先には、最近できたカフェがあった。

「あそこのパインケーキが美味いって噂なんだ。食べていかないか」

 彼女の切れ長の目が爛々と輝いているところを見ると、前々から興味があったらしい。

「ああ。いいけど、」

 彼女の頼みだ。無下にすることは絶対に無いが、

「カロリー、いけるか?」

 昼の食事があれだけ簡素だと、いくら焼き菓子とはいえ油断出来ないはずだ。

 だが、俺の心配はただの杞憂だったようで、れんさんはチッチッと指を振って答えた。

「そのための、摂生だろ?」

 なるほど。そういう考え方なのか。

 つまり、いつカロリー爆弾を食べてもいいように、普段から摂生を心がけているということだ。

 鋼の精神、ここに極まれりだ。

 疑問も解消されたところで、二人でシックな出で立ちのカフェへ突入する。

 店員さんの明るい声に迎えられながら、目は数種類のケーキが並んだショーケースに吸い込まれる。

「二名様でよろしい、です、か」

 声をかけてくれた店員さんが、席に案内してくれるのだろう。

 だが人数を確認した時、妙な顔をした。

 目をぱちくりと開け、恋さんと俺の顔を確認した。

「ああ。二人だ」

 と、答える恋さんの声にも妙な違和感を感じる。

 なぜか、少しドスが利いていたような気がする。

「か、かしこまりました。こちらの席へどうぞ」

 直後、店員さんは引きつった笑顔で、入口から一番近い席に案内してくれる。

 なんだ。なにがあったんだ二人に。

「恋さん、大丈夫か?」

「な、なにが」

「いや、店員さんは妙な態度だったし、恋さんは妙にピリついてるし、なにか不都合があるのかと」

「な、ないよ!なにもないよ!」

 そう言うとメニュー表を独り占めして、顔を隠すようにそれを眺めた。

 怪しい。物凄く怪しい。

 だが、特に事件性らしきものは感じない。

 因縁があったとか、そういう類のものではないのだろうと推測して、メニュー表の裏に書いてあるドリンクの欄を俺も眺めることにする。

 それから少しして注文も決まり、あの店員さんがお冷を持ってやってきて、テキパキと注文を取ると、また厨房へと姿を消す。

 やっぱり、恋さんのこと見てたな。

 そんなこんなでやってきたパインケーキと、アメリカンコーヒーに舌鼓を打つ、幸せそうな恋さんを眺めて、お代を支払うことに。

 伝票を取ろうと手を伸ばすと、それよりも素早く恋さんが伝票を回収する。

「いいよ。ここはアタシが払うよ」

「いや、俺が払う」

 伝票を寄越すように手で促す。

「いや、アタシの我儘で来たんだし」

「でも食べたのは俺も一緒だ」

 再度、伝票を寄越すように手で促す。

「そうかい。それじゃ割り勘でいこうじゃないか」

「俺には少し自由に出来る金があるんだ。それに彼女に払ってもらうわけにはいかない」

 少し剣呑な空気を感じ始めるが、ここを折れてはいけない。

「彼女だから?彼女だからこそ割り勘するんだろ。これから一緒にいるのにマウントを取られるような材料はマズイと思うけど」

 いよいよ恋さんの口からもトゲが吐き出されるようになる。

 折れるな俺。

「それじゃ今回は俺が持つ。次回、どこかで恋さんが払ってくれ」

「それでうやむやにしようってかい?アンタの魂胆は見え見えだよ」

 もはや聞く耳を持たなくなってきている彼女と俺の攻防は勢いを増してきた。

 その時、

「お客様」

 あの店員さんが声をかけてくる。

「喧嘩なら他所でやってください。お代はお支払いしておきますから」

 自ら代金を支払ってくれると言う。

 いや、なんで店員さんが。

「付き合ってすぐのデートで喧嘩なんてしないでよ、姉さん」

 姉さん?

「ま、真奈まさな

 まさか、妹さん?

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