第6話 夕日

「そうか」

 それだけ言って、そのまま椿さんに振り返る。

 夕陽に染まる椿さんも、また違った綺麗さを醸していた。

 夕暮れのあかは彼女の紅く染まった頬と同化して、もう染まった頬が紅潮しているかどうかの判断はつかない。

 それでも、夕暮れに呑まれたこの場所は、確かに彼女の涼し気な雰囲気をより一層、美しさとして引き立たせていた。

「その、昼は、悪かった」

 ぼうっと椿さんを眺めていたら、椿さんは絞り出すような声で謝罪を口にした。

「返事、しようとしたんだけど、アタシ、こういうの初めてだったし、人も来て、その、聞かれたく、なくて」

 彼女は返事をしたくなかったわけではなかった。その事実だけで、胸が満たされる。

「いや、そうだよな。あんな誰が来るかもわからない場所で、あんなこと言うのはちょっと性急だった。反省する」

「ち、ちがっ、その、責めてるんじゃなくて…!」

 オロオロしだす椿さん。今日はいっぱい違う椿さんが見れるな。最高。

 一人で勝手に満足していると、椿さんは小さく深呼吸して、改めて俺に目線を合わせた。

「返事、ちゃんとしようと思って、あそこで待ってたんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、空気が一気に息苦しくなる。

 そうだ。色んな椿さんを見て、満足してる場合じゃない。

 本番はこれからだ。

「ああ。聞かせてくれ」

 もう少し待って欲しかったけど、それこそ一生答えを言って欲しくなくなる可能性が頭を過ぎったので、全ての邪念を放り投げて、椿さんの気持ちを要求する。

「俺と、付き合ってくれるか。椿さん」

 椿さんとの俺の間には数歩の間がある。

 ちょうど、あの薄暗い路地で俺を助けてくれた時の距離感だ。

「アタシは、」

 一歩。

「ガサツだし、」

 また一歩。

「喧嘩ばっかりだし、」

 さらに一歩。

「変な噂ばっかだし、」

 小さく一歩。

「こういうの慣れてない」

 両足が揃う。

「けど」

 目の前に、彼女がいる。

「アンタと……徹と、付き合いたい」

 椿さんが腕をそっと広げる。

 しっかりしているけれど、細い腕だ。

 強いけれど、小さな身体だ。

 男の俺と比べたら、簡単に折れてしまいそうな彼女は、

 女の子なのだ。

「好きだ。恋さん」

 彼女をそっと抱く。

 俺の胸元にすっぽり収まるサイズの体がとても暖かく、黒のポニーテールからはとても甘い良い匂いがする。

 冬の河川敷は人の通りが思ったより少ない。

 そのせいか、普段こんな派手なことはしないが、今回は許して欲しい。

 人生で初めて出会った、心から好きな人と抱き合える機会なんて、そうそう棒に振れるものでは無い。

 恋さんも呼応するように、俺の背に腕を回して抱きしめ返してくれる。

「あは。なんか、ちょっと恥ずかしいね」

 照れながらも顔を俺の胸に埋めながら、彼女は小さく呟いた。

「でも、しあわせだ」

 恋さんの満足そうな声で胸が震える。

 失念していたがこれで終わりじゃない。

 この関係をずっと続けて、彼女を追い込むあの冷たい場所を必ず正すんだ。

 二月の冷たい風が吹きつける中、気恥しさと多幸感で暖まっている俺には、その寒さは涼しく感じてすらいた。



「えと、それじゃまた明日」

「ああ。また明日」

 しばらくの間抱き合っていたが、さすがに寒くなってきたのか、恋さんの小さなくしゃみがきっかけで、俺達は離れることになった。

 実は恋さんの家が河川敷から近い場所にあると聞いて、見送りに来て今まさに別れの際という状況だ。

「その、アタシと付き合うの大変だと思うけど、よろしく頼むよ」

「望むところだ。こちらこそよろしく頼む」

「あは。威勢がいいね。頼りにさせてもらうよ」

 そう言って恋さんは手を小さく振りながら、扉の向こうへと消えて行く。

 おい。なんだあれ。可愛すぎか。

 恋していることを自覚してから、恋さんがあまりに可愛く見えていたが、抱き合ってからはもう、どんな小動物すらも叶わないほどの愛らしさも感じるようになってしまった。

 もしかしたら目的を果たす前に、心停止で死ぬかもしれない。

 遺書かAEDを常に鞄に忍ばせておこう。

 いや、遺書だと死ぬ気があるみたいに見えてしまう。AEDにしておこう。

 さっそくAEDの値段を調べながら帰路に着き、その値段に驚嘆しバイトを始めることを心に誓うのであった。



「……さい」

 遠くで声がする。まだ脳が寝ているのか、あまりよく聞こえない。

「…なさい……さい……」

 なんだろう。よく聞いた声のような気がする。

 だが、その声は酷く焦っているように聞k

「起きろって言ってんだろバカ息子!」

 脳天に硬い何かを叩きつけられてようやく目を覚ます。

 しゃっきり覚醒した目で最初に捉えたのは、フライパンを片手に仁王立ちする母親の姿だった。

「母さん。フライパンは最悪死ぬぞ」

「そんなことより、あんたさっさと身支度整えな!」

 息子の死をそんなこと扱いとは、我が母ながら中々に肝が座っている。

「いいけど、何をそんなに慌ててるんだ」

「来てるんだよ!」

「何が?」

「あんたに迎えが!」

「え?死ぬのか、俺」

「違うよバカ!」

 直後に放たれた言葉を聞いた俺は、今までの人生で最速の着替えを敢行することになる。

「女の子!しかもすっごい美人の!」



「あ、おはよう」

 朝の騒動から三分後、俺は食パンを齧りながら家から転がるように出る。

 そんな俺を見て、恋さんは困ったような顔をしながら挨拶をしてくれる。

「おはよう。朝から騒がしくして悪い」

「いや、愉快そうな家で何よりだよ」

 苦笑しながら恋さんはフォローを入れてくれる。やはり優しい。

「母親が浮かれてね。『息子に美人の友達が出来た!』って」

「びじっ……」

 俺の他愛も無い話に、恋さんは突然、マフラーに顔を埋めて固まってしまう。

「恋さん?」

「い、いや、なんでもない。なんでもないんだ」

 それより学校に行こう、と恋さんに促されて、二人並んで学校へ向かう。

 隣を歩く恋さんは、今日は暖かそうな格好をしている。普段はしてこない赤いマフラーと、茶色のダッフルコートに身を包んでいるその姿は、どこからどう見ても普通の女子高生だ。

 いや、その美麗さは普通の括り入れてはいけないが。

「ど、どうした?やっぱり変か?」

 恋さんはくるくると回りながら、自分の姿を確認する。

 やめてくれ。その姿は俺に効く。

「全然。むしろ見たことないから新鮮で良い」

 是非これからも色々な恋さんを見せて欲しいと、改めて思いながら素直な感想を口にする。

 それを受けて、恋さんはあは、と小さく笑うと嬉しそうに学校への歩を進めていく。

「アタシさ、今日からはちゃんとしようと思って、普通の格好をしてきたんだ」

 いつもの大人な凛々しい姿ではなく、年相応の女子高生でいようと、彼女はそう言った。

「どうしてまた」

 正直、俺はどんな恋さんも好きだが、あの凛々しい姿だって似合っていると思っている。

 もし、あの姿を思入れがあってしていたなら、俺と付き合ったことを契機に、変わろうなどと思ってくれなくていいのに。

「だって朝、徹のお母さんに見られる可能性があるんだぞ。あんなツッパった格好してたら怪訝に思われるだろ」

「それはないな」

 アレは俺の母親だ。恋さんのパーカー姿を見て格好いいと思うことはあっても、怪訝に思うことは無い。血は争えないのだ。

 だが、恋さんは頭を振って、俺の否定を否定で返す。

「だとしてもだ。徹のか、彼女として恥ずかしく無い自分でいたいんだ」

 白い頬を僅かに赤く染めて、またマフラーに顔を埋める恋さん。

 俺の心臓に負荷をかける可愛さはやめて欲しい。まだAEDは買ってないんだ。

 これは早めに稼ぎの良いバイトを見つけないと、必要な時にAEDを持ってない事態に陥りそうな予感がする。

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