第2話 正体
「なるほど。それでそんな面白い顔になったのか」
人の顔を無表情で酷評するこの男は、古くからの友人である
この男はさらさらの黒いショートヘアを靡かせながら、甘いマスクを晒して歩き、絶大な女子からの人気をほこる、はずだった男子生徒だ。
はずだった、と言うのは外見や成績が良いだけでは、必ずしも人気者になるとは限らないということだ。
「面白く無いけど、凄い一日だった気はしてる」
「
今回の話も理人の満足の範疇に届くようで、何よりだと思う。
いや、俺自身は鼻を怪我することになったから、どちらかと言えば良くない出来事だったんだが。
まぁ、鼻の骨は折れてないようなので、不幸中の幸いということにしておこう。
「にしてもあの人誰だったんだろうか。うちの制服着てたけど見た事無いから、学年違うのか」
「うん?徹、知らないのか?」
素っ頓狂な声が親友の口から出る。
「十字架のピアス、カジュアルなパーカー、喧嘩の強い女子生徒と言えば椿
どうやら俺は世間知らずらしい。そんな話、まるで聞いたことが無い。
「そんな有名なのか?」
「ああ。うちの学校は割と優秀な人間が集まるところだろう?喧嘩をするような奴はまず入って来ない」
うちの学校は、入学にはそれなりの勉強をする必要があると思うし、俺もご多分に漏れず努力をして入学したつもりだ。
「だが、椿は昔から
例えば、そのスジの方を両親に持つだとか、裏ではクスリの売人をしているとか、常習的に喧嘩をしては相手を病院送りにしているとか。
最後の噂に関しては些かの信憑性を抱いてしまっているが、他は果たしてどうだろうか。
恐らく正しくない、気がする。
「そして、椿自身もそれに関して否定していないせいか、周囲も噂を鵜呑みして敬遠した結果、学校には最低限しか来なくなったみたいだな」
今の時期は冬。最初は真面目に通学していたであろう椿さんなるあの女子学生は、今ではすっかり姿を見なくなったという。
それでも、進学できるであろう出席日数と、テストを突破する学力があると思えば、教師陣としても極力触れたくは無い生徒なのだろう。
「そんな渦中の人物なんだが……徹。お前本当に知らなかったのか」
理人の声に抑揚はないが、呆れられている雰囲気は感じている。
「ああ。勉強でそれどころじゃないのもあるけど、噂なんて他人のレッテル張りに過ぎないだろ」
本当かどうかなんて、本人にしか分からないことだしな。シュレーディンガーの猫も、原子炉の中で生きている可能性だって無くはないのだ。
「ふふ、相変わらずだなお前は」
嬉しさを顔に浮かび上がらせると、理人は持っていた文庫本を広げた。
「今回は何の本なんだ?」
「哲学書だ」
「そうか」
頭の良い奴の趣味についていこうと考えてはいけない。
俺は机に突っ伏して、一限が始まるまで束の間の夢を見ることにした。
昼休み。普段なら理人とどこかで飯を食うのだが、今日は奴に用事があるとのことで、単独行動になった。
今日は天気が良い。快晴の空に、冬の澄んだ空気は最高のロケーションだと思う。
風も穏やかなので、たまには屋外で飯を食うのも悪くないだろう。
そう思って購買で適当なパンを見繕って、屋上への階段を上る。
俺の通う学校、『
はどこにでもある様な校訓に、進学校の肩書きを提げただけの、何の変哲もない学校だが、人気の理由の一つに、『生徒の自主性を重んじる』という校訓がある。
理人も言っていたが、うちの学校には荒くれ者がほぼいない。
ほぼ、と言うのはまぁ、今回の椿さんの登場によって皆無では無くなった、ということだ。
ともあれ、極少数であるため、生徒の自己判断に多くを委ねている関係上、立ち入り禁止区域というものが無い。
当然、倫理的なところは言わずもがなだが、屋上も、プールも、備品室すらも年中解放されている。
先輩達の積み上げてきた、安心と信頼による産物だと俺は思う。
実際に何も起こっていないかと言われると、首肯するには躊躇われる部分があるが、バレても少し怒られる程度のことだし、学校側もこれを売りにしている所があるので、今後も自由に屋上の出入りは出来るだろう。
俺は最上階のさらに上、屋上への扉を開けた。
金属扉の重苦しい開閉音の直後、屋上からの冷えた空気が雪崩込む。
背の高いフェンスが屋上の四辺を囲い、白いタイルが砂埃で所々に斑点を作っている。
やはり冬らしい気温で少し肌寒いが、暖かい陽の光がそんな寒さを和らげてくれる。
「よっこらせ」
入口からあまり遠くないフェンス際に陣取り、買ってきたパンの袋を開ける。
屋上に人はいない。寒いせいもあるのだろうが、地べたに座るのは制服を汚すことになるからだろう。
地面が濡れている訳でもない以上、乾燥した今の時季の砂埃など、払ってしまえば一瞬で落ちるので、俺は気にせず地べたに座る。
「んー、美味い」
冬の空気というのはどうしてなかなか気持ちがいいものなのか。
食べるパンにもそのバフが効いているかのように、より鮮明な味を感じられているような気がする。
完成したパンに舌鼓を打っていると、不意に屋上の扉が開いた。
まぁ、誰でも自由に入れるのだから、誰が来てもおかしくはない。
俺は気にせず一口大になったパンを口に放り込んで、次のパンの袋を開けた。
「ん?アンタ」
ふと、予想外の来客が俺に近付いてくる。
「昨日ぶりだね。怪我は大丈夫かい」
その声はハスキーな女声そのもの。
彼女だ。椿さんだ。
「ああ。昨日は本当にありがとう。おかげでこの程度で済んだ」
「この程度って、そんな顔中に傷作って、それで済ませられるのか」
大物だね。と、皮肉混じりに苦笑すると、椿さんは俺の隣に腰を落とした。
ついさっき、あまり学校には来ないと聞いていたせいもあって、中々に奇跡的な再開を果たしたな、と内心思いながらパンをついばむ。
「隣、いいだろ?」
椿さんは顔だけ向けて俺に尋ねた。
黒いポニーテールがふるりと揺れる。
「ああ」
そう返事して、二つ目のパンを齧る。
椿さんは手に提げていたビニール袋から、サラダチキンとお手軽に栄養が補給できる有名なスナックを取り出した。
「随分健康的な食事だな」
「まあね。正直、太りそうな物じゃなきゃなんでもいいんだよ」
味の善し悪しは二の次さ。と自嘲気味に呟いて、サラダチキンの袋を中の液体が零れないように慎重に開ける。
「あ、そうだ」
俺はポケットをまさぐると、ポケットティッシュを一袋取り出して、それを椿さんに差し向ける。
「改めて昨日はありがとう。もらったティッシュ、全部使っちゃったから、これ」
もらったのは広告が入った、よく街中で配られる無料のティッシュだったが、流石にそれでは誠意が無いと思って、今朝コンビニで買ってきた、少し良さげなティッシュで返すことにした。
「
困ったように眉根を寄せながらも、ティッシュを受け取ると、椿さんはそれをパーカーのポケットにねじ込んだ。
それから少しの間、椿さんとの会話が途切れる。
空の高い場所を飛行機が悠々と飛び、そのジェット音が屋上に鳴り響く。
風はさらさらと吹いて、視界の端で銀の十字架が陽の光を受けて輝く。
そんな何でもない景色を感じ取りながら、三つ目のパンの袋を裂く。
「アンタ、アタシのこと知ってんだろ」
唐突に、椿さんは無感情な声で話し始めた。
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