ヤンデレは、ヤンキーデレデレの略

音雨 鞘

ヤンデレは、ヤンキーデレデレの略

第1話 救世主

「オラッ!」

 ヤンキー男1の拳が羽交い締めにされている俺の腹を貫く。

 声にならない声と共に、たまらず唾液が口から飛び出す。

「お前のっ、せいでっ、女がっ、逃げただろっ!」

 ヤンキー男2が羽交い締めを解くと同時に、ヤンキー男1が俺の髪を掴んで複数発、また腹に拳を叩き込む。

 痛い。だが、顔面はまだ原型を留めているあたり、意識的なのか定かではないが、本気で殺しにきてる感じはしない。ストレス発散が主目的なのだろう。

「おいおいやりすぎんなよ。うっかり殺したりしたら面倒なことになるぞ」

 下卑た顔で見下ろしながら、ヤンキー男2は喜色をはらんだ声で、ヤンキー男1に告げる。

 しかし、ヤンキー男1の怒りは収まらない。

 俺をうつ伏せに引き倒すと、頭を強く踏みつける。

 その衝撃で鼻から歪な音と共に、温かい体液の流出を感じる。

 血だ。かなり洒落にならない量の血が流出して、アスファルトの色をより濃く彩っていく。

「余計なことしやがって。無事で帰れると思うなよクソ野郎」

 こういう時はテンプレートで話さないといけないのだろうか。聞き馴染みのある言葉と共に、俺の顔に唾が吐きかけられる。

 どうしてこんなことになったんだっけ。何も出来ない状態になっている俺は、数分前のことを振り返る。



 今日発売の漫画が欲しくて、学校の帰りに本屋に寄り、家路につこうと街中を歩いていた。

 その途中、あまり人が通らない細い路地から小さな悲鳴が聞こえた。

 路地を覗くと、自分の通う学校の女子生徒二人を、いかにもな派手な格好をしたヤンキー男1と2が、それぞれを捕まえて強引に誘っているように見えた。

(これは、まずいな)

 どう見てもまずい。彼女らの顔は怯え、ヤンキー男らの顔は、もう彼女らをただで返す気は無い雰囲気を醸している。

 正しく生きる。世間に恥じない人生を歩む。

 俺は、その集団に近付いた。

「やめろって。その子たち怯えてるだろ」

 季節は冬。まだ大した時間ではないが、すでに点いている頼りない明かりの街灯の元、明らかに不機嫌な色を灯した一対二体の眼光が、俺に向かって無遠慮に差し向けられる。

「なんだよテメェ。邪魔すんな」

「いいから離せって」

 生憎、こういう連中に凄まれるぐらいなら経験がある。

 ヤンキー男1の腕を掴んで、片方の女子生徒を自由にさせる。

「離せコラッ!」

 ヤンキー男1の敵意に追従するように、ヤンキー男2は女子生徒のもう片方も自由にして、俺との距離を詰める。

「行けよ。二人とも」

 怯えながら成り行きを見守っていた女子生徒二人は、我に返ると駆け足で路地を抜けていく。

 ヤンキー男たちは二人を追うことはせず、俺にすっかり夢中になっていた。

「分かってんだろうな、あぁ?」

 それからすぐにヤンキー男2に腕を捕まれ、羽交い締めにされる、といった流れだった。

「なんだそのツラ。状況理解してんのか」

 ヤンキー男1の不機嫌そうな声が頭上から降ってくる。

 どうやら物思いに耽っていたことが、お気に召さなかったらしい。

「そう言えばよぉ」

 ヤンキー男1は、名案が思い浮かんだかのように口を真横に裂く。

「人の頭って、割れんのかね」

 不穏な一言が聞こえた直後、足が俺の顔から離される。

「お、おい、止めとけって」

 ヤンキー男2の少し気の引けた声が、ヤンキー男1を制止させようとする。

「試させろよ。クソ野郎」

 本日二回目のクソ野郎をいただいて、ヤンキー男1は足に力を込めた。

 あ、これまずいな。人の頭蓋骨は固く、頭が割れるとは思わないけど、当たりどころが悪ければ、頭部のどこかは損傷するかもしれない。

 避けなきゃ。その一瞬の思考が、俺の頭部へのダメージを避けさせた。

 海老のように体を丸めた直後、ヤンキー男1の足が地面を鳴らす。

「避けんじゃねぇっ」

 無体なことを言いながら、ヤンキー男1は俺の後頭部を、サッカーボールを蹴るかのごとく足蹴にする。

 視界が揺らぐ。流石に後頭部へのダメージは、予想以上に効くらしい。

「やめろ」

 揺らぐ意識下で気付いたのは、焦った顔のヤンキー男2と、明らかにそこにいた人間からは出ることがない、凛としたハスキーな女性の声だった。

 怒気をはらんだその声に、ヤンキー男達は一瞬怯んだが、その人物を視認した結果、口角をわずかに上げた。

「へぇ。今日はツイてるな」

「あぁ。さっきの女より楽しめそうだしな」

 下卑た声は満足そうに、彼らの口から零れていた。

 まずい。また女性が狙われている。

 これでは正しさが行われない。

「逃げ、ろ」

 意識が曖昧なせいか、上手いこと声が出るのも難しい。

 しかし、女性には聞こえていたようで、女性の小さな溜息の後に、つまらなそうな声が返ってきた。

「アンタ、誰に物言ってんだ」

 ヤンキー男達が女性に距離を詰めていく。

 本格的にまずい状況になって、ようやく俺は顔をそちら側に向けた。

 正さなければ。誰かが傷付くようなことはあってはならない。少なくとも俺の眼前では、あってはならない。

 ヤンキー男1が女性の手首を掴む。このまま事に及ぶつもりだろうか。

「や、め、ろ」

 拙い発声が地面を転がる。とてもではないが、ヤンキー男達に聞こえているはずもない。

 俺は揺れる景色を、ただ眺めることしかできない。

 手足に力を込めても立ち上がれる様子は無い。

 何も出来ない自分に苛立ちながら、事の顛末を見届けるしかできない。

 そう、最悪なその光景を見ることしか。

 そして、鈍い音が聴覚を刺激した。

 その直後に倒れ込んだのは、

「え」

 ヤンキー男1の方だった。

 わけがわからなかった。突然ヤンキー男1が吹き飛び、狭い路地の壁に叩きつけられたのだ。

「て、てめぇ!」

 ヤンキー男2も続くように、女性に飛びかかる。

 だが、ヤンキー男2も女性の反撃を食らったのか、一瞬宙に浮くと同時に制止して、直後にヤンキー男1と同じように、鈍い音と共に地面に転がされていた。

 どちらも俺と同じように、鼻から鮮血を垂れ流している。

 女性に視線を向ける。

 漆黒のポニーテールが赤い結紐によって纏められ、頼りない街灯によって照らされているはずの肌は白く輝き、自分の通う学校の制服を着ているその上に、カジュアルなトレーナーを羽織っている。身長は女性の平均より、少し高いぐらいだろうか。左耳には銀の小さな十字架がゆらゆらと揺れている。

「ったく、弱いなら喧嘩なんてすんなよな」

 俺かヤンキー男達か、誰に放ったか分からない言葉を吐き捨てると、女性、もとい新たな女子生徒は俺に近付いて来る。

 薄く筋肉の浮かぶ健康的な長い脚がやたらと目に付くが、揺れている視界に上手く捉えられないせいか、女子生徒は気にする様子も無い。

「大丈夫か。えらく血ぃ出てるけど」

 女子生徒は自身のポケットをまさぐると、ポケットティッシュを袋ごと差し出してくる。

「あり、がとう」

 ろくに力の入らない手足を使って、何とか座り込むと、差し出されたポケットティッシュを受け取って鼻を押さえる。

「カツアゲ?」

 女性は物騒な言葉を投げつけてくる。

 昨今、見知らぬ人間からカツアゲをするような輩は、あまり見ないような気もするが、その発想が出るあたり、もしかしたらこの人はそういう場面に、慣れているのかもしれない。

「いや、うちの女子生徒が絡まれてたから」

「助けたらやられたってか。馬鹿なことしたね」

 呆れたような声が返ってくる。

 確かに、そうかもしれない。

 だが、事実として女子生徒は助かったのだ。

 正しいことが出来た以上、俺にとっては最良の結果だった。

「ごめん。助けてくれてありがとう」

「いんや気にすんな。最近はあまりこういう奴らが突っかかってこないから、久々にクズ共を殴れてすっきりしたよ」

 やっぱり場馴れしているようだ。

 久々でも人のことを殴るような事態に、容赦なく飛び込める人間であることは確定した。

「それじゃアタシは行くよ」

 彼女はそれだけ言うと、きびすを返してローファーの踵を鳴らしながら雑多な街へと消えていった。

 運があったのか無かったのかわからない出来事が、彼女、椿つばき れんとのファーストコンタクトになったのである。

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