第8話 シュンとラミル2
シュンは衝撃を受けた。
あの少年の記憶を辿った時、知ったのは悲しい事実だった。自らの手で書いた小説、知りえなかったとはいえ、あのような文章を書くべきではなかったのではないか。書いたが為に忌まわしい運命があの二人を悲しみの海に沈めてしまったのではないのか……
だが次の記憶を知った時、シュンは別の意味で衝撃を受ける。
記憶の中の少年がその生の終わりを迎えようとした時、あの少女と会話しているのも記憶されていると知ったのだ。長いやり取りが、僅か一瞬の間にされていたことに驚く。
~~~
「私の愛しい人、貴方もこちらの世界へ来るつもりね……」
「ああ、どうしても君に会いたかった。愛していると気づいたから」
「私もよ。でもね、まだきては駄目よ。魂の緒はそのままにしておいて。だって貴方にはやらねばならないことが残っているでしょう」
「そうだね…… 我々は人々の世界を少しでも良く導くために転生を繰り返して生まれる。それを思い出したのは、死が目前に迫った今さっきだ」
「その使命というべき事柄を、人は転生しても歳を重ねるとともに忘れていくのよ。でも貴方は気付いた。今戻ればまだ間に合うわ」
「戻ったとしても人々を良い方向へ導くのは難しいだろう。だって、あの体の心は壊れてしまったから」
「でも、放っておくわけにはいかないの。あの世界の酷さに泣いたときから、多くの霊魂が心配してくれているわ」
「君の嘆き悲しみが祈りの言葉となって届いたのだろうね。彼らの力を借りられるなら…… 」
「彼らの中にいるかもしれないわ。人々を導くことのできる人格を持ち、同じくらいの歳を重ねていて、あの鍛え抜かれた体を使いこなす資質。そして、あの酷い世界から求められるほどの繋がりのある存在……」
「その存在と混ざり合うことで新たな人間として転生することができる……」
「いたわ! 彼なら……」
「……なるほど。だが、彼は肉体を持っている。自らの意思で来てくれなければならないよ」
「そうね。彼とつながりのある人にも伝えないとね」
「では、彼に伝えよう」
「私たちを、あの世界を助けてと……」
「彼が来たら貴方と混ざり合うことで記憶を伝えて」
「その後に彼の魂の緒と繋ぎかえる。そして、彼に後を託すことにしよう。あの世界を良き方へ導いてくれることを信じて」
「でも忘れないで、彼は助けてくれるだけ。私達が、あの世界を変えて生きていかなければならないのよ」
「そう。だから二人ともまた生まれ変わる。あの世界のために」
~~~
あのとき聞こえた声、それはあの少年少女の魂の声だったのだろうか。
少年が死を目前に残したメッセージが記憶に残っている。だが、それによると少年は死んだのではなく、自分と混ざり合って記憶と体を託し、魂の緒を繋ぎかえたといえるようだ。
「不思議な感覚だ…… 頭の中は前の持ち主の経験と記憶が残っていて、元の世界の記憶と混在している。だが、体は完全に自分の意思で自由に動く」
この世界にきてからあまり意識していなかったことに今更ながら気付いた。これからどうすべきか考える。
記憶の中にあった少年少女の言葉、その中に自分に託された使命があるのだろう。
「この世界を良き方へ導く、か…… 俺はその期待に応えることができるのか?」
先ずはその言葉のとおり、自分が良いと思ったことをしてみよう。それ以外の細かいことを考えても無駄だとわかった。なぜならまだこの世界の事を良く知らないのだから。
~~~
ある程度の時間が経ち、ラミルから声がかかった。汲んだ水を持ちラミルの許へ行ってみる。
「おお……」
大きな葉と蔓でできた服をまとったラミルがいた。
「どうかな、作ってみたんだけど……」
少し照れてる様子でシュンに聞く。幾つもの葉を重ねて蔓で編んでいる。女性の大切なところをしっかりと覆いながらも魅力を引き出すような作り。シュンには到底その場で作ったと思えないほどの出来だ。
「ああ、とても似合ってるよ」
「ありがとう…… でも、いつまでもこの格好でいるわけにもいかないもんね」
「そうだね。何処かで服を手に入れよう。あっ、そうそう。近くで水を汲めたから持ってきた。飲むかい?」
「うん。ちょうど喉が渇いてたから…… ありがとう」
そう言いながら水を飲む。余程渇いていたのか直ぐに飲み干す。そして、
「もう少し休んだら出発しましょう。姫さまのあとを追いかけたいんだけど、シュンも一緒に来てくれるかな?」
「そうだな…… ああ、構わない。一緒に行こうか」
「ありがとう!」
「ああ」
ラミルは大きく背伸びしたあと寝転がり、思っていたことを尋ねる。
「ねえ、シュン。ひょっとしてバルダナの出身なの?」
「……そうだ」
シュンはどう答えるか一瞬考えたがそう答えておくことにした。記憶からそのことはハッキリしていることだから。
「そっか、やっぱりバルダナの人は強いね。噂には聞いていたけど……」
「まあな……」
「でも、なんで私を助けてくれたの? バルダナって人を助けるにしても、契約していないと絶対に助けに動かないって聞いていたから……」
軍事都市バルダナの収入で大きな部分をしめるのが傭兵稼業である。バルダナにとって傭兵としての契約は絶対であり、契約にないことをすることは無い。
「なんで、か…… 」
「言い方が悪いかもしれないけど、冷酷な人達というイメージが強いの」
「そうだな…… その通りだ」
「シュンは違うみたいね」
「俺は…… バルダナを捨てた人間だからな……」
「え! 捨てたって…… どうして?」
「ああ、あの国の…… 何といえばいいか……」
言い淀むシュンを見てラミルは聞いてはいけない事なのかもしれないと思った。
そして、
「大丈夫よ、無理には聞かない」
「そうか。まあ、バルダナにも色んな考えの奴がいるから」
「そう…… それならシュンは何処か他の国とかに所属しているの?」
「いや、どこにも。今は一人、自由な身さ」
「それじゃ、アミマナにきていたのは偶然だったんだ」
「そうなんだ。気づいたらあそこにいて声が聞こえた」
「それが、私だったんだ……」
シュンは頷く。そして空を見上げて、
「俺にとっては……」
「うん? シュンにとっては?」
「男が女を守るのは当たり前、と思っている。だから…… 助けたと言えば良いのかな」
「え!」
―――
元の世界での自分の価値観。
幼い頃から空手などの武道を習い稽古を続けたきたシュンは、色々な教えを受けてきた。
知っている人は多いだろうが、
例えば空手道場では、
「空手に先手なし、という言葉がある。空手に限らず、武とは相手を攻撃するものではなく、あくまで守るためのもの。先ずは自らを守る。強くなれば周りにいる者を守る。さらに強くなれば地域を守る、となる。よく覚えておくように」
書物では、
「世の中を良くするためには、正しきものが強くあらねばならない。即ち、正しいものが強くなるか、強き者が正しくなるか、だ」
酔っ払いの馬鹿親父からは、
「この前の事件の記事だけどよぉ、刃物持った男が電車でってやつだ。何なんだこのコメント欄は! 男女平等だからって男が助ける必要は無いなんてぬかしてやがる。刃物持ってる男を前にして女に自分で何とかしろ? そんなこと言ってる奴は玉取っちまえってんだ! 男が女を守る。あたりめ~だろ! 」
父から、道場の師匠から、書物から、武の先達の言葉や思想を学んできた。
道場では体を鍛え、痛みを知り、強さと弱さを学んできた。
門下生と老若男女問わず稽古を通じ、交流することで人を見て学んできた。
シュンはこれらの学びをもって、体力、筋力、瞬発力など物理的な力は、女性は男性に及ばないのを認識していた。
ゆえに、直接的な暴力が女性を襲うような場合、男が守らねばならないという意識を自然と持つようになっていた。
―――
ラミルが問う。
「そんな理由で助けてくれたの……?」
「それ以外の理由なんているのか?」
「!……」
「それに……」
「それに?」
~~~
父との会話を思いだす。
「シュン、お前は武道をやっているが目の前で女子供が襲われてたら
「そりゃあ助けるべきだろ」
「助けるべきか…… いかにも頭で考えた大変優秀な答えだ」
「何かおかしいのか?」
「言い方を変えようか。その相手が刃物を持ってたら?」
「それは…… 恐いな。ちょっと考えちまう」
「恐いよな、確かに。だけど力の弱い女や子供はもっと恐いはずだ。自分よりも大きく力も強い男が危害を加えようと目の前にいる。おまけに刃物だ。」
「……」
「母親でも姉や妹でも恋人でもない、特に親しい訳でもない他人だったら?」
「……」
「さっきは助けるべきと言ったな。お前、それでも行くか?」
~~~
「正しい答えなんてないんだ。実際、死ぬかもしれないし恐いだろう。だからそのような事態になったときは、勝手に体が動いてしまうもんなんだ。助ける、逃げる、見てるだけ。どのように動くかなんて分かりやしないさ。だから普段から自分の腹を作っておかないとならないんだよ」
「親父だったら行くのか?」
「当たり前だろ」
「怖くないのか?」
「怖いさ。でも、あの時何もしなかったと後悔しながら生きていく方が怖いわなぁ」
「死ぬかもしれないのに?」
「別に良いじゃねぇか死んだって。代わりに助けた子が生きてりゃ」
~~~
「それに、勝手に体が動いていた」
「……ありがとう。バルダナにもいるんだね、そういう
「……俺が変わっているだけかもしれないけどな」
「でも、嬉しかった」
「そうか……」
「そうだよ!」
笑顔で語りかけるラミル。その顔はシュンの脳裏に焼き付いてしまったかのように忘れられないものであった。
「シュン、そろそろ行こう!」
「ああ、一緒に行くか!」
二人は立ち上がり、先へ進むべく歩き出す。
その先には何があるのか分からない。
でも、共に歩いていくのならば何があろうとも乗り越えていける、そんな気がしていた。
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