2.「謝った方が悪いわけじゃない」


「ごめんなさい……」


「ごめんなさい? ちゃんと謝ることもできねえのかよ!」


 ある日、バックルームで預かった宅配便の荷物の整理をしていた徹の耳に、男性客の大声が届いた。慌ててレジに戻ると、ミゲルが大きな体を小さくさせて「ごめんなさい」とつぶやいている。


「あの、すみません、何か……?」


「あ? お兄ちゃん、日本人? あのさぁ、俺、仕事帰りで疲れてるの。『これあっためて』くらい一発で聞いてほしいわけ」


「は、はい」


「なのに『はぁっ?』って聞き返されてさ、そりゃイラッとするよな? なのにまともに謝ることもできないとか、ふざけてんのか!?」


「そう、でしたか、申し訳ありません。ええと、温めはまだ……?」


「まだ。お兄ちゃんやってよ」


「はい、少々お待ちください。申し訳ありません」


 徹は殊勝に頭を下げて謝ると、客の弁当を電子レンジに入れた。ミゲルはしゅんとうなだれている。


「会計は……終わった?」


「はい」


「じゃ、あとは渡すだけだから。あんま気にすんな」


 徹の小さな声の慰めが、ミゲルの耳に心地よく響く。しかし気分は晴れない。母国の店員の態度と日本のそれとは、異なる点が多いからだ。


 徹が「申し訳ありませんでした」と言いながらうやうやしく弁当を渡すと、男性客は何も言わずに店を出ていった。


「ゴメン、トール……」


「いいって」


「……フィリピン、あまり、あやまらない」


「まあ、そうだろうな。丁寧に接するのは日本人だけって言われてるみたいだし」


「どうして、にほん、あやまる?」


「どうして……うーん……、あのな、謝った方が負けってわけじゃないんだよ」


 背の高いミゲルを見上げると、顔に「よくわからない」と書かれているように思え、徹は少しだけ口元をゆるめた。


「外国だと、謝った方に過失がいくってのが多いんだろ? 前に見た本に書いてあった」


「カシツ?」


「……ああ、えっと、謝った方が悪くなる。でも日本ではそうならない。謝った方が悪いわけじゃないし、負けたわけじゃないんだ。まあ、人それぞれってところもあるが」


 そう言いながら、徹は過去のことを思い出していた。両親が仕事に忙しい身だったため、いわゆる普通の家庭の愛情というものを知らずに育った徹に、祖父だけが優しかった。常に近所の祖父の家に入り浸り、自宅には風呂に入り寝るために帰るというような生活を、小学生の頃から続けていた。


 中学生になり、自分の家がおかしいことに気付いた徹は、酒や煙草に手を出し、深夜に繁華街をうろつくようになった。他校の生徒との喧嘩もした。学校に行っても授業中に寝るだけでほとんど勉強などしていなかった。補導され、警察署に連れていかれたことも幾度となくあった。そのたびに祖父が迎えに来て「申し訳ありませんでした」と警察官たちに謝ってくれたのだが、両親が来ることはただの一度もなかった。


「……はい。ぼく、おぼえる。もうし……、もういっかい」


「申し訳ありません」


「もうし……わけあり……」


「申し訳ありません」


「もうしわけありません」


「よし、よく言えたな、ミゲルすごいぞ。あ、あと、フィリピンの『はぁっ?』は日本人にはキツく聞こえるから、客には言わない方がいい」


「はい。わかった。ありがと、トール」


「だから、何でこんな時にも『ル』が巻き舌なんだよ。怒るぞ」


「トール、おこるぞっていう、でも、おこらない」


「……なかなかわかってきてんじゃん……」



 ◇◇



 ミゲルが新人アルバイトとして入ってきてから、三ヶ月が経った。仕事と同じように学校の日本語の授業にも真剣に取り組んでいるようで、彼の日本語はかなり上達していた。


「徹くんとミゲルくん、いいコンビになったわね」


「は?」


「さっきなんて、お互いを見てなかったのに全く同じ動きしてたわよ」


「……は? え?」


「それぞれレジを終えて、お客さんが出ていって、そしたら女子高生三人が店の前を通りかかったじゃない? 全く同じように視線が追ってたの」


 よほどおかしかったのか、オーナーの岡部はその時のことを思い出しながら、くすくすと笑いを漏らす。


「それで、二人同時にはっと気付いたように冷凍庫から揚げ物取り出してて」


 そういえば自分が冷凍庫の扉を開けようとしたらミゲルも同じことをしようとしていたなと、徹は思い出した。


「いや、それは別に合わせようと思ってしたわけじゃなくて……」


「だからおもしろいんじゃない。他のバイトさんからも評判いいのよ。見てるとカワイイって」


「……はぁっ?」


「徹くん、表情が柔らかくなったしね。ミゲルくんのおかげで」


「何言ってんですか? ……あ、宅配便の客来たっぽいんで、レジいってきます」


 段ボール箱を抱えて入ってきた客に対応するために徹がレジに戻ると、ミゲルが「ぼく、かんじ、少しおぼえた」と言い出した。


「漢字覚えたのか? すごいな、ミゲル」


「少しだけ。『東京都』かける。ぼく、りょうすんでる、じゅうしょおぼえた」


「うわ、ミゲルがそこまで頭が良いとは……俺、負けるかも」


「トール、かんじ、おしえて」


「俺が?」


「トールいちばんしんせつだから、おしえて」


「別に俺、親切になんてしてないけど……まあ、簡単なのならいいよ。……あ、いらっしゃいませ。宅配便ですね。元払いで?」


「はい」


 段ボール箱をレジカウンターに置いた客に元払い伝票とボールペンを渡し、対応を続けていると、ミゲルは興味深そうに客が書いている伝票を覗き込む。


「とうきょうと、よめる」


「偉いぞ、ミゲル。でもあんま覗くな」


「えー、読めるの? すごいね、漢字難しいのに」


「ぼく、かんじれんしゅうしています」


「わぁ、偉い!」


 客の中年女性はミゲルを褒めてくれ、店を出るまでニコニコと優しい笑顔をミゲルに送っていた。徹とミゲルは精一杯心を込めて、「ありがとうございました」と、その背中を見送る。


「しんせつなひと、にほんに、いっぱいいる」


「……そうだな」


「ぼく、にほんすき。トールもすき」


「おう、ありがとな。でもそういうこと言う時くらい『ル』の巻き舌やめろよ。怒るぞ」


「トール、おこらない」


「……そうだな」

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