新入りバイトは留学生
祐里
1.「俺、無理なんで」
「岡部さん、俺、無理なんで、別の人の方が……」
「いつもより早く来て言うことがそれ?」
「そのために早く来たんだし……」
「いい加減腹くくりなさい、もう当日よ? 徹くんが一番向いてるって言ってるでしょう? それに、自分は無理だって思ってることだって、やってみないとわからないんだから」
岡部は、徹の言うことを頑として聞き入れない。徹は本当に無理だと思っているのに。英語も話せない自分が、フィリピン人の留学生を相手に研修だなんて。
「シフト時間も同じだし、週三回でいいのよ」
「……けど……」
「けど、なぁに? 翻訳アプリ使っていいんだから、ちょっと面倒なだけでしょう? さ、もう来るわよ、彼」
「……そうだけど、でも……」
「でも、なぁに?」
「…………」
徹は諦めた。岡部の言うことは一応、筋が通っているのだ。「徹くんが一番向いてる」の根拠はわからないが。
そうこうしているうちに、午後四時十分前になってしまった。四時になったら子供がいる主婦店員と交代しなければならない。徹は、覚悟を決めた。高校に進学しなかった自分は、この店の面接を受け、採用されてアルバイトを始め、それから七年間大きな不満もなく――どちらかというと感じる恩の方が強い――ここまでやってきたが、この職場とのお別れも近いのかもしれない、と。
「……こん、にちは……」
「はい、こんにちはー。次からはおはようございますって言って入ってきてね」
徹がバックルームのパイプ椅子に座ってうなだれていると、
「つぎ、から……?」
「そうよー。おはようございます、っていうのが、入る時の挨拶なの」
「おはようございます」
「まあ、上手。じゃ、徹くん、よろしくねー」
そう言うと、岡部は在庫確認と発注の作業に戻るべく、さっさとお菓子の商品棚の方へと立ち去ってしまった。あとに残されたのは、徹と留学生だけだ。
「……佐野、徹、です」
「ミゲル・ガルシア、です」
ミゲルと名乗った男性は、まさに東南アジア人というような日本人より浅黒い肌で、大きな目とふくよかな唇を持っている。つり上がった目と薄い唇の自分とはえらい違いだと、徹は思う。そんな彼も、徹に向かってぺこりと頭を下げた。日本式の軽い挨拶をもう理解しているのだろう。
「ミゲル、ガルシア、くん?」
「はい。……トール?」
「どっかのコーヒー屋のサイズじゃねえんだから」
「コーヒー?」
「……何でもねえ。じゃ、着替えて……」
「キガ?」
「……アプリ立ち上げてなかったな……」
これが、徹とミゲルの出会いだった。
◇◇
ミゲルとの初対面の日から、一ヶ月が経った。ミゲルの日本語はだんだん上達してはいるが、まだわからない単語も多いようで、徹にとっては気を遣いながら仕事をするという日が続いている。
「おい、ミゲル、あっちの棚」
「はい、トール」
「……だから、何でいちいち『ル』が巻き舌なんだよ」
「おかしい?」
「いや、別にいい。あっちの棚の品出し、すげえ数あったけどもう全部出したのか?」
「あっち……、はい、ぜんぶ」
「早っ。おまえそんなに仕事できるヤツだったのか。ああ、背が高いから上の方もやりやすいんだな。怒るぞ」
「……ゴメン、トール、もういっかい……」
つい早口でまくし立ててしまい、徹は少々反省しながら「仕事が早かった、ミゲルはすごい」と言い直す。
「すごい、ほめる?」
「褒めてるよ」
徹の言葉に、ミゲルがにこりと笑う。二十歳という年齢より少し年上のように見えるが、笑うと目が垂れてかわいい。
「でも、オニモツ、まだできない」
「宅配便はやらなくていいって。漢字、難しいだろ」
「はい……。トール、ほかのしごと、ある?」
「ほかの……うーん、あとはもっと遅い時間になってからだな」
「きゅけい、する?」
「休憩でもいいけど、オーナーも客もいない時くらいちょっと有線で遊ぶか」
そう言うと、徹はバックルームで有線放送のチャンネル表を調べ始めた。外はしとしとと雨が降っていて、店の前を通る人々はみな、早足で過ぎ去っていく。
「ミゲル、ミュージック、好きなやつ」
ちょいちょいと手招きをして店の奥に呼ぶと、ミゲルは「なぁに?」と言いながら近付いてきた。「なぁに?」はオーナーの口癖だ。変な言葉覚えやがってと、徹は聞くたびに思ってしまう。
「ミュージック、何がいい?」
「ぼく、ロックすきです。ふるいロック」
「古いロック? んー、じゃあ八十年代とか?」
徹が八十年代の洋楽のチャンネルに合わせると、アップテンポの曲が流れ始める。
「おお、けっこういいな、このチャンネル」
曲が切り替わり、次にベースの音が強い骨太のロックが流れる。すると、ミゲルがうれしそうな顔になった。どうやら知っている曲らしい。徹がほっとしながら上機嫌なミゲルを見ていると、彼は突然大きな声で「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」と歌った。
「ぶっ、何だよそれ。もう一回」
「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」
ミゲルに再び同じ箇所を歌ってもらう。英語なのだろうが、徹の耳には「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」という日本語の文章にしか聞こえない。歌手名と曲名をミゲルに聞いてスマートフォンで歌詞を見てみたところ、該当の部分は「Tommy~」から始まる詞のようだ。ここでまた徹の笑いのツボが反応してしまった。
「トミーって、じゃあ何でトリの『リ』が巻き舌なんだよ。トールの『ル』と同じじゃねえか」
笑い混じりに話す徹は珍しい。そもそも、徹は無気力でやる気がないように見える――本人は真面目に仕事をしているつもりなのだが――くらい、いつもクールで落ち着いている。徹が笑うのがうれしくて、ミゲルは気を良くして再び大きな声で歌った。
「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」
「ぶはっ、やべえ、ミゲルやめろって。怒るぞ」
どうしても抑えきれない笑いを逃がすため体をくの字に曲げ、肩を震わせて笑う徹と、もう曲は終わりかけているのに調子に乗って何度も歌うミゲル。雨はずっと降りつづいており、客足は遠のいたままだ。誰にも邪魔されない空間で、二人は顔を見合わせて破顔した。
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