新入りバイトは留学生

祐里

1.「俺、無理なんで」


 佐野さのとおるは悩んでいた。アルバイト先のコンビニエンスストアのオーナーである岡部静香おかべしずかから、「四月に入ったら新人の研修を任せる」と言われているからだ。


「岡部さん、俺、無理なんで、別の人の方が……」


「いつもより早く来て言うことがそれ?」


「そのために早く来たんだし……」


「いい加減腹くくりなさい、もう当日よ? 徹くんが一番向いてるって言ってるでしょう? それに、自分は無理だって思ってることだって、やってみないとわからないんだから」


 岡部は、徹の言うことを頑として聞き入れない。徹は本当に無理だと思っているのに。英語も話せない自分が、フィリピン人の留学生を相手に研修だなんて。


「シフト時間も同じだし、週三回でいいのよ」


「……けど……」


「けど、なぁに? 翻訳アプリ使っていいんだから、ちょっと面倒なだけでしょう? さ、もう来るわよ、彼」


「……そうだけど、でも……」


「でも、なぁに?」


「…………」


 徹は諦めた。岡部の言うことは一応、筋が通っているのだ。「徹くんが一番向いてる」の根拠はわからないが。


 そうこうしているうちに、午後四時十分前になってしまった。四時になったら子供がいる主婦店員と交代しなければならない。徹は、覚悟を決めた。高校に進学しなかった自分は、この店の面接を受け、採用されてアルバイトを始め、それから七年間大きな不満もなく――どちらかというと感じる恩の方が強い――ここまでやってきたが、この職場とのお別れも近いのかもしれない、と。


「……こん、にちは……」


「はい、こんにちはー。次からはおはようございますって言って入ってきてね」


 徹がバックルームのパイプ椅子に座ってうなだれていると、くだんの留学生がやってきた。初対面のため、座った姿勢のまま、明るい茶色に染めた前髪の向こうに見える彼に軽くぺこりと頭を下げておく。


「つぎ、から……?」


「そうよー。おはようございます、っていうのが、入る時の挨拶なの」


「おはようございます」


「まあ、上手。じゃ、徹くん、よろしくねー」


 そう言うと、岡部は在庫確認と発注の作業に戻るべく、さっさとお菓子の商品棚の方へと立ち去ってしまった。あとに残されたのは、徹と留学生だけだ。


「……佐野、徹、です」


「ミゲル・ガルシア、です」


 ミゲルと名乗った男性は、まさに東南アジア人というような日本人より浅黒い肌で、大きな目とふくよかな唇を持っている。つり上がった目と薄い唇の自分とはえらい違いだと、徹は思う。そんな彼も、徹に向かってぺこりと頭を下げた。日本式の軽い挨拶をもう理解しているのだろう。


「ミゲル、ガルシア、くん?」


「はい。……トール?」


「どっかのコーヒー屋のサイズじゃねえんだから」


「コーヒー?」


「……何でもねえ。じゃ、着替えて……」


「キガ?」


「……アプリ立ち上げてなかったな……」


 これが、徹とミゲルの出会いだった。



 ◇◇



 ミゲルとの初対面の日から、一ヶ月が経った。ミゲルの日本語はだんだん上達してはいるが、まだわからない単語も多いようで、徹にとっては気を遣いながら仕事をするという日が続いている。


「おい、ミゲル、あっちの棚」


「はい、トール」


「……だから、何でいちいち『ル』が巻き舌なんだよ」


「おかしい?」


「いや、別にいい。あっちの棚の品出し、すげえ数あったけどもう全部出したのか?」


「あっち……、はい、ぜんぶ」


「早っ。おまえそんなに仕事できるヤツだったのか。ああ、背が高いから上の方もやりやすいんだな。怒るぞ」


「……ゴメン、トール、もういっかい……」


 つい早口でまくし立ててしまい、徹は少々反省しながら「仕事が早かった、ミゲルはすごい」と言い直す。


「すごい、ほめる?」


「褒めてるよ」


 徹の言葉に、ミゲルがにこりと笑う。二十歳という年齢より少し年上のように見えるが、笑うと目が垂れてかわいい。


「でも、オニモツ、まだできない」


「宅配便はやらなくていいって。漢字、難しいだろ」


「はい……。トール、ほかのしごと、ある?」


「ほかの……うーん、あとはもっと遅い時間になってからだな」


「きゅけい、する?」


「休憩でもいいけど、オーナーも客もいない時くらいちょっと有線で遊ぶか」


 そう言うと、徹はバックルームで有線放送のチャンネル表を調べ始めた。外はしとしとと雨が降っていて、店の前を通る人々はみな、早足で過ぎ去っていく。


「ミゲル、ミュージック、好きなやつ」


 ちょいちょいと手招きをして店の奥に呼ぶと、ミゲルは「なぁに?」と言いながら近付いてきた。「なぁに?」はオーナーの口癖だ。変な言葉覚えやがってと、徹は聞くたびに思ってしまう。


「ミュージック、何がいい?」


「ぼく、ロックすきです。ふるいロック」


「古いロック? んー、じゃあ八十年代とか?」


 徹が八十年代の洋楽のチャンネルに合わせると、アップテンポの曲が流れ始める。


「おお、けっこういいな、このチャンネル」


 曲が切り替わり、次にベースの音が強い骨太のロックが流れる。すると、ミゲルがうれしそうな顔になった。どうやら知っている曲らしい。徹がほっとしながら上機嫌なミゲルを見ていると、彼は突然大きな声で「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」と歌った。


「ぶっ、何だよそれ。もう一回」


「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」


 ミゲルに再び同じ箇所を歌ってもらう。英語なのだろうが、徹の耳には「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」という日本語の文章にしか聞こえない。歌手名と曲名をミゲルに聞いてスマートフォンで歌詞を見てみたところ、該当の部分は「Tommy~」から始まる詞のようだ。ここでまた徹の笑いのツボが反応してしまった。


「トミーって、じゃあ何でトリの『リ』が巻き舌なんだよ。トールの『ル』と同じじゃねえか」


 笑い混じりに話す徹は珍しい。そもそも、徹は無気力でやる気がないように見える――本人は真面目に仕事をしているつもりなのだが――くらい、いつもクールで落ち着いている。徹が笑うのがうれしくて、ミゲルは気を良くして再び大きな声で歌った。


「トリあえずっ、輪ゴムだぁす!」


「ぶはっ、やべえ、ミゲルやめろって。怒るぞ」


 どうしても抑えきれない笑いを逃がすため体をくの字に曲げ、肩を震わせて笑う徹と、もう曲は終わりかけているのに調子に乗って何度も歌うミゲル。雨はずっと降りつづいており、客足は遠のいたままだ。誰にも邪魔されない空間で、二人は顔を見合わせて破顔した。

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