二
時に海野は面を正し、戒めるような口ぶりを以て、
「おい、それでは済まんだろう。よしんば、われわれ同胞が、君に白状をしろといったからって、日本人だ。むざむざ喋るという法はあるはずがないじゃないか。骨が砂利になろうとままよ。それをそうやすやすと、知ってれば白状したものをなんのって、面と向ってわれわれにいわれた義理か。え? どうだ。いわれた義理ではなかろうでないか。」
看護員は身を斜めにして、椅子に片手を投げかけつつ、手にした鉛筆を弄んで、
「いや。しかし大いにそうかも知れません。」
と片頬を見せて横を向いた。
海野はみはった眼を以て、避けた看護員のおもてを追った。
「何だ、そうかも知れません? これ、無責任の言語を吐いちゃあいかんぞ。」
またじりりと詰寄った。看護員はややうつむいた。手にした鉛筆のさきを嘗めて、ズボンのひざに落書きしながら、
「無責任? 左様ですか。」
かれは少しも逆らわず、はた意に介せる様子もない。
百人長は大いに急いて、
「ただ『左様ですか』では済まん。様子に寄ってはこれ、きっとわれわれに心得がある。しっかり性根を据えて返答しないか。」
「どんな心得があるのです。」
看護員は顔を上げて、きっと海野に眼を合わせた。
「一体、自分が通行をしている処を、何か待伏せでもなさったようでしたな。あなた方大勢で、自分を担ぐようにして、ここへ引込むのはどういうわけです。」
海野は今この反問に張合を得たのだろう、肩を揺すって気負い懸った。
「うむ、聞きたいことがあるからだ。心得はある。心得はあるが、まず聞くことを聞いてからのこととしよう。」
「は、それでは何か誰ぞのいいつけででもあるのですか。」
海野は傲然として、
「誰が人に頼まれるもんか。おれの了簡でおれが聞くんだ。」
看護員はそとその耳を傾けた。
「じゃああなた方に、ひとを尋問する権利があるので?」
百人長は顔を赤くして、
「囀るでない!」
と声高く、頭がちに一息に言った。つつけば破裂しそうな、気勢激しい軍夫たちを一わたりずらりと見渡し、その眼を看護員にねめかえして、
「権利はないが、腕力じゃ!」
「え、腕力?」
看護員は犇々とその身を擁する浅黄の半被股引の、雨風に色褪せた、譬えば囚徒の幽霊の如き、数個の物体をみまわして、秀でた眉を顰めた。
「解りました。で、そのお聞きになろうというのは?」
「知れてる! さっきからいう通りだ。何故、君には国家という観念がないのか。痛いめを見るがつらいから、敵に白状をしようと思う。その精神が解らない。『いや、左様かも知れません』なんざ、無責任極まるでないか。そんなぬらくらじゃ了見しないぞ、しっかりと返答しろ。」
とつとつ迫る百人長は太い仕込杖を手にした。
「それでどういえば無責任にならないです?」
「自分でその罪を償うのだ。」
「それではどうして償いましょう。」
「敵状をいえ! 敵状を。」
と海野は少し色解けて、どか、と身重げに椅子にもたれかかった。
「聞けば、君が、不思議に敵陣から帰って来て、係りの将校が、君の捕虜になっていた間の経歴について、尋問があった時、特に敵情を語れという、命令があったそうだが、どういうものか君は、知らない、存じませんの一点張りで押し通して、つまりそれなりで済んだというが。えぇ?君、二月も敵陣にいて、敵兵の看護をしたというでないか。それで、懇篤で、親切で、大層奴らのために尽力をしたそうで、敵将が君を帰す時、感謝状を送ったそうだ。その位信任をされておれば、種々いろいろ内幕も聞いたろう、また、ただ見たばかりでも大概は知れそうなもんだ。知ってていわないのはどういう訳だ。あんまり愛国心がないではないか。」
「いえ、全く、聞いたのはうめき声ばかりで、見たのは包帯ばかりです。」
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