第7話 文官の傑物(3)
私はとある物陰でクロノと落ち合う。
「順調そうでなによりです。これで怪しまれず次の行動に移せます」
「ただ、気になる人物がひとりいる」
「ではその者の特徴を」
「茶髪のサイドを刈り上げ、身の締まった荷揚げの男。やたらと飯を喰らっていたな。一体どんな胃袋をしているのか不思議でならないほどだった」
「ああ、であれば構わず続行してください」
その反応は、つまりそういうことなのだろう。
知らなくていいことに首を突っ込まない。
それが諜報課の鉄則だ。
それよりもクレアだ。
なぜクレアがここに来たか。
だが、クロノにそれを言ったところでどうにもならない。
出かかった言葉をグッと喉奥におしこめる。
今回、私が諜報課より請け負った任務は倉庫内の重要なポジションにつき、倉庫の魔術セキリュティ図面を入手すること。倉庫に詳しいサイモンを外に追いやり、不慣れな兄妹にすげ替えれば、要職に引きあげられた私を頼って最大限の権限を与えることは目に見えていた。
その計画を可能にしたのが財務部よりもたらされた抜き打ち監査の知らせだった。そしてすべては課長の筋書きどおりに運んだ。まもなく私は図面のすべてを手に入れ、脳内模写してクロノへ渡した。そして何食わぬ顔で倉庫の管理代行をつづけた。
とりあえず私の任はこれで終わりであったが、緊急に備えて待機するよう指示がでていた。課長いわく、倉庫から人知れず危険物を押収するのが今回の任務だそうだ。詳しいことはわからないが、どのみち私の内包魔力量は平凡以下で、かつ戦闘向きではないため危険な仕事は実行班に任せればいい。それでしまいだ。
そういうわけで暇を持て余した私は、ふかふかの椅子に腰かけ庫内の図面を思い返す。倉庫に幾重にも張りめぐらされたセキリュティ、倉庫動源である魔核回路。そこに穴がないか存在可能性を検討したり、もっと強固なセキリュティに作り変えたりはできないか、パズル気分で時間を潰した。なかなかに理想的な魔術要塞が脳内にできあがるとひとり悦に入った。
そうこうして三日後。別の緊急事案が発生した。
「特別会計監査官クレア=ハードレッドです。また会いましたねガレットさん」
クレアがゴキゲンに微笑んだ。
私はその笑顔が悪魔のそれに見えた。
リリシア課長の獰猛な笑みに匹敵する恐怖をおぼえた。
「言い身なりになりましたね。なるほど昇進ですか。おめでとうございます。それはそうと、なんの功績で昇進したのでしょう。くわしく教えていただけません?」
くそっ、再調査など聞いてない。
どうなってる、なんでこっちに情報が回ってこない。
いやまて、同僚がひとりもいない。
まさか指揮系統を無視して単独で動いたのか。
そんなの役所の人間失格だろうが。
「ずいぶんとお若いんですね。なるほど中央騎士学校を目指し頑張ってると。もしかしたらわたしの後輩になるかもしれません。その時はよろしくどうぞ……まあもし、それが本当だったら、ですが? それよりちょっと、お顔触ってもよろしくて?」
だめだ、理由はわからないがきっとバレてる。
顔に魔力を流し込まれたら、一貫の終わりだ。
ここは撤退し、持ち場を放棄すべきか、くそ、なんでこうなった。
クレアの血色のよい手が私の顔をおおう光学魔術フィルターへと迫った。
その時であった。
ジリリリリ――けたたましい警報音と赤色灯が点滅した。
これは人命の危険を指し示すもの。
庫内は騒然となり、我先にと出口に人が殺到した。
「ちょっ! あなた待ちなさい!」
混乱に乗じ、私は人混みにまぎれた。
助かったと思ったのもつかの間、本当の危機は別にあるらしかった。
庫内の一角、冷凍室内にあるコンテナの貨物から得たいのしれない黒々とした化け物が、数十の単位でわらわらと這い出してくるのが見えた。粘性の上皮から黒いあぶくをはなつ四足歩行、頭蓋が人そっくりな化け物。その目は赤く虚ろであった。
「くそ、デルタだ、デルタに変更する! 誰かが冷凍機能を停止させやがった!」
そう叫んだのは、茶髪のサイドを刈り上げた男。
どうやら別働班の作戦が失敗に終わったようで、私は急ぎその場をはなれ、出口と別方向へむかった。魔術の痕跡をのこさず外部通信できるエリアでイヤーカフをはめ、耳元に魔力を集中させる。
「クロノ、現状を求む」
「はい、冷凍貨物に紛れ込ませてあった生物兵器とおぼしき対象物が冷凍室の機能停止とともに解凍され、動きだしたようです」
「となると敵工作員がこちらに勘づき、計画が前倒された結果か」
「いえ現状なんとも。ただ冷却装置にアクセスできるのは幹部社員以上。それはあなたが一番よく理解しているのでは」
「ならおそらくはサイモンだろう。私への腹いせか、兄弟への報復のために仕掛けたか。ともかく生物兵器の事案と重なったのは偶然の可能性が高い。バレれば一発処刑モノだ。そこまでのリスクは割に合わないし、もし他国諜報と繋がっているならば課長も予期、察知し、事前に防げたはずだ」
「……まったく最悪としか言えないタイミングです」
そんなクロノとの通話には断続的な振動音、破裂音がまじる。イヤーカフから拾った雑音とほぼ時をおなじくして、高層建築物から放たれた弾丸が倉庫のガラス窓を割り、黒い化け物の頭部に次々と命中していく。頭のみつぶし、化け物の活動をみごと最短で静止せしめていった。
「わらわらとまったくキリがありません。もしかすると魔核が汚染される前に倉庫もろとも焼却する必要があるかもしれません」
「いや、同規模の魔核を動源とする倉庫はあと一つしかない。それをしてしまえば都市が機能不全に陥る。国がその判断を下すことはないだろう。たとえ市民が何人犠牲になろうともな」
「――ッ。それはそうとグレイ、すみやかに退避を。見るかぎりアレは中度感染生物兵器の類いです。耐性のない一般人には命とり。いまだ庫内に残されている従業員はすでに重度感染者とみなしていいかと。グレイは結界を張りつつ、助かる見こみのある感染者の誘導と隔離をねがいます」
「それなら問題ない。重度罹患者もおそらくゼロだ」
「……いや、さすがに見込みが甘すぎます、どう考えても楽観すぎます!」
「すでに倉庫内の魔術セキリュティに侵入し再構築してある。空気感染を考慮したフィルターにソースを割いて結界を庫内全体に巡らせてあるからその心配はない」
「……」
「そう別働班にも伝えてくれ」
「わ、わかりました。判断を下すのはリリシアですが、そう伝えます」
「よろしく頼む。それとおそらくだが応援もいらない」
「……あの、もうやめてくれませんか、これ以上は手元が狂います。ていうかさっきからなんなんですか、まだ能力隠し持っているんですか、新人なら新人らしく先輩の言うことを黙ってきいてください。言っておきますがね、能力の秘匿は軍法会議ものなんです、もうどうなっても知りませんから」
まくし立てるクロノの声はしかし、どこか弾んでいた。その期待に応えられたらさぞ恰好がつくのだろうが、現実そう甘くはない。私にそんな力はないしそもそも今現在、木製コンテナの中にいて身動きがとれないのだから。
「私じゃない、やるのは彼女だ」
「……はい?」
「こちらにきた。通信を切らせてもらう」
「え、ちょっ――」
私は遠隔共有術式を作動させる。これは倉庫内に張りめぐらされた魔術センサーを私の感覚器官へと同調させたものだ。
カッカッカッ。ヒール音を優雅に響かせるのはクレア=ハードレッド。私の友であり、民間初の騎士学校首席であり、またの名を「知と血の暴力」と同期たちに言わしめた正真正銘のバケモノである。
だが、私の意に反してクレアは生物兵器の群れなど目もくれず、庫内を悠然と徘徊した。
「ふうん、ずいぶん無駄のない結界だこと。なんか見覚えるわーこれ、懐かしー」
辺りを見まわし、何かを探るように視線を隅々まで這わせるクレアは上着を脱ぎ捨て、肩をまわしながら言った。
「ねーネトー? いるんでしょー、返事してよー?」
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