第8話 文官の傑物(4)
「ねーネトー? いるんでしょー、返事してよー?」
私は膝を抱え、じっと息を殺す。
大丈夫だ、認識阻害魔術は同期でも私の右にでるものはなかった。
見つかることはけっしてない。
しかし私の意思に反し、その手足はカタカタと震えた。
「ねー? 特別会計監査官だっけー? ずいぶんとあんた好みの役職できたわねー? 今なら譲ってあげるからー? 出てきなさいよー?」
駄目だ。何から何まで全部バレてる。
アレか、君は私を血祭りにあげたいのか。
袖をたくし上げたその腕は、その拳はなんだ。
葬儀の号泣もやはり演技だったのか。
そもそもその声が怖いから、出ていけないのだが。
――カッ。突如として足音が止まった。
「みぃーつけた。今、倉庫内の魔術セキリュティハッキングしてるでしょ? ってことはどこからかずっと遠隔操作しなくちゃならない。ピアノ線並みに細くして誤魔化してはいても認識阻害は魔糸まで及ばないものねー。あとはこの糸を辿れば……」
ごくり息をのむ。万事休すか。
「へぇ、こんな木箱に隠れてずいぶんと落ちぶれたのね。さあ出てきなさい!」
だが、箱のなかは空だった。
それは万が一に仕掛けておいたダミー糸。
するとクレアは震えた声で言った。
「……なに、なんなのよもう、そんなにわたしのこと、嫌いなの、ねぇネト」
そのままピタと声はやんだ。背後には黒い化け物と足止めを試みる別働班の凄まじい交戦音、くわえ出口付近に殺到して立ち往生する従業員たちの悲鳴やら怒号が行き交うそんな喧騒のなかに、かすかにすすり泣く友人の声がまじっていた。
違う。そうじゃない。
クレアなら全部わかってくれるだろうと。
私は言い訳じみた思考を巡らせた。諜報課は身内にすらその素性を明かさない。それがあるべき行動規範だ。しかしその結果がこれか。べつに私は自ら諜報課を望んだわけでもないし、どのみちもうバレる。時間の問題だ。ならば自らのキャリアに汚点を残そうとも、この際潔くこちらから姿を現すのが筋ではないのか。そして友の拳を甘んじて受け入れるべきではないか。そう懊悩しているときだった。
「そこの紅髪! 何している! 床に落としたジャケットの胸元のバッチ! 腐っても首席卒業者なんだろ! 結界でもなんでもいい! はやく手伝え!」
「……チッ」
私はたしかに聞いた。
忌々しそうに鳴らされた舌打ちを。
クレアは踵を返し、そのヒール音が遠のいていく。
間一髪、難を逃れた私は女の怖さというものをあらためて脳髄に深く刻みこんだ。コンテナから脱出し、物陰からクレアのすっと伸びた背を見つめる。彼女はなんら臆することなく歩を進め、大量に蠢く黒い化け物たちと向きあった。そしてひと息に叫んだ。
「わたしの邪魔をするな蛆虫どもがッ!」
クレアは怒りにまかせダンと足を踏み鳴らした。足もとに円の魔方陣が煌々と浮かび、またたく間にそれが床一面へと拡張し、黒い化け物のみならず、別働班もろとも射程におさめたのだが、おいまて、蛆虫の対象に私の同僚も含まれてやしないかそれ。
「やばい逃げろっ! 巻きこまれるぞっ!」
誰かがそう叫び、別働班七人全員が飛び退いたその刹那。地面より無数の刺礫が隆起し、化け物、貨物、荷台、棚と範囲内にある、ありとあらゆるすべてを無差別に串刺した。
肢体を貫かれ、臓腑から大量の黒血をこぼした化け物は、悍ましい声をあげながら、そこから逃れようと必死にもがくもクレアはまるで意に介さない。
「は? 逃がすわけないでしょうが」
クレアは流れるように印を結び、石床材から生み出した刺礫にさらなる再構築をほどこし無数の枝を生やした。細かい刺はかえしとなり、完全に囚われた化け物たちはその四肢の端をわしゃわしゃと蠢かすばかりで、クレアはそれを不快そうに視蔑した。
「まったくどうしてくれようかしら。潰されたい? 刻まれたい? それともすり潰されたい?」
だが、その時であった。
黒く醜い化け物が一斉に動きを止めた。
場が一転して嘘のようにしんと静まりかえる。
それはあまりにも不気味な空白の数秒であり、危険を報せるに充分な時間であった。推定百体にもおよぶ化け物の腹がぶくぶくと膨れあがるさまを最後まで見届けることなく、クレアは、別働班たちは、めいめいに踵を返し、全力で駆け、出口をめざした。
アレに呑まれたらまずい、そう直感していた。
私も同じく直感した。しかしその行動は真逆であった。無意識に化け物に向かって駆けだしていた。クレアとすれ違う。彼女は驚きとともにこちらに振り返った気がしたが、そんなこと気にする余裕もなかった。庫内に張られた結界を一点に集約させる。
あの化け物どもに自爆されては倉庫内の穀物、商品、魔核すべてが汚染され、その被害は甚大となろう。国力の一時的低下は避けられない。もしかしたらテロリストの標的は始めからここだったのかもしれない。下手すれば戦争へ発展することすらあり得る。さまざまなシナリオが脳内で飛び交い鮮明に浮かんでは消えた。そのシナリオいずれもが、私が天下って悠々と暮らす将来が潰える未来であった。なにより友の笑顔がちらついた。
ふざけるな。私の今までの努力が無に帰す気か。冗談じゃない。そんなこと断じて許すか。そっちがその気ならば、こっちもなり振り構わず対処させてもらう。
私は倉庫に張りめぐらせてあった魔糸でもって管理室の魔術セキュリティの最深部にアクセスする。倉庫の結界、冷却、空調、光源、貨物運搬とあらゆるエネルギー源となる魔核。それを制御する結晶石に魔力負荷をかけて破壊すると、まもなく魔核が暴走を始めた。
魔核より膨大な魔力の奔流が糸をつたい私へと流れ、溢れてくる。
ああ、このなんでも為し得そうに思えてくる全能感。一歩でも間違ったらすべて灰燼と帰する焦燥感。私の求める悠々自適とはまったく真逆の高揚感。
その感覚、どれもがじつに不快であった。
たから私は魔核の意志にのまれることなく、冷徹をもって何度も印を結び、化け物どもの周囲に球状結界を重ねに重ねた。その数、十層。ヒト種の掛けうる最大限の結界層。まもなく乗数的に膨れあがった化け物の臓腑は球体内を暗黒色に埋めつくして私の鼻先にまで達し、はち切れんばかりに行き場をなくした。
かたや魔核のエネルギー暴走も止まらない。あり余ったこの膨大な魔力をどうしてくれよう。否、行き先ならすでに決まっている。結界内に放り込むのみ。魔核のその暴走したエネルギーが尽きるまで私は結界内にひたすら魔力を注いだ。球体内が禍禍しいマーブル状の混沌と化し、ついには魔核が枯渇したそのタイミング。
私は合図を送る。
ヒュオと風切り音が私のこめかみを掠め、球体の中心をみごと射ぬく。
球体内がまたたくまに発光し、溶鉱炉のごとき光熱が私の目を焼くかのごとく襲いかかり、それでも私は十層結界を維持しつづけるため、一層、二層と結界が砕けるなか、その場で印を結び補強しつづけた。
いつしか私は完全に白光にのみこまれていた。果たして死んでしまったのではと錯覚するほどに前後左右なく平衡感覚を失った白の世界をさ迷っていたところ、「ネトッ!」という友の必死な声が私の意識を現実世界へと引き戻した。
やがて発光がおさまり、私の魔力が尽きて結界が解かれると、黒い化け物は跡形もなく消えうせ、塵ひとつ残らなかった。目をやられた私はわずかに残した魔力でもってうっすらと彼女の無事を確認した。クレアは這って私を探したが、その手が私へと届くことはなかった。
目もみえず魔力を枯らし歩くこともままならない私はすぐさま別働班に回収され、倉庫を出た。私を軽々と担ぎ運ぶ男が、なにやら堪え笑いをしている。
「くく、くくくっ。どいつもこいつもほんとぶっ飛んでやがる。気に入った。ちょい待ってろ、今、目治してやるから」
言葉どおりすぐに目が開いた。視界に入ったのはサイドを刈り上げた利発そうな男の広い背中。
「諜報課のヒースだ。よろしくな」
「同じくグレイ、こちらこそ――ん、ちょっとまってくれないか」
ふと目に入ったのは地面で丸まり身体を震わす一匹の仔猫。衰弱しきった灰毛の幼躯は人間にくらべはるかに毒がまわりやすい。その子を拾いあげるもヒースは首を横に振った。
「倉庫を根城にしてたんだろうな。悪いがそいつは助けてやれない。死にかけちまってる。人だろうがネコだろが命は等しく命だ。こうなったら代償がいる。膨大な自然魔力がないと救えないんだ、もう諦めろ」
「……そうか」
そこにクロノが一目散にやってきて私の右頬をパン!と思いきり張った。
「阿呆だとは思っていましたがここまでとは、まったくまったく……」
相変わらずの無表情なわりに、ふるえた声と潤んだ瞳が、たしかに私をバディと認めてくれたのだと実感するとともに、ふと思い立った。
「なあクロノ、胸にさげてるペンダント石。本物のサファイアか」
「え、ええまあ。そうですが……」
「なあヒース。これでいけるか」
「いや、いけるかいけないかでいえば多分いけるんだが、しかしそれ、お前のじゃないだろ。ものすげえ高えって。野良ネコ救うために使うやつなんて聞いたことも」
「だそうだクロノ、この子の命は君にかかってる」
「……」
「だそうだクロノ、この子の命は君にかかってる」
「……」
クロノが地面に打ちひしがれるなか、ヒースは奇跡を起こした。それは文字通りの魔法であり、小手先の魔術ではなく純然たる神の奇蹟だった。
仔猫が私の腕のなかでそっと目を開ける。
サファイア石の魔力を授かったその瞳は、碧くつぶらに輝いていた。
「その碧い目、私とお揃いだな」声をかけたら「にゃー」と元気よく鳴いた。
ふっ、じつに愛らしいな。
私はしみじみ感じ入った。
それだけで今日のことすべて報われた気がした。
◇
「このような夜分の呼びだし、いかがなされましたか閣下」
椅子に背をあずけ、黒塗りの杖に手をおいた老齢の男は、その歳に合わぬ鬼神のごとき目でこちらを睨みあげ言った。
「これを見よリリシア、第二倉庫の魔核反応が消失した。なにがどうなってる」
「作戦中の偶発事故により対象物を回収不能となったばかりか倉庫内で覚醒、魔核汚染のリスクが看過できる水準を超えましたため、破壊するよう指示し、実行しました」
「……倉庫は、それで倉庫はどうなった」
「損傷率三パーセント未満。新たな魔核と結晶石を装填次第、復旧可能です」
「三パーセント未満? 馬鹿いえ。あれだけのエネルギー凝集体をどうしたという」
「結界で閉じこめたのち、対象物のエネルギーと相殺したとのこと」
「ほう、たしかに理論上は可能だが、しかし結界の耐久性に難があるな」
「それはそうと軍開発部門より新たな魔核の提供を願います」
「簡単に言うな。アレがなんだと思ってる。なんのための汚物回収だと思ってる。ともあれ倉庫が無事であったことがせめてもの救いか」
「であれば本件における処分対象者はなしでよろしいですね」
「なあリリシアよ、貴様が指示を出したのなら、その責任ぐらい取ったらどうだ」
「でしたら閣下が潔く引退してくださればと」
「まともな後継者が育ってればとっくにこんな椅子くれてやる。して、あっちの方はどっなておる」
「はい、日を追うごとに情報の確度が増しております」
「そうか。市議会選も近い。けっして遅れをとるな」
「重々承知しております。それでは私はこれにて――」
「まて、ところで魔核を消失させた者はどこの誰だ」
「お答え致しかねるとともに、その者には手をだされぬよう願います」
「……ほう、ずいぶんな入れ込みようだなリリシア」
「閣下もいずれわかります。その時は背を刺されぬようをお気をつけください」
「なんだ、刺されたことのあるような口ぶりだな」
「ええ、つい今し方、刺されたばかりでして」
老齢白髪の男は白濁した目をかっと見開き、カカと笑った。
「なるほどそうか、ようやく腑に落ちたわ。ならば好きにするといい。責任はとれよリリシア」
「むろん承知しております。では失礼いたします」
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次話より「英雄の末裔」編
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