第6話 文官の傑物(2)

 落ちつけ、大丈夫だ。

 クレアの能力じゃ私の正体はけっして見破れない。


「ん、どうかしましたか。ああどうぞご安心を。とかげの尻尾きりにならぬよう調査いたしますので」


 よし、バレてはない。いやそうじゃない。クレアが監査課にいるなんて私は聞いていないしそもそもだ。特別会計監査官というポストは混乱のさなかにある監査課に私が諜報員として潜り込めるよう課長に進言したものだった。もしや売ったのか。私が三日がかりで考え、芸術の域まで達していた天下りスキームを財務課の連中に売ったのか。くそ許すまじ課長。


 クレアはパラパラと伝票をめくって部下に指示をだし在庫確認をとるも、ほどなく一カ所に集まってザワザワし始めた。


「監査官、在庫との不一致がたしかめられません」

「監査官、伝票の連番に抜けはなく魔術印もしっかりあるのですが……」

「監査官、証憑と照らしてみましたがどれも齟齬がありません」

「そう、参ったわね」


 まあ、それはそうだろうな。不正の痕跡などどこにもないのだから。


 さてクレアはどうでる。ここまで大々的な行動を起こすということは監査課の名誉挽回のプロモーションとみていい。他の商会ふくめ一斉検挙を狙ってのこと。このまま手をこまねいていては出世に傷がつくばかりで、なんら得にはならない。


 同期首席たるクレアはすぐに決断を下した。

 

「適切に処理が行われているようですね。たいへんなお手数をお掛けしました。それでは失礼致します」


 事務所ふくめ徹底的に調べあげればいくらでも証拠はあがるだろうが、この奇策は時間との戦いだ。次に行ってサクッと成果をあげたほうが得策だと判断したのだろう。私でも同様にしていたところ。とういかすべて私の発案なんだが。


 一瞬チラとこちらを見たクレアと目が合う。

 そのまま彼らは去っていった。

 白髪混じりの商会長はひとりの幹部の肩をたたきねぎらう。


「サイモンよくやった。しかし一体なにがどうなった」

「いえ、その正直申し上げて……おい! ガレットこっち来い!」


 ガレットとはここでの私の名である。言われたとおり、駆けつけると血色を取り戻したサイモンが唾をとばし言った。


「お前がやったのか」

「はい、そうです」

「どうやった? これを見ろ。なぜ午前中に抜き取ったものと同じものがここにある。どうなっている」

「まったく同じ伝票をふたつ作っておきましたので」

「……なん、だと?」

「場長が抜き取ったほうの伝票束は、そこの木箱の隙間に隠してあります。地元では抜き打ち検査がよくありまして、その経験を生かしてみました。手間は倍かかりますが、これで万が一に備えられるかと思いまして」


 商会長、幹部社員たちがみな目を丸くするなか、サイモンは血を上らせて叫んだ。


「勝手なことをするなっ! 責任者はこの私なんだぞっ!」

「申しわけありません。自分の身は自分で守らなければと。それが会社の利益にもなるなら問題はないかと勝手に判断してしまいまして……」


 反抗的な態度はとらない。相手を貶めてもいけない。ただ素直に自分の過ちを認め、しかしその有用さも同時にさりげなくアピールする。それだけでいい。


 理不尽な目に合おうと腹を立てる必要はないのだ。なぜなら私が何を言わずともサイモンはすでに自滅したのだから。幹部社員たちが一斉に口を開いた。


「みっともないなサイモン。聞けば、おまえが指示してこの危機を回避したわけじゃないらしい」

「だな。しかも彼は自分の身を守るためと言った。実に誠実で合理的じゃないか」

「なにより結果として会社を守ったんだもの。まったく素晴らしいことじゃない」

「商会長、この件いかがいたしましょう」


 彼らは全員、血のつながった兄妹であり跡目争いをしていた。そこに顕在化された二男サイモンの無能ぶりと失態。ここぞとばかり責めたて、商会長の父に意見を求める。


「ふむそうだな。サイモンよ。後で話があるから会長室にこい」


 翌日からサイモンは姿を見せなくなった。かわって三男ミギが倉庫責任者についた。私は倉庫責任者代行という役職となかなかの報奨金をあたえられた。




 緊急連絡をのぞき非番となった今日、わたしはストレス解消のため買い物へと出かけます。どうしたって一番のストレス原因はバディ、グレイについて。


実地試験と研修の結果、彼は状況把握、思考判断、危機察知能力、いずれも諜報員の平均を大きく上回っていました。内包魔力量は平均以下でしたが、魔術構築、出力操舵、制御維持のいずれにも長けており、欠点を補ってあまりある人材とのこと。それはひとえに彼の類い稀な脳内演算による賜物で、その点についてはなんら文句はなくリリシアが執心するのも頷ける素質といえましょう。


 しかしながらです。天下りたいだけで中央省庁入りするってなんですか。隙あらば監査科に行こうと企むあの熱意はなんなんですか。ほんと呆れて物も言えません。こんな後輩を望んだ覚えはないのです。クロノ先輩とぐらい言ったらどうなんですか。まったく可愛げがない。これは致命的です。


 ですから、こんな日は買い物をするに限ります。


 諜報課は時間外手当と危険手当の両方をいただけるので給料だけは申し分ありません。省庁職員平均の三倍はもらえますので、貴重な休日にぱーっと使うに限ります。


 高級宝飾店の建ち並ぶ軒下通りでアクセサリーを物色していたときでした。


 ……なんでしょう。

 さきほどから妙に視線を感じますね。 

 あきらかに素人の挙動で、警戒する必要はなさそうですが。


 ああもうせっかくの休みなのに。気が散ります。

 

 これ以上プライベートを詮索されたくもありませんので、パパっと撒いてその辺の喫茶店でコーヒーフロートでもいただきましょうか。


「わたしココ=キャロットて言います」

「……はぁ」


 なんなんでしょうか。完全に撒いたはずなのに。あと勝手に向かいの席に座って話しかけてくるとかすごく図々しいです。とりあえず偽名で応じますか。わたしは甘く煮つめたサクランボを頬ばりながら答えます。


「レイナです。どこかでお会いしましたでしょうか」

「ううん初めて。そのレイナって名前、東方出身よね」


 わたしではなく東方諸国について興味があるようでした。であればレイナと名乗ったのは失敗。ほろ苦いコーヒーゼリーを食しながらわたしは答えます。

 

「育ちはずっとこちらでして」

「なんだそっか残念。東方医学に関する質問したかったんだけどなあ」


 おや。わたしは彼女にすこし興味をもちました。東方出身でカンテラにいるのは大半が東方魔術の専門家。生薬といった東方医学はここでは見向きもされてません。


「もしかして生薬でも専攻される学生さんですか」

「あ、ううん違うの。ちょっと草薬に熱中してたら配合について閃きがあって」

「配合ですか。残念ながら錬金等は専門ではなく」

「そう、ざんねん」


 彼女はティーカップ片手に遠い目をし、もの憂げに窓外を眺めていました。


 話が途切れたので席を立ってもよかったのですが、寂しげな横顔が気にかかって、わたしはつい訊いてしまいました。


「なにか悩みごとですか」

「……ううん、たんなる失恋。あの時はフロレンスに振り向いてもらいたい一心でね、恋は盲目っていうでしょ。あ、フロレンスって学生時代の同期なんだけど。どうしてだろ……なんだか最近急に冷めちゃって」

  

 フロレンス。聞き覚えがありました。グレイの同期でライグニッツ伯爵家の嫡男。グレイが彼をかばったことで色々ややこしくなったとマロンが頭を抱えていました。詳しい話は知りませんが、となると彼女もグレイの同期ということになります。


 なるほど世のなか狭いものですね。でしたらこの際、さりげなく彼女を誘導してグレイの弱みでも握るとしましょう。


「どうしてそのような経緯に?」

「そうね。彼ってすごくイケメンなんだけど、幼なじみでもあって。昔から誰にでも優しい王子様だった。もちろんわたしも普通に好きだった。あの時までは」

「あの時まで?」

「うん、学生時代に二つの派閥があってね、その間には越えられない壁があったの。けどそれを馬鹿みたいな理由でぶっ壊した阿呆がいた。結果どうなったと思う?」

「さあ」

「フロレンスが他の派閥の女の子と付き合っちゃったのね。ほんと常識的に考えて絶対あり得ないことで、わたしは愕然とした」

「彼をとられたからですか?」

「ううん違う。立場をかなぐり捨てでも、ひとりの女性を愛そうというフロレンスの一途さに一層惹かれたの。自分を押し殺してきたわたしとは全然違った。輝いて見えた。だからあの頃のわたしは悶々とした。ふたりの邪魔する勇気なんてなかったから。そんなとき、あの阿呆が現れてわたしに言ったの。このままじゃ彼が不幸になる。君はそれでいいのかって。言われピンときた。詳しくは話せないだんけど、彼を助けなきゃって思った。もちろん好きでもあった。両方あったんだと思う。それで長年燻ってた想いが一気に燃えあがったの。何かが開いたの。ようやく殻を破ることができた。だからわたしはなり振り構わず彼を助けようとがんばった」


 熱の入った言葉に、わたしはすっかり聞き入りました。

 しかし、彼女はここで言葉を詰まらせます。

 堪らず訊きました。


「それで彼を助けられましたか」

「そうね、彼は助かった。でも助けたのはわたしじゃない。結局あの阿呆。誰もなにも言わないけれど同期みんな分かってる。だってその阿呆はもういないから。死んじゃったから。だからあの日以降、わたしはクレアにあわせる顔がないの」


 彼女の頬に一筋の涙が伝いました。しかしすぐに「辛気くさい話してごめんなさい。そんなわけで彼が助かったから、わたしの恋も燃え尽きちゃったみたい」とおどけて見せます。なんと返していいか分かりませんでした。


 わたしはその阿呆を知っていました。

 彼は今も生きていて、相変わらず天下りたいだけの阿呆ですよと伝えたかった。

 しかし、それはけっして許されないことでした。


 わたしはなに食わぬ顔をし、いえ、そもそも無表情ではありましたが、「また素敵な人が見つかるといいですね」と心にもないことを言って別れました。


 まったく同僚の過去なんて探るもんじゃありません。

 どうしたって諜報員ですから、感情移入は任務の妨げでしかないのです。

 ですがなんでしょう。

 不思議と先ほどまで抱いていた苛立ちはもうありませんでした。


 こういうときこそ買い物するに限ります。なにかいい出逢いの予感。ふと目にとまったのはガラス戸ごしに碧く輝くペンダント石、大粒のサファイア。宝石に自然魔力が混じるのはよくあることで、ためしに魔術透視で確認してみます。第三階梯まではなんら変化がありませんでしたが、第四階梯にひきあげた時でした。

 

 それは息を呑むほどに美しく輝き、わたしはすっかり一目惚れしてしまいました。


 こんな代物、滅多にお目にかかれません。目も眩むような価格でしたが、これは観賞用としての値段。魔導具として考えてればざっと5倍ほどに跳ね上がるはず。何という掘り出し物でしょう。買って損はありません。なんとか貯金すべて崩せば買える額。悩みに悩み抜いたすえ、わたしの胸元に碧い輝きが灯りました。


 姿見の前で悦に入るわたしに、イヤリングから魔術伝言が入ります。


「こちらグレイ、例のものが手に入った」


 まったく仕事の早いバディですね。

 であればわたしの休暇もこれまで。

 さっそく仕事にとりかかりましょう。

 いそぎ着替え、第二魔術倉庫を見下ろせる高層建築物へと向かいます。 

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