第5話 文官の傑物(1)

 雑多な商店が軒をつらね、すえた匂いの立ちこめる商業4区6番街、その一角。とある建物に諜報課の拠点はあった。ネズミがわがもの顔で行き交う応接室で、ネトからグレイに名を転じた私は同寮の紹介を受ける。


「あらためまして、あなたの指導役兼バディを仰せつかったクロノ=リンネです。以後クロノとお呼びください」

 

 黒のうしろ髪を束ね流した中背痩躯の女が無表情に言った。東部出身の面立ちをしているが、その肌は透けるように白かった。


「グレイ=リースイシュです。よろしくお願いします」

「敬語は必要ありません。わたしが求めるのは任務の完遂のみですから」

「そうかわかった、よろしくクロノ」

「……」


 こいつマジか、みたいな昏い目でクロノは私を見た。なぜだろう、言われたとおりにしただけなのだが。同席していたマロンちゃんがあわてて間に入り、私を説いた。


「ああもう、だめだよグレイくん。クロノちゃんはね、初めての指導役で先輩づらしたくてウズウズしてたのにそんな態度じゃ嫌われち――うぐゅ!?」


クロノはマロンちゃんの細い首をギュッと締め上げた。この親しい間柄、ふたりは同期か少なくとも旧知の仲にあるようだ。


 諜報課は同寮であろうと互いに最低限の情報しか明かさない。直属の上司はみなリリシア課長であり、ほかは基本的に横の繋がりで流動的な組織体系をとっている。


 にしてもクロノというこの女、かなり若いな。二十そこらで私とほぼ変わらない歳にみえる。騎士学校の入学は十七から二十までの年齢制限があるから、三十路そこらのマロンちゃんと同期であるのはどうしたって計算があわない。


 疑問に頭をもたげているとマロンちゃんより助け船がでた。


「あ、クロノちゃんは外部採用だよ。諜報課は外局だから協力者ふくめ民間人の方が多いかな。あ、それからあたしは永遠の十七歳だから」

「そうでしたか、いつも的確なご指摘ありがとう御座います。ただカステイラ係長、人の心を勝手に読むことはやめていただきたい」


 マロンちゃんは笑顔で言った。


「読んでないし読めないよーもー。なんかそんな顔してるなって思っただけ」 


 それが一番恐ろしいことをこの御仁はあまり理解されていないようだ。魔術や呪術のたぐいなら幾らでも防ぎようがあるが、直感なら対処のしようもないのだから。


「あ、あのー、お取りこみ中のところすみません。少しよろしいですか」


 丸眼鏡をつけた猫背ぎみの、印象に乏しい小柄な若い男が部屋に入ってきた。


「あれま、どしたのー、目にクマなんかしてラスクくん」

「いやいや、毎年この時期はいつものことですって。しかし今年は本当に良かった。まさか卒業したての新人がくるなんて僥倖にほかなりません。君がグレイくんだね」

「はい、何かご用でしょうか」

「じゃこっちこっち。ちょっとこっち来て。すぐ終わるからさ」


 ラスク氏は私の腕を強引にひき、マロンちゃんも「行ってよし!」と宣言すると、クロノは信じられないとばかりこちらを睨んだ。ラスク氏は急を要しているのか構わず自分のデスクへと私を連れていく。


 うず高く積まれた書類から、数枚抜きとるとラスク氏は言った。


「僕は内部諜報担当、具体的には内部監査班の主任だね。あ、別に隠す必要もないし課のみんなも知ってる。それよりも君の同期46人の素行調査の件なんだけど」


 なるほど。新人職員はなにかとつけ込まれやすく環境の変化もあって問題行動を起こしやすい。彼らのことをよく知る私に聞けば、わざわざ素性を隠して調べる手間も省けるといわけか。たしかに僥倖だろう。


「数人、気にかかる子がいるんだよねぇ。とくに魔法省錬金部のココ=キャロットって子。学生時代はいたって真面目な生徒らしかったんだけど最近、高価な船来品をいくつも買い漁ってる。税関から取り寄せたリストによれば、効果の疑わしい西方媚薬や、いかがわしい東方軟膏に至るまで総数なんと百品目以上。ハメを外す新人は毎年一定数いるのだけれど、さすがにこれは常軌を逸するよ。経験上、僕の見立てでは何かのカモフラージュであり、裏でなんらかの魔術兵器を――」


 私は心からの謝意をラスク氏へ示すことにした。


「同期が大変なお手数をおかけし申し訳ありません」

「えっ!? なんで君が謝るのっ!?」


 斯く斯くしかじか、彼女については私のせいでもあると説明をつくし、もう問題ないと告げるとラスク氏は腹をかかえて笑った。私はあらためて言う。


「ですが、リストにある上級士官のクロック=リーズリー、それから総務課のアルエ=ヒルスラには今後注意する必要があるかもしれません」


 職業柄かラスクはふっと笑顔を消しふんふん頷いた。


「ありがとう。無駄骨にならなそうで助かった。また何かあったらよろしく」


 解放された私はすぐに応接室を急いだ。

 案の定、機嫌を損ねたクロノが足を組んで憤然たる態度でこちらを見ている。

 しかしその表情筋はまったく機能しておらず、無表情のままであった。

 

「あれ? ほんとすぐ終わったねー。なになにどんな話なの?」

「その質問は諜報課においてタブーなのでないのですか」

「そうその通り! よくひっかけに騙されなかったねー。じゃあ話を戻そう」


 けろっとした顔でマロンちゃんは書類を卓に並べていく。


「これがグレイくんの初任務になります。見てのとおり第二魔術倉庫の簡易図面です。グレイくんは顔を変えられる高度な光学魔術をもってるから、そこに潜入して――」

「……」

「ん? どしたのグレイくん。強張った顔して」

「……あの、私はその能力について係長に明かしてないはずなのですが」

「おっといけないいけない。仕切り直し。ともかくして、潜入工作の任務をお願いします。詳しくは書類に目を通すように。何か質問は?」

「いえ、とくにありません」

「うんうんいい返事、そんじゃかんばってね、グレイくん」



 川沿いの船着場すぐ近く。荷揚げされた木製コンテナが大量に搬入される大型倉庫にて。流通関連の商会に雇われた私は作業に追われていた。


 仕入れた品々の個数と金額を記入し、帳簿の元となる伝票をつくっていく。表向きの仕事は在庫管理と帳簿作成にあったが、その実はもちろん潜入工作である。


 私は商家の生まれであるからこの手の作業はお手のもので、水を得た魚のように作業を進めていると上司から声がかかった。


「おい、それ貸してみろ」


 倉庫責任者の幹部社員サイモンは束ねてある紙から数枚ひきちぎってそれを無造作に懐にしまった。それが何を意味するからといえば売上のチョロまかしだ。いくつかの取引を帳簿にのせず利益を過小計上することで支払う税を少なくする、いわゆる脱税である。


「ふん、さっさと作業にもどれ」


 バレれば追徴課税、懲役刑もありうる重罪なのだが、実際に検挙された例はすくない。それは役所が黙認し、個人的な見返りをうけているからに他ならなかった。


 昼休憩に入り、倉庫で働く者たちが一同にごった返す食堂のなか、私は黙々と硬い黒パンをかじった。隣にいた茶髪のサイドを刈り上げた利発そうな男が大飯を喰らいながら話しかけてくる。


「よう、その恰好もしかして地方もんか」

「ええ、騎士学校を受験したくてお金を貯めようと」

「だろうと思った。仕事ぶりをのぞき見させて貰ったが、ここに置いておくようなタマじゃないって一目見てわかったさ。いつだって正直もんがバカをみる。だろ?」

「かもしれません。それでは」


 この男、私の工作活動の一端に気づいている。あまり関わらない方がいい。私は席を立ち倉庫作業へと戻って男と距離をおいた。諜報課よりもたらされた情報によればそろそろか。


「行政省財務部です! 皆さんその場をけっして動かないように!」


 魔術で拡張された声が庫内の隅々にまで行き渡り、みな一様に固まった。まさしく監査課の抜き打ち検査である。さっそうと革底をならす職員たちのうしろ、青ざめた商会長と幹部社員たちがつづいた。彼らは伏し目がちに私を指さした。


 私と向かいあった女性監査官は言った。


「特別会計監査官クレア=ハートレッドです。すみやかに入出庫リストをお渡しください。拒否および証拠隠滅は逮捕拘束の対象となることをご承知おきください」


 ……なぜ監査課にクレアがいる。

 

 私は茫然と佇み、彼女に書類を手渡した。

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