第4話 死者のたむけ

「あらフロレンス、こんなお時間にどうなさったの?」

「そんな場合ではない! 君の命が危ないんだ!」

「……そう。そうでしたか。それよりも貴方ネトさんよね」

「なるほど匂いまでは擬態できないからな。さすが狼の嗅覚といえばいいか、マリアン=ラングストン」

「はぁー、うまく騙せてたつもりなんですけど」

「何か言い残すことはあるか」

「……いえなにも」


 マリアンは諦観したように天を仰ぎみた。

 かに思わせ、人ならざる瞬発力で一歩を踏み込む。

 スカートの内から短刀を抜き、水が流れるように私の首に迫った。


 …………。


「なぜ抵抗なさらないの?」

「人狼相手に凡人の私ではまるで勝ち目がない。なにせ文官位だ。それにフロレンスの顔なら殺れないと思ってな」

「くっ、バカにして!!」


 マリアンは飛び退き距離をとり、グゥウウと獣のように唸った。またたく間に全身が白銀の毛に覆われ、スカートからは尾がのぞき、人狼たる全貌を露わにする。


「こうなっては仕方ありません。貴方には――」


 その言葉を遮って私はいった。


「フロレンスは、君が人狼だってとっくに知っていたよ」

「……う、うそ! 嘘に決まってるわ!」

「フロレンスは君と駆け落ちしようと以前から画策していた。伯爵家の嫡男が不祥事を起こすまえに片をつける必要がでたわけだ」

「だから貴方を差し向けたと?」

「それはどうだろうか。ともかく私としてはフロレンスに失脚されては後ろ盾がなくなって困るんでね」

「ほんとゲスなのね貴方。友人のふりして」

「ゲスなのは君のほうじゃないかマリアン、恋人のふりして」

「うるさいうるさいうるさいっ! フロレンスの顔で、声で言わないでっ!」

「それは自業自得というものだろう。身を引く機会ならいくらでもあった。本気で恋するくらいならここを立ち去れば良かった。お互い不幸になる前に」

「私は恋なんて、彼を好きにだなんて……」


 哀れ人狼の目からあらがいようもない涙が流れるも、私の心には微塵もひびかない。そこに同情の余地など一切持ちあわせていない。あるのは互いの打算と自己の最大利益のみなのだから。


「悪いが君には死んでもらう。フロレンスはやれない」


 ◇


 翌朝、事後報告に省庁旧館を訪れる。


 上官リリシアは尋常ならざる殺気をまとわせ、こちらを睥睨した。


「報告を聞こう」

「調査の結果すべてシロ。リストに裏切り者はおりません」

「ふざけているのかコールマン。もう一度言ってみせろ」

「ですから、なんら問題ないことを確認しました。これが最終結論です」

「……そうか」


 椅子から重い腰をあげた上官は私の肩にそっと触れ、耳元でささやいた。


「ところであの白狼をどこへやった」

「さあ、誰のことを言っているのでしょう。名簿リスト10名は今も存命であり、白狼なる化け物についても私の調査対象に含まれておりませんが」


 ギィと歯がみし、背を向けた課長はガラス窓をわずかにあける。紫煙をくゆらせながら言った。


「どうしたものか。わたしは今、この場にいる賊を即刻始末すべきだろうか」

「ご冗談を。私は国に忠誠を誓い、与えられた任をまっとうした次第です」

「心底がっかりだよコールマン。ここに行き着くまでにどれだけの人員、金、時間をつぎ込んだと思っている。情報源を失い、貴重な白変種の実験体を失い、一体がなにが残ったという。損失は計り知れない。その責任は誰がとる? ああライグニッツにすべて押しつけるのは悪くない手だ。だが、対外的な損失までは埋まらない」

「でしたら、こちらのご確認を」


 私は一通の封書をデスクに置いた。


 上官はおもむろにそれを見、切れ長の目を大きく縦に開かせた。


「フロレンス=フォン=ライグニッツの罪を一切問わないのであれば、段階を踏みつつ、自身のもつ情報を提供する意思があるそうです。差出人ならびに内容の一切について私はわかりかねますが」


 リリシア課長は無言のまま蝋封を切ってなかを確認する。その酷薄な白い顔をたちまち紅潮させると恋文でも見たようにうっとり嗤った。そしておもむろに細い腕をあげ、二本の指を立て、それをくいと折った。


 ――ダン!


 窓ガラスの隙間より、弾丸が私の額を貫いた。

 そう錯覚するほどに激しい衝撃が私の頭部を襲ったのである。

 脳しんとうだろうか、ぐらり机上に手をつく。


 リリシアは私の襟首をぐいとつかんで思いきり引き寄せると、無防備になった唇に唇を重ね、舌を舌でまさぐり這ってからめ取る。息ができない、苦しい。


「……っ、はぁ、はぁ、いったいなにを」

「褒美に決まっている。続きが欲しいなら、つつがなく完遂してみせろ」

「なんのご冗談を」

「そうか? ずいぶんと愉しんでいたようだが?」


 上機嫌な彼女は私のしわになった襟を丁寧にのばしてのち、何もなかったように額に張り付いた粘着性のゴム弾を剝がしとって言う。


「ネト=コールマンは額を撃ち抜かれ今をもって死んだ。貴君はこれよりグレイ=リースイシュとする。これが新たな市民証だ。ようこそ魔法省外局諜報課へ」 


 こうして私は死んだ。

 シガレットの匂いを口内に残して。


 ◇


 あいにくの曇天のなか、ネト=コールマンの葬儀がしめやかにおこなわれた。


 参列した同期たちが順に献花していくなか、紅髪が美しい女性の泣き崩れる背中を望遠レンズより眺めていると、ふと背後から声した。


「自分の葬儀を覗き見なんて悪趣味ですね、グレイ」

「じゃあ君のときはどうだったんだ、クロノ」

「さあ、葬儀が行われたかも定かではありませんから」

「そうか、じゃあもう行くか」

「いいのですか、恋人だったのでしょう」

「まったく違うな。それにあれは演技だ」

「そうなのですか」

「ああ。可哀想な自分を演じることで周囲からの評価をあげつつ、誰がこの件に関与しているか、また私の消息がどうなっているか姑息にも探りを入れている」

「まさかあの取り乱しようで? にわかには信じられません」

「105期生、民間初の首席様に抜かりはない。もちろん私の推察だが」

「……それ、もし違ってたら平然と宣うあなたはとんでもないクソ野郎認定ですよ。わたしが彼女の立場なら即刻殺してます」

「やめてくれ、すでに一度ヘッドショットを喰らった身としては洒落にならない」  


 グレイという名に変じ、諜報課に身を置くことになった私はしかし、天下りを諦めたわけではない。虎視眈々と転属の機をうかがい、現状は与えられた職務をまっとうするのみ。


 近々の目標としては財務部監査科に別人として潜りこみ足場固めをすること。その申請もすでに済ませてあり、リリシア課長も監査科への転属を約束した以上これを拒めまい。ああ待ち遠しい、とりあえず課長からはやく離れたいものだ。

 

 踵をかえし、初任務へとむかう。


 クロノはうしろに結わえた黒髪を颯爽となびかせ、無表情に言った。


「そうそう。グレイが配置転換を希望していた財務部監査科ですが、急転直下、内部通報により不祥事がつぎつぎと明るみとなって現体制が一掃されるそうです。この混乱のさなかですから配置転換の件も棚上げとなりましょう」


 ……うそ、だろ。

 自然と足がとまった。


「よかったですね。溜まった膿は出しきるに限ります。時と場合によっては調査対象があなたの実家にまで及ぶかもしれないとリリシアが嬉しそうに語ってました」

「……」 

「まったくリリシアの寵愛を一心に受ける貴方が羨ましい」

「……」

「もちろん冗談です、最後の台詞だけは。さあ参りますよ」



 ――――――――――――――――

 タグに、ものぐさ男主人公(じつは仲間想い)を追加。


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