第3話 愚者は誰か

 ふっ、騎士学校時代を、ネトのことを思いだすと今でも笑ってしまう。


 あの頃はまったく騎士学校とはよくできた仕組みと感心したものだが、それをたった一人でどうにかしてしまうなんてな。


 貴族令息は受験せずとも最高学府である中央騎士学校に入校でき、卒業しさえすれば将来安泰だと言われて久しい今日このごろ。たしかにその通りで食うには困らない。だが、市民はその実態を正しく認識していない。


 貴族は幼少より徹底的に英才教育を受けて騎士学校に入るわけだから、教養はもとより一般市民よりあるし、遺伝的な魔法の素養もある。最難関といわれる国家試験もみな問題なく受かることだろう。万が一にも受からないことにより家名に傷がつかぬよう配慮がなされているのがその実態だ。


 しかし、この制度のせいで騎士学校内では貴族令息と市民出身者のあいだにふかい溝ができていた。いや、あえて対立構造を生み出してるといっていい。貴族は貴族、市民は市民とあらためて一線を引くことを目的としているのだから。


 大概の市民出身の学生は、貴族なんてどうせ試験も受けてないボンボンだと色眼鏡でこちらを見るし、貴族側もそんな彼らを野蛮で無礼な連中だと遠巻きにする。アイツらにだけは絶対に負けないと互いの競争意識を煽っているのだ。


 それを教官たちはここぞとばかりに利用した。血へどを吐くような訓練を課し、言うに憚かれる罵声で性根を叩きなおし、それを乗り越えた者たちのみ中央文官、士官へと輩出される。そうやって小国カンテラは列強他国と渡り合い、百年以上もの長きにわたって都市国家として存続し繁栄してきた。少なくとも僕はそう理解している。


 だがしかし、僕の同期にその道理から外れた者がいた。


 商家出身ネト=コールマン。


 これは騎士学校一年次のこと。


 彼はいつも澄ました顔をし、難なく課題の及第をとり、嘘くさい笑顔をはりつけ、身分問わず進級のあやうい者たちの懐に入りこみ、人心掌握に腐心していた。


 僕は生理的に彼が苦手だった。

 理由はわからないが、ともかく距離をおいた。

 ときに彼を他国の諜報員と疑い、探ったこともある。


「なあクロック、前にネトと仲が良かったよな」

「ん? ああ。商家のくせに態度はやたらでかいが、お前の思ってるような奴ではけっしてないぞ」

「そうなのか、もし他国のスパイなら君の将来に影響を受けるかもしれない」


 するとクロックは腹を抱えて笑った。


「そりゃないな。だったら俺かお前がスパイの可能性のほうがよっぽどあり得る」

「むっ、ライグニッツの名において、僕はけっしてそんな真似はしない」

「あいかわらず頭が堅いなフロレンス。俺も前まで似たようなもんだったが、しかしあれほどの愚者を目にすると視野も広くなるってものだ。自分が見えてくるんだ」

「うーん、そういうものか」

「ああ、俺たちは貧しさというものを知らない。知ろうともしない。奴は容赦なく知りたくもないものまで核心をもって突きつけてくる。一度、胸襟をひらいてしまえば、奴の手中だ。まったくしてやられたと思ったね。けどもう知ってしまった以上、前の自分には戻れない。そういうもんだろ?」

「なんだか具体性に欠くな」

「実際口にできないからな。墓場までもっていくような恥ずかしい話さ。もし、お前がそのままでいたいなら奴とは関わらない方がいい。だが、好奇心が勝るなら関わってみるのも一興だろう。それが毒か薬かは未だ判然としないがな」


 ほかに彼と仲良くする者たちにも訊いてまわったが、どれも似たようなもので具体的なことは聞き出せなかった。ただ、みな口を揃えて「それ以上は勘弁してくれ。思いだしただけで噴水に飛び込んでしまいたくなる」と嘆いた。


 僕はこの時、はじめてネトという男につよい興味をもった。


 彼とは接点がなかった。友人の友人がただの知り合いであるように、百人あまりいた同期のなか、すれ違うときに会釈をかわす程度の関係だった。


 僕が彼をよせつけなかったのもあるし、僕は学年首席で進級にまったく困っておらず、彼がこちらに近寄づく隙がなかったのもある。


 だから僕から近づくことにした。

 このまま彼を放置しては、被害が広がるおそれもある。

 義憤にかられての行動でもあった。


「やあコールマン、ちょっといいかな」

「ああ君か。頃合いだと思ってた」


 やはり好かなかった。

 さもこうなることがわかっていたかのような口ぶり。

 それが僕を苛立たせた。


「たしかに色々と君を探っているのは事実。気を悪くしたならすまない」

「ん、そうなのか?」


 彼はこともなげに言った。

 僕のことなどまるで眼中にないようだった。

 それが僕をさらに苛立たせた。


「へえ。じゃあなんの頃合いだと思ったのかな」

「決まってる。クレアのことだ。彼女は一年次の最終課題で君に勝負を挑み、学年一位にのしあがる」

「……それは本当か?」

「成長曲線をみれば明らかだ。止めたんだが聞かなくてな」


 その発言が嘘か本当かはしれないが、首席を当然とする僕の興味を引くには充分すぎる内容だった。それが彼の術中であると知るのはだいぶ先のこと。


「面白い事を言うね。たしか彼女は受験組だったか。学科ならともかく血筋が物言う魔術で僕をしのぐとでも? まったくあり得ない。なら彼女を紹介してくれないか」

「もちろんだ。全力でとめてくれ」


 市民出身者はこんな情報をふつう貴族には漏らさない。それがもし本当なら黙って見過ごし、貴族が敗れるのを影でざまぁと笑うのが当然の帰結だ。騎士学校を無事卒業できるのは半数以下。省庁配属先のパイも限られている。校内での情報戦は当たり前で、貴族と市民には絶対的な確執があり、互いの交流は皆無に等しかった。


 ネトという男、ただひとりを除いて。


 クレアという女学生は図書館にいた。

 本の虫と形容するにたがわない地味で化粧気のない女性だった。


「やあこんにちは。貴族科のフロレンスだ」

「知ってる。なにか用?」


 彼女は一瞥し、すぐに視線を本に落とした。

 僕はいささか狼狽した。

 自慢じゃないが、僕は魅力的な容姿をしている。

 いくら市民出身者で恋愛に疎くとも、僕に興味をしめさない女性など滅多にない。


「風の噂で聞いたんだけど、最終課題で僕を相手に指名するそ――」


 ダン! 彼女は突如として円卓を叩きつけ、鬼の形相でこちらを睨みあげた。


「それ、誰に聞いたの?」

「え、いや、その、ネトだよ」

「は? そんなヤツ知らない」


 まったく話が噛み合わなかった。

 どうやら僕はネト=コールマンに嵌められたようだった。

 ヤツの嘘八百を説明し釈明すると、しかしクレアは不敵に笑った。


「嘘とも言い切れない。だって貴方に決闘を申し出るのは事実だし、部屋のドアに差出人不明の置き手紙が何度も挟まれてたから。決闘を申し込むのはやめろってね」

「そうなのか。彼はどうしてそんな回りくどいことをしたのだろう」

「さあ知らない。けどそんなことどうでもいいの。問題はわたしが貴方に決闘を申し込むという事実をなぜ知っているのか。誰にも口にしたことがないから」

「そうなのか。でも君が友人にぽろっと言った可能性だってあるだろう」

「ありえない。だってわたし友達なんていないもの」

「……」


 僕は絶句した。


 ありえないのは彼女のほうである。学内における友人の存在は必要不可欠だ。情報戦を繰り広げ、自身のグループに含まれない者たちの足を引っ張り貶めてでも卒業を勝ち取ろうとする姑息な連中も多いなか、友人がひとりもいないだなんて。


 そんな彼女が、出来によっては一発退学のリスクをともなう学年末の最終課題に首席の僕を指名し決闘を挑もうだなんて……。 


 僕は悟った。

 彼のせいでとんでもない地雷原に関わってしまったと。


 一年次の最終課題、冬も終わりを告げようという寒空の下。


 予定通り僕はクレアに決闘を申し込まれ、血の暴力ともいうべき圧倒的な力で完膚なきまでうち負かされ、首席の座を明けわたすことになった。危うく死ぬところであった。


 地面で砂を噛み、泥と屈辱にまみれると同時に憑き物がとれたような思いがした。


 僕は思い上がっていた。

 無意識に市民出身と卑下し、くだらぬ優越感に浸っていただけなのだと。

 以降、クレアとは良き友人になった。


 この出来事をきっかけに二年次からは貴族令息と市民出身者とのあいだで交流がはじまった。騎士学校開校以来、それは前代未聞のことらしく教官たちの慌て具合とカリキュラムの大幅変更からしてもそれは明らかだった。


 生徒間交流のおかげで、僕は市民出身のマリアンという美しい女性と出逢うこともできた。将来の伴侶に巡り逢えたのだ。しかし、僕は知っている。


 すべては彼の仕組んだ流れにあるということを。


 未だ友人として認めていなかった彼に対し、同期から集めた情報によって、彼が貴族と市民との橋渡し工作をしていた事実をいくつも突きつけ、問うた。


「こんなことをしていったい何が目的だネト!」


 彼は観念したように言った。


「この国が将来にわたって強固でないと安心して天下れないじゃないか」


 ……は?


 傑物というのは、得てしてとしがたい阿呆なのだとこのとき思い知った。


 僕は心底笑った。

 なんたる才能の無駄遣いか。

 彼はとても不服そうだった。


 その日以降、僕はネトの友を名乗った。

 彼の阿呆な野望に付き合ってやることにしたのだ。 

 本当はたんに愉快な彼のそばにいたかっただけだけれど。


 そんな騎士学校時代の恥ずかくも輝かしい思い出を懐古しながら、僕はとうとう支度を終えた。あとはマリアンをつれてこの街に別れをつげるばかり。


 ふとクロックに言われた言葉を思いだす。


 ――ヤツより俺かお前がスパイの可能性のほうがよっぽどあり得る


「……はぁ」


 僕はどこまで愚かなんだろう。

 何度も忠告されたんだけどな。

 彼女だけはよしといた方がいいって。


 当時、それを言われた僕はネトを恋敵と思ってしまった。そんな自分を今でも呪うよ。彼の言うことに間違いなんて一度もなかった。だからと言って彼女に恋したことに後悔はない。僕は彼女を心から愛しているから。


 ふっ。いったいいつから僕はこんな歯の浮くような台詞を平然と言うようになったのか。昨夜のネトとクレアのあきれ顔ときたら。僕も笑いたくなってきた。


 首すじに手をあてる。

 歯形がさわる。


 ココ嬢につけられたキス跡をマリアンが嫉妬で上書きした情熱的な愛の証。

 僕はそれがとても愛おしくて堪らない。

 おかけで僕は彼女をつれてここを去る決心ができた。

 まあ、痛いは痛いんだけど。


 愛した女性を最期まで守り抜くのがライグニッツの家訓、なんて都合のいい解釈を誰も理解してくないだろうし家に途轍もない迷惑をかけて申し訳なくも思っている。


 それでも生涯をとして彼女を愛すと決めた。

 だから今日、そのことを彼女に打ち明けよう。

 きっと彼女は否定し、僕を拒むにちがいない。


 それでも最後は僕の提案を受け入れてくれるはずだ。

 バレト公国に亡命し新たな生活を始めるんだ。


 僕は本当の理解者になりたい。

 腹を割って君と語りあいたい。

 貴族と市民がわかり合えたように。

 きっと、人と人狼も分かり合えるって。


 だから僕はこの選択に後悔はない。

 もう決めたことだから。

 さあ行こう、時間だ。


 荷を担ぎ、裏路地に入った、その時であった。


 …………。


「奇遇だなフロレンス。こんな夜更けにどこへ行くつもりだ」


 なんだよ、どうしているんだよ、そんな顔するなよ、ネト。


「少し夜の散歩をね。昨日フィアンセの機嫌を損ねてしまって」

「ああ、それは悪いことをした。ま、本心じゃこれっぽちも思ってないが」


 カラン。


 ネトが無表情のまま何か乾いた石畳へ放った。

 それは血濡れたルビーのイヤリング。

 彼女の誕生日、将来を誓って贈った大切なもの。


 あ、ぁあ、アぁぁあぁ…………


「な、なぁネト、こんなの冗談だよな」

「決まってるだろう。私は職務を果たしたに過ぎない」


 うそだ、そんなのうそだ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

 

「ウソダッアアアアアア!! ネトォオオオオオオオ!!」


 這いつくばり、イヤリングを抱き、泣き喚く惨めな僕に一枚の紙が投じられた。


 ――愛しのフロレンスへ、あなたは生きて。


 血文字でそう綴られてあった。


 彼は何事もなかったように踵を返し、闇夜に消えた。


 こうして僕は生かされた。

 彼女の命と引き換えに。

 愛する人と友の両方を失ったこの日のことを、僕は一生忘れない。


――――――――――――

 非情を装うネトの真意は次話あきらかに。

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