もう酔いすぎたし宵過ぎた 硝子の鴉と声涸らす

ronre

第1話



「トリあえず、生ァ!」


「もう二十杯目だよお客さん。それ、一杯目に言うやつだから」

「知ってヴ! でも呑マずに越せネエの、この夜ァ! もうダメなん俺は! 今日は吞むって決メテんのって! もう一杯ッ!」

「あーあー。真っすぐ帰れんくなっても知らんよぉ、お客さん。冷えるよー、今日はー」

「ダイっっじょうぶ! 近えからッ 家! 近ぇからねッ、家! 何とでもなるカラあ!」

「だめだこりゃ」

「だからダメなんだって、言っテンじゃん オヤッサん! ひゃっく、はァ、あー……トリあえず、もいっちょ、生ァ!」


🍺🍺🍺🍺、🍺🍺🍺🍺、🍺🍺🍺🍺🍺。

   🍺🍺🍺🍺、🍺🍺🍺🍺、🍺🍺🍺🍺🍺。

 🍺🍺🍺🍺、🍺🍺、🍺🍺 🍺、🍺……。



🌙🌙🌙



あれ、月だ。

めっちゃ綺麗にぼやけてる。

月ってあんなに、ぼやぼやだった? もしかしなくても俺の目がぼやけてる?

俺、飲み屋に居たんじゃなかったっけ?

さっきまでおやっさんと喋ってて、なのにいきなり空を見ている。

不思議だなあ。


「ここどこー」


俺、どこかに寝転んでるっぽかった。上体を起こそうとする。でも上手くいかん。

なんかこう、がさついた袋の山? に埋まり込んでる。なんだこれー。

体に当たってる場所の感触が、固かったり柔らかかったり、ちょっとずつ違う。

そんでだし、ぷうん、と腐った食べもんの匂いがする。

生ゴミかこれ? あー。分かった。


俺、ゴミ捨て場に埋まってるんだわ。家のすぐ外の。

意識ないまま帰ろうとして、ベッドとでも間違えました。


「起きれね」


足ばたばたしてみるけど力が入らん。入らへーん。

外だから、肌は寒い。でも顔は湯上りみたいに暑くて、すっげえ頭痛する、あと視点が合わない。

もーすべてがふわっふわで、ぼやっぼや。いやこれすげえな。過去一酔ってるわ。

楽しくなってきたな。


「あ゛ー。あ゛ーよいよい。

 酔い酔い、好い好い、宵も宵~♪」


頭を所在なく、ゴミ袋にこすりつけるように左右に振りながら、変な歌すら歌いだしてしまう俺。

おまわりさんでも通ったら、即事情聴かれそうだなあ。若干の客観。

でも止まらねえよ今日は。

なんたって、こう成りたくてこんだけ呑んできたんだから。


「あ↑あ↓あ↑ー全てがおつらくて~。なんともならねえ だれか助けて~♪」

「助けてほしいのです、カァ?」

「そうなんだよ、終わってんだよマジでさー。終わりの先のお笑いごとなんだよね」

「いったい何があったんです、カァ?」

「えーへっへ、話すと長くなるけど聞くかぁ? ってか、カァ?」


あれ? 誰と話してんだ俺。

ぼやっぼやのままの目で辺りを見回す、首の可動範囲で。

すると俺目線のごみ袋の影、ゴミ捨て場の石ブロックの上に、鴉が一匹いた、俺を見ていた。


「聞きたいですけど、いいです、カァ?

 ……あ、申し遅れました、カァ。トリあえず、自己紹介からします、カァ。

 わたくし、硝子の鴉のガレスと言います」


そのシルエットは透き通っていて、夜の黒さがそのまんま移っていた。

瞳ももちろん透けていて、その後ろにある月の影が虹彩の代わりになっていた。

そこに居たのは、硝子の鴉だった。


どうやら俺は酔いすぎて、幻覚を見ているらしかった。

目の焦点のほうは少し合ってきたのか、月は一つになってたけど。



🌙



たぶんとっくにもう宵のうちとは言えない時間帯だ。俺とこの硝子の鴉以外、全員寝てるだろう。

だって、冷えた空気のしんと張り詰める音が聞こえそうなくらいに世界が静かだ。


頭がまだガンガンに痛いけれど、少しだけ冷えたから、俺は異常を異常として捉えることが出来ている。

硝子で出来た鴉が居る。――異常だ。

いやこれだけなら異常とまでは言えないか、そう言う硝子細工の人形だって探せばどこかにあるっしょ。

問題はその鴉が、丁寧かつ変な語尾で、興味深そうに俺に話しかけてきた点だ。


「やっぱり夢でも見てるのかな」

「どうかしました、カァ?」

「いやさ、酔い過ぎたことは今までもあったんだけどさ、キミみたいなのが出てきたこと無かったから。どう反応すべきか迷ってんのだわ」

「反応です、カァ」

「キミはないん? 人に話しかけたら迷われちゃったことは」

「それって、いま気にすることです、カァ?」


うわこの鴉、質問を質問で返してくるタイプか。俺はちょっと面食らった。

……まあ。言われてみればいま俺は、現実逃避して酒飲んで、飲みすぎた結果こうしてゴミ捨て場に寝転んで居るわけで。別に、硝子の鴉が夢なのか現実なのかなんてどうでも良いといえば良いのか?

現実じゃないんなら願ったり叶ったりなわけだし。


「たしかにそうかもなー。キミ、良いこと言うねー」

「キミではなくて、硝子の鴉のガレスです。そんなことより、寝転んでる理由は教えてくれないんです、カァ?

 わたくしいつものように綺麗な硝子ごみを探しに来たところ、貴方がそこに居てなにもできないんです、ガァ」

「語尾、ガァのパターンもあるんだ……?」

「そうです、ガァ?」

「ちょっと語気が強く聞こえて怖いかも、ごめんごめんガレスちゃん、いま退くから……うおッ身体を起こした瞬間にものすごい眩暈!」

「無理しなくてもいいです、ガァ」

「悪いねえ、飲みすぎちゃってさあ。じゃあゴミみたいな俺の話を聞いてくれるってことでいいんだ、そいじゃ話しちゃうぞ、あれは紀元前五世紀のこと……」

「それもう歴史じゃないです、カァ?」


ちょっとふざけたらちゃんとツッコミ入れてくれた。めちゃいいノリだ。

状況はともかく、なんでだか俺は、ガレスちゃんに心をすごい勢いで許していってしまっている気がする。

その硝子の身体に心ごと吸い込まれてるのかな?

いや、こんなにノリよく会話が出来てるのが、そもそも久しぶりなのか……。


「はぐらかしてごめん。そろそろ話すよガレスちゃん」

「やっと話します、カァ」

「ゴミみたいな俺って言ったところから続けるんだけど、実際俺、ゴミなんだよね」


俺はガレスちゃんに向かって自己紹介をした。


「スーツ着てるから分かるだろうけど、サラリーマンなんだよ俺。社会人一年生。春でようやく二年目になるやつね。分かる?」

「なんとなくは分かります、ガァ」

「もともと、おつむの出来が良くないからさー俺。

 必死に覚えてみんなに付いてって、ようやっと仕事にも慣れてきてさー? これからも頑張るぞーって気持ちで居たんだわ昨日までは。

 もう零時回ってるだろうからより正確には一昨日まで、か? いやどうでもいっか。

 でさ、昨日のことなんだけど、めっっちゃ初歩的なミスをやらかしちゃってね?

 ホントにアホすぎて、すぐさま何とかしないと全部やばくなるから、明日中までに何とかしろ! って上の人にも下の人にドン𠮟られたんだ」

「そうなんです、カァ」

「それで今日、どうなったかというと――寝坊しちゃいました!!

 うわあ! もうゴミすぎる!

 なんでかって単純に不安すぎて眠れへんかったのやよね。それで寝るの遅くなって、起きるのも遅くなっちゃって、やばいやばいやばい! って言ってパン咥えて走っても電車通勤だからどうにもならなくて、先に連絡しとくのもできなくて、電話来てたのも気づけなくて、もうパニックんなって、それでもなんとか会社辿り着いて……」

「辿りは付いたんです、カァ。偉いじゃないです、カァ?」

「ありがとうガレスちゃん、でもなんならこういうときって、ぴょいぴょいって逃げれる奴の方が偉いのかもしれなくない? 変なとこ真面目でもさ、社会では生きづらいだけなんだよ。

 もはや、怒られすらしなかったんだよね、俺。

 先輩にさあ『もう対応しといたから全部。次気を付けてね』って、めちゃくちゃやさーしく言われちゃった。

 えっへへへ、マジでゴミだよもうこんなん。迷惑かけて呆れられて、さあ!? 出来たつもりになってたこと、全部嘘っぱちだったんじゃん! 最っ悪!」

「……それでお酒の力を借りて逃げようと、こんな時間まで爆呑みです、カァ」

「そゆこと」


ふらふらでゴミ袋から逃れられなくなった俺は降参して四肢を思いっきり広げてゴミと同化した。


「だから俺はここで埋もれてんのがお似合いなのかもしれないよガレスちゃん。朝までここでじっとしてたらゴミ収集車に回収されて、処分場へと連れてかれるかもしれないし。それでもいいかもって気分」

「いえ、それだとわたくしが困るのです、ガァ」

「あ――そっかガレスちゃんが綺麗な硝子ごみを探してるのの邪魔をしてんだっけいま俺……まじで迷惑しか、かけてねえ……」


俺は、はたと気が付く。

社会にとって邪魔な俺が、ようやく逃げた先で、そのよっわい心の叫びを律儀に聞いてくれたガレスちゃんですら邪魔してしまっている。

俺という存在が、世界に悪い影響しか与えていない状態だ。


「うう……ごめんほんまに……いま退くからさあ……」


もうこれ起きられないとか言ってる場合じゃない、頑張って、起きなきゃ、もっと迷惑がかからないところへ逃げなきゃ。

って思いながら俺がまた上体を起こしたら、

その鼻をガレスちゃんが硝子のクチバシで突っついてきた。


「いってえ!?

 動きが見えなかったぞ、ステルス戦闘機かよキミの動きは!?」

「あの、困るのです、はそういう意味ではないのです、ガァ」


どうやらガレスちゃんは俺に怒っているようだった。


「――これ以上ひび割れないでほしいと言っているのです、ガァ」

「え、ど、どゆこと?」

「わたくし鴉なので仕事のことは細かく分からないんです、ガァ……。

 硝子なので、硝子のことは分かります。

 貴方が自分を卑下するたびに、貴方の心がひび割れてるのが、見えないのです、カァ?」


ガレスちゃんの言葉を聞いて、俺は目線を自分の胸辺りに移す。


💔


そこには、硝子で出来た心があった。

えっ。

――俺の心、硝子だったの!?

しかもガレスちゃんの言う通り、ぎぢぎぢと、スマホ画面が割れた時みたいなヒビが随所に見えている。


「わたくし綺麗な硝子が好みなので、割らないんでほしいんです、ガァ。

 心をそんなに痛めつけるのが、楽しいんです、カァ?

 結局、無理やり逃げるってことは、ほんとは逃げたくないってことなんじゃないです、カァ?」

「……」


俺はガレスちゃんの純朴な、心を透き通ったかのようなその疑問に、返す言葉を失ってしまった。

正直言って、その通りだった。

一年、いまの仕事を続けて――まだまだ経験が足りないって悔しくなることばっかりだった。

でもそれと同じくらい経験を積むことが楽しかったり、先輩とかの役に少しでも立てたかなって思ったら嬉しくなったり、いっぱい、いっぱい、いい思い出もあったんだ。

今俺が言ってた自分への卑下はすべて、そんな思い出も含めてぎゅって握りつぶしてヒビを入れてる、酷い言い草なんだって。心ごと突かれたような気分になってしまった。


ガレスちゃんが、羽を広げた。


「一人じゃ起きられないときは、誰かに助けを乞うても良いんじゃないです、カァ」


ガレスちゃんの身体が大きくなっていく。俺の身体を乗せられるくらいに。

そして、また俺には見えない素早い動きで、どうやったのか分からないくらいの勢いで、ひょいっと俺をその硝子の背に載せてきたのだった。


「ちょっと退いてもらいたいので、ついでに空でも飛びません、カァ?」

「うわ、うわわわ――」


俺が何か言う暇すらなく。

ゴミ捨て場から空に。ガレスちゃんと羽ばたいた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



宵を過ぎた静寂の世界は澄んでいて、星がはっきりと見えている。

硝子の鴉たるガレスちゃんの体に俺は必死につかまりながら、硝子細工みたいな星空を見やる。


「綺麗ではないです、カァ?」

「ああ――――」


硝子の羽ばたきのきらん、きらんという音につれて、ゆるやかなスピードで流れていく星空が、すべての願いを叶えてくれるかのようで。

俺は、わけもわからず、涙を流してしまった。


「う……ああっ……」

「泣いているのです、カァ?」

「そうだ、よぉ……だってこんなん……綺麗すぎんじゃん……」

「泣いても別に良いと思います、ガァ。

 どうせこの夜空では、小さな鳴き声なんて、わたくし以外にはきこえないですから」

「うう……俺……俺え……うわああああああ!!」


心が星みたいに熱くなって、熱で硝子がちょっと溶けて、ひび割れが修復される。

夜空に冷やされた涙がそこにぽたぽたと落ちて、元の心の形に戻っていくのを繰り返した。

何て言いながら泣いたのかは、覚えていないけれど。

たくさんたくさん、声も涙も涸れるまで泣いて、俺はゴミではなくなったのだった。



🌞



目が覚めるとどうやって戻ったのか、自分の家の布団の上に俺は居た。

スーツ姿のまま、お行儀よく布団をかぶって寝ていた。

跳ね起きて、スーツを脱いで確かめる。ゴミは付いてない。においもしない。

自分の胸を見やる。硝子の心なんて見えない。ただ自分の身体があるだけだった。


「いや、当たり前だけど……さすがに全部夢か」


ぽつんと吐き出した声はすっかり涸れていた。

だがこれは酒焼けかもしれない。

恐る恐るスーツを再び着て、仕事鞄を持って外に出て、最寄りのゴミ捨て場のほうを見る。


そこに硝子の鴉は立っていなかった。


もうあの鴉――ガレスちゃんには会えないんだろうなと思うと、ちょっとだけ寂しくなった。

色々もう、本当に、ありがとうって言いたかったんだが……。

うん。でも、それでもくじけるなって話だもんな。


ほっぺをはたいて気合を入れる。

大丈夫。

夢の中かもしれないけれど、俺の心はけっこう鍛えられたはず。

もっと心を綺麗に磨いていけば、いつかまた突きに来てくれるかもしれない。

それまで、ひび割れないように頑張ろう。


「……とりあえず、謝りまくるところからだな!」


俺は気持ちを切り替えて電車の方へと向かった。

どこで拾ったかもわからない硝子細工の鴉の人形が仕事鞄の底の方に眠っていることに気づくのは、もう少しだけ後のことだ。

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