保育士志望の幼馴染が練習とか言って甘やかしてくる

なんでやねん先生

幼馴染

「......よっ」


 高校2年の夏休み真っ最中、玄関の呼び鈴に反応してドアを開けると幼馴染の真奈まなが居た。

 最後まともに話したのは中学2年生の頃だろうか。


 その頃とは違って髪も伸び、金に染まって印象は変わっていたものの、物心ついた頃から一緒にいた幼馴染を見間違うはずもなかった。


「久しぶり。どうした?」


 出来るだけ俺達が気の置けない親友だった頃を意識しながら、動揺を隠して会話を続ける。


「いや、その......勉強、教えてもらおうと思って。真人まさと、賢かったでしょ?」


 真奈の手には、見覚えのあるトートバック。

 小学生の頃にあった家庭科の授業で、誰とも被らない2人だけのデザインとして選んだカエルのバッグ。


 体を膨らませたカエルは、2人の登下校を思い出させた。


「まぁ、入れよ」


 やはり外は暑い。

 片手で自分をパタパタと仰ぐ幼馴染を見て、俺はとりあえず家に招き入れるように扉を大きく開けるのだった。







「あ、ごめん。勉強中だった?」


 勉強机の上に置かれた参考書を見た真奈まなが、申し訳なさそうな表情でこちらの様子を窺ってくる。


「......いや、大丈夫」

「そう?」


 目を逸らしながらそう答えた俺の様子に真奈は少し引っかかりながらも、部屋の中心に置かれたクッションに座り、その前に置かれたローテーブルにカエルのバッグを置いた。


 その慣れた様子はいつも遊んでいたあの頃を思い出させた。


「結構変わったね」


 部屋の中をキョロキョロと見渡しながら、そんな事を言った。


 真奈の視線の先を追って俺も部屋を見渡すが、俺にはピンとこない。

 記憶を辿ってみても、そんなに大きく模様替えをした覚えは無い。


「何というか、雰囲気だよ。そうだな──男の子の部屋って感じ?」


 ピンときていないのが表情に出ていたのだろうか。

 俺の顔を見た真奈がクスッと笑いながら説明をしてくれる。


 結局、その説明も真奈の感覚的なもので俺には理解できなかったのだが。


「で? 何の教科?」


 学校に持っていくリュックから筆記用具を取り出し、俺は真奈の対面に座る。


「......全部」


 申し訳なさそうにそう告げながら、膨らんだカエルのトートバッグから数種類のテキストを取り出す。


「これ、学校の課題?」


 それにしては1年生の範囲を対象にしたものが多い気がする。


「その──学校は特に課題無くて、これは大学に行きたくて、自分で」


 まるで恥ずかしい事の様にそう話す真奈。


「......すごいな」

 

 その真奈に、思わず俺はそう零した。


「なんかやりたいことでもあんの?」


 続けてそう問う俺に、真奈は恥ずかしそうに頬をかきながら、呟いた。


「その......保育士に......」


 まっすぐ未来を見つめる幼馴染に、思わず口の端から自嘲気味な笑いがこぼれる。


「笑うなよぉ......」


 それを自分が笑われたのだと思った真奈が、頬を赤くしながら机に突っ伏した。


「あ、違う!」


 俺は慌ててそれを否定しながら、数日ぶりにシャーペンを握る。

 

「とりあえず勉強しよう!」


 空気を切り替えるように、俺はテキストを開けた。






 2時間ほど集中した後、とりあえずテキストの1章が終わったところで真奈が大きく伸びをする。


「疲れたぁ~」

「俺も......」

 

 内容は俺にも教えられるものだったが、1問ごとに質問が飛んでくるものだから俺も大分体力を持っていかれた。


 時刻は大体16時過ぎ。

 そろそろ母親が帰ってくる時間だ。


「そろそろ解散でいいか? お母さんが帰ってくるから」


 幼馴染とはいえ、高校生の男女が2人でいる家に母親が帰ってくる。

 それが困るのは言わなくても真奈にも分かるだろう。


「まだ、帰ってこないよ」


 テキストをゆっくり閉じながら、真奈が呟いた。


「私が──今日はゆっくり帰ってきてって、お願いしといたから」


 何故。そんな問いが頭に浮かぶ中、真奈は少し頬を赤くしながらも、俺の目を真っすぐ見つめる。


「だから、今日はもう少しだけ2人っきり」


 2人っきり。

 頭での処理が追い付かず、そんな耳に入った言葉をそのまま口の中で反芻してしまう。


「なんで......」


 ようやく言葉になったのは、たったの3文字だった。


「最近真人まさとが変だって、真人のお母さんから聞いた」


「変って......」


「ちょっとしか寝ない、ちょっとしかご飯を食べない、家族ともちょっとしか話さない、それが1か月続く。そういう人も居るけど、真人は前までそうじゃなかったでしょ?」


 閉じたテキストに2つの筆箱を重ねてテーブルの隅に寄せた後、立ち上がった真奈は俺のベッドの上に移動して、枕をポンポンと叩く。


「1回横になってみて?」


 記憶の中居る幼い真奈とは違った包容力のある声色。

 この状況にツッコミを入れようにも、言葉は出ず、勝手に体がベッドへと動く。


「なにかあったの? まさと」


 せめてもの抵抗と思い真奈に背中を向けたのだが、ベッドの横で膝立ちになったらしい真奈が頭を撫でながら囁いてくるので意味は無かった。恐らく、俺の耳は面白いくらいに真っ赤だろう。


「──何でこんなことするんだよ」


 本心など真奈にはバレバレだろうが、俺は表面だけでも嫌そうに、ぶっきらぼうな態度を取る。


「ん? そうだなぁ......練習みたいなもんだよ。保育士になった時、こうやって寝かしつける時あるでしょ?」


「俺じゃなくてもいいだろ......相手」


「真人じゃないと嫌だよ......でも、理由なんて今は知らなくていいよ」


 ベッドが軋む音で真奈が俺に近づいて来たことが分かる。


「──今はただ、素直になって?」


 呼吸音が聞こえるほどの距離でそう囁かれ、考えていた反論なんて全部飛んで行った。


 ──意味わかんね。


 そう言って突き放すつもりだったのに。

 俺の口は全く違う言葉を話し始める。


「勉強なんて、したくない」


「うん」


 声は震えていた気がする。

 でも、真奈は笑う事も、俺の頭を撫でる手を止めることも無かった。


「将来何になりたいなんて、何もない」


「......うん」


 とりあえず大学に進むために入った比較的偏差値の高い高校。

 でも、大学の後に目的が無くても走り続けられるほど俺は優れていなかった。


 2年生1学期でスタミナが切れた俺の期末テストは散々だった。

 夏休み初日に広げた参考書は、1週間以上たってもそのままだ。


「俺、何もしたくない......」


 そんな親にも言えない汚い本音が、零れた。


「なにも、しなくていいよ」


 そんな言葉、壊れそうな自分に何度も言い聞かせた。


「何もしないのも、しんどいんだよ......」


 毎日、前を走る皆の背中を見送るだけ。


「負けたくないからでしょ? 皆に」


「そんなこと......」


「自分だけ皆と違う人生を歩くことが怖いんでしょ?」


 そんな事、考えたこともない。

 我が道を行く人生を送る人を、かっこいい、羨ましいとさえ思っていた。

 

 でも違う。

 そういう人たちは皆俺より前を走っている時に道を曲げた。

 

 俺より後ろを走っている時に道を曲げた人も居るはずだ。

 俺自身が俺の友達にとってそうなるのが怖かったんだ。


 ──笑われる。そう思ったから。


「人生はゲームじゃないんだよ、持ってたお金や取った点数で勝ち負けが決まるわけじゃないんだよ」


 真奈はいつの間にか震えた声で、はなをすすりながら話すようになっている。

 思い出した。

 真奈は小さい時から自分の意見を話す時泣いていた。


 きっと怖かったんだ。自分の本心を他人に話す事が。

 だから俺には分かる。

 真奈は今、心をさらけ出している。


「真人の価値を真人自身が点数数字成績アルファベットで決めるのなら、そんな価値捨ててやる! 私が真人の価値を全部決める!」


 俺の肩を握る真奈の力が強くなる。

 

「いいんだよ。進級の時に、受験の時に、就職の時に笑っても、泣いても!」 

 

 その痛みが、俺の心に届く。


「人生がゲームなら、5歩戻ったんなら3歩進むのを2回やればいい。10歩戻ったのなら1歩進むのを何回もやればいい!」


 そう言い切った真奈は、もう涙を隠そうともせずに俺の背中に顔を埋めた。


「ゴールは皆同じなんだから、私の好きな真人に戻ってよ......もう、生きるのが辛いなんて顔しないでよ......」


 祈るように小さな声でそう呟いた真奈。

 俺は体を起こし、顔をくしゃくしゃにして泣いているであろう真奈の方を向く。


「真人も泣いてる......」


 はなも、涙も垂れ流している真奈にティッシュを差し出して初めて俺も泣いている事に気が付いた。


 その後、小さい子供の様に泣き続けた俺達は、気が付けば眠ってしまっていた。






「──さと? 真奈ちゃん?」


 聞き慣れた母親の声で、ゆっくりと意識が覚醒する。

 枕元に置いてあるデジタル時計には19時と表示されていた。


 真奈の言う通り、母さんは本当にゆっくり帰って来たのだ。

 

 睡眠で固まった体をほぐすように伸びをし、同じタイミングで伸びをした真奈と目が合い、同じタイミングで吹き出す。


「真奈、目が真っ赤」

「真人も」


 2人とも先程とは違う感触の涙を指で拭うと、真奈が立ち上がった。


「じゃあ、私帰るね」

 

 見送るために立ち上がり、お母さんも一緒に玄関まで歩く。


「じゃあ、その、ありがと」

「......うん」


 お互い頬を赤くしながらそう呟く。

 息子の変化に、お母さんは動揺を隠せていない。


 ──じゃあね。一呼吸おいてそう言った真奈が、玄関の扉に手をかける。


「あ」


 後はドアを押して出て行くだけなのだが、真奈がもう一度目線をこちらに戻す。


「明日も練習、しにきていい?」


 お母さんには分からない、俺達だけの言葉。

 でも、俺と真奈には分かる。


「......おう」


 俺はさらに頬を赤くしながら、そう答えたのだった。


  








 

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